第二章 逃避行編

第21話 『道中』

 カイザーがヴェロニカを新たな参謀として迎えたその頃、アルバトロス領北部を進むキラ達もまた、7人の仲間を加えて更に北のドラグマ帝国を目指していた。

 14人もの大所帯に膨れ上がったパーティは、リカルド達の馬車で荷物ごと移動している。

 歩くよりも早く負担も少なく、より多くの水や食糧を持ち運べると、いい事ずくめだった。

 元々キラ達はソフィアの手配した馬車を使っていたのだが、ファゴットの領主とのいざこざの際に失い、そのまま返ってくることはなかった。

「今日はこの辺りで野営するのがよさそうだな」

 馬車から外の様子を伺っていたリカルドが、そう呟いた。

 時は昼過ぎ、まだ日は傾いていないが、川が近くにあり周囲の見晴らしもいい。

 次の街まではまだ距離があるが、ペースとしては順調で早めに馬を休ませていい頃合いだ。

 馬車を停めた一行は地面に降り、身体を伸ばす。

 馬車の中にすし詰めになっていたため、移動中は窮屈だったのだ。

「まだ日暮れまでは時間があるな。どうだディック、この前のリベンジ戦でもやってみるか?」

「望むところだぜ!」

 リカルドの言葉に乗り、ディックはいつも使っている素槍を荷馬車に置くと練習用の穂先を丸めた槍に持ち替える。

 同じ槍使いとして、リカルドはディックと時間のある時に模擬戦での練習を行っていた。

「よし来い! 意地を見せてみろ」

 同じく練習用の槍を構えるリカルドに、ディックは雄叫びを上げながら突撃する。

 リカルドは軽く横にステップを踏み突進をいなすと、そのまま横薙ぎの攻撃でディックの体勢を崩し、最後に胸元へトドメのひと刺しを入れた。

「くそっ! また負けた」

「おいおい、前よりもやられるまでのタイムが短くなってるぞ」

 その後も何度もリカルドに挑むディックだったが、これまで同様に一度も勝ち点を上げられないでいるのだった。

「くっそー! 何でだぁ?!」

 連敗の悔しさに、ディックは歯ぎしりした。

 一方、弓使い同士のディンゴとエレンもまた、弓の訓練を行っていた。

 こちらは対戦形式ではなく、手頃な木の幹に照準の円を描き、そこにどれだけ中央部に当てられるかというものだった。

「おー、すっご! かなり中心に近くない、ディンゴさん?」

 ディンゴの放った矢に感心するエレン。

 射手からマトまでの距離は、およそ20メートル弱ある。

「君も筋がいい」

 この一言が、ディンゴにとっての最大限の賛辞である。

 元狩人というだけあって弓のセンスはいいものを持っているエレンだが、やはりベテランのディンゴには今一歩及ばないところにいた。

「そう言えば、いつも寝てるユーリさんも弓使いなんでしょ?」

 ユーリは普段、夜の見張りを行うために昼間は寝ていることが多い。

 この日はたまたま馬車から起き出して手足を伸ばしていたところ、訓練中のエレンに捕まった。

「人にばっかりやらせてないで、どれくらいの腕か見せてよー。盗賊団のボスを狙撃で倒したって言うけど、どんなもんなの実際?」

 そこまで言ってふと思いついたエレンは、おもむろに自分の持っていた弓をユーリに向かって突き出した。

「そうだ! スナイパーだって言うんなら、これ使って当てて見せてよ。いい弓使ってたら当たるのは当たり前じゃん? あたしと同じ条件だったら、どうかなー?」

 エレンが使っているのは、木で作られた単一素材の弓で、単弓と呼ばれていた。

 サイズはやや小ぶりで、ありふれた安物だが狩人が持つには十分な品だった。

 一方、ユーリは竹をベースに動物の骨や腱、鉄材などを張り合わせて作られた、複合弓または合成弓と呼ばれる長弓を使っていた。

 当時の弓としては最高ランクの品質であり、正規軍の弓兵でも中々持っている人物は少ない。

 一部の訓練された狙撃手だけが、自分の腕に合わせて持つ物だった。

「おい、さすがに失礼だろ……」

「いいじゃん、仲間の力量はちゃんと見ておきたいし!」

 エリックが止めに入ろうとするが、調子に乗ったエレンは引き下がらなかった。

 いたずらな表情を浮かべるエレンからの挑戦を、ユーリは面倒臭そうにため息をつきながらも受けた。

 彼女の単弓を受け取り、更に後ろに下がってから慎重に矢を番える。

 マトとの距離は約25メートル。

 実戦では100メートル以上離れた標的の、頭部や心臓などの急所に的確に当てたり、逆に生け捕りにするために腕や足を射抜くこともある。

