第22話 『秘密』

 北のドラグマ帝国を目指すキラ達一行は、北上してまず教皇領を目指す。

 教皇領までの中間にはファゴットほどではないが比較的大きな街があり、そこで補給を行う予定だ。

 その道すがら、野営の合間に仲間達はそれぞれの特訓を続けていた。

「いい打ち込みです。次はもっと深く踏み込んで、強めに振ってください」

 こちらは剣術初心者のエリックに稽古をつけるルーク。

 盾による防御を覚える基礎訓練は早々と終わり、今は剣の振り方を教える段階に来ている。

(異能力を人に見せないためには、盾が一番のはず……)

 ルークが『犀の型』を教えたのは、自分が修めた基礎の型であることの他に、実戦でエリックに負傷させないためだった。

 傷を負えば、必ず異能力で再生する。

 敵や第三者がそれを見れば、確実に彼は化け物扱いされてしまうだろう。

(いらぬ老婆心かも知れないが、エリックさんの居場所を無くさないようにしないと)

 口には出さないが、ルークなりの気遣いだった。

 対するエリックは教わった通り、右半身を前に出しながら同時に木剣を振り下ろす。

 ルークは素早く受け止めるが、先程よりも強い手応えを感じていた。

「前より良くなりました。そろそろ休憩にしましょう」

 エリックも息が上がっていたため、ルークは一旦切り上げることにした。

「はぁっ……はぁっ……あ、ありがとうございました!」

 憧れの剣士であるルークから直々に稽古をつけてもらえるとのことで、エリックも張り切って訓練に熱が入っている。

 そんな彼に無理をさせないよう、ルークは体力面にも気を配っていた。

(やはり飲み込みが早い。天賦の才とはこのことか……)

 教えているルーク自身、エリックの成長スピードには驚かされる。

 ファゴットの街を発って共に旅をするようになり、およそ一週間程。

 その間に基礎の型のひとつである『犀(ライノ)』を教えるようになり、基本はほぼ出来上がってきていた。

 また、才能に驕るでもなくひたむきに力を身に着けようという努力と向上心が、成長を後押ししているようにルークは思えた。

 ここまで士気の高い素人も中々居ない。

「くっそ~、エリックの奴、もう実戦訓練までやってんのか。俺の方が槍の扱い覚えたのは早いんだからな……!」

 二人の訓練を傍から見て、対抗意識を燃やすディック。

 そんな彼の肩を、ギルバートが軽く叩く。

「このままでは追い抜かれるぞ。ほれ、今日も特訓じゃ」

「えぇ……き、今日はお休みということで……」

 素手で鉄の武器を弾く闘気術を教えてもらえると期待してギルバートに教えを請うたはいいものの、体力トレーニングや基礎訓練の繰り返しでディックは早くも嫌気が差してきていた。

 思い立つのが早ければ、飽きるのも早いのが彼である。

「何を言っておる。奥義とはこれ即ち、基礎を極めることにあり。お前さんにはそこが足りておらん」

「意味わかんねーよ!」

 ディックの脳内では奥義とはイコール派手に敵を蹴散らす必殺技であり、基礎の反復練習などではなかった。

 誰にも教わらず、我流で槍の扱いを覚えたという彼に、まだ基礎となる技術の大切さは理解できない。

 だからこそ、ギルバートはその全ての基盤となる土台をまず作り直そうと、身体作りも含めた猛特訓を課しているのだった。

 一方、エリックと共にパーティに加わったエレンは、頼み込んで気難し屋のユーリに弓を習っていた。

 同じく猟師であった父親から習った型通りに弓を番えるエレンだが、ユーリはそんな彼女に早速駄目出しをする。

「フォームは一度忘れろ。戦場で背を伸ばして矢を射る猶予はない」

「えっ、はい!」

 そう言われてもどうしていいか分からないエレンは、答えつつもユーリに視線を送る。

「実戦では敵が撃ち返してくる。マトになりたくなければ、身を屈めて、遮蔽物に隠れながら撃て」

 ユーリはそう言いながら、実践して見せる。

 練習のマトは動かないし反撃もしてこないが、攻撃してくると思って身を低くし木や岩を盾にしながら、素早く遮蔽物の間を常に移動し続け、その間にも矢を放ち続ける。

「お、おぉー! それっぽい! よーし、あたしも……あだっ!」

 早速真似しようとしたエレンだが、動きながら矢を射ろうとして小石につまずき、途中でこけてしまう。

 だがユーリはそれを咎めるようなことはしなかった。

「遮蔽物がない場合、地面に伏せるのも有効な手だ」

 そう言ってユーリはその場で腹這いになり、その体勢から弓を引いて矢をマトに命中させた。

 彼なりの、エレンの失敗へのフォローのし方なのだと気付いたエレンは、微かに笑みを浮かべつつユーリに倣って伏せ撃ちを試す。

「木、岩、地面、使える物は何でも使え。敵を殺すことより、まず生き残り方を覚えろ」

 無理な体勢からの射撃を盛大に外したエレンだったが、彼のその一言に思わぬ手応えを感じていた。

(そっか……。マトに当てることだけ考えてたけど、人間同士の戦いってそんな甘くないんだよね……。あたしが早死にしないよう、師匠なりに気を配ってくれてるってことかな?)

