第32話 『インフェルノ』
ドラグマの魔法大学を目指し北上を続けるキラ達に対し、逆に南下を続けるアンとエイダの二人。
道中、女の二人旅と見て舐めてかかった盗賊を次々と斬り伏せながら、二人はかつてキラ達が敗北して逃げ出した山の近くまでやって来た。
そこでは、ギャングと思しきガラの悪い男達と、一人の黒髪の若者が激しい戦闘を繰り広げている最中だった。
「あー、居た居た」
加勢するでもなく、アンは興味なさげに戦いを傍観する。
何度ギャングに斬りつけられても物ともせず、刃こぼれした剣で狂ったように戦い続ける青年。
やがてギャングは全滅し、その場には若者一人が残った。
「まあ、荒削りだけど筋はいいんじゃない?」
突然背後から声をかけられ、第三者の存在に気付いた青年は咄嗟に振り返る。
何とそれは、キラ達が合流できなかったエリックだった。
今まで何度もギャング団と戦いながらも、持ち前の再生能力のおかげで生き続けていたのだ。
身に着けている服は切り傷と血の跡だらけで見るも無残だが、異能力により身体の方に全く傷跡は残っていない。
「新手か?!」
ほぼ休みなしで戦い続けていたエリックに既に冷静な判断力はなく、アンのこともギャングの一味だと勘違いして斬りかかる。
だがアンは、茶色く光る片手剣を抜いてその一太刀を防いだ。
「えー、見境なし? こわーい」
茶化すように笑うアンだったが、次の瞬間表情と声を一変させる。
「そんな生っちょろい剣術で、私に敵うとでも思ってんのか!」
アンが魔剣で押し返すと、刃こぼれしていたエリックの剣はいとも容易く砕け散ってしまった。
「く、くそっ……!」
剣を失うと同時に、女の細腕とは思えないような力の前に体勢を崩し、その場に倒れ込むエリック。
そんな彼に、アンは剣の切っ先を突きつけた。
「お前、手足を切り落としても生えてくるんだってな? トカゲの尻尾みたいに。何なら、この場で試してみようか?」
血のような赤い瞳から、凍りつくような冷たい視線が送られる。
それに後ろから待ったをかけたのは、エイダだった。
「アン、そのくらいにしておきなさい。あなたがエリック・カーターね? 私達はギャングではないわ。あなたをスカウトしに来たの」
「スカウト、だって?」
突拍子もない言葉に、エリックも目を丸くする。
「私達は、この乱世に平和をもたらすために活動している者よ。あなたのその才能を見込んで、仲間に加わって欲しいの」
その口ぶりから、どこかの国の軍隊か何かだろうということは想像がついたが、掲げるものがあまりにもスケールが大きく、エリックは今ひとつ飲み込めないでいた。
「あなたも、この戦乱の犠牲者の一人。同じ目に遭うような人を無くすためにも恒久平和を実現する必要があると、私達は考えているわ。あなたの力が必要よ」
「……俺に、もう夢も理想も何もない。エレンは死んだ、死んだんだ! あいつら……仲間が見捨てたせいで! 平和とか、そんなことはどうでもいい……。俺はただ、復讐がしたい!」
エリックの叫びを聞いたアンは、冷徹な表情からまた一変、軽いノリに戻った。
「あはっ! こういう正直な人、嫌いじゃないなぁ。エイダ、やっぱりこの物件”当たり”だよ。連れて帰ろう?」
「本人の意思が最優先よ。どうかしら、エリック・カーター?」
エイダにそう聞かれたエリックは、しばしうつむいて悩んだ末、顔を上げて答える。
「俺は、力が欲しい。俺達を見捨てたあいつらに復讐する、力が!」
「それならちょうどいいんじゃない? だってほら、私強いし」
得意げな表情で胸を張り、透き通るような刀身の剣を肩に担ぐアン。
触れただけで鎧ごと胴体を両断するような魔剣だが、アンは全く傷つかなかった。