 長距離射撃をこれまで何度となく成功させてきたユーリにとっては、目と鼻の先も同然の間合いだった。

 最初の一矢が放たれ、磁石に吸い寄せられるかのようにマトの中央に突き刺さる。

 中心ど真ん中、ブルズアイである。

「お、おおー! でも一発だけならまぐれってことも……」

 エレンがそう言っている間に、ユーリは腰の矢筒から矢を取り出し、即座に次を射る。

 二本目の矢は何と、先に刺さっている一本目の矢を真っ二つに引き裂きながら、先程と寸分違わぬ場所を射抜いた。

「………………」

 その後もユーリは無言のまま、次々と矢を連射し、全てマトの中心部に当てていく。

 使い慣れない得物ではあるが、小ぶりな単弓は引く力が少なく済むため、連射に向く。

 射手の腕次第だが、1分間に30連発とも言われる単弓を侮ってはいけない。

 そのことを理解していた彼は、弾幕と言っていい程の量の矢を絶え間なく放った。

 そのどれもが、全く同じ箇所に寸分の狂いなく命中する。

「俺でもこうはいかん」

 これにはさすがのディンゴも唸った。

 彼も数々の戦場を傭兵として渡り歩く中で様々な弓手を見てきたが、ここまで技量の高い者は初めて見る。

 そしてユーリに挑戦を吹っ掛けたエレン本人は、その光景をぽかんと口を開けて眺めていた。

 そしてふと我に返ると、深々と頭を下げた。

「す、すみませんでしたぁー! 正直、ナメてましたっ! すみません、ほんとすみません!」

 まさに百発百中、敵として出会ったら即死すると思ったエレンは何度も謝るも、ユーリ自身は気にする様子もなく、無表情のまま借りた単弓をエレンに返した。

 自分の弓を受け取ったエレンは頭を下げたまま、上目遣いで話しかける。

「ところで、モノは相談なんですが……弟子にしてください」

「断る」

 即答するユーリに、笑いながら一連の流れを眺めていたフランツが肩を叩きながら言う。

「いいじゃねぇかよ、減るもんじゃなし! 可愛らしい弟子ができるんだから、むしろ喜べって! ほら!」

 馴れ馴れしいフランツに眉をしかめるユーリだが、前方には頭を垂れるエレン、斜め後ろには強引に背中を押してくるフランツと、完全に挟み撃ちにされる形となった。

「……基礎くらいなら教えよう」

 その場に流れる空気に耐えきれなくなったのか、ユーリは渋々了承した。

「ほんとに?! やったー! ありがと、師匠ー!」

「あんまりユーリさんに迷惑かけんなよ?」

 飛び跳ねて全身で喜びを表現するエレンと、それを諌めるエリック。

 こうして、この日からエレンの特訓が始まった。


 少し経った頃、リカルドに連敗続きのディックは近くの川でぼんやりと釣りをしていた。

 釣り竿などは持っていないので、何と槍に糸を括り付けて垂らしている。

(くそぉ……釣れねぇ)

 中々魚がかからないので釣り針を引き上げてみると、きれいに餌だけ持っていかれていた。

 アルバトロスに仕官しようと実家を出る前から、彼はよく川に釣りに出ていたが、その当時からとんと釣れた試しがない。

 せいぜいかかっても1~2匹といった程度で、主な夕食は弟や妹達が釣ってきたものだ。

「えーい、餌が悪ぃんだ餌が!」

 腹を立てつつ、適当に捕まえた虫を針に取り付け、懲りずに水面へと投げ込む。

 見れば魚はあちこちで泳いでいるのだが、どういうわけかディックの釣り針には誰も引っ掛かってはくれなかった。

 川辺りに腰を下ろし、釣り竿代わりの槍を上下させて魚を誘いつつ、ディックは考える。

(釣りも駄目、模擬戦も駄目……。何でなんだろうな、俺は天才のはずなのに)

 漁も武術も、教えてくれる人間など居なかった。

 故に我流で、がむしゃらに自分のスタイルを貫いてきた。

 かつてはそれでいいと思っていた彼だが、ここにきて勝てない相手にぶち当たる。

(せめて、リカルドのおっさんには勝ちたいよなぁ。なんかいい方法ないもんか……)

 下手の考え休むに似たりと言うが、元々頭を使うのが苦手なディックのこと、名案など浮かんでくるはずもない。

 本日何度目か、しびれを切らして釣り針を上げ、またも餌だけ取られていることを確認したディックは、ため息交じりにふと視線を横にやる。

 すると、そこではギルバートが薪割りをしている最中だった。

 斧などの道具は使わず、全て手刀で薪を手頃なサイズに割っていく。

 その光景を見たディックに、ある種の天啓が舞い降りた。

(うん? こりゃ、ひょっとしてイケるんじゃあないかオイ?)