 これから自分達が歩むのは、動物を狩るハンターの道ではなく、武器を持った人間同士の殺し合いなのだとエレンは改めて実感する。

 敵は明確な殺意を持ってこちらに攻撃し、こちらもまた降りかかる火の粉は払うべく全力で応戦しなくては生き残れない。

 ユーリはその生存術をまず教えようとしているのだと、エレンは理解した。

「何となく……分かった気がするよ、師匠! スナイパーって思ってたより楽じゃないね」

「スナイパーに限らず、全員大変だ。俺は今日の獲物を探しに行ってくる」

 今日の狩りの当番はユーリだった。

 エレンへの稽古も程々に切り上げ、近くの林へ足を向けるユーリ。

 そんな彼の後を、エレンはカルガモのひな鳥のように付いてきた。

「あたしも行っていい? 一応、狩りなら経験あるし!」

「構わない」

 ユーリがどんな狩りをするのか、見て学ぼうという魂胆だ。

 彼もまた、エレンなら狩りの邪魔にならないと判断し、同行を許可する。

 二人が鹿を仕留めて帰って来る頃、体力作りとして野営地の周囲を10周ランニングして帰ってきたギルバートとディックもちょうど、キャンプファイアーへと戻って来た。

「中々大物を仕留めたようじゃのう。次の街まで、食糧は十分持つじゃろう」

 今夜の食料調達係の獲物を見て、ギルバートは満足そうに頷いた。

 メイがイノシシを仕留めて以来2日、大きな獲物が捕れずに携帯食が減ってきていたのだが、これで食糧の心配はなくなった。

 鹿だけでなく、二人は調味料に使える香草や、野生の果物の実なども色々と調達して来ていた。

「聞いてよギルバートさん! 鹿の足跡、あたしが見つけたんだよー!」

 ユーリが獲物を捌く最中、エレンは自慢気に無い胸を張った。

 ここは流石は元狩人といったところである。

「けどその後の師匠の長距離射撃も凄くてね……」

「ふむふむ」

 体力を使い果たし、会話に混ざる余裕もなく地面にへたり込むディックを他所に、ギルバートはエレンの話に相槌を打つ。

 仲間達が訓練に勤しんでいる間、キラも練習用の木剣で素振りをしていた。

 アルベールから基礎訓練などは受けていないため、うろ覚えで相対する敵をイメージし、剣を振り回す。

(うーん、こんなのでいいのかなぁ?)

 訓練でのアルベールの動きを思い出しながら、動きを真似て袈裟斬りから突き、横薙ぎと動作を繋げる。

 馬車に積んである木剣を拝借してきて練習するが、キラ自身もこれでいいのか分からなかった。

 彼女は知らなかったが、軽い木剣を振り過ぎると重みのある真剣を振る時に変な癖がついてしまう。

 そのため本来であれば、木剣による素振りは早々に卒業するものだった。

 アルベールと別れてファゴットを発って以降、特に当番の無い日はこうして一人練習をしているキラ。

(そろそろ戻らないと……)

 キャンプファイアーからはそう遠くないが、あまり目の届かない場所に居るとルーク達が心配する。

 ついでにキラは追加の薪を運ぼうとするが、一度に多く持ち過ぎて足元の小石につまずき、バランスを崩してしまった。

「あっ……!」

 あわや転倒というところで、近くに居たリカルドが支える。

「おっと、危ない。荷物を持ち過ぎるとこうなるんだ、俺が半分持ってやる」

「す、すいません、リカルドさん」

 訓練の疲れもあって、注意力が落ちていたようだった。

 戦えない分、せめて戦闘以外でパーティに貢献しようとしたが、かえって仲間の手間を増やしてしまったかも知れない。

「……私、やっぱり役立たずなのかな」

 薪運びひとつうまくこなせず、仲間に助けてもらっている現実に、思わずキラがぽつりとこぼす。

 それが耳に入ったリカルドは、わざと軽く笑い飛ばした。

「ははっ、あんまり気にするこたぁない。俺だって、新兵の頃は何やっても上手く行かなくて、教官や上官によく怒られたもんだ」

「リカルドさんでも、そうなんですか?」

 意外な言葉に、うつむいていたキラも顔を上げてリカルドを見上げる。

「そりゃそうさ。最初から上手くやれる人間なんざ、そう居ない。誰だって初めの頃は素人だ」

 キラを元気づけるためにも、リカルドは自分の新兵時代の失敗談を面白可笑しく語って聞かせた。

 模擬戦で槍を振ろうとしたら手からすっぽ抜けて教官目掛けて飛んで行った話や、野営食を作る際に手元が狂って塩を大量に入れてしまいとても食べられない味になったこと、初陣で腰が抜けて思わず逃げ出しそうになったことなど、話は尽きなかった。

 談笑しながら二人がかりで薪運びをするキラとリカルドを、エリックへの指南を終えて一息ついたルークが見つめていた。

(あの五人組、何か胡散臭いと思っていたが……。キラさんとも打ち解けているようだし、今の所はいいか)

