第10話 『ハルトマン襲撃』

 キラ達が新たな仲間に出会ったその時、少し離れた林道を行商の馬車が進んでいた。二頭の馬に引かれて、商品をありったけ積み込んだ馬車がゆっくりと道を進んでいく。

 手綱を握りながら時折鼻歌を歌い、商人はいつも通りのルートで、いつも通りの時間を過ごしていた。

 だが、突然行く手を数人の男が遮った。各々武装しており、茂みの中から次々と現れた彼らに馬車はいつの間にか囲まれていた。

「へへへ……。悪ぃが荷物を全部置いてってもらおうか」

 彼らのギラつく目つきが、『拒否すれば命ごと貰う』と物語る。

 商人は両手を上げて降参の意を示しつつ、仕方なく馬車から降りた。

 この商品、全て奪われてしまっては生活が立ち行かなくなる。当然、売買で得た収益も全部持って行かれることも想像に難くない。

 かと言って、武装集団に単身立ち向かうだけの手立てを、行商は持ち合わせていなかった。

 嬉々として荷馬車に群がる盗賊達だったが、そこへ割り込む人影があった。

「おうおうおう!真っ昼間から盗みたぁ感心しないぜ!」

「誰だてめぇ!」

 盗賊は一斉に声のした方を振り向く。

 商人も思わずその方向を見やったが、驚くことに槍を持った軽装備の若い男一人だった。

 いくら相手が雑多な野盗と言えど、単騎で名乗りを上げるとは余程の酔狂か、はまたま腕に自信があるのか。

「悪党に名乗る名などない!!……決まった!」

 大袈裟なポーズを取りそう言い放つと、男はまだ事が済んでいないにも関わらずガッツポーズを取った。

「何だぁ、こいつ?頭ン中お花畑の阿呆か?」

「どうでもいいや、たたんじまえ!」

 一斉に盗賊が襲いかかる。

 対する青年は、怖じる様子もなく槍を構え、自らも突進した。

 彼の槍が先頭の盗賊の腹を穿ち、穂先を引き抜くと今度は力任せに薙ぎ払う。槍を振り回した後、今度は高く掲げてから振り下ろし、長い柄を相手の頭上に叩き付けた。

「野郎!」

 仲間がやられる中、一人が青年の懐に接近しナイフで一刺しにしようと迫る。

「鈍いんだよ!」

 だが盗賊は青年の鋭い蹴りをもろに受け、後ろに弾き飛ばされた。

 更に背後に回った賊が彼に死角からの攻撃を仕掛けるが、槍の石突で鳩尾を打たれ、振り向きざまの一撃で倒された。

「駄目だ、ずらかれぇ!」

 瞬く間に半数近い仲間を失った野盗は、これ以上は無理だと我先に逃げ出した。

「一昨日来やがれってんだ!……おっちゃん、大丈夫か?」

「ええ、お陰様で。何とお礼を言えばよいか」

 青年に敵意はないと分かった商人は、深々と頭を下げる。

 対する青年は自慢気に胸を張った。

「まー、この辺も最近は物騒だしさ、気をつけた方がいいぜ」

「そうらしいですねぇ。帝都でクーデターがあったとかで、あちこち混乱してるようで」

 商人が品を卸している街の領主も、そのクーデターに参加していた。何でも『皇帝の圧政を裁く』という口実らしいが、しがない行商にとっては何がどう変わるのか実感が湧かなかった。

 それよりも、体制が急に変わったことで各地に混乱が起こり、その隙に乗じて盗賊の類が活発化し街道を荒らすという事件が頻発しており、商人にとっては迷惑というところだった。

「ゴタついてんのも今のうちだけだって。俺が軍を率いて、そこら中の盗賊を倒しちまうからな!」

「軍を率いる……と言うことは、あなたは軍人なのですか?」

 見たところ、正規軍の装備も身に付けていないし、部下も連れていない。連合軍の将と言うよりは、野良の傭兵と言ったほうが近そうだ。

「その通り!アルバトロスきっての武将……になる予定。これから仕官しに行くんだ」

「はぁ」

 どうやら青年の中では、もう軍に仕官して指揮官になったつもりでいるらしい。

 商人は思わず口をぽかんと開けた。

「つーわけで、先を急ぐんだ。じゃあな」

 そう言って立ち去ろうとする青年を、商人は呼び止める。

「お待ち下さい。あなたは恩人です。あなたのお名前は?」

 すると、青年は振り返りながら右手の親指を立て、歯並びのいい歯を見せながら清々しい笑顔を見せた。

「名乗る程のもんじゃあないぜ……」

 青年は再び前を向いて歩き出す。

(決まった!俺チョーカッコイイ!)