「俺に力をくれるって言うのか?」
皮肉めいてそう言うエリックだったが、エイダは至って真面目に答える。
「魔剣と、それを扱う技能……そのどちらも、あなたに授ける用意があるわ」
仲間に見捨てられ、幼馴染とも死別し、全てを失ったエリックに残されたのは復讐心のみ。
だからこそ、彼は力を与えてくれるという彼女達の話に乗ることにした。
「わかった。だが、ひとつ条件がある。まずあのギャング共を皆殺しにしたい。一人残らず、だ」
かつての彼ならば、決して口にするはずもない言葉だった。
「おっけー。なら話は早いね、この足でそのまま切り込みに行こっか。二度手間って嫌いだし」
アンは気軽にそう言い出した。
エイダはサポート専門で射撃の腕がいいわけでもなく、エリックも再生能力があるとは言え今は憔悴しきっている。
事実上、戦力として機能するのはアン一人だけだ。
その上で、アンは実質一人であのギャング団に挑むと言う。
「大丈夫なの? 薬の効き目も切れそうだし……」
「追加で飲んどけば大丈夫でしょ。そうだよねー、キャロル?」
そう言いながら、アンは手にした魔剣の透き通るような刀身を撫でる。
『キャロル』とは他でもない、この魔剣に彼女が勝手につけた名前だった。
「キ、キャロル……?」
剣に名前をつけたがる人間は居るには居るが、女性名をつけてまるで友達のように可愛がる人物を初めて見たエリックは、そのズレたセンスに引いた。
「可愛いでしょー? この子達の手にかかれば、ギャングだの何だの、そんな有象無象はボロ雑巾同然よ」
ペットにそうするかのように優しく撫で、そして頬ずりまでするアン。
彼女は自身と自分が持つ魔剣に、絶対の自信を持っていた。
「じゃあエイダ、さっさとアホ共の巣に乗り込もっか。場所はあらかじめ分かってるんでしょ?」
撫で回すだけ撫で回した剣を鞘へと収め、彼女はエイダにそう尋ねる。
「ボスの居る本部は既に掌握済みよ。その前に、効き目が切れる前に薬を飲んでおきなさいね」
エイダは懐から飲み薬の瓶を取り出し、アンに渡した。
「はぁーい」
嫌そうな顔をしつつも、瓶の中身の薬を一気に飲み干す。
アンが重病人だと知らないエリックは面食らって見ていたが、彼女にとってはこれが常だ。
「ホント、まっずいよねこの薬。ネズミのゲロみたいな味がするわ」
「はいはい、我慢してね。でもネズミのゲロなんて舐めた経験ないでしょ?」
発作を抑える薬をあらかじめ飲んだアンは、まるでごろつきのように指の骨を鳴らし、冷酷な眼差しで凄む。
「んじゃ、ちゃっちゃと血祭りに上げるか。……殺戮の時間だ」
アン達が目指したギャング団の本拠地では、驚異が差し迫っていることも知らず、会議室で巨大なテーブルを囲む中、ボスが幹部に対して怒号を飛ばしていた。
「この間の体たらくは一体何だ?! たかが旅人風情を取り逃がして、おまけに若造一人殺すのに何十人も犠牲を出してる!」
ボスにしてみれば、自分の顔に泥を塗ったキラ達が教皇領まで逃げ延びたことも、すぐ近くに居るのに未だにエリック一人を始末できないでいることも、どちらも腹立たしい事実だった。
「旅人パーティに対しては、教皇領に潜り込む手筈は整ってます。後は暗殺チームを向こうに送り込めばすぐにでも……」
するとボスは、途端に怒鳴るのをやめたかと思うと深いため息をひとつつく。
「はぁー……。違うんだ、そういうことじゃねぇんだよ」
ボスは発言した幹部の側まで近寄ると、突然頭を掴んで顔面をテーブルに叩きつけた。
「ただの旅人御一行様を、教皇領に逃げ込むまでのさばらせておいたことが俺は我慢ならねぇって言ってんだ!!」
幹部始め、ギャング団の構成員は怯えながら顔を見合わせた。