 出発直前になって急にパーティに加わると言い出した、傭兵四人。

 別にユーリのように金を出して雇用したわけでもないのに、自分達からついてきた。

 アルベールの言うように儲け話があるわけでもなし、意図が読めないと思っていたルークだったが、和気藹々と話すキラとリカルドを見ていると杞憂だったのではと思えてくる。

 やがて薪に火が着いて焚き火になり、食事の準備が進む。

 いつものように、残りのメンバーも焚き火に集まり、お楽しみである夕食の時間になった。

「ヒャア! うんめぇ! やっぱ新鮮な肉は違うぜぇ」

 腹を空かせていたフランツは、いの一番に焼いた鹿肉に食らいついた。

 彼もまた、乾パンに飽き飽きしていた仲間の一人である。

「あんまりがっつくなよ?」

「肉! 食わずにはいられない!」

 リカルドの言葉も耳に入らず、肉を平らげていくフランツ。

「あははは、いい食べっぷりだねフランツさん。おかわりあるよ」

 そんな彼にエレンは笑いながら新しい肉を切り分けてやった。

 大物を狩ってきただけあり、残りはまだまだある。

 その隣では、エリックも同じように肉を頬張っていた。

 馬車を停めてからルークのトレーニングを受けていた彼もまた、同じように空腹だった。

「今日も魚は駄目かぁ……」

 骨付き肉をかじりながらも、ディックは残念そうに呟く。

 いつも川の近くで野営できるとは限らず、川がなければ魚は居ない。

 居ない魚は釣ることもできないため、彼は好物の魚肉に中々ありつくことができないでいた。

 肉は肉で嫌いではないし、むしろたまにしか食べられないご馳走だったのだが、やはり食べ慣れた魚の味が恋しくなる。

 稽古をつけていた側のルークとギルバートは、ソフィアも交えて焚き火を明かりに今日も地図を開く。

 コンパスや星を頼りに方角と現在位置を確認し、間違った方向へ道を逸れていないか確かめる、言わば野営中の日課だった。

 ギルバートとソフィアは星が読めるため、夜空を見上げて大まかな方角や現在位置などを割り出すことが可能だった。

 ソフィアは知識を身に付けており、ギルバートは昔の旅仲間から教わって星を読めるようになったと言う。

「もう1~2日で街に到着できそうですね」

「そうね。街で補給を済ませたら、いよいよ山越えになるわ」

 今いる場所がルートから逸れていないことと、今後の道筋を改めて確認する三人。

 話を聞くだけなら何ともない道のりのようだが、教皇領へ入るまでの日数を短縮するべくリカルドの案内で山を突っ切る予定になっている。

 ルークはどうもそこが引っかかり、地図には載っていないリカルド達なら知っているという道があるはずの箇所を、何度も睨むように眺めるのだった。


 ルークの不安を他所に一行は歩みを進め、その翌日に街に到着した。

 真っ先に宿を取り、そこに馬車を停めた一行は、水や食糧などの必要物資を買い出しにいく班と、宿で休憩する班とに別れた。

 訓練で明らかに疲れが見えるディックは休憩組となり宿に残されたが、一通り柔らかいベッドを満喫した後、急に落ち着きがなくなって辺りを見回し、誰もいないことを確認すると一人でコソコソと宿を出て行った。