 思い立ったが吉日。

 行動力だけはあるディックのこと、すぐに釣り糸を回収するとギルバートに歩み寄り、話しかけた。

「なあ爺さん、ちょっと頼みがあるんだけどよ……」

「どうしたんじゃ、改まって?」

 既に今夜焚くのに十分な薪は出来上がっており、ギルバートは額の汗を片手で拭いながらディックの話に耳を傾けることにした。

「リカルドのおっさんと試合してんだが、一回も勝てねぇ! そこでだ、爺さんの何てったっけ? その格闘技……そいつを教えて欲しいんだ!」

「『オーラアーツ』……闘気術のことかのう?」

「そう、それ! それがあれば勝てると思うんだよ!」

 槍の扱いと格闘術、全く異なる流派なのだが、ディックの思考は単純だった。

 素手であれだけ強いならば、武器を使えばもっと強くなるはずだと安直に彼は考えていた。

 しばし考えたギルバートだが、不敵な笑みを浮かべるとこう答えた。

「いいじゃろう。じゃが、ワシの修行に耐えられるかのう? 最後までやり切ったのは、今のところ一人しかおらんぞ?」

 かつて旅の武芸者として名を馳せたギルバートの下には、弟子入りしたいと願う若者が集まってきた。

 だが結局、闘気術を扱い切れる者は中々おらず、ギルバートが編み出した『オーラアーツ』を免許皆伝したのはたったの一人。

 その一人というのが、アルバトロスの猛将として有名なジョイスであった。

「や、やってやろうじゃねぇか! 俺が二人目になってやらぁ!」

 ディックは負けず嫌いな男だった。

 例え仲間であろうとも、同じ槍使いのリカルドに負け続けたくはない。

 見返すためならば、厳しい修行にも耐える覚悟だった。

 対するギルバートも、誰にも教わらず我流で槍の扱いを覚えたというディックの戦闘センスには一目置いている。

 もし彼が本気で学びたいと言うのならば、弟子に迎えるのも悪くないと考えていた。

「よし、ではまず基礎の立ち回りからじゃな」

「そんな地味なとこからか? もっとこう、相手を吹っ飛ばすような必殺技とかないのか?」

 ディックは負けず嫌いではあるが、短気で我慢弱い男でもあった。

 素手でありながら衝撃波で敵を薙ぎ払うギルバートを見て、彼に師事すればそんな大技をすぐに教えてもらえると思い込んでいたディックは、期待が外れて早くも顔をしかめる。

「何を言っとるんじゃ。基本が成っていなければ、その上の応用なぞ扱えんぞ。そして、戦闘の基本は格闘にある」

「もっと手軽に強くなれる方法教えてくれよぉー!」

 早速泣き言を言うディックに、ギルバートは「そんなものはない」と一蹴して基礎訓練を叩き込むのだった。


 更に他方では、剣術を覚え始めたエリックに、ルークが片手剣の扱いを教えていた。

「私は所謂魔法剣士ですし、流派は異なります。ですが、剣術の基本は変わりません。その基本の部分なら、ある程度は教えられます」

 ルーうの主な流派は魔法剣士専用の『梟(オウル)』。

 左手から放たれる派手な魔法に目を奪われがちだが、近接防御を兼ねる剣術も決して他の流派に引けを取らない。

 かつては二大基礎流派の片割れである『犀(ライノ)』から習い始めており、カイザーの下で働いていた頃はその『犀の型』で部下に訓練をつけていた。

 エリックも同じく『犀の型』から入門した剣士で、同じ流派であれば問題なく教えられるとルークは考えた。

「よろしくお願いしまぁす!!」

 エリックはルークに深々と頭を下げる。

 今このパーティの中で一番剣術が上手いのは、他でもないルークだ。

 彼の見事な剣さばきを、ファゴットの街での戦闘で間近で見ていたエリックは、一緒に旅するならルークから習いたいと決めていた。

 エリックが見た人物の中で言うなら、剣術の腕ではアルベールの方が一枚も二枚も上手だった。

 しかし今のパーティに彼はおらず、何よりエリック自身アルベールのことは苦手に思っていた。

「まず、構え方のおさらいから。盾を持った左半身を前に、剣は水平に持って……そう、切っ先を相手に向けてください」

「こ、こうかな?」

 見よう見まねで構えを取るエリック。

 この盾を突き出すような姿勢が、『犀(ライノ)』の流派の特徴だった。

「剣を握る力は力み過ぎないように、身体はもっと横向きに構えてください。完全に左向きで戦うつもりでいいです」

 ルークは細かい修正箇所を指摘しつつ、立ち回り方を教えていく。

「さて、『犀の型』は盾による防御がまず肝心です。攻撃より、まず防御を覚えましょう」

 ルークは練習用の木剣で様々な角度から打ち込み、エリックに盾でガードさせた。

 この流派が入門として好まれるのは、盾を持つことによる生存率の上昇にある。

 当然、戦い方は防御主体となり、ここからカウンター重視の型である『甲虫(ビートル)』や、大盾を持った堅守の型『亀(トータス)』が誕生したとされていた。

