第2話 『乱闘』

 国境線で起きた事件から数日後、帝都アディンセル。

 各地で戦争の不穏な足音が迫ってきていることも知らず、キラとルークは穏やかに暮らしていた。

 その日はルークが休みで、キラと二人で連れ立って街を歩いている。

 休日は大体そうして街に出る事が多くなっていた。

 一見すると女二人、実際は男女のペア、ルークはたまに顔見知りと鉢合わせるとそのことでからかわれた。

 キラも敢えて否定せず、彼のやり取りを笑って見ているのだった。

「そうだ。キラさんが持っていたあの剣のことなんですが……」

 歩きながら、思い出したようにルークが話を切り出す。

「アディンセル内で、鑑定家が見つかりました。そこへ持っていけば、何かわかるでしょう」

「本当ですか? よかった……」

『あの剣』とは、ルークが発見した時にキラが抱えていた宝剣である。

 行き倒れの娘が持つにはあまりに不釣り合いな品であったため、名前が刻まれたネックレスと同じく、彼女が何者かを特定する上で重要な物だと思われた。

 ルークはそれがどこの物か調べるため、鑑定家を探していたのだ。

 並行して二人で地道な聞き込みなどを行っていたものの、そちらは手掛かりと呼べるようなものは何一つ手に入っていない。

 聞けば、キラは記憶を無くしてから行く宛もないまま三週間近く放浪を続けていたらしく、当初考え至った通り帝国領の外からやって来た可能性もある。

 未だ自然に記憶が戻る兆しはなく、キラはネックレスと剣に一縷の望みを託している状態だった。

「これで私が誰なのか、分かるといいんですけど……」

 キラは期待と不安が入り交じった笑顔を浮かべた。

 確かに以前の記憶がないというのは困りものだが、同時に今のルークとの生活を気に入ってもいた。

 彼は特に意識していない様子だったが、さながら恋人の同棲のような共同生活で、キラは居心地の良さを感じていた。

 記憶が戻ればこの日々が終わるのではないかという不安が、彼女の表情を僅かに曇らせる。

(やっぱり、自分が誰か分かったら家を出て行かなきゃいけないのかな?)

 キラがふと伏せた顔を上げると、道端で座り込んでいる老婆が目に映った。

 どうやら身動きができないでいるようだが、通行人は見て見ぬ振りをして通り過ぎていく。

「ルークさん、ちょっとごめんなさい」

 見かねたキラは彼のそばを一度離れると、道でうずくまる老婆に駆け寄った。

「お婆さん、大丈夫ですか?」

「ポケットのお薬を取って貰えないかしら……」

 老婆は自分の服のポケットにも手が届かない状態らしく、キラは代わりに薬の入った包みを取り出した。

 受け取った老婆は震える手で薬を飲み込み、ようやく落ち着いたようだ。

「ごめんなさいね、お嬢さん。歳になると足腰が痛くて」

「立てますか?」

 しばらくしゃがんて様子を見ていたキラは、頃合いを見て立ち上がり老婆に手を差し伸べる。

「ありがとうね。もう痛み止めも効いてきたから」

 彼女の手を取って立った老婆は、まだ痛みが残るのか足を引きずるようにして歩き出した。

(心配だなぁ……)