「……ねえ、今の見た? 見たよね? 見たでしょ?」

 ディックの索敵は甘く、宿を出る姿をエレンに目撃されていた。

 そして同じく、休憩組だったキラも一緒にそこにいた。

「見ちゃいました。あんなにキョロキョロして、どこへ行くんでしょう?」

 キラが不思議に思う程に、ディックは挙動不審だった。

「んっふっふっふ……。これはアヤシイ、確かめるしかないね!」

「え? もしかして、後をつけるんですか?」

「そう! 善は急げよ!」

 困惑するキラを引っ張りながら、エレンはディックの背中を見失わないように尾行を開始する。

 ユーリに教わった通り、遮蔽物に身を隠しながら。

「……何してるの?」

 宿を出るというところで、ディック以上に不審な動きをするキラとエレンを発見したメイが二人に声をかけた。

「あ、メイさん。実はディックさんがコソコソどこかへ行こうとしてるんで、つけてるとこ。一緒にどう?」

 エレンは人差し指を唇に当てて声を抑えながら、メイを仲間に引き込んだ。

「うん、面白そう」

 意外とメイは二つ返事で味方に加わった。

 こうして娘三人、未だに周囲をキョロキョロと振り向いて警戒しているディックを尾行することとなる。

 ディックは周りを警戒するあまり、かえって普通の通行人から浮いて目立っていた。

 道行く街の住民達は怪訝そうに彼を振り向くが、当の本人はそれは気にしていない様子だった。

「んん~? 誰を警戒してるのかと思ったら、もしかしてあたし達? 旅の仲間に言えないような、何かやましーいコトがあるとか?」

「うーん……。ディックさんはそういう人には思えないんですけど……」

 その不審者の後をつける三人娘もまた、通行人からは怪しく見えた。

 三人で固まって建物の角や物陰から首を覗かせては隠れ、ディックの背後を尾行する。

 エレンは狩人だけあって、獲物の後を追うのは得意分野だった。

 ターゲットに発見されないよう、かつ自分達が見失わない一定距離を保ち、次にどの角へ曲がるかをつぶさに観察しては追跡する。

 しばしそうしてディックの後を追う彼女達だったが、突然背後から声をかけられた。

「よう、お嬢さん方。何やってんだ?」

 三人を発見したのは、買い出しに出ていたフランツだった。

 手分けして物資を買い込んだ後なのか、両手に荷物を抱えている。

「しーっ! フランツさん静かに! バレちゃうでしょ」

 このままでは振り返ったディックに発見されてしまうと、咄嗟にエレンはフランツを物陰に引っ張り込んだ。

「ふぅ……。セーフセーフ」

 物陰から顔を出してディックの様子を伺い、まだこちらに気付いていないことを確認したエレンは、フランツに彼を尾行していることを早口で伝えた。

「へぇ、あの坊主が俺達に見られないように、ねぇ。面白そうだな、俺も行くぜ」

「オッケー、見つからないようにね。レッツ、ディックさんの秘密を解き明かせ!」

 不審者は4人に増え、ディックの尾行を続ける。

 やがて彼はキラ達が泊まっている宿とは違う宿屋を見つけ、やはり周りを見回してから入っていった。

「別の宿? まさか……女の子と密会?!」

 窓から中を覗き込むエレンだが、一歩引いて見ていたメイは首を振った。

「違うと思う。ここ、冒険者の宿だから」

「ああ、確かに。看板でかでかと出てるぜ」

 ある程度の規模の街になると、一般の旅人や行商が泊まる普通の宿とは少し違った、冒険者が多く集まる宿というものが出てくる。

 仕事の依頼が集まるため、その街周辺を拠点とする冒険者達もそこを根城として活用し始めるものだ。

 そういった宿屋は、仕事を集めやすくするためにも表に看板を出してあることが多く、この宿も例外ではなかった。

「ふーん……。まさか仕事しに来たとは思えないし、依頼人側? とにかく、入って確かめてみよう」

「さ、流石にバレちゃいますよ?」

 今までエレンの勢いに流されてついてきたキラだったが、ここまで来たからにはディックの秘密に興味が湧いてきた。

 とは言え、ディックに発見されては元も子もない。

 結局、4人はそっと窓を開けて中の様子を窺いつつ、聞き耳を立てることにした。

「ああ、そう。西側の、フィンテ村のオークウッド家まで頼むぜ」

 テーブルで冒険者と交渉していたディックは、そう言うと報酬と思しき銀貨と共に何かの小包を冒険者に手渡した。

「ほんと、大事なもんだから確実にな!」

「わかってるよ。で、届けた後の報告はどこにすればいい? あんたも旅人なんだよな?」

 念を押すディックと、それに受け答えする冒険者。

 そのやり取りを見ていたキラは首を傾げた。

「オークウッドって、どこかで聞いたような……?」

 その間に、依頼を済ませたディックは足早に宿の出入り口へ向かう。

「あ、ディックさん出てくるよ! 隠れて隠れて!」

「おわっ、お、押すなって!」

 エレンが慌てたため、両手に荷物を抱えているフランツは思わず体勢を崩してしまう。

「あぁー! ヤバいー!」

 案の定、フランツはキラ達三人娘を巻き込みながら宿の入り口側へ転倒し、4人がこけたまさにその現場に何も知らないディックが出て来たのだった。

「うわっ、キラちゃん?! 何でここに?!」

 とうとう尾行が発覚した。

 4人は各々、顔を見合わせる。

「やっべ、バレちゃった」

「もう観念して話すしかねぇだろこれ……」

 4人は仕方なく、宿からディックの後をつけてきたことを白状した。

「ご、ごめんなさい! 悪気があったんじゃないんですけど、どうしても好奇心が抑えられなくて……」

 申し訳なさそうに頭を下げるキラ。

「すみません」

 彼女に続き、フランツ含む3人も謝罪した。

 ディックは怒っているという様子ではなかったが、顔を真っ赤にしてうろたえ、項垂れていた。

「何てこった……。よりにもよって、キラちゃんに見られちまうなんて……」

 こうなっては、直接本人に尋ねた方が早いと、キラは率直に疑問を口にする。

「あの、冒険者さんに何を渡していたんですか? よかったら、教えてもらえませんか?」

 ディックはバツが悪そうに視線を右往左往へ泳がせるが、キラに真っ直ぐに見つめられて断れるほど、器用な男でもなかった。

 彼にしては珍しく、しばし言葉を選びしどろもどろになった末、つぶやくようにディックは先程冒険者に渡した小包について説明し始める。

「えーっと、あれだ、その……し、仕送りってヤツだよ。この前、悪徳領主の一件で報酬貰ったからさ……」

「あ、オークウッドって……!」

 ここに来て、キラは思い出した。

 彼のフルネームはディック・オークウッド。オークウッド家とは彼の実家のことだった。

「なーんだ、実家への仕送りかぁ。別に恥ずかしいことじゃないでしょ? って言うかむしろ立派じゃない? 何で隠すの?」

 エレンに問い詰められたディックは、まだ居心地が悪そうにしつつ、事情を話した。

「わ、笑うなよ? 俺の家、貧乏でさ……少しでも金が必要なんだよ。俺が稼いで仕送りしないと」

 ディックの実家はアルバトロス領西部の小さな村にあり、その村の中でも1、2位を争う程に貧しかった。

 子沢山の家庭を養うには父親の稼ぎだけでは到底足りず、泣く泣く末の弟や妹を子買いに売るなどしなくてはならなかった。

 兄弟との時間を何よりも大切にしてきた長男のディックにとって、これは耐え難いことだった。

 しかし、彼は両親を恨むことはなかった。

 彼なりに、仕方のないことだと理解していたからだ。

 全ては貧困が悪い。

 家族と共に暮らしていくには、長男の自分が出稼ぎに向かわなくては。

 そう思い立ったディックは、独学で学んだ槍術を武器にアルバトロス軍へ自分を売り込もうと、首都アディンセルを目指し旅立つのだった。

 その途中、不幸中の幸いと言うべきか残党軍がカイザーを襲撃する事件が発生し、活躍して連合軍の目に留まることができた。

 まさに、またとないチャンスだったのだが――。

「あー……事情は分かったけど、順につっこむよ? 何でその時、仕官せずに旅に出ちゃったワケ? 本末転倒じゃない?」

「うっ、それを言われると……。キラちゃんを放っておけなくて、つい……」

 一家を養うべく軍人になろうと実家を出たディックであったが、彼の辞書に計画性などという文字は存在していなかった。

 ついその時のノリでキラの旅に同行してしまい、仕官は後回しとなってしまう。

 ならばせめて、旅の道中で稼いだ自分の取り分を仕送りしようと、手紙を添えて冒険者に配達してもらおうとしていたのだった。

「次、ふたつ目ね。冒険者雇うならファゴットの街でもよかったと思うんだけど、何でここで?」

「あ、あの時は一人で抜け出すタイミングがなくって……」

 怪訝そうに首を傾げるエレンは、更に食い下がる。

「最後だけど、何であたし達に見られたくないの? 別に悪いことじゃないでしょ」

「やっぱ、貧乏って恥ずかしいしさ……特にキラちゃんには知られたくなかったっつーか……」

 ディックのその価値観は、子供の頃に地元で貧乏を理由に他の子供からいじめられたり、周囲の家からみすぼらしく見られたりしたことが原因だった。

 その当時のコンプレックスは二十歳過ぎた今になっても消えず、それ故にキラにだけは自分が貧乏な家の出であることを知られたくないと思っていた。

「はは……幻滅だよな、家が貧乏とか」

 俯いて乾いた笑いを浮かべるディック。

 彼としては今まで果敢に戦い、キラの好感度を稼いできたつもりだったが、この瞬間に全て水の泡になったと思っていた。

「……そんなことないですよ」

 だが、キラの発したその一言に、ディックは戸惑うように顔を上げる。

「全然、恥ずかしくなんてないです! だって、貧しいのはディックさんのせいでも、ましてやお父さんとお母さんのせいでもないですよね?! 悪いのは、ディックさんと家族を悪く言う周りの人達です!」

 キラに乗じて、エレンも声を上げる。

「そーだそーだ! あたしん家だって裕福じゃないけど、それでとやかく言われる筋合いないっての! むしろディックさん立派だよ、所々行動がヘンだけど……」

 それに続き、頷くフランツ。

「分かる、分かるぞ、その気持ち! 俺も貧乏してたからなぁ。だからって、早まって一揆なんて起こすんじゃねぇぞ? まず勝ち目ないからな。これ、一揆起こして失敗した先輩からの助言な」

「み、皆……」

 それまで、貧乏を恥ずべき事と思いひた隠しにして来たディックにとって、衝撃的な瞬間だった。

 ディックはどう反応していいか分からず、目に涙を浮かべながらうろたえるばかりである。

 そこへ、口数の少ないメイがそっと肩に手を置いた。

「大丈夫。私達皆、馬鹿にしたりしない」

 メイのその一言がとどめとなり、ディックはついに涙腺を決壊させる。

「う、ううぅ……! お、俺、ずっと貧乏で、みすぼらしくって、恥ずかしくって……。でも皆、そうじゃないって言ってくれて、もう俺、どうしたらいいか分かんねぇよ……!!」