「いい調子ですね」

 エリックは飲み込みが早く、遅く振っているとは言えルークの攻撃に徐々に反応できるようになっている。

 しかし、これはまだ訓練。

 どこから攻撃が来るか分からない実戦で咄嗟に防御できるよう、ルークは反復練習を続けさせた。

「盾が間に合わない時は、どうればいいんですか?」

 訓練の最中、エリックは思い浮かんだ疑問を口にする。

 いくら左向きの姿勢で、相手から見て盾が自分の中心に来るよう構えていても、盾で庇い切れない部分は出てくる。

「剣で受け止める手もありますが、刃を傷めます。出来る限り、盾で受けられなければ避けるようにしてください」

 ルークの持っている魔法剣には、剣の耐久性を高める術がかけられている。

 このおかげで激しい打ち合いなどになっても刃こぼれせず長持ちしているが、エリックの剣はあくまで量販品だ。

 手入れを怠ればすぐなまくらになるし、下手に重い攻撃を受け止めれば折れてしまうこともありえる。

 そんな二人の訓練を、ソフィアは少し離れた場所からつぶさに観察していた。

「エリックのあの才能は、異能力の副産物によるものかしら? それとも、あくまで本人が持って生まれたもの……?」

 ぶつぶつと呟きながら、ノートに自分の考えを覚え書きするソフィア。

 そんな彼女の隣には、晩飯の下ごしらえを終えたキラが立っていた。

「私も、戦えたらいいんですけど……」

 困ったような、羨ましいような表情で、剣の訓練を続けるルークとエリックを見つめる彼女。

 平和になったファゴットの街でアルベールに厳しい稽古をつけてもらったものの、やはり前に出て戦うことはまだできないでいた。

 いつも仲間にばかり戦わせて申し訳無さを感じつつも、血を見ることへの拒絶感が強く、実戦では固まって動けなくなってしまうのが現実だった。

「あまり気にしては駄目よ、キラ。あなたはまず、自分の記憶を取り戻すことを考えるのが先決だわ」

 そう言って、ソフィアは優しい笑みを浮かべつつキラを慰めた。

「自分が持っていないものを人が持っていると、引け目に感じてしまうことも時にあるわ。私もそういう時期はあったし……」

 才女と呼ばれたソフィアに無いもの、それは身長だった。

 今でも気にしてはいるが、学生時代のように強いコンプレックスを抱く時期はもう過ぎている。

「けれど、できないことばかりに気を取られていては前に進めない。自分にできることを見つけていきましょう」

「ありがとうございます、ソフィアさん。……何だか、お姉さんができたみたい」

 身長はキラの方が高いため、ぱっと見ではどちらが姉なのか分からなかっただろう。

 照れるような表情を浮かべてそう言うキラに、ソフィアは一瞬驚いたような表情を見せたが、すぐに微笑んだ。

「『ソフィ』でいいわ。親族や友人からはその愛称で呼んで貰っているの」

「い、いいんですか?」

 おずおずと聞き返すキラ。

 それはつまり、友達などの親しい間柄として見てくれているということに他ならない。

 ソフィアははっきりと頷いて答えた。

「じゃあ、これからはソフィさんって呼びますね!」

「敬称は別に……いえ、好きに呼んでちょうだい。その方が私も気が楽だわ」

 そうやって会話に花を咲かせる二人の下に、今日の当番として狩りに出ていたメイが戻ってきた。

「晩御飯、捕ってきたよ」

 メイが担いで来たのは、何と大物のイノシシだった。

 更に左手の網には、川で捕れたと思しき魚が何匹か入っている。

「すっげぇな姉ちゃん、大猟じゃねぇか。今夜はパーティーでも開くのか?」

 一通りユーリとエレンをからかって気が済んだのか、近くに来ていたフランツは思わず声を上げて近寄ってきた。

「魚は罠を仕掛けておいたから」

 川辺に馬車を停めた直後から、メイは川魚を目当てに仕込みをしておいたのだ。

「本当に凄いよ、メイ! お腹いっぱいにご飯が食べられるね」

 キラも感激した様子で、イノシシと魚を交互に見つめる。

 そんな彼女の様子を見て、メイも満更ではない様子だった。

「火は起こしたぞ。皆、そろそろ晩飯の支度をしようかのう」

 少し離れた場所で焚き火を起こしながらメイの帰りを待っていたギルバートは、一行に声を掛ける。

 その後ろでは、肩で息をしながらぐったりとしているディックの姿があった。

「ん? どうしたディック、食あたりでもしたか?」

 焚き火に寄ってきたリカルドは、そんなディックに話しかけるが、ディックは地面に四つん這いになったまま動かなかった。

「ぜぇぜぇ……。ち、ちげぇよ……。でも、しばらく休ませてくれ……」

 一方、戦闘の基礎を彼に叩き込んでいたギルバートはと言うと、いつも通りの涼しい顔をしている。

「もっと体力をつけんと、この先やっていけんぞ。体力作りも項目に加えんとな」

