第4話 『革命の呼び声』

 サイラスとの会合後も、ルークには幾つかの任務が与えられた。

 カイザーは決して無茶な要求はせず、ルークは期待に応えるように、着実に仕事を成功させていった。

 内容自体は比較的簡単なもので、味方の護衛から敵の尾行、市民に紛れての連絡員など地味なものが多かった。

 任務をこなす傍ら、革命軍の一員としてルークには戦闘訓練も課せられた。

 模擬戦では加減のし辛い魔法は危険なので原則として使用禁止だったが、彼は剣術にも長けており、練度の高い正規兵ですら一対一の勝負では圧倒する。

 任務や訓練をこなしながらも、ルークは城に囚われたというキラのことを考えていた。

(キラさんは無事だろうか? 今すぐにでも助けに行きたいが……)

 攫われたあの時以来、キラを案じない日はなかった。

 だが単身で城に突入するわけにもいかず、ルークは逸る気持ちを抑えて来たるべき時を待つ。

 皇帝の暗殺だけならば刺し違える覚悟があればできなくはないだろうが、キラを無事に救出するとなれば話は別だ。

 敵の要人を暗殺するより、味方の要人を救出する方が遥かに難しい。

 これは、ルーク一人では不可能なことだった。

 どうしても、カイザーの部隊の組織力が要る。

(急がば回れ、だ。焦るな、チャンスは必ず来る)