「とりあえず、宿に戻ろうぜ。そんで、酒でも一杯やりゃあ気分も落ち着くってもんさ!」

 フランツの言葉に、残り3人も頷く。

 こうして、4人は大粒の涙を零すディックを宿へ連れ帰ったのだった。

 その日の晩、当然の流れとして4人の尾行の話題となり、ディックが実家に仕送りをしていることはパーティメンバー全員の知るところとなった。

 だが誰一人として、彼の貧困を嗤う者は居なかった。

 何も恥ずべき事はない、家族を養おうとするその姿勢は立派なものだと、皆がディックを応援した。

 ディックは泣きながら酒をあおり、付き合いのいい仲間も合わさって宴会のような騒ぎとなる。

 これだけなら丸く収まったのだが……。

「うぉぉん! 酒だー! 酒持ってこーい!」

 ディックはいつものように調子に乗りすぎて深酒し、泥酔していた。

「ディックさん、飲み過ぎです」

 ルークが自重を促すも、既に出来上がっている彼は聞く耳を持たなかった。

「硬いこと言うなよー、ルークお前も飲め飲めー!」

 無礼講とばかりに酔った勢いで騒ぐディックを他所に、仲間達は各々晩飯にありついていた。

 そんな中、一人だけ他と違い、出された料理をほんの一口分だけ取っては慎重に口に入れるユーリの姿が彼の目に入る。

 明らかに食事をするという風ではなく、スプーンに少量をすくっては舌で転がすように味を見る。

 表情から察するに楽しそうではない。

「なんだぁ、そのみみっちい食い方はぁ! もっとこう、ガーッと食えよ、ガーッと!」

 酒臭い息で叫ぶディックをユーリは完全に無視し、他の豆スープやサラダなども少量ずつ口に含んでいく。

「でも、何してるんでしょう?」

 ディックのように文句はつけないが、キラも疑問に思ったので隣に座るルークに尋ねてみた。

 思い返せば、野営中でもユーリはああいう食べ方をしていた。

 不思議に思いつつも、本人に聞くのは怖かったのでキラは今まで放っておいたのだった。

「毒味でしょうね。感覚の鋭い人は、何か混入されていれば舌で分かります」

「そうなんだ……。ルークさんも、分かるんですか?」

「ある程度ならば」

 ほぼ安全と言える場所では行わないが、敵地に潜入している時など警戒が必要な時は、ルークもそうして毒味を行っていた。

 毒が仕込まれていた場合、舌にピリッと来る刺激で分かる。

 中には無色透明無味無臭という厄介な毒もあるのだが、そんなものを持ち出された時は誰であろうとおしまいだろう。

「毒味だァ~?! ここは宿の一階だろうがよォォ~ッ! 誰が毒を入れるっつーんだ、誰がァ!」

 そのやり取りを聞いたディックはそう言ってユーリに掴みかかるも、彼は迷惑そうにディックを振りほどくと、一通り毒味を終えた料理を食べ始めた。

 安全が確認できた料理の食べ方は普通である。

 ユーリの食事のチョイスは、栄養バランスを入念に考えてのものだった。

 野菜類を中心にしつつ、中でも豆類を多く食べる。

 肉や魚などの動物性タンパクも程々に摂取し、即戦力として素早く脳に回る糖分も果物などから摂る。

 肉体のコンディションを保つ上で、バランスの良い食事が重要であることをユーリは知っていた。

 だがそれはそれ、安心して食事をするためにも、食前に全ての料理の毒味をしておかないと気が済まない神経質さが、ユーリという人物像を物語っていた。

「……よっぽど、周りを警戒してるんだな」

 宿の料理だからと安心して食べていたリカルドも、その慎重さにはため息を漏らした。

 彼も傭兵経験が長く色々な仕事仲間を見てきたが、ここまで警戒心の強い人間は初めて見る。

「何かに怯えているようだな」

 揚げじゃがを頬張りつつ、ディンゴが一言こぼした。

 彼の言う通り、野営の携帯食から宿の食事まで全てを疑って毒味をするその姿は、どちらかと言えば臆病な小動物を思わせる。

 そんな中、エレンはふと疑問を口にした。

「何に怯えてるんだろ? 実は殺し屋に追われてるとか?」

「ありえそうだから困るな。俺らまで巻き添えは御免だぜ」

 そう言いながら、フランツは次々と肉を平らげていく。

 彼の好物は肉であり、宿で料理が出る時など許される場合はひたすら肉ばかり食べる。

 自分の分が無くなり、仲間の肉にまで手を伸ばそうとしたフランツは、手をエドガーに叩かれて引っ込めた。

「リカルドさん達は、毒味ってしないの?」

「ん? まあ、する時もある。危険な場所での食事じゃ、念の為にな」

 しかし実際に毒が入っていたことはほとんどない、と言ってリカルドは笑った。

 そうそう毒薬を盛られることなど、まずあり得ないからだ。

「……それに、毒味でも分からない毒もある。そんな薬を盛られたら、どれだけ警戒していても一巻の終わりだ」

 念入りな毒味も無意味だと言わんばかりのエドガーはと言うと、今晩のメインであるグラタンを頬張っていた。

 心なしか、彼は懐かしそうな表情を浮かべている。

「まあ、普通はそうだよねぇ。宿のご飯まで疑ってかかるとか、何か味がまずくなりそうでヤダ」

 エレンもまた、フランツに負けず劣らずの食いっぷりである。

 狩人として森に入り、不猟のせいで数日飢えた経験もあったため、食べられる時に食べておく癖がついていたのだ。

 とは言え、エレンの食事はフランツ程偏ってはおらず、野菜もきちんと食べている。

「お前、昔っからよく食うけど、全然脂肪はつかないよな。特に胸とか」

 料理にがっつくエレンを横目に、隣りに座っていたエリックが口を挟む。

「なっ……?! む、胸の話は言うなぁー!」

 顔を真っ赤にしてそう叫ぶ彼女の胸は平坦だった。

 これも昔から相変わらずである。

「へへーん、悔しかったらキラくらいに膨らませて見せろ!」

「えっ?!」

 エリックの言葉に、キラは思わず素っ頓狂な声をあげた。

 今まで本人もあまり自覚はしていなかったが、人並みにはある方だ。