 無事家に帰れるのか気がかりだったものの、キラもルークを待たせたままだ。

 ルークはと言うと嫌な顔もせず、じっと成り行きを見守っていた。

 老婆のことを気にかけつつも戻ってきたキラと、ルークは散歩を再開しようとしたが、その時だった。

「退け! 道を開けろ!」

 突然、通りの先から男の怒号が聞こえる。

 二人が驚いて振り向くと、兵士の一団が道の中央を進んでいる姿が見えた。

 大通りの人ごみを押し退けて進む彼らに、二人も周囲と同じように脇へと寄って道を開けた。

「また引き回しなんでしょうか?」

「いえ、今回は巡察のようです」

 以前出くわした行列とは雰囲気が違う。

 帝都アディンセルに住んで長いルークには、何となく見分けがついた。

「刺激しなければ問題ありません」

 兵士の行く手を遮るようなことをすれば騒ぎに発展するが、そうでもしなければただ通り過ぎていく一団に過ぎない。

 怯えるキラを安心させながらやり過ごそうと考えていたルークだが、騒ぎは起こった。

「おいババア! 退けと言っているのが聞こえんのか!」

 行列の先頭から怒号が聞こえる。

 まさかと思いキラが目を向けると、先程の足腰を悪くした老婆が兵士に怒鳴られていた。

 老婆は必死に道を開けようとするも、年老いた足は早歩きもろくにできず、道の真ん中に取り残されている。

「す、すぐに退きますから……」

「こいつ、俺達をナメてるのか?」

 兵士数人が、持っている槍を構えて穂先を老婆に向ける。

「待ってください!」

 気づけばキラは、ルークから離れて道に飛び出していた。

「キラさん、いけません!」

 ルークも止めようとするが、間に合わなかった。

 かつて引き回しの行列に出くわした時は、ただ怖くて何の行動も起こせなかった。

 彼女はそのことを少なからず歯がゆく思っており、今回は考える前に身体が動いた。

「何だ女、お前も死にたいのか?!」

「お婆さんはただ足が弱いだけです! すぐに移動しますから、乱暴はやめてください!」

 キラ自身、武装した兵士の集団相手になぜここまで勇気が出せるのか疑問だった。

「どうやら死にたいらしいな」

「広場で吊るしてやる! 二人共連行だ!」

 キラは勇敢だったが、同時に無謀だった。

 すぐに巡察の兵士に取り囲まれ連れて行かれそうになるが、そこへ待ったをかける人物が居た。

「待て!」

 一団の中央部から馬に乗って出て来たのは、一際目を引く綺羅びやかなローブを纏った中年の男だった。

 兵隊よりも位が高いのか、その一声で兵士の動きが止まる。

 キラは何事かとただ見上げることしかできなかった。

「ふーむ……」

 どうやらローブの人物はキラの方に興味があるようで、舐め回すように凝視した。

「もうよい。市民の一人や二人、避けて通れ」

「ですが、こやつらは道を塞ぎ……」

 突然の命令に兵士は困惑するが、男は異論を許さない。

「無視しろと言っているのだ。聞こえんのか」

「は、はぁ」

 二人を取り囲んでいた兵士達は腑に落ちないながらも列に戻り、男の指示通り何もなかったかのように進み出した。

 その間に人混みの中から半身を出したルークの腕が、キラと老婆を引っ張り寄せる。

「大丈夫でしたか?」

 ざっと見たところ、キラに外傷はないようだった。

「ごめんなさい、つい……」

 キラに続き、老婆も申し訳無さそうに頭を垂れた。

 これにはどう答えるべきか分からず、ルークも困った表情を見せる。

(殺されてもおかしくない状況だった。無茶が過ぎる……)

 今二人が生きているのは、全てはローブの男が兵士を止めてくれたおかげだ。

 ルークは一団の背中をひと目見やる。

(あのローブ、宮廷魔術師か。ただの親切心なのだろうか?)