 焦る心を表には出さずに、ルークは今日もまた、カイザーの部隊の兵士に半ば稽古をつけるような形で、訓練を行っていた。

 城下町で乱闘を行った時と同じように、片手剣サイズの木剣を右手に持ち、左手は空けて構える。

 魔法は使わないが、ルークはこの型が慣れていた。

 相手の兵士は右手に剣、左手に盾というスタンダードな装備で、ルークとは逆に盾を持つ左半身を前に出して構える。

 大陸に伝わる基礎の型のひとつ、『犀(ライノ)』と呼ばれる流派だ。

 最初は相手のペースに合わせて攻撃をいなしつつ、適当なところで左手を用いてフェイントをかけ、気を取られた相手の木剣を絡め取って払い落とす。

 犀の型は攻守のバランスに優れた剣術であり、盾によるガードを崩して一本取るためには一工夫要る。

「勝負あり!」

 ルークが相手に木剣の先端を突きつけると、審判役の兵士がジャッジを下す。

「基礎はできています。しかし想定外の動きに弱いようですね。柔軟に対応できるよう、訓練を続けて下さい」

 稽古をつけている彼らは、来るべき時にルークの部下として重要な役割を担う精鋭達だ。

 ルークはしごき過ぎないよう気を使いつつ、兵士達を鍛えてその日に備えていた。

 流石に精兵と言うだけあって、かつてルークが戦った街の番兵とは比べ物にならない。

 ここの兵士達十数人に取り囲まれたら、魔法を解禁しても一人で戦えるかどうか怪しいだろう。

 そんな選りすぐりの兵士に、ルークは更に訓練で剣術を教えて練度を高めていた。

 クーデター決行の日に備えて兵を鍛えることが目的だが、同時に人に教えるのはいい勉強にもなる。

 ルークもまた、帝都アディンセルでの潜伏で鈍りかけていた剣術の感覚を取り戻しつつあった。

「……次」

 ルークの指示に従い、次の兵士が交代してリングに上がる。

 今度の相手も『犀の型(ライノ)』で木剣と盾を構えた。

 まずは守りを固めながら相手の出方を伺う。

 兵のガードにほころびを見つけたルークは、大きく踏み込んだ鋭い突きで守りを崩す。

 相手は体勢を崩して、その場に倒れ込んだ。

「まだ守りが甘いですね。隙が生じないよう、型を徹底して下さい。さあもう一度」

 お互いに距離を取って、仕切り直しとなる。

 再び相手の隙を伺う睨み合いの後、今回も兵士の側が先に動いた。

 盾を突き出しながら接近してルークに切り込むが、今度は初手から軽くいなされ逆に隙を晒してしまう。

「踏み込みが足りません。攻める時はもっと思い切るように」

 再び仕切り直しから始まり、兵士は今度はより深く踏み込んで木剣を振り下ろす。

 ルークがそれを受け流すと、相手も咄嗟に盾で防御姿勢を取り、続けて次の手を打つ。

 木剣同士がぶつかり合う音が、訓練場にテンポよく響き渡った。

 そこへ更に、試合を見物している他の兵士の声も加わる。

「おお、いいぞ! そこだ!」

「危ねぇ、バックステップしろ!」

「ほらそこですぐカウンター! 切り返せ切り返せ!」

 仲間からの応援を受ける兵士と何度か激しく切り結んだ末、ルークの木剣の切先部分が兵士の額にぶつかる寸前に突き付けられる。

「勝負あり!」

「いい動きです。今の感覚を忘れず、身体で覚えて下さい」

 訓練試合を終えた兵士は、息を切らしながらルークに頭を下げた。

 対するルークは少し呼吸を乱したものの、すぐに落ち着きを取り戻す。

 リングから下りた対戦相手は、周りの兵士達から健闘を讃えられた。

 何度か失敗しつつも、師範のルークといい勝負に持ち込んだということで、彼は仲間から一目置かれるようになったようだ。

「どうだ、兵の仕上がりの方は?」

「ハルトマン将軍……」

「よう、仕事ぶりを見に来たぞ」

 カイザーが副官のジョイスを連れて、訓練場を訪れた。

 どうやら少し前から試合を見ていたようだ。

「そうですね、見ての通り、あと少しで練度は十分と言えるでしょう」

「将軍の部隊の中から、選りすぐりを集めましたからな。精鋭中の精鋭です」

 今度はジョイスが頷いて口を開いた。

 彼の言葉通り、ルークに預けられた兵は普通の帝国兵よりも頭一つ飛び出ている。

 作戦の要を任されるだけのことはあるだろう。

「ところで、だ。お前も教えるばかりで、少し飽きてきたんじゃないか? どうだ、ジョイスと腕試ししてみないか」

「彼とですか?」

 ルークはカイザーの隣に立つジョイスに目を向けた。

 筋骨隆々で、見るからにパワーとスタミナに優れた生粋の戦士だ。

 まず正面から打ち合って、勝てる相手ではないだろう。

(それにハルトマン将軍が側近として置いている以上……実力は帝国の武将でも抜きん出ているはず)

 どこかとぼけた顔をしているが、ルークはこの相手は温厚で鈍重そうな容姿とは裏腹に激しい闘争心を内に秘めた、熊のような男に違いないと半ば勘で判断した。

「一対一の決闘(デュエル)で5回勝負、3本先取だ。言いたいことは分かるぞ、だからハンディとしてお前は1本でも取ったらそれで勝ちだ。この条件でどうだ?」

 条件からするに、カイザーはジョイスの腕に余程自信があるらしい。

 だがルークはカイザーと一戦交えた時に、手も足も出ず敗北する程に力差があったことを知っている。

 そのカイザーが重用する男だ。

 もしかしたら、カイザー以上の豪傑かも知れない。

「随分と大きなハンディですね。ジョイスさんは、それでいいのですか?」

「いいですとも。私としても、ルーク殿の剣術は一度見ておきたかったですからな。お手合わせ願いましょう」

 ジョイスと共に、ルークは再びリングに上がった。

 カイザーが見届人として、その試合をつぶさに見ている。

 ルークはいつも通り片手剣サイズの、刃のない練習用の木剣を手に取る。

 変わらず左手は盾などを持たず、空けたままだ。

 一方のジョイスは何も手に取らず、ただ篭手を模した厚手の布を両腕に巻いただけだった。

(徒手空拳? ナメられている……わけではなさそうだ。この男、体術使いなのか……!)

 普通に考えて、革や鉄の防具を着込んだ相手に素手が通るはずがない。

 なので戦場ではまず体術使いなどお目にかかれないものなのだが、ジョイスは文字通りに己の腕一つで戦いを生き抜いてきたようだ。

 大柄な骨格とそれを覆うはちきれんばかりの筋肉を見るに、この男ならば本当に素手で戦場を駆け抜けかねないとルークは思った。

 二人が準備を終えてリング上で対峙すると、模擬戦を見守る周りの兵達から歓声が上がる。

「ヒューッ! カーパー隊長とクレセント隊長の一騎打ちだ! どっちが勝つか賭けようぜ!」

「やめとけやめとけ。相手がカーパー隊長じゃ、勝負にならねぇって」

 試合が始まる前からギャラリーは大変盛り上がり、早速賭博が始まる。

「クレセント隊長が逆転に、銀貨5枚賭けるぜ!」

「んじゃ俺もそっちだ!」

「俺は断然カーパー隊長だね! あの人が負けたところを、俺は知らねぇんだ」

 リングの周りはお祭り騒ぎのような喧騒に包まれるが、そんな中一人だけ黙して観戦する男がいた。

「………………」

 カイザーである。

 彼は何も言わず真剣な眼差しで、リング上の二人を見つめていた。

 やがて試合開始の合図が下される。

(相手は体術、リーチの短さを補うためにカウンターを主体とした、守りの戦法を取ってくるはず。相手の必殺の間合いに入らないように……)