普段なら敵にすらならないようなパーティを取り逃がし、始末し切れなかったことは事実で、今更暗殺チームを送り込んだとてもうギャング団の看板に傷がついたこと事態に変わりはない。
職業柄、一度ナメられれば恐怖で押さえつけていた下部組織の盗賊団などが、次々と反乱を起こすことは目に見えている。
メンツを保つためにも、これ以上失態を重ねられないのだ。
重苦しい沈黙が流れる中、それを破って会議室のドアを派手に開け放つ人影が一人。
「やあ! やってるじゃない」
「だ、誰だ?!」
その場に居た全員が一斉に、突然開かれた入り口の扉を振り向く。
「殺伐とした会議室に可愛いアンちゃんが!」
ウインクしながら舌を出して茶目っ気を見せるアンだったが、あまりの場違い感にギャング達はぽかんと口を開けてしばし唖然としていた。
そんな中、幹部の一人が我に返る。
「お、おい! 見張りは一体何をしていた?! 侵入者だぞ!」
「見張りー? ああ、あの棒立ちしてたカカシのこと? 皆遠くへ逝っちゃったよーん。君達もすぐ会わせてあげるから安心しなってば」
そこでアンは態度を急変させ、ドスの利いた声でギャング達を鋭く睨む。
「あの世で仲良くな!」
それに対し、ギャングのボスもメンチを切って睨み返す。
「いい気になるなよ、女。俺にとってお前が何か、教えてやろうか? ただの糸くず、瓶の蓋……取るに足らない存在だ。俺が一声かければ、すぐにでも殺せるんだ」
そのボスの言葉に、アンは彼にも負けない迫力を放ちつつ鼻で笑った。
「ふん、やってみろよ。どうせ泥のついた看板だ、ついでにゴミに出しといてやる」
「お前ら、殺れ!」
アンにただならぬ威圧感を感じつつ、ボスは部下達に指示を出す。
すぐにそれぞれ武器を抜いた構成員がアン目掛けて殺到するが、当のアンは怖じるどころか嗜虐的な笑みを浮かべ、迎え撃つ姿勢を見せた。
「さあジュリエッタ、出番だよ」
そう言うと、アンは背中に背負っている両手剣の柄に右手を伸ばす。
次の瞬間、神速の居合斬りにより、ギャングの先頭集団5人が一瞬で真っ二つにされた。
それを見て警戒した後続は、一旦足を止めて警戒する。
「な、何だありゃあ?!」
アンが両手に構える剣を見て、ギャング達は思わず驚嘆の声を上げた。
彼女が握っていた剣は、波打つような形状の刃を持つフランベルジュと呼ばれる両手剣だが、特徴的な刀身は金属の色ではなく、赤く発光し透き通る謎の材質だった。
これもまた、魔剣の一種である。
「構わねぇ、殺っちまえ!」
数で押せば何とかなると思った戦闘員達は次々と武器を手に切り込んでいくが、アンの持つ赤い両手剣は武器はおろか防具まで、まるでバターのようにあっさりと斬り裂き、近寄ったギャングは次々と両断されていく。
その様子を後ろから見ていた幹部の一人が、ぽつりと呟く。
「熱……なのか?」
アンの持つフランベルジュは、元々刀身が赤いがそれに加えて、赤熱化していた。
対峙するギャング達の武器も鎧も、全ては切断と言うよりは熱で溶断されていたのだ。
波打つ刀身が放つあまりの熱量に、剣を構えている正面から見ると空気が揺らいでアンの姿がぼやける程だった。
「何をボサっとしてやがる! 弓だ、弓持ってこい!」
生まれて始めて見る魔剣の使い手に及び腰になる部下に対して、ボスが怒声を発する。
すぐに後方の戦闘員が弓矢に持ち替えて矢を射るが、それを見たアンは炎の魔剣に自身の魔力を更に込め、大きく一振りした。
赤熱化した刀身からは炎が噴き出し、振ると熱波が放たれる。
灼熱の炎の渦に巻き込まれ、放たれた矢は燃えて地面に落ちた。
ついでに、近くに居たギャング数十人も熱波の巻き添えで黒焦げにされてしまう。