 自己満足に浸りながら目的の街へ向かおうとする青年だったが、商人はなおも引き留めようとした。

「あの、もし……。旦那、お待ちを」

「……だーかーらーっ!俺はただの最強・武芸者なんだって!せーっかくカッコよく立ち去ろうとしたのにしつこいっつーの!」

 決め台詞が台無しだと怒る青年に、商人は何かを持って差し出した。

「いえ、そうではなくて。財布を落としましたよ」

 青年は固まった。

「……あ、そっすか。どうも」


 格闘術の達人ギルバートを加えたキラ達は、順調に旅を続けた。

 盗賊もギルバートが徹底的に叩きのめした後、襲撃してくることもなく平和なうちに二日が過ぎた。

 進んでいるうち、キラはそれまで細かった田舎道が、徐々に大きく立派な街道に変化していることに気付いた。それに応じて人通りも多くなってきている。目的地のフォレスはまだ遠いが、首都との中間にある大きな街が近づいているのだ。

 堅牢な城壁に囲まれた街は、見た目ほどに警備は物々しくなく、三人は簡単に街に入ることを許された。

 この街の領主はカイザーの革命に賛同し増援を送った協力者の一人であり、今は新体制の連合国の一員として機能を始めている。広大な帝国領において比較的首都から近いこともあり、治安は安定しており落ち着いた様子だった。

 一行は宿を取り、そこでしばし休憩すると、旅の物資を買い足しに商店街へ向かった。今まで経由した村々の雑貨屋とは、比べ物にならない規模と活気がそこには溢れていた。

 首都の商店街も広大な面積と膨大な品揃えを誇っていたが、キラとルークが旅の準備をしていた頃はまだ革命戦の爪痕が所々に残り、戦闘の直後ということもあって閉店している店も少なくなかった。

 キラも戦闘前の首都で市場へ連れて行ってもらったことがあったが、それからしばらくの間城に監禁されていた。久々に触れる都会の賑やかさに、キラは目を輝かせた。

 水や食料だけでなく、洋服や装飾品なども店先に並んでいる。キラはそれらに興味を惹かれつつも、今は旅の最中だからとぐっと堪えた。

 その様子に気付いたルークは、彼女の記憶を取り戻した後の帰り道には、祝いに色々買ってもいいだろうと考えていた。だが今は、とにかく旅の路銀は節約していかなくてはならない。

 当面の目的地はフォレス共和国だが、そこで賢者リリェホルムに会って宝剣を鑑定してもらったところで、それですぐにキラの記憶が戻るとは限らない。まだその先の旅路があるかも知れない。

 旅に必要な物を買い足していくと、キラはあるものに目を留める。

「ルークさん、あの人集りって何でしょう?」

 キラが指差した先には、十数人の市民が集まっていた。その視線の先には、大声で最近の出来事や連絡事項などを語る一人の男。集まった市民は皆、その話を聞きに来ているようだ。

「『先触れ』ですね。ああやって必要な知らせを人々に聞かせているんです」

 皇帝の圧政により民衆には貧困が蔓延り、教育が受けられず文盲の市民も多かった。彼らに張り紙などの文字で連絡を伝えようとしても無理なので、こうして口頭で知らせているのが先触れだ。

 人の集まる箇所にいくつかポイントが置かれており、そこで交易品の価格の変動具合や近頃起きた事件、領主からの通達などを語って聞かせる。

「昨日より、ハルトマン将軍閣下がこの街を訪れている!領主様と会談し、より円滑な交易を行うためだ!東の砦は厳重に警備されているので、用のない者は近付かないように!」

「カイザーさん、この街に来てるんですね」

 先触れの話を聞いたキラはそう呟いた。

「新しい体制を敷くために、忙しいようです。今会いに行くのはお邪魔でしょう」

 この街の領主は友好的な協力者の立場だったが、全ての領地がそうとは限らない。カイザーの唱える新体制に反発する貴族などが現れることはルークの目にも明らかであり、それに対抗するためにも協力者との関係をより強固にする必要がある。