 ルークはいつになく慎重に、ジョイスの出方を伺った。

 この試合の勝敗で報酬が出るわけでもないが、実戦だと思って本気で目の前の強敵に挑む。

 思った通り、ジョイスは両腕でガードを固めながら少しずつ前進してくる。

 ルークから向かってくるならそれでよし、そうでないならリングの端に追い詰めて、どの道格闘の射程内に収める気だ。

(迂闊な攻めは禁物。だが守ってばかりではジリ貧……。やはり正面からは勝てないか)

 ルークは足止めを目的として軽い攻撃で牽制を行ったが、どれも両腕で防がれてしまい、そこから次の手に繋がらない。

 かと言って下手に大振りに出れば、痛恨のカウンターが待っていることは明白だった。

 そしてジョイスの守りは想像以上に強固だった。

 何度か左手も使ってフェイントも織り交ぜてみたが全く動じず、決め手に繋がる隙が生まれない。

 ならば、とルークは大振りの攻撃に出るふりをして、持ち前の俊敏さを活かしてジョイスの視界外へ飛び出す。

 そこから側面攻撃へ繋げようとするが――。

(くっ、読まれていた?!)

 死角からの攻撃にも関わらず、ジョイスは腕でルークの一撃を受け止めた。

 その瞬間、木剣から伝わる手の感触にルークは思わず違和感を覚えた。

(硬い、硬すぎる。まるで鋼鉄の鎧に弾き返されたような感覚だ……!)

 ジョイスが腕に巻いているのはただの布で、本物の篭手ではない。

 生身の人間に木の棒を叩き付けて、こんな感触が帰ってくるのは初めての経験だった。

 ルークの戸惑いも一瞬のこと、攻撃を受け止めたジョイスは振り向くともう片方の腕で反撃を繰り出す。

 ルークは攻撃失敗と判断した時点で、回避に動きを切り替えたため何とか避けられたが、そうでなければ既に1本取られていただろう。

(パンチは鋭い。が、全体の動きそのものはそれほど敏捷ではない……。私が優位に立てるとすればその点!)

 今のやり取りで少し感覚を掴んだルークは、スピードを武器にジョイスに一太刀入れようと動き出す。

 素早い動きで回り込んで撹乱し、動揺を誘う。

 ルークは今、かつて実戦で見せた魔法剣士の型ではなく、構えはそっくりだが『蟷螂(マンティス)』と呼ばれる体術を織り交ぜた剣術を用いていた。

『蟷螂の型』の特徴はその汎用性であり、わざと空けた左手で様々な動作を行う。

 パンチによる追撃、実戦であれば投げナイフなどの飛び道具の使用、トドメの一撃を入れる際には剣の両手持ち。

 何でもできるがゆえに、習う技の方向性を決めておかないと器用貧乏になってしまう。

 魔法が禁止というルール上、ルークは『蟷螂(マンティス)』の強みである左手の動きを駆使してジョイスのミスを狙った。

 だがジョイスは一向に動じず、正確にルークの攻撃を篭手部分で受け止めた。

 そしてついに、ルークの回避タイミングを予測したジョイスの腕がルークを掴む。

 次の瞬間、ルークの視界は反転し、天地が引っくり返ったような感覚に襲われる。

 投げ飛ばされ、リングに仰向けに倒れて天井を仰いでいるのだと気付いたルークは、咄嗟に起き上がった。

 目の前には、ジョイスが仁王立ちしていた。

「一本!」

 ジャッジが下される。

 ルークにはあと1回チャンスが残されているが、ジョイスに2本取られれば負けが決する。

「もう一度」

「その意気やよしですぞ」

 ルークは木剣を構え直し、ジョイスも両腕でガードの構えを取る。

 ワンパターンになって読まれないよう、ルークは細心の注意を払った。

 時に正面から軽くつつき、かと思えば後ろに飛び退いて距離を開け、踏み込むかと思いきや側面へ回る。

 これらの動きは『蟷螂の型』ではなく、『燕(スパロー)』と呼ばれる機動力を武器とした剣術のものだった。

 剣士としては非力で力押しに弱いルークは、弱点を補うために持ち前のスピードを活かせる『燕の型』も習得していた。

『燕の型』の特徴はとにかく素早く動き、相手を撹乱すること。

 そのため時に無駄な動作や隙も生じるのだが、動き続けて相手に捉えさせないことで補っている。

 並の相手ならばとっくにルークを見失っているはずだが、ジョイスは的確なガードでルークの攻撃をいなし続けていた。

(まるで後ろに目があるようだ! 戦い慣れしている……。魔法なしの勝負では1本取れるかすら……!)