 一方、他の女と比べられたエレンは酒の後押しもあって堪忍袋の緒が切れ、フォークを片手に椅子から立ち上がる。

「ぶっ殺すっ!!」

 更にそこへ便乗する人影。

「そぉ~だそぉ~だ、ぶっ殺せェェ~ッ! 俺以外の男は皆殺しだァ~!!」

 完全にたちの悪い酔っぱらいと化したディックは、そう叫びながらまだ仲間が食事を続けているテーブルを一気にひっくり返した。

「ちょっと、何をするの?!」

 これには今まで黙って見ていたソフィアもご立腹だった。

 テーブルに乗っていたグラタンや豆スープ、サラダなど全てが宙を舞って床にぶちまけられ、一部は同じテーブルを囲んでいた仲間の頭から降りかかる。

 ディックがこうなった原因である、エール酒も同様である。

 ソフィアを始め、キラとルークもスープやエール酒を頭から被ってびしょ濡れになったのだが、宿の給仕は酔っ払いなど見慣れているのか苦笑しながら「拭くもの持ってきます」と言って布巾を手渡した。

「捕まえてみろー!」

「あははー、待てぇー!」

 フォーク片手に追いかけっこを続けるエリックとエレンも相まって、夜の宿屋は混沌とした様相を呈してくる。

「おいそこ! さっきからうるさいぞ!」

 当然、同じ宿を利用している他の客はいい加減我慢の限界だと抗議するが、泥酔したディックは悔い改めるどころかそれに食って掛かった。

「なんだァ、てめェ? うるせぇのはそっちだろーがよォォ~ッ!!」

「……そろそろ止めた方がいい?」

 これまで静観していたメイが仲間に尋ねる。

 ため息をつきながら、ルークが頷いた。

「うぉれを止めるな~! うぉれは正義だァ~!」

 メイに背後から羽交い締めにされるディック。

 力にはそこそこ自信のあった彼だが、メイの腕力はその更に上を行っていた。

 強い力で締め上げられ、身動きが取れなくなるディックだが、酔っ払った彼はそれでも手足をジタバタと暴れさせて抵抗する。

 背中に厚着の上からでは分かり辛い豊満な胸が当たっていたが、泥酔しているディックにそんなことが分かるはずもなかった。

(やれやれ……。まあ、パーティを組むと一人くらいは酒癖の悪い奴が居るもんじゃ)

 ユーリと共に別の席に避難していたギルバートは、若いうちにやれるだけ馬鹿をやらせてやろうと、呆れながらも見守るのだった。

 酔って騒ぐ者と止める者、それを静観する者、呆れる者。

 何かと癖の強い旅人が集まる宿屋では、割とありふれた光景である。

 各々好き好きに振る舞う中、夜は更けていった。


 その翌日、ディックは寝坊しながらのろのろとベッドから起き出してきた。

「頭いってぇ……」

 昨夜飲み過ぎたディックを見かねて、リカルドはコップに水を入れて差し出してやる。

「ほれ、飲めよ。今日中に出発できそうか?」

「だ、大丈夫……」

 ぼんやりとだが、ディックも昨晩のことは覚えていた。

 貧乏は恥ずかしいことではないと知った彼だが、酒の飲み過ぎで大声で騒いだり、テーブルをちゃぶ台返ししたり、他の宿泊客に絡んだりすることは恥ずべき行いだと一応理解してはいる。

「ごめん、ハメ外しすぎたわ……」

 羞恥で顔を赤くしながら、朝食を終えた後でディックは馬車に乗り込んだ。

 最後にキラが街で買い足した物資を荷台に運び入れる。

「重いだろ、手を貸すぜ」

 先に馬車に乗っていたリカルドは、キラが荷物を上げるのを手伝った。

 キラが運んでいたのは、追加で買った毛布や着替えだった。

 これから寒い北へ向かうということで、それに備えたものだ。

「よっと……。これで全部か?」

「はい。すいません、リカルドさん」

 荷物運びくらい一人で出来ると考えていたキラだったが、小柄な彼女には少々荷が重い。

 他の仲間も手を貸そうかと考えていたが、リカルドが真っ先に名乗り出て滞りなく作業が進んだようなので、横槍を入れる必要もないと黙っていた。

「気にしなさんな。じゃ、行こうぜ」

 リカルドが御者のカルロに合図を出すと、馬車は進み出した。

 街を出発すると間もなくして、街道が山を迂回するように東側へと伸びている。

 一行はリカルドの提案通り、彼の知る抜け道を使って移動時間を短縮すべく、街道とは逆の西側の小道へと分け入った。

 抜け道はリカルドの言っていた通り、傾斜は緩やかだったがほとんど使われた形跡は残っておらず、周囲は雑木林に囲まれていた。

 少しずつ紅葉しつつある木々の葉が、秋の到来を伺わせる。

 そんな中、獣道のような細道がずっと続いていた。

「……これは」

 馬車から外を伺っていたルークは、異変に気付いて顔をしかめた。

 霧である。

 山中を進むのだから仕方ないと言えばそうかも知れないが、白い霧が立ち込めて視界を悪くしていた。

 おまけに進行方向は更に霧が濃くなっている。

「おい」

「ああ」

 同じく霧に気付いたリカルドは、仲間三人に目配せをして頷き合い、何かを警戒するように馬車を降りて徒歩で移動し始めた。

「……本気でやるのか?」

「当たり前だろ。ここまで来て引き下がれねぇさ」

 エドガーとリカルドのやり取りが、何となくルークの耳にも届いてくる。

 ゆっくりと進む馬車の周囲は、もうすっかり霧に包まれて視界が効かなくなっている。

 リカルド達の会話と言い、妙な胸騒ぎを覚えたルークは、四人組と同じように馬車を降りて周囲を見渡した。

 それに続くようにして、ユーリも地面に降りて馬車の後方につく。

「随分と見通しが悪いようですが。大丈夫なのですか?」

「だから抜け道なのさ。ここを真っ直ぐだ」

 そう言うリカルドと他の三人は、そう答えながら絶えず周辺をキョロキョロと見渡していた。

 視界が悪いせいかも知れないが、彼らは敵襲を恐れているようにルークには見えた。

 不審に思ったルークは何度かリカルドに『本当に大丈夫なのか』と尋ねるも、答えははぐらかされる一方である。

(やはり何かおかしい……。あの四人は何かを隠している)