「ジョイスの奴も、忙しくしとるじゃろうしのう」

「彼はハルトマン将軍の側近でしたからね。一緒に各地を飛び回っているでしょう」

 ギルバートの弟子のジョイスも、カイザーの護衛として多忙な日々をおくっていることはすぐに想像がついた。

 時間があればカイザーとジョイスに挨拶をしに行くのもいいだろうが、今はそんな余裕はなさそうだった。

 キラ達が先触れの前で足を止めていると、その目の前で伝令かと思われる若い兵士が先触れに駆け寄り、耳打ちした。頷いた先触れはすぐに兵士から伝え聞いた速報を語り始める。

「急募だ、義勇兵求む!街の東側の砦が、帝国軍残党の襲撃を受けている!砦にはハルトマン将軍閣下が滞在中だった!戦える者はすぐに武器を持って、東の砦前に集合されたし!」

 たった今入ってきたニュースに、聴衆は騒然となった。

 キラ達も思わず顔を見合わせる。

「襲撃って……。カイザーさん、大丈夫なんでしょうか?」

 キラにとっても、カイザーは恩人だった。その恩人の窮地と聞いて、キラも不安の色が隠せない。

「帝国残党とは穏やかではないのう」

 ギルバートは先触れに知らせを伝えた伝令を呼び止めると、事情を尋ねた。

「将軍閣下は東の砦に滞在しておられたのだが、残党軍の襲撃に遭い砦内に籠城しておられる。一刻も早い救援が必要だ」

 革命戦が勝利で終わったと言っても、カイザーの新体制に反発する旧帝国軍の残党はまだ各地に身を潜めており、油断を許さない。今回もそういった残党が、カイザー暗殺を狙って攻撃を行ったのだろう。

