第5話 『アルバトロス革命 前編』

 闇商人の摘発から二ヶ月、皇帝の悪評は瞬く間に広まった。

 侵掠すること火の如く、反帝国感情は烈火のように燃え広がりピークに達する。

 時は満ちた。

 皇帝打倒の革命を目論む帝国軍きっての将軍カイザーは、この瞬間のために着実に事を進めてきた。

 ルークが革命軍に加わってからおよそ三ヶ月、準備は万端に整い、カイザーが決行の日と定めたその日がついに訪れた。

 カイザーは市民による反乱軍をはじめ、他の将軍や領主からも密かに協力を取り付けている。

 抜かりはない。

 朝日が昇ると同時に、カイザーは自分の指揮する部隊を戦闘態勢で集結させた。

 砦内の広間を埋め尽くす軍団を前にしたカイザーは段上に上がり、戦闘前の演説を始める。

「諸君! 我々誇り高き帝国軍人の努めとは、もちろん国を守ることにある。だがひとつ問おう。『国』とは何だ? 皇帝か、貴族か? 民衆から搾取し、暴力で以って反発を押さえ込み、暴虐の限りを尽くす彼らが『国』か? 彼らによって国政は腐敗し、罪なき人々の命が奪われ、貧困が国民の間に蔓延した。その皇帝らが、本当に我々の守るべき『国』なのか?! 否! 断じて否!!」

 カイザーの強い否定の言葉に、整列した将兵らも呼応し声を上げる。

「今、皇帝の支配の下にアルバトロスは暗黒の最中にある! だが俺はここに宣言しよう。明けない夜はない! 帝国を覆う混沌の闇を、我々の手で打ち払う! 今日、ここでだ! 今日は我らアルバトロスの民、一人一人にとって記念すべき日になる! 後の歴史に刻まれる、新たな時代の幕開けとなるだろう! 悪の帝王は滅び、再びこの地に秩序と安定がもたらされるのだ!!」

 カイザーは、これまで隠してきた思いの丈をあらん限りの声に出して宣言し、拳を振り上げる。

 彼の前に集う部下達も、各々手に持つ武器を掲げ、カイザーに負けないくらいの声量で鬨の声を上げた。

 士気は最高潮に達しつつある。

「革命に賛同する同志達よ、恐れず進め! 多くの味方が我々を後押しし、力をくれる! 全軍、王城へ向けて進軍せよ! 作戦開始だ!!」

 カイザーの号令と共に大部隊が砦から出撃し、一斉に皇帝のいる王城を目指す。

 革命戦の火蓋が切って落とされた。

 革命戦への参加を表明していた他の将軍や民兵もまた、作戦通り時を同じくして行動を始める。

 帝都に駐屯する部隊の多くがカイザーの味方であり、突然の反逆に成す術なく、残りの帝国軍は城へと後退した。

 しかしアルバトロス帝国の王城は難攻不落と名高い城塞であり、カイザー側の反乱軍は城を包囲したところで一旦足を止める。

 陣形を整えてから本格的に城攻めを行う算段だ。

 こうして城内に籠城する帝国軍と、それを包囲する反乱軍との睨み合いが始まった。

(ここまでは全て予定通りだ。後は、あいつらがうまくやってくれれば……)