 だがルークは諦めていなかった。

 思えばただの試合だが、彼も勝負に熱くなっていた。

 1本取れなかったとしても、何か目に物見せることはできないか。

(隙は……隙はないのか?! 攻め込む隙は!)

 まるで巨大な岩と戦っているかのような錯覚を、ルークは覚えた。

 思えばジョイスは試合開始から、ほとんど大きな動きを見せていない。

 山のようにどっしりと構え、多方面からの攻撃をさばき続けている。

 この男に前も後ろもない。

 どの向きから打ち込んでも、硬い感触が帰ってきて跳ね返される。

 表面上は平静を保っていたが、内心の焦りを見透かされたのかルークは踏み込みすぎた瞬間を狙われ、右腕をジョイスに取られ関節技を決められてしまう。

「一本!」

 ジャッジが下され、ジョイスは手を離す。

 想像通りの凄まじい力だった。

 一度捕まえられては、抜け出すことは困難だろう。

 ルークは呼吸を整えつつ、観戦しているカイザーへ視線をやる。

 カイザーはただ、眉一つ動かさず試合を静観していた。

 ルークはそれを見てプレッシャーに感じるどころか、心を落ち着けて気持ちを切り替えた。

「ついにクレセント隊長も後がなくなったな。このままカーパー隊長のストレート勝ちかぁ?!」

「最後までわからんぞ! クレセント隊長の逆転勝ちに、もう銀貨3枚賭ける!」

「ああ、こりゃ行けるかも知れねぇ。『鉄壁のジョイス』相手で、あそこまでやったのは初めて見たからな!」

 外野はますますヒートアップを見せるが、ルークの耳にはそんな声は届いていなかった。

 不要な情報は頭から閉め出し、ジョイスの一挙手一投足を呼吸リズムまで正確に感じ取る。

(剣だけでは勝ち目はない。だが、後がなくなって踏ん切りがついた……。一本取れなくとも、一矢報いる!)

 ルークは覚悟を固め、再び剣を構え、そして『燕の型(スパロー)』特有の俊敏なステップを踏んだ。

 ジョイスもジョイスで、ルークの動きの変化を敏感に察知していた。

(ほう、覚悟を決めたか。守りを捨ててギリギリを攻めてきている……。こういう相手ほど、気が抜けない)

 追い詰められた相手が一番危険なことを、戦場の経験からジョイスは熟知していた。

 最後の最後で勝敗を投げ打って向かってくる相手は、どんな手に出るかわからない。

 それで痛い目を見たことも何度かある。

 今まで手を抜いたわけではないが、ジョイスはより一層警戒してガードを固めた。

 ルークは唯一ジョイスに対抗できる強みである、速さを活かした一撃離脱を取り続け、今までと同じように正面から踏み込むフェイントをかけてくるが……。

(いや、これは虚ではない、正! フェイントと見せかけて正面から向かってくるか!)

 側面攻撃に備えていたジョイスは、咄嗟に前方の守りを固める。

 受けて立つつもりだ。

(やはり見抜いた! だが!)