「護衛の部隊はどうしたんじゃ?」

「砦内で将軍閣下と一緒に立てこもっているが、いつまで持ち堪えられるか分からん。正規軍の増援もこっちへ向かってきているが、急なことなので間に合いそうにない」

 正規軍の救援を待っていたのでは、砦は陥落しカイザーの身が危うい。そこで、街の中から今すぐ戦える義勇兵を募っているということだった。

 それだけ伝えると、伝令は次の先触れのいる場所へと急いで走り去っていった。

「大変なことになりましたね、将軍が襲われるとは。ここで死なれては、アルバトロスは再び混乱に陥るでしょう」

 話を聞いていたルークも、事態を深刻に受け止めていた。

 ようやく政権が覆り、新たな連合国体制が開始したというのにその指導者が今潰されてしまっては、計画は頓挫してしまう。

 カイザーは自分が居なくなった後も国が運営されるようなシステムを構想していたが、まだそれは軌道に乗っていない。彼に今死なれては困るのだ。

「ううむ……。護衛にはジョイスもついていたはず。すぐにはやられんはずじゃが」

 闘気術を極めたジョイスには、ギルバート同様に並の武器は通らない。彼が盾になっている限り、カイザーには指一本触れさせないだろう。

 だがジョイスにも疲れはある。戦闘が長期化して疲弊すれば、連合軍きっての猛将も危うい。

「居合わせたのも縁じゃろう。すまんが、お前さん達は宿で待っていてもらえんか」

 ギルバートは義勇軍に加わる決心を固めた。帽子のつばを片手でつかんで深めに被り直し、神妙な面持ちで義勇兵の集まる馬車の乗り場へ向かおうとする。

「あ、待ってください!ルークさん、私達も行きましょう!」

 キラはルークとギルバート、二人の袖を掴んで引き留めた。

「駄目です。あなたを危険な目に遭わせるわけにはいきません」

 ルークはそれを却下した。

 彼自身も戦列に加わりたい気持ちはあったが、そうなると混乱の街中にキラ一人を置き去りにすることになる。せめてどちらか片方が側についていなくては、安心できない。

「けど、たくさんお世話になったカイザーさんを助けなくちゃ!私はただの足手まといですけど……一人でも大丈夫です!」

「しかし……」

 どうすべきか迷ったルークは言葉を濁す。

 この状況、戦える者が一人でも多く加わるべきなのは確かだ。ルーク自身、カイザー個人への恩義もある。

 それにもしここでカイザーが倒れれば、再び暴君が君臨し帝国時代の悲劇を繰り返すことになるだろう。ルークのように、帝国に国を焼かれる人々をまた増やすことになる。

 キラを取るべきか、それとも国の情勢を取るべきか。ルークにとって第一に考えているのはキラだが、彼女のためにもこの国に荒んでもらっては困る。

「こうしている間にも、カイザーさん殺されちゃうかも知れないんですよ?私のことはいいから……!」

 キラは必死になるあまり、涙を浮かべて訴えた。彼女にとってもカイザーは大切な友人だった。

 彼女の表情を見て黙っていたギルバートが、ここにきて口を開く。

「街に残すのが心配なら、いっそ救援部隊の本陣に一緒に連れて行くのはどうじゃ?そこで彼女を保護してもらい、ワシらは将軍の救助に向かう」

「それは……!」

 突然何を言い出すのかと反論しようとするルークを、ギルバートは手で制した。

「まあ聞け。連合軍の司令部は、ちゃんとした正規軍がおるじゃろう。協力の見返りに彼女の身の安全を要求すれば、そこで守ってもらえるはずじゃ。宿に一人残すよりも、安全とは思わんか」

 ルークは少しの間、思索を巡らせた。

 彼の名は、革命戦で軍の中では知れ渡っている。名前を出せば、ルークの協力を連合軍は喉から手が出る程に欲しがるだろう。その代わりに、キラの身柄の保護を要求する。

 軍も以前の下劣な帝国軍と違い、統率された連合軍だ。任せて安心だということは、共に戦って知っている。

 もし負けた場合は本陣も危険に晒されるだろうが、そうなった場合はまずカイザーもやられて、連合軍は総崩れまでがセットになる。もしルークと共に宿に残っていても、街ごと一巻の終わりだ。

 仮に戦わず逃げ延びても、カイザーが死んで帝国軍が再び政権を握れば、皇帝を直接手にかけたルークは指名手配犯扱い。自由に帝国領内を旅することも叶わなくなる。

「……一理ありますね。今は攻めるべき、でしょうか」

「本当に、私、邪魔にならないようにしますから!」

 ギルバートの提案と、キラの懇願に押し負けたか、ルークはついに頷く。

 キラの安全を守りつつ、かつカイザーを確実に救い出すために二人が前線に立つには、これが最善策だと彼は判断した。

「よし、急いで馬車に乗るぞ。今は一刻を争う」

 三人は義勇兵の集まる馬車の乗り場へ向かった。

 街は広く、砦までの移動には馬車で飛ばすのが最速だ。非常時とあって定期便は全て止まり、待機中の馬車も総動員して義勇兵を乗せて砦に運ぶ準備を整えている。

 キラ達はその中の一台に乗り込み、その後に更に義勇兵数人を積み込んだ馬車は、間もなく発車した。

 神妙な面持ちでキラ達が馬車に揺られていると、義勇兵の一人と思しき向かいに座る若い男が声をかけてきた。

「よう君、可愛いじゃん!もしかして、君も義勇兵だったりすんの?」

 男は胸回りを保護する鉄の胸当てを装着しており、背にはシンプルな作りの槍を背負っている。他の義勇兵の装備と比べるとやや軽装備である。

 伸ばした茶髪を後ろで結わえたその人物は、見るからに活発で元気が有り余っていますと顔に書いたような男で、目にはいたずら好きな子供のような輝きが宿っていた。

 歳は20代前半くらいのようだが、その顔つきや言動のせいで実際よりも若く見える。

 キラは戦えないただの旅人なのだが、一応宝剣を帯びていることで男は義勇兵の一人と勘違いしたようだった。

「いえ、私はその、この人の連れです……」

 キラは目線で隣りに座るルークを差した。

 彼女に興味津々だったその男は、ルークに視線を移すと更に目を輝かせる。

「ほーっ!そっちの子も中々美人じゃん?もしかして、女の子の二人旅だったりする?」

 身を乗り出す男に、ルークは心底うんざりした様子でため息をついた。

「言っておきますが、私は男です」

「ふぅん、そうかそうか……って、男ぉ?!げぇ、マジかよ」

 男だと知った途端に彼は態度を一変させ、ルークから興味を失ったようだ。

「そんなヒョロいナリで戦えんのか?簡単にやられんなよ。ま、国の一大事だか何だか知らねぇが、今回の手柄は、この俺様が頂きだぜ」

 そう言って、したり顔で自分を指す男。自信満々といった様子だが、見た目通りまだ若く、武術も習熟している途中のように見える。

(こういう覚えたての時期が、自信過剰になりがちで一番危ないんじゃがのう……)