 牙城に立て篭もる敵を正攻法で倒すことは困難で、カイザーは正面から城を落とすことは最初から考えていなかった。

 反乱軍本陣にて総大将として余裕の表情を見せるカイザーの秘策は今、地下を進んでいる……。


 カイザーが反旗を翻して城へ進軍すると時を同じくして、帝都アディンセルの地下に張り巡らされた地下道を進む、数十人程の少数部隊があった。

 彼らは革命軍の別働隊で、帝国軍が地上の兵力に気を取られている間に、城へと通じる地下道を進んでいた。

 多くの城や砦は秘密の抜け道が用意されており、本来は万一の場合に皇族が脱出するためのものだった。

 それを逆に辿れば、気付かれずに城内へ潜入できるというのが今回の作戦だ。

 地下道の詳細を記した地図を手に入れるのにカイザーは苦心していたが、その価値は十分にあったと言えよう。

 漆黒の闇が支配する地下道を進む別働隊の先頭を行くのは、他でもないルークとユーリの二人だった。

 部隊の指揮はルークに、先導はユーリが任されていた。

 部隊を構成する兵士は、この時のために選び抜かれた精兵で、ルークが仕上げの訓練を行った。

 練度は高く、暗闇の悪路の中でも遅れずに二人についてきている。

「止まれ、見張りだ」

 ユーリの合図と共に、後続の部隊は足を止める。

 前方には薄明かりが見え、地下道を警備する帝国兵二人が周囲を警戒していた。

 ユーリは弓を取り出し矢をつがえると、この暗闇の中寸分違わぬ狙いで敵兵を射抜く。

 一人が倒れたことに気付き駆け寄ろうとするもう片方を、素早く放った二本目の矢が仕留めた。

「前進」

 番兵を始末し、周囲の安全を確認したユーリは進軍を命じる。

 倒れた敵兵の松明が、音もなく通り過ぎる一団を怪しく照らし出した。

 ユーリの的確な先導により、今のところ一度も発見されずにルーク達は地下道を進んでいる。

 このまま気付かれずに城内に侵入できれば、勝利までは目前だ。

 それからしばらく地下道を進み、王城の真下付近に来たところでユーリは部隊に停止命令を出す。

 城への入り口と思しき扉を前に帝国兵が四人、睨みを利かせていた。

 今回は弓で射殺すには、少しばかり数が多い。

 一人でも残せば城内に駆け込み、他の仲間に侵入を知らせるだろう。

 ユーリは物陰から様子を窺いつつ、少し後ろで待機しているルークを手招きした。

「二人で同時に仕留める。右の二人は任せる、俺は左だ」

「任せて下さい」

 二人は遮蔽物の間を縫って慎重に番兵に近付き、死角へ回り込む。

 両者は声を出さずにハンドシグナルでタイミングを整え、番兵の背後から襲いかかった。

 左手で口を塞ぎ、同時に右手に握った短剣で喉を切り裂く。

 一人を音も立てず仕留めたルークは、まだ異変に気付いていないもう一人に駆け寄った。

 振り向いて声をあげようとする兵士の急所を、素早く貫き黙らせる。

 ユーリもほぼ同時に左側の兵士二人を始末していた。

 後には何事もなかったかのように、静寂だけが残される。

「侵入するぞ」

 ユーリは城へと続く門を開き、周囲を警戒しつつ階段を登っていく。

 途中兵士に出くわす事もなく、ついに王城一階の一室へと一行は到着した。

 皇帝の籠城する牙城への潜入は成功だ。

 外の慌ただしさとは裏腹に、城内は人気が少なく静かだった。

 兵隊の多くはカイザー率いる革命軍本隊の対処に追われて城壁へ、召使いなどの非戦闘員はどこかに纏まって避難しているのだろう。

(この城のどこかにキラさんが……。待っていてください、今行きます)