「も、もう勘弁して……」

 体力の限界で動けないディックを他所に、一行はメイが持ってきた獲物を各々さばいて調理していく。

 イノシシは皮を剥いだ後、全身の肉を切り分け、内蔵も残さず頂く。

 半分は今夜のスープに入れ、残りは焚き火でロースト肉にする。

 そして魚を串に通して焚き火で焼けば、野営としてはとても豪勢な晩飯の出来上がりだ。

「えっ、えっ? どこでこんな魚捕れたんだ?」

 好物の魚を目の前に、思わず疲れも吹き飛ぶディック。

 メイが罠を仕掛けて捕ったと知ると、あまりの悔しさに歯ぎしりし始めた。

「くっそぉぉぉ! その手があったかー! ずりぃ、ずりぃぞメイ!!」

 そう言いながらも、焼き上がった魚にいの一番で食らいつくディック。

 もちろんイノシシの肉もご馳走なのだが、彼にとっては川魚の方が食べ慣れた、言ってみれば故郷の味だ。

 新鮮な肉と魚の味を楽しみつつ、保存食の乾パンなども口にして腹を満たしていく仲間達。

 焚き火を囲みながら団らんするうち、やがて話題は旅を始めた経緯に辿り着く。

「私は……記憶がないんです。それで、手がかりになりそうな剣を調べてもらおうと、ソフィさんを訪ねるために旅に出ました」

 当然ながらまず、最初に旅を始めるきっかけとなったキラが当てられた。

「確かに、何か訳ありっぽいな……。で? ルーク、お前さんが最初の仲間なんだったよな?」

 そう言って、リカルドがこのパーティで一番の古株と言えるルークに視線を移す。

 当然の流れであるため、ルークは簡潔に経緯を説明した。

「私は倒れているキラさんを発見し、そこから色々あって、今は彼女を守るためにこうしています」

 すると、そこに食いついたのがリカルドの隣に座る、お喋り好きのフランツだった。

「そう、そこだよそこ! 俺達が聞きたいのは! その『色々あって』の部分!」

 ルーク・クレセント。アルバトロス革命において、城に潜入し皇帝を討ち取るという作戦の要を任された人物。

 その評判はリカルド達五人組も聞き及んでおり、革命の最中に何があったのか知りたがっていた。

 最初は風の噂で『皇帝を討ち取ったのは女武将』と勘違いしていた五人だが、一応その誤解だけは先に解いておいた。

「いえ、あまり大した話は……」

「いいからいいから! どうだったんだ、あの悪名高い皇帝の最期ってのは!」

 渋るルークだったが、フランツに促されて仕方なく当時のことを話し始めた。

「あまり機密に関わる部分はお話できませんが……」

 ルークは話せる範囲で、革命戦に参加するまでを仲間達に語った。

 アルバトロスの首都でキラを見つけ、しばし二人暮らしをしていたこと。

 そこから、キラが帝国にさらわれて、救出のためにカイザーと手を組んだこと。

 ユーリと協力し、革命のどさくさに紛れてキラを城から救い出したこと。

 その際にうっかりキラの目の前で皇帝を処刑してしまい、彼女をパニックに陥らせたことはルークも失敗だったと考えていた。

 仲間と共に聞いているキラに当時のことを思い出させないためにも、敢えて話さないでおいた。

 改めて旅の始まりに何があったのかを思い出したキラは、ふと懐かしさのようなものを感じている自分に気付いた。

 まだ半年も経っていないが、あの時から随分遠くへ来た気がする。

「へぇ、死んだ皇帝もキラの異能力をアテにしてたってわけか」

 話を聞いてまじまじとキラを見つめるフランツ。

 だが、彼の視線の先にいるのは普通の娘であって、到底異能の力を秘めた超人には見えなかった。

「私は冒険者。キラと友達になって、それで一緒に来た」

 キラの隣に座るメイは簡単にそう言った。

 元はソフィアへ魔術書を届けるという依頼を請けてフォレスを目指していたが、その道中でキラ達と出会ったのがきっかけだ。

「私は……そうね、まずは依頼された剣の鑑定を最後までやり遂げるため。そして、本物の異能者を間近で研究するためでもあるわ」

 ソフィアはそう説明しつつ、ユーリが片手間で採取してきたという山葡萄をデザート代わりに食べていた。

 旅にケーキや紅茶を持ち込むわけにもいかず、口にできる甘い物と言えば現地調達の果物くらいだったからだ。

「キラを、異能者を悪用しようとする者達から守るため、というのも理由のひとつね」

 そのために自分の工房まで臨時休業して旅に同行したと知ると、流石のリカルド達も目を丸くした。

「店を閉めてまでねぇ……。学者サマの好奇心ってのはすげぇもんだわ」

 そうこぼしたフランツの言葉に、ソフィアは突然早口でまくしたてる。

「異能者というのはそれ程に希少な存在なのよ? 歴史を紐解いても、大きな転換期には必ず異能者の存在があるわ。そんなキラと同じ時代に生まれ、面識を持つことができた幸運を逃すはずないじゃない。これは人類の文明の大きな進歩に繋がる――」