 年長者のギルバートは、経験則としてそれを知っていた。

 少し腕に覚えがあるからと万能感に浸り、はしゃぎすぎて身を滅ぼした若い戦士を、彼は多くその目で見てきた。

 横からそんなことを考えるギルバートを余所に、男はキラへと向き直り自己紹介を始めた。

「俺はディック。ディック・オークウッド。西部の田舎から、手柄を立てるためにやってきたんだ。君は、お名前何てーの?」

 聞かれてもいないのに、ペラペラとよく喋る男だった。

 こういう下心を隠そうともしない男は、むしろ呆れを通り越して清々しいくらいだが、キラは真面目に受け答えをしていた。

「私はキラです。この人はルークさん。隣のお爺さんがギルバートさんです。実は私、記憶を失くしていて、自分探しを手伝ってもらってるんです」

「キラちゃんか、いい名前じゃねぇの!けど記憶喪失ってなるもんなんだな、俺は初めて聞いたぜ。俺さ、この国に仕官しようと思ってきてるんだ。ここで手柄を立てれば、いい条件で雇ってくれそうだしさ、大チャンスだよな」

 戦功を立てて、それを足掛かりに正規軍への仕官を目指す。ルークも革命戦に参加する中で、そんな傭兵達を見てきた。

 今回は国のトップに立つカイザーが狙われる一大事、活躍すれば国家元首である彼の前で直々に自分を売り込める。男の言うとおり、またとないチャンスである。

 そのディックと名乗るおしゃべり好きな男は、その後もキラに向かって話し続けた。

 ルークとギルバートも隣でそれを黙って聞いており、割って入ろうとはしなかった。

 馬車に揺られながら二人の会話は弾んだが、やがて義勇兵の一人がディックの会話を止めさせた。

「静かにしろ、若いの。そろそろ現場だ」

 彼の言う通り、馬車は程なくして街の東の砦前に到着した。

 連合軍は残党に包囲された砦から少し距離を置いて布陣し、そこに司令部を置いているようだった。義勇兵が集まるのを待って、足並みを揃えて攻撃を開始するつもりのようだ。

 前線からはまだ離れているが、周囲にはピリピリとした緊張感が漂っている。

 肌を刺すようなその空気に、ディックとの長話で緊張が緩んでいたキラは身をすくめた。

「よっし、ひと暴れしてくるか!今日のヒーローは、このディック様で決まりだぁ!」

 早く槍を振るいたくてうずうずしていたのか、ディックは真っ先に馬車を飛び降りた。

 そして振り向くと、キラに向けて親指を立てウインクして見せた。

「今日の勝利は君に捧ぐっ!じゃあな!」

「早く行け若造。後が支えてんだ」

 他の義勇兵に押された彼は、今度は凄まじい勢いで本陣に集結する部隊に向かって走っていった。ともすれば、そのまま単騎で戦場に突っ込んでいきそうな勢いである。

「どれ、ワシらも行くとしよう」

 他の戦士と共に、三人も馬車を降りた。


 キラ達が連合軍救援部隊の本陣に到着したのと時を同じくして、本陣に合流する軍団があった。全員が黒ずくめの鎧兜に身を包み、掲げている旗には黒いひし形の中に槍と斧が交差する印章が描かれていた。