「おーよしよし。偉いねージュリエッタ」
赤熱化し、火が出ているにも関わらず、アンはそう言って炎の大剣に頬ずりした。
「あいつは熱くないのか?!」
これには流石のギャング達も引いた。
そんな相手に、アンは剣に対する態度とは一変して冷ややかな視線を向ける。
「魔剣の特性も知らないアホ連中が……」
古代の魔剣は強力な破壊力を誇るが、それだけではない。
今は失われた魔法技術により、所有者として契約した”持ち主”は決して傷つけないように安全装置がかけられているのだ。
そんなことは魔剣を研究する学者でもなければ知らず、魔剣の威力と、それをものともしないアンの異常な行動に、ギャングはただただ圧倒されるばかりだった。
「害虫は一匹残らず駆除しないとなぁ!」
吹き荒れる熱波は構成員だけでなく、会議室そのものにも引火し周囲を炎の海に包んでいく。
ギャングの中には逃げようとする者も現れたが、出口はアンが入ってきた扉ひとつしかない。
それが分かった上で、出入り口をアンは押さえてしまっていた。
戦うにしろ逃げるにしろ、退路を断たれたギャング達はどの道炎の剣を振り回すアンを突破するしかない。
戦闘員だけでなく、幹部まで総動員でアンに立ち向かったが、鉄の武具を容易く溶断する炎の魔剣相手に打ち合えるはずもなく、誰も太刀打ちできないまま次々と団員は焼き切られていく。
最初は大勢居たはずのギャングは見る見る数を減らし、最後になると幹部が命乞いまでしだした。
「ま、待て! 金ならやる! 命だけは……」
ゴミでも見るような目でそれを見下ろすと、興味なさげに魔剣で焼き切るアン。
「……さて、もう最後の一人か。呆気ないな」
火に包まれた会議室には、ボスしか残っていなかった。
他の構成員は、下っ端から幹部に至るまで全員、アンご自慢の魔剣『ジュリエッタ』が焼き切ってしまった。
あまりの事態に後ずさるボスに、アンは余裕綽々といった様子でつかつかと歩み寄っていく。
「お、お前は一体、何なんだ……?!」
一応抵抗の意思として剣を構えてみるも、これまでの戦闘で鉄の剣など役に立たないことはもう分かっている。
ボスなりの、精一杯の強がりだった。
それに対し、アンは血のような赤い瞳から冷ややかな視線を送りつつ、あざ笑うように返した。
「ただの糸くず、瓶の蓋。じゃあ、そんな取るに足らないモノに負けたあんたって何よ? 生ゴミ? それとも、ネズミのゲロ?」
アンの目を真っ向から見据えたボスは、ならず者としての勘で戦慄した。
(あいつの目……ありゃあ、大勢人を殺ってきた奴の目付きだ! それも、10人20人なんて可愛いもんじゃねぇ、100人200人ってレベルの……!)
「たかだか田舎のチンピラ風情が、随分と思い上がったよなぁ? 自分は無敵の王様で、何でも思い通りになるって、そう思い込んでたんだろ?」
言いながら彼女は鼻で笑う。
「ふん。馬鹿か? 馬鹿なんだな、お前」
確かに、アンの言う通りだった。
『赤布のギャング団』はアルバトロス領北部を支配する最大勢力であり、地元の警備隊や下部組織の盗賊団を抱き込み、向かうところ敵なしだった。
その頂点に君臨していたボスだったが、アンの出現により王国は一瞬で脆くも崩壊する。
後に残るのは、文字通り家来を失って丸裸にされた、裸の王様一人だけだ。
「……小娘、いくら欲しい?」
本来なら、ならず者の王であるボスが若い娘一人に命乞いなどみっともなくてやっていられないが、この時ばかりは事情が違う。
例え今恥を晒しても、生き残れれば再起の可能性は残されている。
(何としてでも生き延びて、もう一度組織を作り直して……そして、この女を真っ先に犯して殺す!!)