 スイッチが入ったソフィアの長話が続く。

 それを聞かされているフランツを他所に、リカルドはルークと共にアルバトロス革命に関わっていたというユーリに話を振った。

「そう言えばお前さん、アルバトロスに来る前はどこで何してたんだ?」

「………………」

 ユーリは答えず、黙々と乾パンを咀嚼している。

 そんな彼に、ソフィアの熱弁から逃れるようにしてフランツも食いついてきた。

「確かお前、前は東のロイース王国辺りで仕事してたって聞いたぞ。その時は何人か仲間も居たんだってな? そいつら、今はどうしてんだ?」

「………………」

 ユーリは黙したまま答えようとはしなかった。

「噂じゃ、見殺しにして逃げたんじゃないかって聞いたんだがよぉ、ほんとのとこどうなんだ? なあ、何か言えよ!」

「フランツ、無意味な詮索はよせ」

 身を乗り出して食って掛かるような勢いだったフランツを、それまで黙っていたエドガーが止めた。

「すみません」

 フランツはつい調子に乗って喋りすぎる癖があり、他の仲間から度々諌められることがあった。

 そんな時、すぐに反省して謝るのが彼のいいところであり、エドガーが加わる前のリカルドとディンゴが三人組のチームとして長続きしてきた所以でもあった。

 何かと汚れ仕事も多い傭兵という職業柄、あまり過去を探るのはタブーとされている。

 今回のエドガーも、そんな傭兵達の暗黙のルールに従ってのことだった。

「ワシは弟子からの紹介で二人と出会ってのう。田舎の隠居生活にも退屈しておったもんじゃから、護衛を引き受けたというわけじゃよ」

 一度場の空気に緊張が走ったのを察したギルバートは、自分から話題を元に戻した。

「そう言えば昔、大陸最強と謳われた旅の武芸者集団が居たらしいな。その中に、剣も槍も通じない無敵の体術使いも混じってたとか……。爺さん、知らないか?」

 そう尋ねるリカルドに、ギルバートはとぼけて答えた。

「さて、覚えとらんのう」

 そのリカルドの話に、また懲りずにフランツが乗ってくる。

「だがよ、その旅の武芸者集団も伝説だろ? この爺さんがその一人とは、ちょっと思えねぇんだが」

「爺さん、今年で何歳だ?」

 それを聞いたリカルドは、不意にギルバートに歳を尋ねた。

「65じゃが」

「その武芸者集団ってのが実在したって言われてるのが、大体40年くらい前って言われてるんだよな。年代は合ってる」

 暗に『お前がその武芸者の中の一人ではないのか』と問いかけるリカルドだが、ギルバートは答えをはぐらかすばかりだった。

「40年前って、俺達が生まれる前じゃねぇかよ。ところで、そこのお魚大好きボーイは何しに旅に出たんだ?」

 この話題がつまらないと判断したフランツは、今度は焼き魚を頬張るディックに話を振った。

「ん、俺か? 最初はアルバトロス軍に仕官しようと思ってたんだけどよ、偶然キラちゃんと知り合って、んで記憶が戻るまで俺が守ってあげようってことになったわけよ」

 それを聞いたリカルドとフランツは、思わず顔を見合わせた。

 そして、しばし間を置いて吹き出した。

「その腕でアルバトロスに仕官? オイオイオイ、大人をからかっちゃいけないぜボーイ!」

 そう言うフランツに、ディックは魚を食べながら言い返す。

 食事のマナーはあまりよろしくないのか、食べ物にがっつきながら喋るせいで、唾やら咀嚼中の魚肉やらが時折飛び散る。

「う、うるせぇ! あの時だって、是非ともうちに来てくれって言われてたんだぞ! モグモグ……って言うかよ、人にばっかり聞いてないで、自分のこと話したらどうなんだよ」

「お、聞いちゃう?」

 フランツは身を乗り出し、意気揚々と自分の経緯について語り始めた。

「俺は元は農民でよ、畑を耕して暮らしてたわけだ。ところが、俺の村の領主はひっでぇ野郎でな、クソ高い年貢が収められないってんで、いよいよ俺達は反乱を起こした。所謂一揆だな」

「へぇー、意外。それで勝ったの?」

 エレンにそう聞かれたフランツは、肩をすくめる。

「いんや、負けた。領主の兵隊に追われて、命からがら逃げ出して……行き場をなくしてフラフラしてたところを、リカルドと会って傭兵やるようになったのさ」

 四人組の中で、一番重装備のフランツが元農民というのは、一行にとって意外な事実だった。

 甲冑を着慣れているところから、元から兵士だと思っていたからだ。

「俺がハンマーを愛用してんのは、頑丈ってところもあるが、実のところ不器用だからだ。元が素人だからな、すぐ刃こぼれするような剣とはうまく付き合えねぇ。その点、ハンマーはとにかく力一杯ぶっ叩くだけでいいから楽なんだよな」

 フランツは自分の腰のベルトに差してあるウォーハンマーを抜くと、聞かれてもいないのに得物について語り出す。

 不器用で剣が合わなかったというのは事実である。

 更に言うと、一揆を起こした時に既に彼はハンマーを愛用していた。

 敵である領主の騎士達は板金鎧で守りを固めており、剣の刃が通らなかったため彼らは鈍器を持ち出していたのだ。

 甲冑を中の人間ごとへこませる威力を持つハンマーは、昔から騎士殺しとして恐れられていた。

「って言うことは、リカルドさんの方が傭兵歴長いってこと?」

 自分語りを続けるフランツを他所に、エレンはリカルドへと話を振る。

「ああ、俺は兵隊崩れの賞金稼ぎだ。祖国は……まあ、帝国に潰されてなくなっちまったよ」

 元兵士はリカルドの方だった。

 こんなところでも、潰えたアルバトロス帝国の悪行の片鱗が見える。

「安心しなよ、リカルドのおっさん……仇は討ったからさ」

「何でお前が言うんだよ」

 リカルドの言う通り、ディックは革命には参加していない。

 この中で実際に彼の祖国の仇討ちをしたのは、皇帝に直接手を下したルークだろう。

「あはははー! まぁ、ディックさんの言えた口じゃないよね。で、ディンゴさんは何で傭兵に?」

 笑いながらエレンは四人組の一人、ディンゴに振る。

 彼はしばし黙して考えた後、口を開いた。

「……俺も、元は狩人だった。戦で森ごと家を焼かれて、商売にならなくなった。金を稼ぐために傭兵になって、リカルドと会ったのはそれからだ」

「あたしと同じだったんだ……」

 エレンも元狩人である。

 自分と似た境遇だと知った彼女は、この寡黙な弓兵に親近感を抱くのだった。

「そう言えば、あんまり喋らないけど、エドガーさんはどうして傭兵に?」

 気になったエリックは、ディンゴと並んで口数の少ないエドガーに話を振った。

「リカルドと同じ、ただの兵隊崩れだ」

 彼はそう言うだけに留めた。

 だが、ディックはそれを良しとしなかった。

「いや、もうちょっとこう、何かあるだろ? リカルドのおっさん達と出会うまでのあれこれとかさ」

 それにエリックも頷く。

 そのやり取りを見ていたルークは、最初にエドガーを見た時に覚えた妙な既視感について考えていた。

(あの大盾と槍は、やはり兵隊の装備だったか……。どこかで見た覚えがあるが、どこだったか……)