 一抹の不安は残るが、今は連行されなかったことをよしとすると彼は考えた。

 過ぎ去っていく宮廷魔術師が、同じく騎乗して並走する部下に何かを耳打ちしていたことに、ルークも気付かないでいた。


 その日の夕方、帝都アディンセルの中央に位置する王城の一室では、皇帝をはじめ名立たる官僚が集う定例会議が行われていた。

 広い会議室は薄暗く、壁にかけられた帝国の紋章が刻まれたタペストリーと旗が、ランプの光に怪しく照らし出される。

 部屋の中央にあるテーブルにつく各分野の官僚からの報告を、眉間にシワを寄せて聞いている中年の男こそ、アルバトロス皇帝メイナード六世である。

 大帝国の最高権力者は、領土各地から搾取した財の結晶とも言える色鮮やか衣装と装飾品に身を包み、上座に絶対者として君臨していたのだが、今日の機嫌は芳しくなかった。

「近頃の失態は一体なんだ。反乱軍如きにこうも遅れをとるとは……!」

 今回の会議も不愉快な報告ばかりが目立ち、メイナードは非常に苛立っていた。

 ここ最近はずっとこの調子で、会議のたびに彼は官僚達に怒声を浴びせている。

「恐れながら陛下、反乱軍の動きに妙な変化が見られるのです」

 官僚の一人が言うには、それまで中小規模の烏合の衆に過ぎなかった反乱軍に纏まりができてきたという事だった。

 そもそも反乱軍と一括して呼称するものの、彼らの多くは侵略された国々の民兵であり、国籍はバラバラである。

 それらが別個に帝国軍に抵抗していたので各個撃破すれば容易に制圧できたものが、ここ最近は急に団結を強め、ひとつの勢力として連動するようになり手を焼いていたのだ。

 更にどこかから資金や武具の提供があるのか、貧相だった装備も本格化し、民兵の練度も上がってきているらしい。

「市民の間でも噂になっております。反乱軍を率いる”統率者”が現れたのだとか。新たに反乱軍側につく者も増えているようでして……」

 存在するかどうかも定かではない噂上の統率者だが、国民の間では好意的に捉える声も少なくはなかった。

 侵略された周辺国の民だけではない。

 帝国民もまた、過酷な労働と重税といった悪政に怒りを募らせ、政治への反発は強まる一方だった。

 なおも帝国が今日まで維持されてきたのは、他でもない圧倒的軍事力による抑止力あってのことだった。

 そんな圧政に苦しむ者達は口々に、姿の見えない統率者を『帝国解放の英雄』として噂していた。

「そやつの正体を掴め。暗殺チームも編成せよ。見せしめとして、惨たらしく殺すのだ!」

「既に手配済みでございます」

 民族がバラバラの集団をひとつに纏め上げ、実績をあげるということは容易ではない。

 相当な手腕の持ち主だ。

 本当にその統率者とやらが実在するのならば、皇帝にとって一番の脅威だった。

 だが謎の指導者と言えども、帝国の戦力の前には敵わないであろう。

 すぐに始末して鎮圧できる。

 皇帝はそう高を括っていた。

 それよりも気がかりなのは、反乱軍との内乱で隣国が攻め込んでは来まいかという事だった。

「ロイースへの対処はどうなっている? まだ動きはないか?」

「ロイース王国の牽制は、ハルトマン将軍がうまくやったようです。報告によれば破壊工作が成功し、敵の侵攻準備は頓挫したと」

 帝国軍の総司令の答えに、皇帝メイナードはひとまず胸をなで下ろした。

 ロイース王国とは大陸中央部を二分する、言わばライバル関係にある。

 昔から帝国とは睨み合いと小競り合いが続いており、特に最近クーデターにより政権が変わってからは攻撃的な動きが活発化していた。

 恐らく帝国内の反乱軍の勢いが増している混乱に乗じ、本格的に侵略を開始する算段なのだろうと帝国首脳部は考え、より警戒を強めていた所だった。

 現にロイースは帝国領への侵攻計画を進めており、今回は阻止に成功したものの油断を許さない状況だ。

「ふむ、よろしい。ところで北は? ドラグマ帝国の動きはどうだ」

「相変わらず、沈黙を保っております。今回もドラグマは無視してよろしいかと」

 ドラグマ帝国は大陸北部一帯を支配する巨大国家だ。

 およそ十数年程前は複数の国が北部の覇権を巡り激しい争いを繰り広げており、その戦火が帝国付近まで飛び火することもあった。

 しかしドラグマによって北部が統一されると途端に沈黙し、それ以来何も動きを見せていない。

 まさに極寒の地で国ごと凍りついてしまったかのように、鎖国したのだ。

 更にアルバトロスとドラグマの間には中立地帯である教皇領があり、互いに侵攻するためにはそこを通過しなくてはならない。

 その壁もあって、最近の帝国軍は北へ向けての監視は緩めており、総司令の言葉通り無視していた。

「当面は反乱軍に集中できるな。ロイースの侵略を許す前に、何としても葬り去るのだ」

「私からもご報告がございます。恐らく陛下にとって、よい知らせとなるでしょう」

 今度は一人の宮廷魔術師が話し始めた。

 何事か、と皇帝は尋ねる。

「本日帝都の視察を行って参りました際、奇妙な魔力を感じ取りました。あれは間違いありません、異能者の強い魔力です」

「本当なのか?」

 宮廷魔術師の言葉に、皇帝は強い食い付きを見せる。

 それ程に『異能者』とは魅力的な単語であった。

 それは古くから伝説に語り継がれてきた存在。

 世が戦乱に包まれる時、常人を超えた特別な力を持った異能の人間が誕生すると言う。