 ルークはそう確信にも似た感覚を覚えていた。

 だがそれが何なのか、自分でもはっきりしない。

 思考までもが濃霧に飲み込まれたように、不透明だ。

 先の見通せない霧の中、肌に貼り付くような湿気がいやに不快だった。

「ルークさん、どうかしたんですか?」

 険しい顔をして考え込むルークを見て、キラも馬車から降りて歩み寄って来る。

「いえ、何でもありません。キラさんは馬車に乗っていてください」

 疑問符を浮かべながらも馬車に戻るキラ。

 彼女を馬車に乗せたのは、いざという時真っ先に逃しやすいようにするためでもある。

 そんな時、ふとルークの視界におぼろげながら、木の枝に結ばれた赤黒い布が風にたなびいている様子が入った。

(道に迷わないための目印? いや、これは……)

 視線をリカルド達に移すと、同じ物を見た彼らはより警戒を強くしていた。

 あの布が何を意味するのかルークは知らなかったが、四人組はあれが何なのか知っているようだった。

 注意深く霧の中で周囲の木々を見回すと、同じような赤布があちらこちらに結び付けられている。

 すると後方の警戒に当たっていたユーリが、後ろから歩調を早めてルークの近くへと戻って来た。

 そのままユーリは、ルークに声を抑えて耳打ちする。

「ここは危険だ。『赤布のギャング団』の縄張りに入り込んでいる」

「ギャング団?」

 聞き覚えのないルークは、同じく小さな声で聞き返す。

「黒蜘蛛の十倍は危険な連中だ。見えるか? 木の枝に赤い布が結んである。奴らのテリトリーの証だ」

 縄張りや自分達のベルトに血のような赤黒い布を巻きつけることから、彼らは『赤布のギャング団』と通称されていた。

 裏社会では悪名高い有名な無法者達で、ギャング団が棲家としているアルバトロス領北部の住人は彼らをとても恐れていた。

「今すぐ引き返しますか?」

 何の意図があってリカルド達が一行をギャング団の縄張りに誘い込んだのかは不明だが、ユーリの話が本当であるならばこんな危険地帯に長居は無用だ。

 馬車の御者に来た道を戻るよう指示を出そうとするルークだが、ユーリがそれを止めた。

「待て、後ろはまずい。右に8人、左に6人、背後を固められている」

 ルークは振り向いて目を凝らすが、霧に遮られて何も見えなかった。

 敵の気配らしきものもはっきりと分からないが、何かが迫ってきているような緊張感を感じる。

 ユーリがどんな方法を使って人数まで割り出しているかは不明だが、敵がいるのは確かなようだ。

 人間は暗闇などの視界が効かない場所に、何かが潜んでいるのではと不安を覚えるものだ。

 時として、その不安は的中する。

「気付かないフリをしろ。今はまだ距離を保ってつけてきている」

 そう言われて、ルークは背後を凝視するのをやめて前を向いた。

 この霧に閉ざされた森が敵の縄張りだと言うのなら、相手は濃霧の中からでもこちらが見えている。

 今は様子を見ているだけだが、気付かれたと分かれば急に襲いかかってくるかも知れない。

「どうしますか? 隙を突いて突破しますか?」

「それしかないな。準備をしておけ、気取られないようにな」

 ルークは頷き、一度馬車の荷台へと乗り込んだ。

 ユーリは引き続き、隠れてつけて来ている敵の警戒を行う。

「皆さん、いつでも戦えるようにしておいてください。カルロさんは馬車をUターンさせる用意を」

「え? ど、どうしたんですかいきなり?」

 突然のことに困惑するキラを含め、仲間達にルークは今の状況を説明する。

「ギャング? 穏やかではないわね……」

 ソフィアは深刻な表情を浮かべつつ、魔導書と杖を手に取った。

「ここは霧で視界が悪い。戦うとなったら最悪の場所じゃ。なるべく早く引き返した方がいいのう」

 徒手空拳が武器のギルバートはいつも通り、素手のまま意識を集中して皮膚を硬化させる。

 今まで何の疑いもなくリカルドの案内に従って来ていたエリックとエレンも、思わず顔を見合わせた。

「何でギャングのアジトなんかに案内したんだ?」

「あたしだって知らないよ。とにかく、弓で援護するから逃げる時になったら言ってよね」

 ここ10日程で実力を伸ばしていた二人は、周囲のベテラン達と同じように早くも腹を括った。

 一番うろたえていたのが、御者席で手綱を握るカルロだった。

「ま、待ってくれよ! ギャング団なんて俺、聞いてないぞ?!」

「敵を刺激しないように。カルロさんは何も知らされていないんですか?」

 カルロも御者兼雑用係とは言え、あの四人組の仲間である。

 ルークはそう問い詰めるも、カルロは怯えた様子で顔を青くしながら首を横に振るばかりだった。

「合図したら馬車をUターンさせて、全速力でここから脱出してください。いいですね?」

「わ、分かったよ……でも俺……」

 カルロは落ち着きなく周りをキョロキョロと見回し、手綱を握る手は震えていた。

 本当に彼に任せて大丈夫なのかと不安に思ったルークだが、いざとなれば自分や仲間が御者を代わればいい。

 とにかく非戦闘員のキラを安全に逃がすことが第一条件だ。

「キラさんは馬車の中に居てください。メイさんもいざという時のためにキラさんの側に……」

 ルークが言いかけたところで、馬車の外からユーリの声が響く。

「待て! 止まれ!」

 何事かと一同が振り向いた次の瞬間、馬車は大きく揺れて前側から縦に傾く。

「きゃあっ?!」

 悲鳴をあげるキラをルークは咄嗟に庇った。

 乗っていた仲間と荷物は、ディックが酔った勢いでひっくり返したテーブルの上のように滅茶苦茶になり、外では怯えた馬のいななきが響き渡る。

「何が起きたんじゃ?!」