 裏の裏をかく戦術が見破られることは、ルークにとっては想定内。

 勝負はその先にある。

 中段から突きを繰り出すように見せかけ、ルークは激突する直前でスライディングで足元へ踏み込んだ。

 ジョイスはすかさず腕を下げてギリギリでガードする。

 すかさず反撃がくるが、ルークは射程外へ飛び退こうとはしない。

 見切って紙一重で避けると、密着したままジョイスの肩目掛けて木剣を振り下ろす。

 ジョイスはガードが間に合わないと見るや膝蹴りで跳ね飛ばそうとするが、ルークは体勢を崩しながらもギリギリのタイミングでそれをかわす。

 そして最後の一撃、足に向けての一突きを繰り出すが――。

「一本!」

 審判の声と共に、訓練場にどよめきが響き渡る。

「どっちだ、どっちが勝った?!」

「カーパー隊長か、クレセント隊長か?!」

 慌ただしい外野とは裏腹に、リング上の二人はとても穏やかで落ち着いていた。

 至近距離で組み合ったまま、じっとして動かない。

「……流石は将軍の右腕。私の負けです」

 ルークの突きがジョイスの足に命中するよりも一歩早く、ジョイスの拳がルークの頭部に突き付けられていた。

「捨て身の戦法、しかし最後まで冷静さは失わず。見事な太刀筋で」

 二人は同時に構えを解いて離れた。

 すると周りの兵士達から、拍手喝采が沸き起こる。

 一矢報いようと奮戦したルークにも、最後まで勝ちを譲らなかったジョイスにも、惜しみない拍手が贈られた。

「いやぁ危ない。パンチが間に合ったからよかったものの、遅れていたら一本取られておりましたな」

「私も、帝国の戦力を甘く見ていたかも知れません。これほどの豪傑が軍に居たとは」

 試合を終えて感じたことは、ジョイスが敵でなく味方でよかったということだった。

 ここまで恐るべき敵もそう居まいが、仲間として戦ってくれるのならばこんなに心強いものはない。

 ルークは魔法が禁止されていたため全力とは言い難いが、それでも『蟷螂』、そして『燕』の剣技で死力を尽くしたつもりだ。

「久々に楽しい試合でしたぞ。まずないでしょうが、一度本気で勝負をしてみたいものですな」

「その時は、お手柔らかに」

 恐らく戦場で敵として出会ったら、よくて刺し違えるまでが限度だろうとルークは感じていた。

 だが捨て身で挑めば、命を捨てる覚悟をすれば、絶対に敵わない相手ではないと確信した。

「お疲れ。久しぶりに、気合の入った勝負が見れた。最後のは目が離せなかったぞ」

 リングを下りたルークに、拍手をしながらカイザーが話しかける。

「確かに、将軍が重用するだけのことはあります。大陸有数の剛の者でしょう」

「そうだろう。俺でも勝てるか怪しいからな」

 カイザーは何故か自慢げにそう言った。

「……余程信頼しているようですね」

 ルークがそう言うと、カイザーはリングで乱入してきた部下と陽気に戯れるジョイスを見やった。

「まあ、あいつとは言わば同志だからな。同じく国を変えたいと思って、一緒にやってる。俺が駈け出しの武将だった頃からの『相棒』さ」

「『忠臣』ではなく『相棒』ですか」

 その言葉には、主従関係だけでは計りきれない強い信頼と、そして親しみが込められているようにルークは思った。

 カイザーは部下としてではなく、一人の人間としてジョイスに絶対的な信頼を置いているのだ。

「あなたのことが少し、分かった気がします」

 最初ルークはカイザーの人使いについて慎重に見守っていたが、副将のジョイスとの信頼と言い、部下とはかなり良好な関係を築いていることが分かってきていた。

 彼の人柄、人徳でもあるだろう。

 自然と優秀な人材を惹きつけて確かな絆で結ばれる、そんな素質がカイザーにはある。

 もしクーデターが成功して、帝国の行く末がカイザーに委ねられたとしたら、彼はうまくこの国を動かしていくに違いない。


 ジョイスとの試合から数日後、カイザーについての理解も深まり、彼の部下とも信頼関係が出来上がってきた時のことだった。

 その日、ルークは書類の整理を一段落させて帝国軍の砦内を歩いていた。

 書類の束を抱えながら部屋を移動しようとしていた彼だが、正面から向かい合わせに歩いてきた他の士官が突然方向転換し、勢い良くルークにぶつかってきた。

 ルークは避けきれず突き飛ばされて尻もちをつき、書類が床に散らばる。

 咄嗟にぶつかってきた相手を見上げると、無精髭を生やした見るからに陰気で意地の悪そうな顔立ちの男だった。

 歳は30代くらいでカイザーと同年代に見えるが、人相はまるで違う。

 軍服につけている階級章は主将のもので、今のルークは表向き副将という立場にいる。

 悲しきかな、ここで下手に”上官”に歯向かって騒ぎを起こすわけにはいかない。

「すみません」

 ルークはそう謝ってから落とした書類を集めようとするが、取ろうとした書類を相手の男は踏みつけて妨害する。

「何だぁ貴様? 上官にぶつかっておいて、その態度は」

 男はルークが自分より地位が下の副将と見るや、薄ら笑いを浮かべて実に楽しそうにいびり始めた。

「まったく、近頃の士官は礼儀というモノを弁えておらんな! 女のくせに士官気取りなどするから、こういうことになるのだ」

(……これはまた、面倒なのに目をつけられたな)