 歴史の変わり目において名を馳せた英雄や名君など、その多くが異能者であったことが近年の研究でも裏付けられていた。

 研究の末、異能者は特徴的な魔力を潤沢に持っており、識別することが可能となった。

 熟練の魔術師であれば近付くだけでその特有の魔力を感知し、見分けることもできるとされている。

「部下に尾行させ、確認しました。帝都に住む娘で、まだ力は眠っているようですが、まず間違いありません」

「ふむ」

 メイナードはほくそ笑んだ。

 この宮廷魔術師もまた異能者の研究に携わっており、彼の言葉は確かだと皇帝に確信させた。

 彼の見つけた異能者を我が物にできれば、伝説に登場する英雄の力を手にできる。

 そうなれば得体の知れない反乱軍の指導者も、ロイース王国やドラグマ帝国と言った大国も、やがては全ての勢力が皇帝メイナード六世の名の下にひれ伏すだろう。

 更に異能力のメカニズム解明も進行しており、研究素材さえ手に入れば皇帝自らが異能を得ることも不可能ではなかった。

 メイナードの胸中に、野心が見る見るうちに膨れ上がる。

「その異能者をすぐに捕らえるのだ。我が下へ連れて来い」

「既に捕獲チームが作戦を開始している頃です。明日の朝までには、必ずや陛下の下へお連れできるでしょう」

 何とも仕事の早い男である。

 メイナードはその報告に満足気に頷いた。

 もうすぐ、伝説が現実のものとして手に入る時が来る。

 彼は期待に胸を躍らせ、その日の定例会議を終えた。


 王城で定例会議が進んでいる頃、散歩から帰ったキラとルークは夕食にありついていた。

 帰宅してしばらくするとキラも落ち着き、いつものように台所で腕を振るった。

 気分転換のためにも得意料理のパスタを茹で、少し奮発してホワイトソースと香草で味付けする。

 ここひと月の間でキラは料理のコツをすぐに飲み込み、すぐルークを上回る腕前を見せるようになっていた。

 最初は違和感のあった二人での食事も、一ヶ月ですっかり日常として定着していた。

 自分で作ったパスタの出来具合に満足しつつ、キラは昼間のことを考える。

(思わず身体が動いたけど、ルークさんにも迷惑かけちゃったなぁ……。何も言わないで許してくれたけど、後で謝らないと)

 そこでふと、それまで感じていた疑問が頭に浮かぶ。

(ルークさん、本当に優しいけど……どうしてこんなに良くしてくれるんだろう?)

 何か下心や裏があるわけでないことは、キラも分かっていた。

 異性として意識して、と言うよりもまるで家族に対してのように、無償の愛情を注いでくれる。

 なぜ行き倒れのキラにそこまで尽くしてくれるのか、そこが疑問ながら他に頼れる人物もおらず、世話になりっぱなしという状態だ。

 そんな彼女の胸中を知らず、しかしルークもこの共同生活に安心感を覚えつつあった。

(家族を喪って以来、こんなに充実した日々は久しぶりだ。本来なら、私なんかが幸せを手にしてはいけないんだろうが……)

 キラの疑問の答え、それは今は居ない家族の代わりだった。

 口にこそ出さないものの、かつて戦火で死んだ家族の面影を彼女に見出し、つい世話を焼いてしまう。

 最初にキラを救助したのも、それからずっと家に置いているのも、全ては家族同然に見ているからだった。

 ルークにとっては、歳の近い妹のような存在と言える。

 家族を失ってからずっと独りで生きてきた彼にとっては、心の隙間を埋める無くてはならない存在となりつつあった。

 それぞれの事情を抱えつつ、噛み合わないようで噛み合ってしまった二人はぎこちなくも、今の生活に満足していた。

 明日も変わらず、この日常が続いてくれれば――そんな思考が脳裏を過る。

 だがいつもと変わらぬ光景が続くと思っていた矢先、キラは突如としてスプーンを取り落とす。

 顔はいつになく青ざめており、肩は小さく震えている。

 向かい合わせで座るルークは何を見たのかと背後を振り向くが、何の変哲もない壁があるだけだ。

「どうしました?」

 ルークが不思議そうに声をかけると、ようやくキラは俯いた顔をあげる。

「……逃げましょう」

「え?」

 突然の言葉にルークは戸惑った。

 彼女に一体何が起きたのかさっぱり分からなかった。

 何故逃げるのか、そもそも何から逃げるのか。

 事態が急に飲み込めずルークは混乱した。

「胸騒ぎがするんです。凄く大変なことが……逃げなきゃ」

 ルーク以上にキラは混乱していた。

 頭を抱えて落ち着きなく辺りを見回しながら、ただひたすら不安に苛まれる。

 その光景に既視感を覚えたルークも同様に胸騒ぎを感じつつ、ここは平静であるように務めた。

「落ち着いて話してください、何があったんですか?」

「分からない……分からないけど、大変なんです。ルークさん逃げましょう!」

 どうやらキラ自身にも何を根拠に脅威を感じているのか、分かっていない様子だった。

 根拠はないが何らかの危険が迫っていると考えたルークは彼女を移動させようとするが、突然ガラスの割れる音と共に室内の明かりが消され周囲は暗闇に閉ざされる。

 部屋を照らしていたランタンが何者かによって破壊されたのだ。

 投石か、矢か、はたまた投げナイフか。

 ルークは咄嗟に身を屈める。

 彼がキラの安全を確認する間も無く、すぐにドアが蹴破られ何者かが家に侵入してきた。

 暗闇に目が慣れず姿こそ確認できないが、音や気配で複数人いることが確認できる。

(しまった、正体を悟られたか!?)