 顔には出さないものの、ルークの胸が高鳴る。

 キラが攫われてからもう三ヶ月程、生きている保証はなかった。

 だが彼は、不思議と彼女がまだ生きているという確信を持っていた。

 できることなら今すぐキラを探しに行きたいが、今のルークは反乱軍の別働隊を指揮する身である。

 感情を抑え、冷静であることを自らに言い聞かせつつ、彼は提案した。

「分散して、皇帝を探した方が効率がいいかと。いかがでしょう?」

「分かった」

 ユーリもそれに同意し、ルークとでそれぞれ二手に別れて捜索を開始する。

 部隊の最優先目標は皇帝の首だが、ルークはそれより先にキラを救出する予定だった。

 その際、仕事である皇帝暗殺を優先しそうなユーリはその場にない方が、ルークにとって安心できた。

 ルークはおよそ十数人程の工兵を連れて、城内を慎重に探索していく。

 やがて数人の兵士によって守られる扉を見つけ、彼らは壁に身を隠しつつ様子を窺う。

 扉を守る兵士が最上級の甲冑の上に纏う外套(サーコート)の文様は、皇帝直属の近衛兵(ロイヤルガード)のそれだ。

 この先に何かあると睨んだルークは、気付かれないように部下を攻撃位置につかせると、自らも物陰からギリギリまで接近する。

 そして投げナイフの一投で最初の一人を仕留めるのを合図に、ルークは工兵と共に一斉に近衛兵に斬り掛かった。

 扉の向こうに音を聞かれないよう、手早く敵を片付ける。

 処理が難しい数ではなかったため、部下と連携すれば気付かれずに始末することができた。

 扉の前の近衛兵を倒したルークは、扉に耳を当てて奥の音を拾おうとするが、数人の話し声が聞こえるものの内容までは聞き取れない。

 この先に何か重要なものがあると判断したルークは、部下に持ち上げてもらって自ら天井裏へと潜り込んだ。

 天井裏から室内へ侵入して様子を探り、必要ならばそこから奇襲を仕掛けようとルークは考えていた。

 扉の外で待機する味方には、合図で踏み込むように指示してある。

 ルークが天井板の隙間から部屋の中を窺うと、近衛兵に守られ数人の人影が声を荒らげていた。

 それは話し合いと言うよりは罵り合いに近い。

 苛立った声が、天井裏のルークにまで響いてくる。

(こっちを先に見つけてしまったか……)

 室内にいたのは、皇帝メイナード六世とその側近である貴族達だ。

 普段は豪勢な衣装に身を包みふんぞり返っている彼らも、今回ばかりは心許なげにキョロキョロと周囲を見回し怯えている。

「ええい、ハルトマンめ! この期に及んで謀反を起こすとは!」

「そもそもは、卿があやつめに権限を与えすぎたのが増長の原因ですぞ!」

 貴族達はお互いの責任を追及し合い、命の危機に際して団結するどころか、今にも取っ組み合いが始まりそうな険悪な雰囲気が漂っていた。

 普段おべっかで互いの機嫌を伺っていたその反動だろうか。

「状況は?! 反乱軍の迎撃はどうなっておる!」

 帝国軍きっての英雄の裏切りに、流石の皇帝も平常心ではいられなかった。

「ご安心ください、陛下。すぐに各帝国領から援軍が到着致します。そうなれば、反乱軍はひとたまりもなく討伐されましょう。今しばらくのご辛抱を」

 苛立つ皇帝を将軍の一人がなだめるが、彼らも内心焦りの色を隠せない。

 こんなことになるとは予想もしておらず、備えはほとんどなっていない。

 打ちひしがれてうつむく彼らの中の一人が、うわ言のように呟いた。

「やはり、”あの男”を敵に回したのは、まずかったのでは? 今回の一件、ハルトマンの裏に、”奴”がいるように思えてならないのですが」

「馬鹿な! コルディオン王国は徹底的に殲滅したのだぞ。”あの男”も、”組織”も、跡形もなく葬り去ったはずだ!」

 皇帝はその言葉をすぐに否定する。

 皇帝もその側近達も、『あの男』と聞いた途端に顔色が恐怖で染め上がった。

 カイザーの謀反に対してではない、もっと何か別のものに対する恐れだった。

(なぜここでコルディオンの名前が出てくる? それに『あの男』とは一体……)

 一人の上級将校の放った言葉、そしてそれに対する皇帝らの反応は気掛かりだったが、ルークはひとまず仕事を優先した。

 今こそが皇帝暗殺の好機と見たルークは天井の板を外して室内に飛び降り、そのまま一番近い近衛兵に剣を突き立てる。

「貴様、どこから入ってきた?! 衛兵、衛兵!」

「今です!!」

 扉を蹴破って入ってきたのは近衛兵ではなく、ルークの部下の工兵達だ。

 カイザーの部隊の兵士であることを示す鎧の紋章を見た貴族達は、目を大きく開けて声にならない声をあげた。

 すぐに室内は乱闘となるが、不意を突かれた近衛兵は押されていく。

 泡を食ったように貴族達は我先に逃げ出そうとするが、彼らの前にルークが立ちはだかる。

「ま、待ってくれ! 私は皇帝に逆らえなかったんだ、私は悪くない!」

「あなた方にかける情けなどありません」

 貴族達は口々に命乞いをするも、ルークは無表情のまま剣を振るい彼らにとどめを刺していく。

 革命の計画には、腐敗した皇帝の側近達の粛清も含まれている。

 一箇所に固まっていたこのチャンスに、一人残らず始末しておかなくてはならない。

「おのれ……! だが余の命はくれてやらんぞ!」

 形勢不利と見るやいなや皇帝は側近達を見捨て、背後の壁のスイッチを操作した。

 一見普通の飾りだが、強く押し込むと壁ごとスライドし人一人通れる程の大きさの隠された通路が現れる。

 皇帝はその隠し扉から、部屋の外へと逃走した。

「この場は任せます! 私は皇帝を」

「了解、行ってください!」

 室内の近衛兵の残りも、もうわずかだ。

 この場は部下に任せ、ルークはすぐさま皇帝の後を追う。

 ここで本命の皇帝を取り逃がせば、計画が瓦解してしまう。

 復讐を誓った個人としても、戦闘に加わる一将としても絶対に逃走を許す訳にはいかない。

 だがすぐ追跡したにも関わらず、地の利は向こうにあるためか、ルークは皇帝の姿を見失ってしまった。

(いや、まだ遠くへは行っていないはず)