 アルバトロス領の更に西、大陸西端部の中小規模の国が入り乱れる辺境の地からやって来た、領主が率いる精鋭の騎士団だった。

 西部の小国ラスカの領主、クラウス・リチャードソン子爵はカイザーの新政権に賛同し、アルバトロス連合に加盟するために自ら騎士団を伴って首都を目指していた。

 その途中でこの事件に遭遇し、今はまだ正式に連合軍の一員となっていないものの、友軍として加勢するため救援部隊に加わった。

「ううむ、まだ情勢が不安定とは言え、とんでもないことになったものよ」

 軍団の先頭を歩くクラウス・リチャードソンは、そう呟いた。

 中背で顔立ちも平凡、あまり特徴のない見た目をしていたが、彼の率いる黒鉄騎士団は西方諸国の間でも精強であると噂されている程だった。

「主様、これも好機でございます。我々の力を見せ、連合の一員に迎えてもらうには絶好の機会と言えましょう」

 隣を歩くのは、黒いローブに身を包んだ長い銀髪の女性だった。

 名をナスターシャと言った。クラウスの側近の一人にして、騎士団の参謀を務める。

 更にクラウスを挟んで反対側には、鎖帷子を着込んだ大柄な男。強面の顔をフードで覆い、首には変わった形の聖印の首飾りを下げていた。

 彼がもう一人の側近であり、黒鉄騎士団随一の猛将と恐れられた、トマス・ファン・ダイクである。

 慌ただしい中、連合軍の部隊はクラウス率いる騎士団を本陣に迎え入れた。すぐさま士官と思しき軍服の女性が、クラウス達三人の前に現れる。

「ラスカ領の、リチャード様と黒鉄騎士団の皆様ですね?どうぞこちらへ」

 連合国側も、事前にラスカの連合加盟の意向を書簡で確認していたので、受け入れはスムーズだった。だが問題は……。

「トマスよ、また間違われた」

 女性士官が話しかけていたのは、クラウスの隣のトマスにだった。彼を領主と間違えていたのだ。

 地味で目立たないクラウスに対して、隣に立つトマスは強面で存在感のある大男であったため、よく誤解される。同時に、リチャードソンという姓も何かと名前に間違えられやすい。