 ルークは戦闘に備え身構えるが、まだ目が暗闇に慣れず周囲が見えない彼は圧倒的に不利だ。

 しかも今は、何も武装していない丸腰の状態である。

 万事休すかとルークは死も覚悟したが、侵入者の標的は意外な方だった。

「きゃーっ!」

 暗闇の中、キラの甲高い悲鳴が響き渡る。

「キラさん! どこです?!」

「助けてルークさん! ……むぐぅ?!」

 既に取り押さえられ口を塞がれたのか、キラの声はすぐに聞こえなくなった。

 そして目標を確保した侵入者達は、足早に扉から立ち去っていく。

 最初からルークは眼中になかったのだ。

 少しずつ慣れてきた目が、もがくキラを抱えて連れ去る男達の姿を捉えていた。

(逃すか!)

 彼らが何の目的でキラを攫うのか、定かではなかった。

 突然の出来事にルークも混乱していたが、キラが危険に晒されていることだけは確かだった。

 手際の良さからして相手はプロ集団、振り切られて見失ったら追跡は困難だ。

 ルークは迷わず壁にかけられていた一振りの剣を握り、抜刀した。

 刀身には複雑な幾何学模様からなる魔術文字が刻まれており、ひと目で魔力を帯びた魔法剣であることが伺える。

 キラの抱えていた宝剣ではなく、ルークが所持していたものだ。

 今はこの片手剣が唯一の武器である。

 彼は走る上で邪魔になる鞘を床に投げ捨てると、抜き身の剣を構えて人攫いの後を追った。

(させるものか。昔の私とは違う!)

 かつて大切な家族を守れず、死なせてしまったあの日。

 まだ少年だったルークは無力で、何もできなかった。

(また家族を失うのは、もう御免だ!)

 偶然にも家族の代わりを手に入れた今、もう孤独ではいられない。

 大切な人を奪われる悲しみ、悔しさをまた味わうのは嫌だと、必死になった。

 ルークは全速力で集団を追い掛けたが、初手で出遅れたのは否めず、キラの姿はみるみる遠ざかっていく。

「待て、止まれ!」

 通りを巡回していた衛兵の1人が、ルークを呼び止める。

 それを無視して走り去ろうとするルークを怪しんだ衛兵は、仲間と共に彼の進路を塞いだ。

「どいてください」

 言葉遣いこそ丁寧だったが、ルークは焦りと苛立ちを募らせていた。

 こんなところで足止めを食っていては、キラを見失ってしまう。

「貴様、何者だ? こんな夜中に剣を持って出歩くとは」

「まさか通り魔とかじゃないだろうな。やめてくれよ、俺の管轄で騒ぎを起こすのは」

 夜更けに抜き身の剣を握って走り回っていたのでは、不審者そのものだ。

 鬼気迫る表情のルークを、衛兵達は訝しげに取り囲む。

 彼らの背後には、夜の闇の中へ遠ざかっていくキラの姿が見えた。

 必死に助けを求めてルークに向けられた瞳を、彼は見逃さなかった。

 ルークは突然脇道に飛び込み、衛兵から逃げ出した。

 この周辺の土地勘は身に付けてある。

 キラを攫った集団が走って行った方向と照らし合わせ、衛兵を避ける迂回路を通りつつ、先回りするルートを脳内で構築する。

「逃げたぞ! 追え!」

 衛兵もルークを危険人物と見なし、警笛を鳴らした。

 静まり返った夜の街に、甲高い笛の音が響き渡る。

(これを聞いて他の衛兵が集まってくるまで、もう少し猶予があるはず。それまでに追いつかなくては!)

 曲がりくねった狭い路地を駆け抜け、再び大通りへと出る。

 ちょうど人攫い達が走って行ったすぐ後ろだった。

 裏道を使ってかなり距離を縮められたようだ。

 すぐに彼らの後を追おうとするルークだが、警笛を聞いて駆け付けた衛兵が再び立ちはだかる。

 こうなったら『誘拐犯を追っている』と事情を話した方が早いかとルークは一瞬考えたが、どういうわけか人攫い達が衛兵を素通りしていく光景を見て、それは無駄だと結論付けた。

(どういうことだ……?! 衛兵が誘拐犯を見逃している!)