 ルークは急いで周囲の捜索を開始する。

 無数にある部屋の扉をしらみつぶしに開けては中を探るルーク。

 やがて頑丈な鉄製の扉を発見した彼は、慎重に扉に近付いて中の気配を探る。

(息を潜めているが、相手は一人……皇帝か?)

 鉄扉は施錠されていたため、ルークはポケットからピッキングツールを取り出し、鍵穴へと差し込んだ。

 手先は器用なものの、盗賊のようにピッキングを専門としているわけではないので、少々手間取ったが錠を外すことに成功した。

 ルークはすかさず扉を蹴破り、一気に突入する。

「きゃっ! ル、ルーク……さん?」

「あなたは!」

 部屋の中にいたのは、皇帝ではなかった。

 それ以上に探し求めていた人物、キラが彼の目の前にいた。

 彼女は入ってきたのがルークだと分かると、涙を浮かべて真っ直ぐに彼の胸に飛び込んできた。

「ルークさん、よかった! 私、どうしていいか分からなくて……!」

 ルークは彼女を受け止め、剣を握っていない左手で優しく背中をさすった。

 命に別状なく、無事なのは確かだ。

 待遇はそれほど悪くなかったのか、痩せたり衰弱もしていない様子で、洋服も上等なものを着せられていた。

「遅れてすみません。まずここから出ましょう、私から離れないでください」

 できればキラが落ち着くまで抱きとめていてやりたかったが、今はそうもいかない。

 ルークは彼女の肩を抱いてそっと身を離すと、手を引いて部屋を後にした。

 他の部屋も片っ端から調べて回りながら、ルークは説明する。

「今、革命軍がこの城を攻撃しています。私は皇帝を探し出し、倒さねばなりません」

「えっ? は、はい……」

 キラには事態がよく飲み込めていなかった。

 外で何か大騒ぎが起きていることだけは認識していたが、なぜルークがそこで皇帝と関わってくるのかが分からない。

 彼女はルークが皇帝の首を狙う暗殺者であったことも、彼がカイザーの革命軍に引き込まれたことも知らなかった。

 だがキラは以前、皇帝と名乗る男と会った時のことを思い出した。

 あの時も同じく相手が何を言っているのか内容が理解できなかったが、明確に敵であると感じたことは確かに覚えている。

 皇帝のことを思い浮かべたその時にふと、キラの脳裏をよぎるものがあった。

「あっち……多分、あの道の方です!」

 突然道を示すキラに驚くルークだったが、キラが攫われた夜のことを思い出す。

 あの時も彼女は何らかの手段で直前に危機を察知し、警告していた。

(彼女には不思議な力がある。そう見て間違いないということか)

 ほぼ直感にも似た確信を得たルークは、キラの先導に従うことにした。

 何の根拠もないが、他にアテがあるわけでもない。

 先頭が入れ替わり、キラに手を引かれてルークは迷路のような城内の通路を迷わず進んでいく。

「こっちの方です、近いです」

 更に少し道を進んだ十字路で、ルークは目の前を横切ろうとする皇帝を発見する。

 手を離し、キラにその場で待つよう言ったルークは、皇帝の前へと飛び出し立ち塞がった。

「皇帝陛下、ここが年貢の納め時です」

「くそっ!」

 方向転換して更に逃げようとする皇帝に、すかさずルークは左手で投げナイフを投擲する。

 ナイフは狙い通り皇帝の足に突き刺さり、痛みのあまり皇帝はその場に倒れ込んだ。

 それでも尚逃げようともがいて這いずる皇帝に、ルークは剣を向けゆっくりと近づいていく。

 その全身には殺意が渦巻き、近寄り難い雰囲気を醸し出す。

(ルークさん、まさか!) 