 軍服の紋章から、所属はカイザーの部隊ではないことが分かった。

 つまり運悪く帝国軍の中で居合わせた、カイザーの息のかかっていない”普通の”帝国軍人である。

 帝国軍の将兵の悪評はルークも散々聞いてきたが、目の前にいる武将は今まで耳にしたどの評判よりも酷そうだった。

 そして毎度のごとく、男はルークを見た目で女性だと勘違いして、色目を使いながら話し続けた。

「教育がなっとらんのだ、教育が! どれ、このワシが直々に礼儀の何たるかを、みっちり仕込んでやろうではないか」

 下卑た笑みを浮かべながら男が手を伸ばしてきたその時、別の士官がルークに助け舟を出した。

「ルーク、将軍がお呼びだ! 書類はいいからすぐに来い!」

 声に聞き覚えがある。カイザーの部隊の武将の一人だ。

「将軍がお呼びですので、失礼します」

「ふん……」

 男の粘りつくような視線を背中に受けながら、ルークはその場を後にした。

「奴には困ったもんだ。君も、厄介なのに絡まれたな」

「あの男を、ご存知なのですか?」

 ルークが尋ねると、味方の武将は心底嫌気が差したような顔で語った。

「オルソ・ダッツィ。悪い意味でここじゃ有名だ。上官にはゴマをすって媚びへつらい、部下には散々威張り散らして無理難題を押し付けた末、手柄を横取りして自分のものにする。そして、威張る割に無能だ」

「よく居そうな男です」

 いわゆるどこにでもいる小悪党なのだが、そういう輩が幅を利かせる現状が帝国軍の腐敗具合を顕著に示していた。

「そうだ。ハルトマン将軍が君を呼んでいるのは本当なんだ。会議室に急ぐといい」

「すぐ向かいます。助かりました」

 ルークは彼に礼を言うと、カイザーの待つ砦の会議室へと向かった。

(呼び出しということは、新たな任務か。全ては目的のため……)