 おまけに、人攫いの最後尾の人物に何かを吹き込まれた衛兵は剣を抜き、ルークを取り囲む列へと駆け寄ってくる。

「今すぐそいつを捕らえろ! 抵抗するなら殺して構わんそうだ!」

 それを聞いた他の衛兵も一斉に武器を抜く。

 どんな賄賂を握らせたか知らないが、衛兵は完全に人攫いの味方のようだ。

 ここで大人しく引き下がっては、キラを救えない。

 やむを得ないと判断したルークは、圧倒的に数で不利な中で剣を構え、応戦の姿勢を見せた。

 右手でしっかりと魔法剣を握り、左手には何も持たず空けておく。

 武器を持つ右半身を前に出し、反対の左半身は後ろへ。

「そう来なくっちゃ面白くねぇな!」

「翌朝、晒し首にしてやるぜ」

 周囲は包囲されており、十数人の敵に対しルークはたった一人。

 おまけに装備は片手剣一振りで鎧すら着ていない。

 普通に考えて勝ち目のない状況だが、ルークはあくまで冷静に、この包囲を突破し人攫いに追いつく道を考えていた。

 兵士達は剣や槍などでルークに攻撃するが、彼はそれを時に右手の剣で捌き、時に身軽な動きでかわした。

 防具を身に着けていない分、動きは軽いが一撃でも貰ってしまえば致命傷だ。

(ここで見せてしまうと後が無いが……やるしかない!)

 意を決したルークは、空いている左手の人差し指と中指を揃えて立て、それで宙に印を描く。

 ルークが指先を走らせた後には光の軌跡が残り、幾何学的模様が描き出される。

 普段見慣れた一般的な文字ではなく、魔術師が使う『魔術文字』と呼ばれる特殊な字だった。

 宙に文字を描き出したルークは、最後に一節の呪文を口にしながら、衛兵の集団に向けて左手を突き出した。

 するとそこから激しい突風が巻き起こり、前方の衛兵達を吹き飛ばす。

 突風の威力は予想以上に強く、兵隊だけでなく地面に敷き詰められたタイルまでが弾け飛んだ。

 ルークが左手を空けていたのは、持つ武具が無かったからではなく、魔法を行使するためである。

「こいつ、魔法を! 魔術師だ、気を付けろ!」

 ルークが使用したのは風の元素を用いた呪文だった。

 魔法はこの当時一部の人間のみが扱える高度な技能であり、彼らは魔術師と呼ばれ、味方であれば重宝され敵であれば一際警戒された。

 魔法は本来、呪文を詠唱して力を行使するものだが、ルークは左手で中に魔術文字を刻んで詠唱を短縮するという一風変わった方法を取っていた。

 ルークのように武器を持ち、前線で戦いながら術を使う、魔法剣士と呼ばれる者にとって詠唱は大きな隙になる。

 そこで彼ら魔法剣士は様々な方法で試行錯誤し、無詠唱、または呪文を短縮して素早く術を行使することを重視していた。

 強力な呪文は難しくとも、術の格を下げれば前線で戦いつつ、術式を組み立てることも可能となる。

 引き換えに破壊呪文の最大の強みである火力は損なわれるが、そこは持ち前の剣術でカバーするのが、彼らのもっぱらの戦術である。

 ルークもまた、突風を受けて転倒した衛兵に剣を突き刺し、とどめを刺していく。

 返り血にまみれる剣士、これがキラにも見せていないルークのもうひとつの顔だった。

 敵もやられるばかりではなく、無事だった者はすぐに起き上がって、ルークに反撃を行う。

 彼は振り下ろされた槍の柄を剣で切り落とすと、再び左手でさっきとはまた違った印を切り、短い呪文と共に真空の刃を放つ。

 ルークの放った風刃は、目の前の兵士の身体を真っ二つに切断した。

 この呪文は、成人男性の胴体を鎧ごと両断できる破壊力を持ち、ルークにとっての十八番でもある。

 時に風圧で体勢を崩させては剣で直接攻撃し、時に剣でガードしつつ強力な風の刃で敵を切り裂く。

 単騎でありながら、ルークは衛兵部隊相手に互角以上の戦いを見せていた。

「だ、駄目だ! もっと増援を呼べ!」

 対する衛兵は、数の力でルークを抑え込みにかかる。

 何度も警笛を鳴らしては仲間を呼び集め、やられた分の数を補う。

 いくら倒しても次々と増援が駆け付けてキリがない状態だが、ここで退いてはキラを見捨てることになってしまう。

 後になって探しても、もう彼女は見つからないだろう。

 今ここで衛兵の包囲を突破し、誘拐犯に追いつかなくてはならない。

 数で圧倒されながらも善戦するルークだが、多勢に無勢で徐々に手傷が増えていく。

 防具がないため、浅い一撃でも服が裂けて傷から血が溢れ出す。

 彼の服は既に自分と敵の流した血で赤黒く染まっていた。

(くっ……! まだだ!)