「これで何度目になる。いい加減、矛を抜いてもよいか?」

 クラウスは露骨に機嫌を損ねた様子で、女性にではなく隣のトマスに話した。彼女とは目も合わせようとしない。

「クラウス様、今は堪えてください」

 そう言うと、トマスはひとつ咳払いをして訂正する。

「こほん。こちらのお方が、ラスカ領主、クラウス・リチャードソン子爵であらせられる。私はその側近のトマスと申す者」

「えっ、そっちの地味なのが?……あ、いえ、失礼しました。本陣へご案内します」

 その言葉を聞き逃さなかったクラウスは、余計にむくれた。眉間に皺を寄せ、口をへの字に結ぶ。

「また地味と言われた。人を見た目でばかり判断しおって、これだから女というものは……」

「主様、今だけの辛抱です」

 微妙な空気を漂わせながら三人は案内に従って進む。

 連合軍の野戦司令部には、正規軍の中で最も地位の高かった将が総大将となって進撃の準備を行っていた。

 先程の女性士官が、救援部隊を纏める司令官にクラウスの到着を告げる。

「司令、ラスカ領のリチャード卿が到着しました」

 連合軍司令は、飛び入りで参戦したクラウス達黒鉄騎士団に好意的な顔を見せる。何せこの窮地、猫の手も借りたい。

「リチャード子爵、この危機によく来てくれた。歓迎しよう」

「この状況、捨て置けぬ。そして私はリチャードではなく、リチャードソン。それも捨て置けぬ」

 出迎えの女性士官の時とは違い、クラウスは相手の顔を見ながら訂正した。

「これは失礼、リチャードソン子爵」

「ついでに言わせてもらうが、以後案内の者は心ある男性をよこして頂きたい」

 女性士官にいたく立腹していたクラウスは、本人の前で司令にそう言い放った。

「あ、ああ。了解した」

 答えつつ司令は女性士官に『何かしでかしたのか』と目で尋ねるが、彼女は何が至らなかったかよく分からず首を振るばかりだった。

 クラウス達が救援部隊の心臓部に到達した頃、キラ達もまた司令部を訪れていた。

「義勇兵の一員かね?まずは指示に従って部隊編成に……」

 そう言う総大将に、ルークはまず自分が何者であるかを名乗る。

「私はルーク・クレセント。作戦に加わる上で、ひとつお願いしたいことがあります」

 その名を聞いて、司令部の将達がざわついた。

「ルーク・クレセントだって?革命戦の英雄の?」

「確か、皇帝を討ち取った将だったよな?」

 ルークの名は連合軍の中ではよく知られている。カイザーと共に革命戦を戦い、皇帝をその手で討ち取って軍を勝利に導いた英雄。ちょっとした語り草だった。

 勝利の祝宴でカイザーの言う通り表彰台に登っておいてよかった、とルークは内心思った。

「ほう、あの者がルーク・クレセントか。噂には聞いていたが」

 そのやり取りを見ていたクラウスが頷く。ルークの名声は彼らの耳にも届いていた。

 隣に立つトマスも口を開く。

「確かに、かなり”出来る”人物と見えます。更に言うと、横のあの老人も相当に」

 飛び交う噂話を手で制し、総大将はルークに尋ねる。

「君が何者かは分かった。それで、要求とは何かね?」

 ルークはキラの手を引いて前に出た。

「彼女はキラ。私の連れで、一般人です。私が戦列に加わる間、彼女を保護してください」

 司令部の全員の視線が、キラ一人に注がれる。

 彼女は緊張感に身を強張らせ、思わず生唾を飲み込んだ。

「そういうことならば、その者の護衛は我々の部隊が引き受けよう。ちょうど、部下の一人に後詰めを任せる予定だったのだ」

 ここでクラウスが買って出る。彼は側近のナスターシャを、後方での兵站任務に当てようと考えていた。

「では任せよう。我々も人手が足りんのだ」

 ちょうどいいと、司令官もそれを承認する。彼としては、民間人一人のお守りに兵力を割かれるのはあまり好ましくないと考えていたからだ。

「ありがとうございます。あなたは?」

 連合軍の装備とは異なる黒い甲冑を着たクラウスに、ルークは尋ねた。

「私はクラウス・リチャードソン。率いているのは黒鉄騎士団だ。彼女の安全は私が保証しよう」

「黒鉄騎士団……!あの、西方の」

 その名はルークも以前聞いたことがあった。

 帝国時代、アルバトロスは周辺諸国を次々と侵略して領土を拡大していったが、大陸西端を支配する前に反乱軍の動きが活発化し、内乱で侵略の手が止まった。

 だが帝国軍の兵力に物を言わせて押し切れば、田舎の小国程度なら潰せたはずだ。それができなかったのは、黒鉄騎士団を含む西部諸国の軍が中々に手強く、力押しで攻めきれないからという話はルークも耳にしていた。

 かつては帝国軍の手を焼かせた精鋭が、今は新体制の味方として参列してくれるようだ。

「そなたの名は私も聞いておる。共に戦おうぞ」

 そう言ってクラウスは右手を差し出す。

 ルークはその手を取り、固い握手を交わした。

「彼女をどうか、お願いします」

「任されよ」

 クラウスは力強く頷くと、側近のナスターシャを呼び寄せ指示を出す。

「ナーシャよ、予定通り後詰めを任せる。彼女の身柄の保護も同時にな」

「かしこまりました」

 一方、ルークはキラの肩に手を置いて言い聞かせた。

「キラさん、私が戻るまでは騎士団の方の指示に従ってください。私はハルトマン将軍のところへ」

「はい。えっと、気をつけてくださいね……」

 キラは少々不安そうにしながらも、力強くルークの目を見つめ返す。

 やがて彼は手を離し、ナスターシャにキラを委ねた。

「あの、ありがとうございます。お世話になります、クラウスさん」

 キラに頭を下げられたクラウスは、先程とは打って変わってしどろもどろになり、彼女から目を逸らして視線を泳がせる。

「あー、う、うむ……。よいぞ……」

 そのままナスターシャに連れられ、キラは後方の拠点へと向かった。

「私はナスターシャと申します。短い間ですが、よろしくお願いします」

 歩きながら、ナスターシャはキラに名乗って会釈した。

「いえ、こちらこそ……!」

 答えつつ、キラはナスターシャの顔立ちや見事な長い髪に目を留める。

(きれいな人だなぁ)

 背はキラよりも高く長身で細身、肌は雪のように白く、黒いローブを着ているためより際立つ。顔立ちも整っており、物静かな印象を受けた。腰まで届く見事な髪はなめらかで、流れるようになびいた。

 兵站拠点に到着すると、近くの椅子でキラを休ませ、ナスターシャは前線の部隊への補給支援の指揮を執り始める。次々と搬入される物資の送り先を、彼女はテキパキと指示していった。

(凄いなぁ。女の人なのに堂々としてて……)