「死ぬのが嫌か? 嫌だよなぁ、そりゃ誰だってそうだろうよ。なら……」
燃える剣の切っ先をボスの喉元に突きつけつつ、アンは刺すような視線で見下ろす。
「土下座して詫び入れろ」
そう言われたボスは剣を捨て、仕方なくその場で言われた通り土下座して見せた。
怒りと恐怖で震えながらも、何とかこの場を乗り切るために彼も必死だった。
そんなボスの頭を、あざ笑うかのようにアンが踏みつける。
「おっと、顔は上げるなよ。スカートの中覗きやがったら今度こそ殺す」
頭を足で押さえつけながら、アンはボスの首に炎の魔剣の刃を近付けた。
まだ刃が触れてもいないのに、熱で体毛がチリチリと焼け焦げていく感覚に、ボスは熱さとは逆に肝が冷える思いだった。
「そう言えばドクターが言ってたっけな。顔と両手足を火傷すると、そいつはほぼ助からないって。けど火傷が深いと痛みは感じないんだってな? 試してみるか?」
その時、アンの背後から待ったをかける人影があった。
「待ってくれ!」
「なーに? どったの? まさか、こいつに同情して助けてやって欲しいとかぁ?」
駆けつけたのは、エリックだった。
かつて自分達に地獄を見せたギャング団のボスが、焼け落ちる会議室の中で頭を踏みつけられているのを、彼はしばし眺めていた。
「……俺に殺らせてくれ」
エリックがアンを止めたのは、同情からではなかった。
幼馴染のエレンを殺したギャングのトップを、自分の手で始末したいという復讐心が彼をそうさせた。
「いいよー。好きに殺っちゃってね」
アンは炎の魔剣を引っ込め、頭から足を退かすと、愉快そうにエリックと交代する。
(何で殺せばいい? 魔剣を借りるか? ……いや、この”手”でいい)
ギャングに何度となく切り落とされ、その都度トカゲの尻尾のように生えてきた両腕。
目の前の男を殺すのは、これだけで十分だとエリックは判断した。
かつて、エレンや故郷の友人達と触れ合ったあの手は、もう既に無い。
異能力により代わりのものが生えてきたが、今の腕はもうエレンとじゃれ合った、あの腕ではなかった。
頭には記憶としてエレンの存在があっても、もう憎悪と復讐にまみれたこの両腕には、彼女の手の感触は残っていない。
(こいつが俺から全てを奪った……! エレンも、エレンの記憶が残っていた俺の手も!)
ボスの首根っこを掴み上げると、そのまま両手で首を絞め上げる。
ボスも抵抗しようとするが、もうエリックすら振り解けるような力は残されていない。
「あはっ! 絞め殺しとかバイオレンスでス・テ・キ!」
後ろから茶化すように笑うアン。
最初から、ボスを見逃してやる気などさらさらなかったのだ。
「あ……がぁ……っ!」
「死ね! 死ねぇっ!」
ボスの顔を睨みつけながら、憎悪のままに両手に力を込めるエリック。
ただ己の復讐心を満たしたいがための仁義なき戦いに、彼はかつてのような人を殺すことに対する抵抗感は失われ、逆に高揚感が胸を満たす。
首を絞められれば、脳への血流が止まって酸欠を起こし、数秒のうちに意識を失う。ギャングのボスは既にぐったりとして抵抗すらしなくなったが、エリックは手を離さなかった。
「そうそう、ちゃんと最後まで絞め殺さないとね。息の根を止めてあげないと、中途半端は可哀想だもん」
か細い声で恐ろしい台詞を吐くアン。
ボスが酸欠で気を失ってから更に数十秒、エリックは力の限り首を絞めた。
とっくに相手が死んだ頃に、彼は満足したのか手を離し、炎上する会議室にボスの死体を投げ捨てた。
「最後までできて偉い偉い。じゃ、気が済んだなら行こっか?」
炎の魔剣を背中に背負い、アンが手招きする。
彼女達の仕事はギャング団の殲滅ではなく、あくまでエリックのスカウトだ。
ギャングを始末したのは、エリックの要望を受けての”ついで”に過ぎない。
「……ああ。どこに行けばいい?」
アンの後について、エリックは焼け落ちる会議室に背を向けて後にする。
もうここには、復讐を果たし終えた骸しか残されていない。
燃えるアジトの炎に照らされた外は、既に夜更けだった。
「また、随分と派手にやったわね」
外で待っていたエイダは、呆れたような顔を浮かべる。
一応彼女もクロスボウを持った戦闘員だが、『邪魔だから』とアンが待機させていたのだ。