 ルークの考えに気付いたキラは、咄嗟に飛び出していた。

 ほぼ無意識の行動だった。

 ありったけの勇気を振り絞り、皇帝への殺意と憎しみを露わにするルークを止めに入る。

「待ってくださいルークさん! もうその人は抵抗できないはずです。こ、殺さなくたって……」

 だがルークは冷たい眼差しのまま、頭を横に降った。

「その男は今日、ここで死ななくてはなりません」

 殺気に満ちた鋭い眼光が、キラを圧倒する。

 彼のこんな表情を見たのは初めてだった。

 あれ程優しかったルークを、何がここまで駆り立てるのか分からず困惑したキラはその場で硬直し、ルークはその横を抜けて皇帝へと近付く。

「ま、待て! 金ならくれてやる! 欲しい物なら何でも……」

「私の望みは、あなたの死です」

 ルークは残酷にそう言い放つと、手にした剣で皇帝の胸を一突きにした。

 生々しい断末魔と共に、皇帝の身体から鮮血が溢れ出す。

 一瞬仰け反り天を仰いだ皇帝は、すぐに冷たい床に倒れ伏し、動かなくなった。

 血塗れた剣を引き抜くと、皇帝の胸に穿たれた穴から流れ出した血が大理石の床に広がっていく。

 飛び散った返り血がルークの頬を汚した。

 やろうと思えば投げナイフを頭に当てて皇帝を一撃で即死させることもできたが、敢えてそうしなかったのは、これがやりたかったがためだ。

 この男への鉄槌は、愛用の剣で自ら下したかった。

(ついにやった……! この手で、皇帝を!)

 ルークが見下ろすのは最早、大帝国に君臨する暴君ではない。物言わぬ骸である。

 帝国に祖国を滅ぼされてから、長かった。復讐のために費やした日々が、走馬灯のように脳裏を駆け巡る。

 長らく胸中で渦巻いていたどす黒い憎悪が、みるみる晴れていくような快感を感じた。

 だが復讐の甘美な達成感に浸っていられたのも束の間、ルークの背後でキラは悲鳴を上げてへたり込んでしまう。

「血、血が……いやあああ!!」

「大丈夫ですか?」

 我に返ったルークは、頭を抱えて首を振る彼女にルークは慌てて駆け寄ろうとするが、すっかりパニックを起こしたキラはぼろぼろと涙を零しながら全身を震わせ、悲鳴をあげて腰が抜けたままルークから後ずさった。

 無理もない、普通に暮らしていたのなら人の死や血を見ることに慣れていないのも当然だ。

 彼女が血に酷く怯えていることに気付いたルークは、右手に握る剣に目をやった。

 愛用の片手剣は、血がこびりついている。

 たった今、皇帝の命を奪ったからだ。

 皇帝がどんな悪逆非道を尽くしてきたか、という話はここで重要ではない。

 問題は、ルークがキラの目の前で人を殺害したということ。

 赤黒く汚れた剣はまさに、暗殺者として血に塗れた己の手そのものの暗喩だ。

 キラがショックを受けているのは、まさにそこだった。

 危険な行為と理解していたが、彼は仕方なく血塗れの剣をその場に捨て、キラに駆け寄った。

 今ここで彼女を救えるのは、自分しかいないとわかっていたからだ。

(見せてはいけないものを見せてしまったか……)

 ルークは無言だったが内心、己を恥じた。

 復讐心という欲を満たすため、何よりも大事なものを傷つけてしまった自分に。

 ついさっきまで憎悪で頭が煮えくり返っていたとは言え、何もキラの目の前で処刑を行うことはなかった。

 捕らえてから味方に引き渡しても、十分作戦には間に合ったはずだ。

(私は何ということを……)

 罪の意識に苛まれながらルークは、今は何を言っても言い訳にしか聞こえまいと、黙ってキラの肩を抱いてなだめてやった。

 下を向いて泣き続けたキラだったが、しばらくルークが寄り添ってやるとようやく落ち着いて顔を上げる。

(ここに長く留まっては危険だ。早くキラさんを移動させないと)