 そう、全ては帝国に復讐し、キラを救出するため。

 ここ一ヶ月間、その一心でルークは忠実に任務を遂行していた。

 今まで失敗はなく、着々と彼は実績を挙げていた。

 今回もうまくやる、そう心に決めてルークは作戦会議室の扉を開く。

「よし来たな。今回は重要な仕事だ、二人で組んで任務に当ってもらう」

 会議室の中にはカイザーの他にもう一人、サイラスとの会合で見かけたフード姿の男、ユーリが立っていた。

 任務の内容に応じて、複数人で行動することも少なくなかったが、彼と組むのは初めてのことだった。

「了解だ」

 ユーリはフードの奥からルークを一瞥した。

 その鋭い目に限らず表情全体からは感情というものが感じられず、人間味が欠如しているとルークは思った。

 ルーク自身も表情豊かな人間ではなかったが、ここまで冷徹ではない。

「分かりました。作戦内容は?」

 ルークが頷くと、カイザーは一枚の地図を卓上に広げて説明を始める。

「よし、二人にはある男を暗殺してもらいたい。郊外に屋敷を構える商人だが、裏で違法な取引を行っている。そしてその裏金は皇帝の懐へ、というわけだ」

 カイザーが説明する作戦内容はこうだった。

 ルークとユーリの二人で商人の屋敷へと潜入し、ターゲットを暗殺すると同時に、違法取引の証拠となる帳簿を盗み出す。

 それを所定の位置で待っている、反乱軍の使者に届けるというものだ。

 その後、反乱軍は証拠と共に闇商人と皇帝との癒着を大衆に暴露し、信用を貶める。

 民衆からはそもそも悪評の高い皇帝だが、今回は領主や貴族といった有力者の支持を皇帝側から離れさせる事が目的だ。

 皇帝は、資金源と信用のふたつを同時に失うことになる。

 皇帝を見限った有力者をこちら側に引き込めれば、革命実行の大きな足掛かりになるとカイザーは説明した。

 ルークとユーリの二人は説明を聞きながら、地図上の屋敷の位置と、前もってカイザーが入手していた屋敷の見取り図を頭に叩き込んでおく。

「屋敷の警備は厳重だ。現場についたらユーリが先導する、指示に従え。いいな?」

「わかりました」

 ルークが答えると、カイザーは身を乗り出して念を押すように言った。

「いいか、これは非公式の暗殺任務だ。当然だが、今回は味方もアテにはできんぞ」

 何せこれから二人は、人殺しと盗みを働くために私有地へ不法侵入を試みるのだ。

 見つかれば当然衛兵に捕まるし、そこでカイザーの名を出すわけにもいかない。

 失敗の許されないミッションだった。

 それを肝に銘じた上で二人は頷き、出発の準備を始めた。

 今回は今までになく、重要で危険な任務だ。

 ルークは砦内を歩く時に使う軍服から、戦闘用の革製の戦闘服に着替えた。

 柔軟かつ程良い剛性があり、動きを阻害せずにある程度の攻撃を防ぐことができる。

 そして元々持っていた片手剣の他に、投擲用の投げナイフも戦闘服の裏のナイフベルトに仕込んでおく。

 何せ単独での皇帝暗殺を計画していた程だ。

 ルークはそれ相応に気配を殺し、隠れ忍ぶ術を身に着けていた。

 カイザーはそれを知っていたからこそ、ルークをこの任務の担当に当てたのだろう。

 厳重に警備された場所でも、任務をこなす自信はあった。

 一方、今回の相棒となるユーリは既にほとんど準備を終えているようで、以前にサイラスとの密談へ向かった時とほぼ同じ軽装備で固めていた。

 ルークは彼を注意深く観察したが、細かな仕草ひとつ取っても隙がなく、今回においては現場の指揮を任される程に重用されている。

 以前の仕事の手際と合わせて、恐らくこの手の裏仕事のベテランに違いないとルークは判断した。

 フードの奥に見える顔からは年齢は30代くらいに見えたが、その無愛想でふてぶてしい態度からは、まるで熟練の老兵ような落ち着きが見て取れた。

 相当な場数を踏み、何度となく修羅場をくぐってきたであろう凄みを感じる。

「行くぞ」

 ルークが装備を整え終えたことを確認すると、無口で愛想のない傭兵はそう告げて出発した。

 ルークも頷きそれに続く。

 砦を出た二人は、今回のターゲットが住まう帝都郊外の屋敷の敷地近くまで来ていた。

 ここまで馬車で移動し、敵地には徒歩で慎重に忍び込む予定になっている。

 道中もユーリは無口で話そうとせず、ルークも無駄口を好む方ではなかったため、黙々と会話もないまま二人は最初の目的地である待機位置まで到達する。

 私有地を警備する番兵に見つからぬよう、雑木林の中に身を潜め夜を待つ。闇に紛れて侵入する算段である。

「頃合いだな。頭を低くしろ」

 日が暮れたのを確認すると、ユーリはそう言って行動を開始する。

 番兵の隙を突いて柵を乗り越え、商人の所有する敷地内に忍び込む。

 暗闇の中で身を屈め、文字通り影のように動くユーリは月明かりに照らされた明るい場所を避け、木や岩などの遮蔽物に身を潜めながら前進する。

 ルークが思った通り、彼は隠密行動に非常に慣れており、完全に気配を殺し物音ひとつ立てず進んでいく。

 気配がしないため、ぴったり後についていないと、すぐにでも暗闇の中に見失ってしまいそうだった。

「……止まれ」

 ある程度敷地内を進み、屋敷の近くまで来るとユーリは低く抑えた声と左手で合図を出す。

 ルークは指示に従い、ユーリのすぐ近くで待機した。

「前方に歩哨4人。通り過ぎるまでじっとしていろ」

 ルークは周囲を見渡すが、暗闇に慣れた目でも視界の範囲には誰も居ないように見えた。

 だがしばらく身を潜めていると、やがてユーリの言った通り、4人組の見張りが歩いて来るのが見えた。

 巡回の兵士達は一応周囲を見回しつつも退屈そうにしており、時折下らない冗談を飛ばし合いながら道に沿って進んでいく。

 道の脇の背の高い草むらに潜むルークとユーリに気付かないまま、一団は過ぎ去っていった。

「前進だ」

 安全を確認したユーリは、篭手をはめた左手で手招きをしながら再び歩みを進めた。

(今の番兵、私でも分からない距離から、どうやって察知した?)

 ルークも敵の存在には敏感な方だった。

 暗闇で目が利かない状況でも、音や気配で位置を察することができたが、ユーリの感覚は更に鋭敏だった。

 ルークですら存在が分からない離れた番兵の位置を言い当て、彼は的確に指示を下す。

 彼がどうやって敵を察知しているのか疑問だったが、そのおかげで一度も発見されないままルークを屋敷まで導いた。

 ルークが足場となってユーリを二階の開いている窓へ持ち上げ、室内が無人であることを確認したユーリが、今度はルークを引っ張り上げる。

 屋敷内は所々明かりがついているが薄暗く、部屋中に散りばめられた悪趣味な飾りが不気味な影を作り出す。

「二手に分かれよう。ターゲットは俺が仕留める。お前は書斎へ行って、帳簿を手に入れろ」

「わかりました」

 館への侵入に無事成功した二人は、素早く行動を開始する。

 事前に頭に入れておいた図面を思い出し、ユーリは標的である商人が寝ている寝室へ、ルークは証拠品となる帳簿を探すため書斎へ向かった。

 屋敷の中は番兵こそいないものの、まだ数人の使用人がランプを片手に見回りをしていた。

 見つかれば人を呼ばれる。

 ルークは慎重に歩みを進めた。

 書斎へは難なく到着できたルークだが、扉には鍵がかけられており開かない。

 ピッキングすることも考えたが、少し調べて自分の手には負えない上等な錠だとわかり断念した。

(鍵を探さなくては……)