言外にやり過ぎだと諌めるエイダに対し、アンはあの普段とは別人のような冷たい表情で吐き捨てる。
「クズ共には似合いの最期だ」
並の一般人なら恐怖のあまり固まってしまうようなその威圧感を前に、エイダはいつものことと慣れた様子でため息をひとつつく。
「エリック、あなたを私達の支部に案内するわ」
「そう言えば、あんた達はどこの国の軍隊なんだ? アルバトロス……じゃなさそうだな」
ギャングへの復讐が一段落ついて少し頭が冷めたエリックは、怪訝そうに二人を見やる。
正規の軍人なら統一された装備を身に着けているはずだし、装備のカスタマイズが許されている武将クラスの人物だとしても、所属を表すような印章をどこにも着けていない。
本来であれば、所属する国か、または騎士などであれば生家のエンブレムをマントなどに入れているはずだ。
二人の出で立ちは、アンが魔剣使いであることを除けば、どちらかと言えば旅人のように見える。
素人のエリックにも、どこかの組織に所属する人物には見えなかった。
「私達は、厳密には軍隊でも、国でもないわ」
エイダは眼鏡についた煤をハンカチで拭き取りながら答える。
「軍でも国でもない……? じゃあ、何者なんだ?」
「それは私達も知らされていないわ。末端の実働部隊には、組織の全貌は明かされていないの」
実働部隊とはすなわち、アンとエイダのような実際に行動を起こし、スカウトや敵勢力の殲滅を行う構成員のことだ。
「な、何だよ、それ……?」
最初勢いで参加することに同意してしまったが、あまりの怪しさに本当について行っていいのかと、エリックは足を止める。
そんな彼に対し、背後からアンがクスクスと笑いながら話しかけた。
「なぁに? 今更怖くなっちゃった? 別に取って食いやしないってば。私達構成員は、命令に従う。上は平和だの何だのと理想を語りながら、私達を動かす。それだけだよ」
アンの言葉に、エイダも付け足す。
「不審に思うかも知れないけれど、平和のために戦っているのは事実よ。そして、それを実行できるだけの組織力があることも」
そう説明した上で、エイダは自分が知らされている限りのことを話した。
「ただし、私達は力を持ち過ぎている。だから構成員にさえ情報を秘匿して、悪用されないようにしなければならないの」
正直なところ、エリックは頭が混乱して話の内容を理解できないでいた。
(国じゃない組織……平和のため? 力を悪用されないために秘密にしている? 駄目だ、全然分からない……)
ただひとつ確かなのは、二人のバックに居る者達は力を持っており、その一部をエリックに分けてくれる話だということだ。
魔剣とそれを使いこなす技能の提供を、エイダは最初に約束した。
それさえあれば、キラ達ですら敵わなかったギャング団を一人で殲滅した、アンのような力が手に入るかも知れない。
組織が持つという”力”の体現者であるアンへ彼が視線を移すと、突然彼女は咳き込んで地面に膝をつく。
「うっ……げほげほっ! げほっ、げほっ……!」
それを見たエイダは慌てて駆け寄り、懐からあの薬瓶を取り出した。
「頑張り過ぎよ! ほら、薬を飲んで!」
むせて何度も薬を戻しながら、何とか半分は飲み込んだアン。
しばらくすると咳は落ち着いたものの、顔色は真っ青なままだった。
あのギャング団を相手取り、絶対者のように君臨していたアンが、戦いの最中にも見せなかった弱々しく苦しそうな表情に、エリックは呆気に取られてしまった。
「い、一体、どうしたんだ?」
「アンは病気なのよ。感染はしないから、あなたは安心していいわ」
追加の薬を飲ませてアンの背中をさすりながら、エイダが答える。
薬の効き目が出て肌の血色もよくなってきたアンだが、まだ本調子ではないようで膝をついたまま動けないでいた。
「はぁっ……はぁっ……。くそっ、病気さえなければ……!」
息をするのも苦しそうな中、悪態をつくアン。
その声は、ドスの利いた時とは違い、今にも消えてしまいそうな儚さを秘めていた。
呆然と眺めるエリックの目には、容姿の美しさも相まって、繊細なガラス細工の芸術品か、はたまた枯れ行く一輪の花のように映った。
(忘れてたけど、この子も俺やエレンと同じくらいの女の子なんだよな……。しかも病気なのに、それでも戦って……)
復讐心に歪んでしまったとは言え、エリックにも性根の良さはまだ僅かに残っていた。