 パニックは徐々に収まりつつあるようだが、まだへたり込んだまま動けそうにはない。

 だがここは敵地、担いででも速やかに城から出るべきだろう。

「大丈夫ですか? さあ早くここから脱出を……っ?!」

 キラを抱え起こそうとしたその時、ルークは背後から気配を感じて咄嗟に振り向いた。

 キラをなだめている間に帝国兵が背後に迫ってきており、今まさに彼に向けて剣を振り下ろそうとしている。

「皇帝陛下の仇ーっ!」

「しまった!」

 ルークはキラをなだめるためとは言え、戦闘中の敵地で武器を手放し隙を晒してしまった。

 剣はキラが怯えるので捨てており、拾いに行く猶予はない。

 予備の武器の短剣を抜いて苦し紛れに一太刀受け止めたが、その衝撃で短剣は弾き飛ばされてしまう。

 武器を失ったルークに、更なる追い打ちが迫る。

 今なら避けることはできるが、それは背後に庇うキラを攻撃に晒すことに繋がる。

 背に腹は代えられず、ルークは素手で帝国兵の剣を受け止めた。

「な、何だこいつ?!」

 自分が傷つくことも厭わず女を守ろうとするルークの執念に帝国兵は一瞬怯んだが、すぐに彼の手を振り払い、トドメの振り下ろしを繰り出す。

「死ね、反逆者め!」

(盾になってでも守らなくては!)