 だが考えてみれば、リカルドと同じように帝国時代のアルバトロスに滅ぼされた国の兵士でその当時の装備を使い続けているのだとしたら、革命で共に戦った反乱軍のメンバーが同じ武装をしていてもおかしくはない。

 反乱軍と言えば民兵がほとんどだったが、帝国に占領された国の元兵士も大勢混ざっていたからだ。

 ルークがデジャヴに思索を巡らせている間、しばし顔を伏せて沈黙していたエドガーだったが、ため息をひとつつくとディックとエリックに向かって答える。

「所詮俺は、仲間も祖国も守れなかった無能だ。笑ってくれて結構」

 突き放すように話題を切り上げるエドガーだったが、リカルドが一応補足を加える。

「俺達は以前三人組だったが、半年くらい前からエドガーと組むようになった。兵隊崩れと言ってるが、まあ悪い奴じゃない。無愛想さは、『狼』とどっこいだがな」

 リカルドが最後に冗談めかして一言付け加えたおかげで、場に流れていた微妙な空気は飽和された。

 彼もまた、エドガーと同じく戦火で国を失った兵士の一人。

 思うところがあったのだろう。

「そう言えばよ、ずっと黙ってるけど……奥で座り込んでるハゲのおっさんは何で組むようになったんだ?」

 ディックが指したのは、一行から少し離れた場所で肉を頬張っている、馬車の御者だった。

 以前からリカルド達と行動しているが、目立たない空気のような小男である。

「お、俺は、その……」

 おどおどと口を開こうとする御者だが、それを遮るようにしてフランツが話し出す。

「こいつはカルロだ。故郷で何かやらかしたらしくて、お尋ね者になってるのを俺達で保護したってわけだ。こいつ、鈍臭くて何やらせても駄目だからなぁ……」

 カルロと呼ばれた男は、フランツに言われるがまま身をすくめ、一行の顔色を伺うように見つめるばかりだった。

「まあそう言ってやるなよ。御者はしっかりこなしてるし、雑用もやってる」

「具体的には、何やらかしたんだ?」

 ディックは無神経にそう聞くも、カルロはどもるばかりで答えは出て来なかった。

「俺達も何やったかは知らねぇ。虫も殺せねぇようなこいつが、そう大それたことをやらかすとは思えんが……」

 困惑するカルロに助け舟を出すように、リカルドが割って入る。

 彼らも、カルロの事情についてはよく知らなかった。

「まあ、俺達のことはもう皆知ってると思う」

 最後に、エリックがそう話す。

「エレンと一緒に領主にイチャモンつけられて、カッとなってレジスタンスに加わって……けど今は充実してるよ」

 そう言ってエリックは屈託のない笑顔を浮かべた。

 怪我の功名で自分の秘めた才能が分かり、それだけでなく同じく異能力を持つキラとも知り合えて、そのまま共に旅に出ている。

 警備隊から逃げ回る鬱屈した生活を振り返れば、まさに夢のような日々が続いていた。

「あたしは腐れ縁のお守りで大変だわー。あーほんと大変だわー」

「お前に世話される義理なんてないぞ! 剣術だって、ルークさんに稽古つけてもらって上達してるしな!」

 わざとらしく首を振るエレンに、言い返すエリック。

 だが彼の言葉を聞いた彼女は、目をらんらんと輝かせる。

「ふっふーん! あたしだって、今日ユーリさんに弟子入りしたもんねー! これなら百発百中間違いなしよ!」

「お前にあんな芸当無理だろ」

「はぁー? どの口が言うんですかねぇー?!」

 幼馴染の二人の、いつものやり取りだった。

「おお、微笑ましいもんだ」

 そんな二人を見て、フランツはニヤニヤと笑う。

 実際、エリックとエレンが漫才を繰り広げる間、周囲はむず痒い感触を覚えながらも微笑ましく見守っていた。

「……しかし、記憶喪失の異能者に、強力な魔法剣か。賢者の姉ちゃんじゃないが、確かに面白いことが起こりそうではあるな」

 改めて全員のこれまでの話を聞いたリカルドは、まじまじとキラを見つめる。

 その手に抱えられているのは、宝石や貴金属で装飾されたあの剣。

 仮に魔法剣でなかったとしても、相当高価な代物であることは明らかだった。

「もう日も落ちた。そろそろ寝る頃合いじゃろう。ユーリ、見張りは任せたぞ」

 ギルバートはそう言って話を切り上げた。

 既に周囲は暗くなっており、夕食も話が弾む間に食べ終えている。

 皆異論はなく、各々毛布に包まって横になった。

 一人、ユーリだけが夜間の見張りとして焚き火の番をしつつ、周囲の警戒に当たる。

 夜目が効くからと彼に一任して来たが、今の所盗賊や動物から夜襲を受けることもなく、何事もない夜が過ぎていく。

 この日もそうだった。


 夜が明け、朝日に顔を照らされて目が覚めたキラは、目をこすりながら上体を起こす。

 ふと馬車の方に目をやると、既に起きていたカルロが馬の世話をしていた。

「そろそろ疲れてきたか? いきなり人数が増えたもんな……」

 馬車から持ち出した踏み台に乗り、背伸びをするように馬車馬にブラシをかけるカルロ。

 心なしか馬も気持ちよさそうだ。

「おはようございます、カルロさん」

 毛布から出て手足を伸ばしながら、キラは何気なく彼に挨拶をするが、それを聞いたカルロは酷く驚いて飛び上がった。

「ひぃっ?!」

「あっ……ごめんなさい、驚かすつもりじゃなかったんです」