「なあ、俺が代わりに戦えば、この子は……アンは、少しは負担を減らして貰えるのか?」
病の発作に苦しむアンの姿に同情したエリックは、気付けばエイダにそう問いかけていた。
「はぁ、はぁ……。ナ、ナメるなよ、素人風情が……」
こんな状態では、彼女の悪態も単なる強がりにしか見えない。
同情の視線を向けるエリックを睨み返すアンをなだめつつ、エイダが答える。
「私達の掲げる平和が実現すれば、もう誰も戦わなくてよくなるわ。あなたも、アンも、皆がね。そのために今、私達は戦っているの」
そう言われてエリックは、少しばかり趣旨を理解できた気がした。
(俺や、アンも戦わなくていい世界か……。もし、もし本当に、そんなものが現実になるなら……)
思えば、一目惚れだったのかも知れない。
この儚くも美しい病に冒された剣士に、これ以上戦いを強いることのない世界を作れるのなら、自分が戦おうとエリックは決意する。
まだ彼自身も気付いていないが、無意識のうちにアンに死んだエレンの影を重ねて見ていた。
エレンは特別美人というわけでもない平凡な容姿で見た目の類似点は無いが、強いて言うならば猫を被っている時の雰囲気がよく似ていた。
「何となく、分かったよ。俺も戦う。まずは、そのための力をくれ!」
それに対し、エイダは満足そうに頷いた。
三人はアンの発作が落ち着くのを待ってから移動を再開する。
エイダの言う支部はここから南東にあるらしく、最寄りの街から馬車で付近まで移動するらしい。
街まで歩く道すがら、自然と目で追っていたアンの背中から、エリックは視線を頭上の空へと向ける。
欠けた三日月の月明かりが、三人の道筋を照らす。
(パーティの奴らは俺を見捨てた……。だが俺は、戦う理由を見つけたぞ!)
同じ空の下、今でも記憶を探して彷徨っているであろう、かつての仲間達に向けるように月を睨み上げるエリック。
戦う意味もよく分からないまま、記憶探しという曖昧なものにすがっているキラと違い、自分は明確な理想と目的を手に入れたのだと、エリックはある種の優越感を覚えていた。
一方その頃、アンがエリックと合流しているとは知らないキラ達は、予定通り教皇領を北に向かって馬車で直進していた。
キラ達も度々巡回中の教皇軍に呼び止められたが、ただの旅人であることを説明すると、すんなりと通してくれた。
ただ一人、カルロだけは軍隊と出会う度に外套のフードを深く被って、何かに怯えるように縮こまっていた。
妙に臆病なカルロだったが、御者としての腕前は一流だった。
思えばリカルド達と行動を共にするようになり、カルロが手綱を握る馬車に乗るようになってから、一行は乗り物酔いをしなくなっていた。
馬車の揺れが少なく、比較的快適に荷台で過ごせるおかげだ。
リカルド達と行動していた時はすぐにギャングとの戦いに発展し、それ以降中々馬車を調達できずにいたため、キラ達がカルロの有り難みを実感したのは教皇領を縦断するようになってからだった。
町を発ってから二日。
平穏かつ順調な旅路の中、一行は今日も早めの野営準備に取り掛かる。
ギルバートが薪割りをしている間、火起こし当番になったディックは火打ち石で枯れ草に着火しようとするも、湿気っているせいかうまくいかない。
「お困りかしら?」
そんな時、同じく焚き火の当番だったソフィアは、以前見せたように無詠唱で人差し指の先端に小さな火を出して薪に燃え移らせた。
「何これ凄い」
主に戦闘でばかり魔法を使うところを見てきたが、いとも簡単に焚き火を起こせてしまう日常での魔法の便利さに、ディックは驚いていた。
「このくらい、魔術師にとっては初歩よ」
彼女の言う通り、適正があると認められた初心者の魔術師が最初に習うのが、発火の呪文だった。
人体を巡る生命力のひとつである魔力を自然現象に変換、具現化させる魔法の基本中の基本を、この火の術から学ぶのだ。
「ほへー! じゃあ、チビ助もこの”初歩”、できんのか?」
ディックは、休憩組で身体を伸ばしていたレアに話を振る。
「チビ助言うな! で、できるに決まってるじゃない! 当然でしょ?!」
ムキになる様子を面白がってか、ディックは焚き火の管理も放り出して彼女をからかい始めた。