 ギルバートはいち早く体勢を立て直し、馬車の荷台から這い出した。

 揺れの原因は、道の真ん中に作られた大きな落とし穴だった。

 そこに馬車は落ち、荷台は後ろの車輪を穴の縁に引っ掛けるような状態で縦に倒れていた。

 罠にかかった獲物に、霧の中から矢の嵐が次々と降り注ぐ。

「皆、馬車から出るでないぞ!」

 ギルバートは全身を硬質化させ、自らを矢を防ぐ盾とする。

 そのおかげで、荷台の中に居るキラ達は負傷せずに済んだ。

 しばらくすると矢による攻撃は止み、その間に一行は落とし穴にはまった馬車からほうほうの体で抜け出した。

 ルークが穴から這い出て周囲を確認すると、馬車の外で索敵を続けていたユーリや、この状況を作り出した張本人であるリカルド達も、何とか無事の様子だった。

 しかし敵の罠にまんまとはまり、逃げるための足である馬車を失った。

 動きが止まったこの隙を、ギャング達が見逃すはずもない。

 今まで霧の森の中に身を隠していたならず者達は、弓矢などの武器を構えてキラ達の前へと姿を現した。

「いかんな……」

 ギルバートの呟きに、キラを庇うように立つルークも頷く。

「まずい状況ですね」

 落とし穴によって先手を打たれ、一行は陣形を立て直す猶予もないまま敵に包囲されてしまっている。

 八方を敵に囲まれているため、キラを庇おうにも安全な方向がどこにもない。

「キラ、危ないから下がってて」

 いつでも抜けるように背中の戦斧に手をかけたメイも、キラを守って前に出るが、今この状況は全方位が前方だ。

「くそっ、この野郎!」

 ディックは考えなしに槍を構え、いつものように突っ込もうとする。

「駄目です!」

 だが、ルークは鋭い一声でそれを制止した。

 相手側もキラが戦えない素人だと鋭い嗅覚で嗅ぎ付けたのか、狙いを彼女に向けてルーク達を威嚇している。

 こうなっては迂闊に動くこともままならない。

 ルークも腰の剣に右手をやったまま、抜剣できずに睨み合いを続けていた。

 もし不用意に剣を抜けば、矢がキラへと飛んでくるだろう。

(どうする? どうすればキラさんを安全にここから逃がせる?)

 ルークは目だけを動かして周囲を注意深く観察する。

 幸いにも仲間はほぼ無傷の状態でキラの周りに固まっている。

 ギルバートのように硬化できない者には酷だろうが、タイミングを合わせて全員が盾となりキラを庇えば、最初の一撃は防げるかも知れない。

(問題はその後だ。キラさんを守りながら、この包囲を突破するには……)

 馬車は穴に落ち、引いてきた馬も矢で射殺されてしまった。後はもう自分達の足で走る他ない。

 濃霧で視界が効かないせいで方向感覚はほとんど失い、土地勘もないため闇雲に逃げようにもどっちへ走ればいいか分からない。

 敵の数は視認できるだけでも30人は下らない。

 霧の中には更に多数が潜んでいる気配がする。

 この人数の囲いを突破し、キラを守りながら逃げ切らなくてはならない。

 高速回転するルークの脳内では、何度となくシミュレーションが繰り返され、その度に幾度も最悪の結果が浮かぶ。

 敵と睨み合いながらルークが思索を巡らせていると、森の奥からギャング団のボスと思しき男が、部下を引き連れて現れた。

(あれが頭目か……。もし奴を無力化できれば、敵の統率を乱すこともできるのでは?)

 ルークの考えを他所に、堂々と一行の前に現れた敵のボスは、何をするかと思えば突然笑い出した。

「はははは! いよう、『一匹狼(ローン・ウルフ)』! ついこの間会ったばかりだな」

『一匹狼』とはユーリのあだ名だとリカルドから聞いていたルークは、彼の方に目をやった。

 ユーリは既に矢を番えて弓を引いた状態で構えていた。

「黒蜘蛛を潰してくれたのには感謝してるぜ? おかげで邪魔な小バエが居なくなった。また会いに来たのは、報酬が足りなかったか? それとも、新しい仕事が欲しいのか?」

 ボスの思わぬ言葉に、今度は一行全員がユーリを振り返った。

「ユーリ、あなた……。黒蜘蛛の頭目を暗殺する依頼って、彼らから請けていたの?!」

 彼を護衛として雇ったソフィアも思わず驚嘆の声をあげる。

 そんな彼女をお構いなしに、ボスは話を続けた。

「お前さんのことは歓迎するぜ、ユーリ。けどなぁ、”お友達”までゾロゾロ連れてきてもらっちゃあ困るんだよ。ここは俺達のシマなんでな」

 いつ戦闘になってもおかしくない修羅場の中で、ボスは悠々と葉巻を吹かし始めた。

 彼の態度は、キラ達の生死は完全に自分達の手中にあり、その気になればいつでも殺せるのだという余裕を表していた。

「フゥーッ。やっぱ西方の葉巻はうまいなぁ。……ユーリ、お前さんは腕もいいし、これからも仲良くしていきたい。お前さん一人なら見逃してやる。今日は帰りな」

 そのボスの言葉に、ルークの脳裏にリカルドから聞いた言葉がよぎる。

『いつも一人だけ生き延びるせいで『仲間を見捨てたんじゃないか』なんて言われたりもする……』

(彼はかつて仲間を見殺しに……!)

 ルークにその話を聞かせた四人組も、戦慄した様子で弓を引くユーリを見つめる。

 リカルド達にとっても、ユーリとギャング団のボスとの繋がりは予想外だったのだ。

 どう考えても詰みのこの状況で、一人だけ見逃してもらえると言われた時、あの傭兵はどう行動するのか。

 ルークを含む、仲間達の頭の中には最悪のシナリオが浮かぶ。

 一度は赤布のギャング団と雇用契約を交わしたユーリ。

 果たして、彼の選択は――。


To be continued

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