 消耗しながらも、ルークは戦いをやめない。

 彼の動きが鈍ってきたのを察した敵はとどめを入れようと襲いかかるが、ルークは突風でそれらを弾き飛ばす。

 だが転倒した相手に駆け寄って剣を突き刺す余力は、もうなかった。

 突風の呪文を免れた兵士が剣でルークに斬りかかるが、彼は何とか右手の剣でそれを受け流し、絡め取って隙ができたところに大きく踏み込み、喉元に突きを見舞う。

 ルークが持つような刀身が真っ直ぐで両刃の剣は、”斬る”ことよりも”突き刺す”ことに向いている。

 突きのエネルギーが直刀の刀身を真っ直ぐに、鋭い諸刃の切先へと伝わるからだ。

 アルバトロスなどの地域では、この作りが一般的だ。

 何度も敵の剣と打ち合ってルークの剣も傷んできているはずだが、刀身に刻まれた魔術文字によって与えられた魔力が、剣そのものの耐久性を向上させている。

 激しい乱戦になっても、折れないようにという工夫だった。

 更に迫る敵兵に、ルークは突きの動作の間に印を切って組み立てておいた風刃の呪文を放ち、胴を真っ二つにする。

 血まみれのルークが通った後には、兵士の死体があちこちに転がり死屍累々といった様子だった。

 もうかなりの人数を倒してきたが、敵は一向に減る気配がない。

 ルークも体力的、そして魔力的にも限界が見えつつあった。

 激しい戦闘で呼吸は荒れ、血を流して体力を奪われたルークは、思わずタイルの剥がれた地面に膝をつく。

(まだだ、あの時守れなかった家族の代わりに、キラさんだけでも救うんだ……!)