 カルロは非常に臆病な男だった。

 常に周囲の顔色を伺いながら、身を縮めるようにして目立たない場所に居る。

 その小柄さも相まって、まるでネズミなどの小動物のような印象すら受けた。

「い、いや、いいんだ……」

 そう返すと、カルロは小さな身体を精一杯伸ばして馬のブラッシングを続ける。

 人と接するのは苦手なようだが、馬の相手をする時だけは怯えたような卑屈な表情を見せない。

「えっと、馬さんの調子はよさそうですか?」

「ああ、問題なく出発できるよ……」

 そうしているうち、他の仲間達も起き出してきた。

「ふぅーっ。いい朝だな! おいカルロ、出発の準備はできてんだろうな? モタモタしてんじゃねぇぞ!」

 フランツは開口一番にそう言った。

 既に朝食を済ませていたカルロは背を丸めながら頷き、御者席に座って手綱を握る。

「3日後には次の街で補給ができそうね。その先は教皇領に入るわ」

 ソフィアはギルバート、ルークと共に地図を覗き込み、現在位置と目的地を再確認する。

 彼女の言う通り、このままドラグマを目指し北上を続けて行くと、途中で教皇領を通ることになる。

 大陸中に大勢の信者を持つ教会の聖地であり、この戦乱の世にあって永久中立地帯を宣言している領土でもあった。

「まずトラブルはないと思いますが、教皇領で下手なことをしない方がよさそうですね」

 ルークとソフィアは、やや渋い表情をしながら顔を見合わせた。

 と言うのも、教会は十数年程前まで『魔女狩り』と称して、魔術師に対する迫害と虐殺を行っていた歴史がある。

 魔法を扱う二人にとっては、少々事情が込み入った地域だった。

 既に現在の教皇が魔女狩りを過ちだと認めて禁止してから長く経つが、それでも信者や聖職者の中には魔術師に敵意を抱く者が少なくない。

 魔術師と教会、双方の対立の歴史はそれ程に深いものだった。

 迂回して通るには大きく東側に道を逸れる必要があり、国境を超えて東のロイース王国の領地に足を踏み入れることになる。

「ロイースはこの間、非常に殺気立っていますからね。下手に入らない方がいいでしょう」

「そうじゃのう。あそこもあそこで、確かクーデターがあったと聞いたが……」

 ギルバートの言葉通り、ロイースは今王国でありながら、国王が不在である。

 王族は何者かに暗殺され、代わりに大臣が国を掌握している。

 カイザーの革命政権とは真逆で、大臣はほうぼうに戦争を吹っ掛けているという噂だった。

 当然、国境を接する大国同士であるアルバトロスにとっても驚異であり、帝国時代から内乱に乗じて侵攻しようという計画があったらしい、ということをルークも聞き及んでいた。

 ふとそこへ、出発の準備を進めていたリカルドが首を突っ込む。

「まあ、教皇領は治安のいい方だって聞いてるから、入っちまえば安心だろう。それよりも、そこまでの道のりだ」

 そう言いながら、リカルドは指先で地図上の道筋を指した。

「このルートだと、街の先で途中にある山を大きく迂回して遠回りしちまう。道は確かに平坦だが、これじゃ2~3日のロスだ」

「確かにそうだけれど、一直線に山を突っ切るのはかえって危険よ?」

 ソフィアが言う通り、迂回する予定の山は傾斜が急で、下手に登るのは躊躇われる場所だった。

 事実、北へ伸びる街道も山を迂回しており、ソフィアはその道に沿って進むつもりだった。

「ところが、いい抜け道があるんだな。上手い具合に山のやや西側を、あまり坂のない道が通ってる。最近じゃあまり使われないんで、知ってる奴はほとんど居ないが」

「本当なら、確かに日数は短縮できますが……」

 地図にはそんな道は記されていない。

 ルークも、やや険しい表情を浮かべる。

「安心しな、俺達はそこを通り慣れてる。道案内があれば危険もなく通れるはずだぜ?」

 ルーク、ギルバート、ソフィアは各々顔を見合わせるが、道を知っているリカルドが案内すると言うなら安心だろうと、彼の提案を受け入れることに決まった。

「よし、そうと決まりゃ街から先のことは任せてくれ。お前ら、行くぞ!」

 リカルドはどこか嬉しそうに、他の四人に声をかけて馬車へと乗せる。

「本当に大丈夫でしょうか?」

 まだ怪訝そうな顔をするルークに、ギルバートは言った。

「ふむ……。もし危険そうなら、引き返すという手もある。ひとまずはリカルドを信用してみるとするかのう」

「そうね。教皇領に入るまで、3日短縮できるなら物資も安心だわ」

 馬車で移動しているとは言え、あまり悠長に野営を続けていては水や食糧が足りなくなることもありえる。

 昨日のように、狩りが大成功してその分の携帯食が浮くことが続くとも限らない。

 彼女としては、なるべく余裕を持たせておきたかった。

 一抹の不安を覚えつつも、一行は馬車に乗り込み道を進み始める。

 次の停泊地である街までは、およそ3日程。予定ではそこから山を越え、教皇領を通過する。

 ルークの懸念通り、その道中は決して楽な道筋ではないことを、この時まだキラ達は知らない。


To be continued

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