「さては、できねーんだな? そうなんだろ? まぁ、やっぱお前みたいなチビ助じゃ火を出すなんて中々……」
そう言って笑うディックに、レアは短剣を取り出して呪文を唱え始める。
ソフィアのように無詠唱で即出せる程短縮できていないが、レアなりに覚えた発火の詠唱だ。
「食らえレアファイアー!」
「うわっ! あちち! あつっ、熱い! な、何すんだお前?!」
レアの出した火はソフィアのものよりも小さかったものの、ディックの衣服が焼け焦げる。
彼は火を振り払おうと、必死に手足をジタバタと動かした。
「思い知ったかチャラ男! ボクだって魔術師なんだから!」
「やりやがったな、この……!」
しばらくずっと年下の15歳の少女と同レベルで喧嘩をしていたディックだったが、キラに咎められて渋々矛を収めた。
ほぼ時を同じくして、狩猟当番のルークとユーリが獲物を持って戻ってくる。
今日の収穫は、ユーリが弓で仕留めた野鳥三羽、ルークが見つけたこの付近では珍しいとされる食用ハーブ、後は二人で森の中で採取してきた野生の果物だった。
収穫物はすぐに調理当番のエドガーへと引き渡され、ここからは彼の領分となる。
(ふむ……偶然だろうが、材料が揃ったな)
鳥丸とハーブの束を前に、やや考え込んでから調理を開始するエドガー。
それからしばらくして、焚き火を囲むパーティの面々の前に出された料理は、シンプルな鳥の香草焼きだった。
香草焼きを見たルークは、思わず目を丸くする。
(これは、まさか……? エドガーさんは、どこでこの作り方を? いや、傭兵だと言うし、仕事で立ち寄った可能性もあるか……)
しげしげと焼き上がった鶏肉を見つめるルークを余所に、他の仲間達は珍しい味付けの香草焼きに舌鼓を打っていた。
「ん、うめぇなこの鳥。食べたことない味だぜ」
ディックは一口かじって気に入った。
ルークが採取してきたという食用ハーブのおかげか、独特ながら程よく味と香りのついた鶏肉が食欲をそそる。
焼き加減も丁度良く、肉は柔らかく焼き上がっていた。
「もっもっもっもっ……んぐっ! おかわり」
相変わらずレアも食いつきがよく、すぐに自分の分を食べ切ってしまった。
「そう焦るな。まだある」
放っておけば人の分まで横取りし始めるレアに、エドガーは鳥丸を切り分けてやる。
「けど、本当においしいですね、この鳥。どこの料理なんですか?」
できれば今度作り方を教えてもらおうと、キラが尋ねた。
「昔、ちょっとな……」
エドガーの返答は、歯切れの悪いものだった。
料理そのものの味とはまた別に、何か苦い思い出でもあるのかと察したキラは、今回はこれ以上触れないことにした。
エドガーのことはまだよく知らないが、祖国を焼かれた傭兵ということで色々と複雑な事情がありそうだと考えたからだ。
そんなキラがふと横へ目をやると、ルークは何か考え込んだ様子で食が進んでいなかった。
「ルークさん、どうかしました? 具合でも悪いとか?」
「いえ、何でもありません。少し考え事を……」
キラの言葉で我に返ったのか、ルークも食事を再開する。
(私の考えすぎか。それにしても、懐かしい味だ……。今になって、また食べられるとは)
この日は全員が鳥の香草焼きでたっぷりと腹を満たし、いつものように交代で見張りを立てつつ、ぐっすりと眠った。
それから何事もなく更に二日経過し、次の補給地点である小さな村に一行は到着する。
ここで一晩泊まり、馬を休ませてからいよいよ教皇領の首都である聖都ヴェンデッタを経由し、ドラグマの国境を越える予定だった。
だが村の手前でカルロは突然狼狽え、馬車を止めてしまう。
「何だよおっさん、どうして止めるんだよ?」
村の宿でまた酒が飲めると楽しみにしていたディックは、露骨に不機嫌そうに荷台から顔を出す。
「な、なあ……この村、迂回することって、できねぇかな?」
「はぁ?」
振り向くカルロの表情は、怯えて歪んでいた。
「どうしたんじゃ? この村に、何か不都合でもあるのかのう」
そうギルバートに尋ねられて、カルロはしどろもどろになりながら、何とか二の句を告げる。
「こ、ここって、お、俺のその、故郷なんだよ……」
その一言に、一行は思わず驚嘆した。
To be continued
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