 さてどこを探ったものかとルークが思案していると、何者かの足音が近付いてくる。

 ルークはそれに気付き柱の陰にそっと身を潜めた。

 やって来たのは、この館の執事と思われる初老の男だ。

 薄暗い廊下をランプで照らしながら、戸締まりを確認して回っている。

 執事は書斎が施錠されていることを確認すると、ルークに背を向けた。

 他には誰も居ない。

 チャンスだと確信したルークは、柱の陰から音もなく飛び出した。

「動かないでください。抵抗したり、人を呼んだりすれば殺します。私の質問にだけ答えるように」

 ルークは背後から執事の口を塞ぎ、もう片方の手でナイフを抜くと執事の首筋に押し当てた。

 相手の恐怖が手に取るように伝わってくる。

 執事は震えながら頷いた。

「書斎の鍵はどこにありますか?」

 質問すると、ルークは口を塞いでいた手をゆっくりとどけた。

「わ、私が持っています……」

 彼は今にも泣き出しそうな顔で、腰に下げた鍵束をルークに見せる。

「結構。ではお休みなさい」

 それを確認したルークは鋭い手刀を打ち込み、執事を気絶させた。

 倒れて物音を立てないよう、執事の身体を支えてゆっくりと寝かせる。

 意識を失った執事から鍵束を奪い取ると、その鍵を使って書斎へと進入する。

 倒れている執事を発見されないよう、彼も書斎の中へと引きずって行った。

 扉を閉めて内側から鍵をかけ直すと、ルークは裏取引の帳簿を探し始める。

(普通に目につく場所には保管しないはず。どこかに隠し場所は……)

 棚や机を念入りに調べた末、ルークは二重底の引き出しの奥から書類の束を見つけ出す。

 軽く目を通すと、奴隷の人身売買の記録だと分かった。

 帝国領内に限らず、国外とも取引をしていたようだ。

 何千人という数の取引記録を見ていると、感覚が麻痺してくる。

 他にも禁制品の密輸や、詐欺で得た資金の記録なども見つかった。

 その中から、毎月皇帝への上納金として大金を支払っている記述を見つけたルークは、それらを纏めて懐に仕舞い込んだ。

(闇商人の悪行も、政府との癒着もこれで証明できる)

 目的を達したルークは、気絶した執事を残し書斎を後にした。

 侵入に使った二階の部屋まで戻ると、ユーリも仕事を終わらせたのか先にそこで待っていた。

「目的の物は見つかりました。あなたは?」

 書斎から盗み出した帳簿をルークが見せると、ユーリも頷いた。

「奴は永遠に眠ったままだ」

 ユーリも見つからぬまま、商人の闇討ちに成功したようだ。

 発覚するのは恐らく明日の朝、主が起きて来ないのを不審に思った使用人が、寝室に入った時になるだろう。

 その頃には二人共ここにはいない。

 二階の窓から飛び降りて屋敷を出た二人は、侵入した時と同じくユーリの先導で敷地内から脱出する。

 やはり一度も見つかることなく私有地を脱したルーク達は、事前に指定された反乱軍との接触場所へと向かった。

 そこでは証拠の書類を受け取るために、反乱軍の使者が待っているはずだ。

 待ち合わせ場所は郊外の農地で、風車が目印となっていた。

 ぽつんと建つ風車の下には数人の人影が見え、夜間だけあって他に人気はなかった。

 二人はその集団に近付くと、予め示し合わせていた合言葉で互いを確認する。

「ご苦労だった。証拠は手に入れたか?」

 護衛達に付き添われて出てきたのは、驚くことにサイラス本人だった。

 反乱軍の使者とは彼のことだったようだ。

 夜の闇の中、王者の如く君臨するサイラスに、ルークは警戒しつつも帳簿の束を取り出し手渡す。

 受け取った書類の中身に軽く目を通すと、サイラスは満足気に頷いた。

「確かに受け取った。この事実は速やかに公表されるだろう。では、また会おう」

 そう言ってサイラスは護衛の民兵と共に、闇の中へと立ち去っていった。

 全ての任務を終えたルーク達もまた、カイザーの待つ砦へと帰路に着く。

 やはり来た時と同じように、お互いに黙ったまま黙々と。

 その数日後には早速、帝国中に闇商人の悪行と皇帝との癒着が公の事実となり、民衆の反政府感情は限界まで膨れ上がった。

 表向きは皇帝に恭順を誓った貴族や領主達の間にも、政権の堕落ぶりを公表され、このまま皇帝を支持し続けて大丈夫なのか、と動揺が走る。

 非公式に反乱軍に接触する有力者は増え始め、そうして反帝国の意思を示した者達を、カイザーは次々に味方につけていった。

 愚帝に今や味方する者は少ない。

 革命の準備は整いつつあった。


To be continued

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