 こうなったらキラだけでもと、ルークは動けない彼女に覆い被さって庇おうとする。

 我が身を盾にしたルークは絶体絶命かと思われたその瞬間、帝国兵の背中に矢が突き刺さり、振り上げた剣を床に落とし力なく倒れ伏した。

 その後ろには弓を構えたユーリと革命軍の工兵達が立っていた。

 紙一重で味方の救援が間に合ったのだ。

「ユーリさん、助かりました! キラさん、大丈夫です。彼は味方ですよ」

 そう説明しながら、ルークはキラを抱え起こす。

 彼女は固く目を瞑り未だに震えていたが、ショックからは少しずつ立ち直ってきている様子だった。

「皇帝は殺りました。申し訳ありませんが、後は任せます」

 ルークが皇帝の死体を指差すと、ユーリはそれに近付き、念を押して首に手を当てて脈を取り死亡を確認した。

「よし、第三段階へ移行だ。塔の上までこれを運ぶぞ」

 ユーリは部下に、皇帝の死体を抱え上げるよう指示した。

 工兵によって、死体はまるで荷物のように運ばれていく。

 残りの兵士十数人はその場で待機し、ルークの護衛についた。

「忘れ物だ」

 去り際に床に落ちているルークの剣を拾ったユーリは、そう言って持ち主へと投げて渡した。

「どうも」

 剣を受け取ったルークは頭を下げると、キラが怯えないうちに血を拭って鞘へと戻す。

 その間にユーリ達は作戦を次の段階へ進めるために、城の奥へ消えていった。

「……ルークさん、あの人達は一体?」

「そうですね、どこから説明したものか……」

 不安そうに尋ねるキラに、ルークはかいつまんでこの間の経緯を語り始めた。


 一方、王城で最も高い塔の上まで皇帝の遺体を運んだユーリ達は、そこから首をロープで結んだ皇帝を吊り下げた。

 その姿はまさに絞首台に吊るされた罪人そのものだ。

 城を包囲する革命軍本隊との戦いを続ける帝国軍はすぐ異変に気付き、変わり果てた皇帝の姿を目にして騒然となった。

 死体に気付いたのは帝国軍だけではない。

 革命軍の本陣で指揮を執る総大将、カイザーもまたその光景を目にしていた。

 塔から吊られた皇帝を確認したカイザーは、勝利を確信してほくそ笑む。

「勝ったな。全軍に通達、これより帝国軍に降伏勧告を行う! その間攻撃は中止せよ!」

 皇帝の死によりざわめく帝国軍の隙を突いて攻撃し、大打撃を与えることは容易だった。

 そのまま押し込んで勝機は十分にある。

 だがカイザーはもう一手間をかけ、帝国側に徹底的な敗北を強いる道を選ぶ。

 彼は大義の側にいなくてはならないのだから。

 馬に跨がり直属の兵士達を引き連れたカイザーは本陣を後にし、両軍が睨み合う最前線へと赴いた。

 そしてありったけの大声でもって、対峙する帝国軍へと呼びかける。

「見ろ、お前達を支配していた皇帝は、もうこの世にいない! もはやお前達帝国軍に、戦う義務は残されていないぞ!」

 あくまでも彼ら帝国軍は皇帝に命じられ、『戦わされていた』というのが前提だ。

 動揺を隠せないでいる帝国軍に向け、カイザーはとどめの勧告を行う。

「降伏すれば命は保証する! 皇帝と心中したいならばそれもよし、死にたくなければ武器を捨てて投降しろ!」

 皇帝の死によって衝撃を受けた帝国軍に対し、追い打ちのように放たれた降伏勧告は、とうとう軍の統率を崩壊させる。

 ここで犬死にしたくないと、帝国兵達は次々と武器を手放し革命軍に投降を始めた。

 戦線の維持が不可能になり状況がますます不利に傾くと、敗色濃厚な今降伏するべきだとの動きが将にまで広がっていく。

「総員武器を捨てよ! ここで犬死にはするな、我々は降伏する!」

 賢明な武将は一人また一人と部下に降伏を命じ、自らも投降した。

 だが、戦況が読める者ばかりではない。

 頑なな将も中にはいた。

「馬鹿な! 我々帝国軍が、反乱軍に屈服するなどありえん! 最後まで徹底抗戦だ、逃げる者は私が斬る!」

 持ち場から逃げ出そうとする帝国兵を恐怖で統率しようとするその武将に、後ろに立つ副将が剣を抜いて切っ先を彼の背に突き立てる。

「隊長、我々の負けです。無駄死したいのならばお一人でどうぞ」

 その武将が倒れると、副将は部下の兵士達に降伏を命じた。

 部下達に不服はなく、我先にと武器を捨て両手を上げて革命軍に投降する。

「あわわ、ま、待て! 持ち場を離れるんじゃない!」

 悪名高き帝国武将、オルソ・ダッツィもその流れの中にいた。

 日頃から部下に嫌われていた彼は、早々に兵士に見限られていた。

 部下は皆武器を捨てて投降してしまい、その場に残されたのはオルソ一人だった。

 オルソは藁にもすがる思いで、辺りを見回す。

 それまで一緒に戦っていた他の部隊も、続々と白旗を上げていく。

(い、いかん! このままでは孤立してしまう! 皇帝と心中など、まっぴら御免だ!)

 オルソは戦況の読めない将で、これまでも無謀な命令で多くの被害を出してきた、無能な上官だった。

 だがしかし、本当に我が身が危ない時だけは動物的勘が働く、保身に長けた男でもあった。

 もう帝国軍は長く持つまいと判断した彼は、部下に一歩遅れて剣を捨て、両手を上げて革命軍の前へと進み出た。

「降参、降参する! 無駄な抵抗はせん! だから命ばかりはー!」

 情けない声を出しながらオルソは、革命軍の兵に捕らえられて、そのまま捕虜の扱いとなった。

 だが人知れず、彼の口元には不敵な笑みが浮かんでいた。

(フン、首が挿げ替わろうと、軍隊なぞどこも同じよ。生きていれば、また身を立てる方法はある……)

 敗色濃厚となった帝国軍が降伏する動きは各所で見られ、ついに城に籠城していた帝国軍の半数以上が革命軍へと降伏した。

 陣立てが瓦解した帝国軍は城壁を捨てて城内まで後退し、そこで徹底抗戦を行う構えだ。

 革命を起こすにあたって、カイザーにはひとつ乗り越えなければならない課題があった。

 それはいくら大義名分があれど、それまで味方だった帝国軍の将兵と戦い、殺さなくてはならない責任。

 革命を成功させ新たな指導者となった暁には、その遺族からの非難も浴びることになる。

 民衆からの支持を得なくてはならないカイザーは、ここで強硬に攻めるのではなく降伏を勧めることで、犠牲者を減らそうと考えたのだ。

 また、勧告を行ったという事実そのものが、彼にとっての免罪符となる。

「全て計画通りだ。全軍攻撃開始! 王城に突入し、制圧しろ!」

 城に残るのは、今は亡き皇帝の威光にすがりつく旧体制の亡霊達。

 最早情けは無用の相手だった。

 カイザーの号令と共に、城を包囲する革命軍は一斉に攻撃を始める。

 その先陣は、カイザーの部隊の精鋭が固めていた。

 不退転で抵抗する帝国軍だが戦力では圧倒的に不利な状況で、既に敗北は決しているようなものだ。

 革命軍は帝国軍に肉薄し、次々と城内へなだれ込んでいく。

 カイザー達革命軍は迅速に城を制圧し、戦闘を終わらせる必要があった。

 帝国各地から、帝国軍増援が到着するまでそう時間はない。


To be continued

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