第59話

「どうした、リューグナー。落ち着かない様子だな」


 女王にまでからかわれて、ジゼルはフォークに刺していた肉をポロリとこぼした。その様子を女王はくすくすと笑う。


「え、いえ。その……」


「私の料理は口に合わないか?」


「そんなことありません、めちゃくちゃ美味しくてびっくりしています。女王様は、どこでこんなにお料理を習ったのでしょうか?」


 慌てふためくジゼルを、女王は怒りもせずに笑う。女王はジゼルのことをだいぶ気に入っており、穏やかな表情を向けてくれるようになっていた。


「嫁入り前に、一通り教わるのだ。料理、裁縫、掃除、洗濯……ほとんどを侍女がしてくれるのだが、一通り学ばなくてはならない」


「そうなんですね? やらなくていいことなのに、なぜ?」


「多くの民が、それを経験するからじゃ。それを知らずに、人の上に立つことなど、おこがましいというものよ」


 女王の瞳が穏やかに細められ、そして横へと流れる。視線の先には、幻の第二王子、ジェフリーが座って、静かに食事をとっていた。


 顔色は極端に悪く、小さく切りながら、柔らかい肉をゆっくりと咀嚼している。その姿は、王子の服を着ていなければ、病人と間違われても仕方のないものだった。


「ジェフリー、味はどうだ? そなたは熱いのに気がつかずに食べるから、今日は良く冷ましておいたぞ」


「はい、とてもおいしゅうございます。久しぶりにお作りいただき、感謝いたしております」


 母親と子どもの会話には聞こえないそれを繰り返しつつ、ジェフリーは顔色は悪くとも、しっかりとした意識は持っているようだった。しかし、しゃべるのも辛いのか、ゆっくりと言葉を発し、何やら動作も緩慢だった。


「ならよろしい。ジェフリー、何かリューグナーに質問などはないのか?」


 それに、ジェフリーはだいぶ考え込んだ後、「素晴らしい絵をお描きになる」とつぶやいた。ジェフリーは、歳にして十八歳。ジゼルと変わらないのに、やつれて老けて見えた。


「あのような絵は、どうやったら描けるのでしょうか?」


「え、いや……特に意識したことはないのですが……なんというか、自然と手が動く感じがします」


 そのジゼルの返事に、ジェフリーも女王も、へえ、と大きくうなずいた。


「真っ白なキャンバスの前に立つと、そこに描かれるべき絵が頭の中に降ってきます……それを描くだけ、と言いますか」


「まさに、天才ですね。こんな素晴らしい方と一緒に食事ができて、嬉しいです」


 ジェフリーがほほ笑むが、どこをどう見ても、病弱な顔つきだった。女王が用意した品々は美味しかったのだが、ジェフリーの分は極端に少ない。そして、そんな彼を見ていると、ジゼルも気を取られて食事どころではなくなりそうな気持ちになった。


「ジェフリー。具合が悪いようならもうよい」


 女王の言葉に、ジェフりはーは一瞬ためらった後、悲しそうに目を伏せた。そして、両手に持ったフォークとナイフを置く。


「申し訳ありません。体調がすぐれず……」


 両手を見て、ジゼルはジェフリーの両手の皮膚が、他の個所とは違う色に変色しているように見えた。それを隠すかのように、ジェフリーは手袋をはめる。


「途中退席してしまい、申し訳ありません」


「あ、いえ……大丈夫ですか?」


 ジゼルが心配そうにすると、ジェフリーではなくて女王の方が答えた。


「大丈夫だ」


 そのあまりにも鋭い物言いに、ジゼルの方が冷や汗をかく。思わずジェフリーを見たが、女王の言い方を気に留めていないようだった。


「休んでいなさい。もう下がって良い」


 ジェフリーは一礼して、その場を去る。お手伝いに付き添われて、ぎこちなく歩いて行った。残されたジゼルは、女王と二人で会話しながら、残りの食事をした。


(なんだろう、この違和感……)


 ジゼルは、どことなく気味悪さを感じながらも、顔には出さずに食事を楽しんだ。

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