 戦場は男の世界である中、何かと低く見られがちな女性がこうして活躍している姿は、キラの目に鮮烈に焼き付いた。

 慣れた様子で部隊を指揮し、また部下の騎士団員も彼女を信頼し尊敬していることが伺えた。

 後詰めの指揮を行う傍ら、ナスターシャはそわそわと落ち着かない様子で座るキラに話しかけた。

「ただこうしているというのも退屈でしょう。私でよければ、話し相手になります」

 キラの緊張を少しでもほぐしてやろうという、彼女なりの気遣いだった。

 キラは今回はそれに甘んじて、ナスターシャに問いかけてみることにした。

「あの……。私が挨拶した時、クラウスさん何だか怒っていませんでした?もし失礼なことをしたなら、ちゃんと謝りたいんですが……」

 クラウスが目を逸らしてどもっていた姿を見て、キラも普段の様子とは違うと感じていた。

 それを聞いたナスターシャは、首を横に振る。

「いいえ、あなたのせいではありません。主様は……以前より、女性を苦手となさっておられます」

「それはどうして?」

 複雑な問題かも知れなかったが、ついキラは疑問が口をついて出た。

「過去にとても、とても酷い仕打ちを……。裏切られたのです。これ以上は私の口からは申せません。他にも、女性から軽んじられて気分を害されることも多く……」

 クラウスはその平凡な外見と、そして生来の身体の弱さを抱えており、そのことから男性としての尊厳を踏みにじられることが何度もあった。

 ナスターシャが『自分には語れない』と言った出来事もあり、クラウスが女性に強い嫌悪感を抱くようになるのに、そう時間はかからなかった。

「そうなんですか……。あ、でもナスターシャさんも女性ですよね?大丈夫なんですか?」

「幸い、私は特例として扱って頂いております。私としても、恩義ある主様に忠誠と憧憬を抱きこそすれ、軽んじるなど以ての外です」

 そう言って、ナスターシャは離れた本陣へと目を向けた。その先には騎士団と共に待機するクラウスがいる。

「尊敬してるんですね、クラウスさんのこと」

「勿論です。私の命も血肉も全て、最後の一欠片まで主様に捧げた物。これが私にできる精一杯です」

 それは忠誠心を超越し、もはや盲信と言って過言でないものだった。

 彼女はクラウスこそ絶対としており、彼に付き従いその意向を忠実に実行することに生き甲斐を見出していた。

「……恩義って言ってましたよね?そこまで想う、何かがあったんですか?」

 初対面の相手に厚かましいかも知れないと思いつつ、意を決してキラは尋ねた。

 ただでさえ、男所帯の軍隊で活躍する紅一点にして兵卒を率いる将、主に固い忠誠を誓い、命の危険を顧みず戦場に立つ女性。その存在に、キラは強く興味を惹かれた。

 何故ナスターシャはそこまでしてクラウスに尽くそうとするのか。彼女の戦う理由の原点とは何なのか。キラは知りたかった。

 しばし、ナスターシャは遠くの地平を見つめて沈黙した。まるで懐かしい思い出に浸るかのように。そしてゆっくりと口を開く。

「私はご覧の通り、魔道を志していました。しかし、魔法とは生まれ持った才能に大きく左右される世界。私には才がありませんでした。師に捨てられ、行く宛もなくただ朽ち果てる運命だった私に、唯一手を差し伸べて道を示して下さったのが主様です」

 キラは魔法を自在に操るルークをずっと見てきたためあまり意識しなかったが、魔術師になるには魔力の才能が必要不可欠だった。そして、それを持つ者はほんの一握りに過ぎない。

 生まれ持った個人の資質に依存する魔道の世界では、魔力の弱い者が魔術師を目指しても、三流にすら辿り着かないのが現実である。

 ナスターシャのように、魔術師になろうとしてなれなかった者は数多くいる。そして師である魔術師に見放された弟子の末路は、どれも悲惨なものだった。

「そんなことが……」

「私は主様に救われたのです。ですからこの命は主様の物。主様の役に立つことが、今の私の存在意義です」

 キラが思う以上に、クラウス達は強い絆で結ばれているようだった。

 主に全てを捧げる家臣と、それに応え導く主君。キラはナスターシャのことを知る中で、自分もまた誰かのために何かをしたいと思い始めていた。


To be continued

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