 このまま倒れるかと思われたが、彼は精神力で己を奮い立たせ、再び立ち上がると前進を始めた。

「何だこいつ、止まらないぞ! どうすればいいんだ?!」

 衛兵は近付く側から剣で斬られ、風刃で鎧ごと身体を切り裂かれる。

 見る見る損害も増え、数で圧倒しているはずの彼らは狼狽えて接近するのを躊躇い、互いの顔を見合わせた。

 ルークは確実に弱っているが、彼が倒れるまでにまだ何人か犠牲が出るだろう。

 その犠牲者に加わりたくない衛兵は徐々に腰が引けてしまい、一斉に斬り掛かればとどめを刺せるであろうに、それができないでいた。

「どうした、何の騒ぎだ?」

 膠着状態に陥った現場へ、一際体格の優れた1人の男が歩いてきた。

 身に纏う鎧はよく磨かれた鋼鉄製のもので覆う面積も広く、肩にかけた帝国軍のマントは彼が位の高い軍人であることを示していた。

 彼を見た衛兵達は、途端に姿勢を正し敬礼する。

「はっ! 通り魔が現れたと聞き、駆けつけたのですが、相手はどうやら魔術師のようでして」

 男が衛兵の指し示す方を見やると、そこがちょうど騒動の中心点だった。

 息も絶え絶えになり苦しい表情を浮かべながらも前に進み続けるルークに対し、兵隊は槍を突き出して牽制しつつ一定の距離を置くばかりだった。

 ルークが一歩踏み出せば、衛兵隊がその分下がる。

 後ろを囲んでいる兵士も、振り向きざまの風刃を恐れて背後から斬りかかる勇気が出ない。

 及び腰になりながら行く手を阻む衛兵に、時々突風や風刃の呪文が放たれ、今夜の犠牲者が更に増えていった。

「なるほど、魔法か……」

 その姿を見た男は、顎に手をやり少しの間思案した。

 奇妙な既視感を覚えたからだ。

 衛兵が恐れるあの術にも、器用に魔法を行使する青年にも。

 男は眉をひそめると意を決し、戦闘の最中へと近づいていった。

「兵を一旦退かせろ。これ以上被害を出すな。奴は俺が取り押さえる」

「将軍、危険です!」

 衛兵の制止も聞かず、将軍と呼ばれたその男は背中に背負った剣を抜くと周囲の衛兵達を下がらせ、単騎でルークの前に立ちはだかる。

 男が両手で握る剣は刃先から柄まで合わせて1.5メートルに達するいわゆる両手剣で、刀身の幅も広く重量もそれだけ重い。

 対するルークが持つのは刃渡り60センチ程の標準的な片手剣で、華奢な細身の剣というわけではないが、両手剣とはサイズもパワーも決定的に違う。

 まるで両者の体格差をそのまま武器に反映したかのようだ。

 両手剣を両手で構えながら、男はルークに言い放つ。

「これ以上、お前を暴れさせるわけにはいかない。悪いが大人しくしてもらうぞ」

「新手ですか……。退いてもらいます!」

 ルークは堂々と立ち塞がるその大柄な男に言い知れぬプレッシャーと、そして脳裏に引っ掛かる既視感を感じた。

 彼は一瞬動きを止めたが、目の前の障害を排除するべく戦闘を続行する。

 ルークの普段着に片手剣一振りという装備に対し、相手は甲冑を着込み厳つい両手剣を備えている。

 肉弾戦に持ち込まれれば勝ち目がないことはルークにも理解できた。

(あの構え……『羆の型(グリズリー)』か!)

 両手剣の扱いに特化した剣術が、そう呼ばれていた。

 長大な剣を両手でしっかりと保持し、腰は低く落としてどっしりと構える。

 低重心安定の姿勢から放たれる斬撃は、まさに一撃必殺。

 ルークの剣と筋力では受け流すこともままならないだろう。

(やり難い相手だが、弱点はある)

 ルークは両手剣の間合いに捉えられる前に先手を打とうと再び左手で印を切り、風刃を放つ。

『羆の型』は確かに恐るべきパワーを持つ剣術だが、力の籠もった一撃を放つための構えは機動力の低下を招き、魔法や飛び道具で先制攻撃されると弱い。

 そのはずだった。

 だが相手はルークの動きを見た途端に構えを変え、素早い反射で横へ跳んで風刃の直撃をかわす。

 そしてそのまま一気に踏み込み、一瞬でルークとの距離を詰めた。

(型を変えた?! まずい!!)

 ルークは咄嗟に後ろへ飛び退こうとするが、傷を負って弱った身体は本人の予想以上に反応が鈍い。

 そして直後に繰り出された大剣の柄による打撃は重く、ルークに強烈な衝撃を与えた。

 ルークはよろめき呻きながらも右手に握った剣での反撃を試みるが、男は両手剣ですぐさま受け止め弾き返す。

 両者のパワーの違いは明らかで、攻撃を弾かれたルークは完全に体勢を崩し隙を晒した。

 すかさず男はルークのみぞおちに拳を叩き込む。

 ルークの全身から力が抜け、握っていた剣を落とし、糸の切れた人形のように男の側に倒れ込む。

 ここで意外にも呆気なく、勝敗は決した。

「ぐぅ……! わ、私は、キラさん……を……」

「落ち着け、悪いようにはしない」

 意識を失う直前のルークをそっと受け止めると、耳元で男は小声でそう言った。

 勝負がついたことを確認すると、遠巻きに様子を見ていた衛兵達が一斉に駆け寄ってくる。

「流石です、ハルトマン将軍閣下!」

 衛兵は男に賞賛の言葉を贈ると同時に、気絶したルークに憎しみの篭った視線を向ける。

「こいつのせいで何十人やられたか。絞首台へ送られる瞬間が見ものだぜ」

「イカれた魔術師め、地獄に落ちやがれ!」

 これまでのうさ晴らしとばかりに、衛兵達は次々と意識のないルークに罵声を浴びせる。

 そしてハルトマンと呼ばれた男にもたれかかって気絶しているルークを牢屋まで連行しようと衛兵が手を伸ばすが、ハルトマンはそれを遮った。

「いや、こいつは俺の知り合いだ。処分は俺が直々に下す。いいな?」

 もたれかかるルークを肩に担ぐと、彼は有無を言わせぬと衛兵達に睨みを利かせて釘を刺す。

 衛兵も突然のことで困惑を隠せないでいたが、地位が遥かに上の上官からそう言われては反論のしようもない。

 ルークを担いだハルトマンは堂々とその場を後にした。

 彼の背中を見送りつつ、衛兵達は呆然としていた。

「どういうことだよ……」

「どうもこうも、俺達下っ端が将軍に逆らったって仕方ない」

 彼らは口々に小言を呟きながらも、現場の後始末を始めた。

 衝撃波で路面のタイルは所々剥がれ、そこらかしこに死体や負傷者が転がる大惨事である。

 こんな事態を引き起こした魔術師をハルトマンは知り合いだと言ったが、果たしてルークの正体は何者だったのだろうか。


To be continued

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