第13話

 駆け出して会場を抜け出たのは良いものの、王宮内のどこに今自分がいるのかが分からない。ジゼルはくらくらする頭を必死で回転させて、庭に出ることに決めた。


 どこをどう歩いたかは分からないが、窓の外に庭が見えた瞬間、その窓の鍵を開けて、外へと飛び出した。


「もうっ最悪――!」


 そして、庭の草の上に、今しがた飲んだ酒を吐き出した。最後は指まで喉の奥に突っ込んで、ゲホゲホとむせながらも、一滴残らず排出する。


「ローガンは腹立つけど……カヴァネル様を死なせるわけにはいかないもの」


 前王が逝去してはや数年。この国が傾かなかったのは、女王が有能だったからではない。宰相の切れ者であるカヴァネルがいたからだというのが、もっぱらの真実だ。


 その彼を、死なせるわけにはいかない。だからこそ、ジゼルは慌てて酒を飲んだのだ。


 さらに吐き出していると、暗がりに、近くに小さな手洗い用の水場があるのを見つけた。そこまで這いつくばるようにして向かう。流れている水を口に含み、うがいをしてから、またもや近くの茂みへと吐き出した。


 数十回、無理やり吐かせたせいで、身体が疲れて脱力してくる。おまけに、緊張の糸が解けて、その場で腰を抜かした。手だけ水場に浸けて、服や髪が濡れるのも構わずに、ジゼルはその場にしゃがみこみながら、大きく深呼吸を繰り返した。


「何だってあんな……マチルダが言ってたのは、本当だったんだ。密造酒が出回っているって」


「おい、あれが密造酒だって、どうして分かった?」


 急に後ろから声をかけられて、ジゼルは苦笑いをした。足音もなく、猫のように近寄ってくる。特徴のある声音には、怒りは含まれていなかった。


「十四年前、あのラベルのお酒を飲んで、目の前で死んだ人を見たことがある」


「そんな昔のこと、なんで覚えている? あんたその時四歳だろう?」


「覚えている、何でもね」


「何でも……?」


 それに、ジゼルはうなずく。声の主ローガンは、闇夜と同じ色の髪の毛を揺らしながら、ジゼルの横に膝をついた。ちらりとその姿を見てから、ジゼルは眉根を寄せた。


「とにかく、あれは密造酒だよ。飲んだら死ぬか、身体に異変が起こる」


「だからって、あんたが飲まなくったっていいだろうが」


「杯を断るのは失礼だから。一番の不義に当たる。宰相が女王主催の宴で、彼女の顔に泥を塗るわけにはいかないでしょ?」


 そうでなければ、ジゼルだってあんな無茶はしなかった。


「だからわざわざああやって飲んで、酒瓶叩き割ったってわけか?」


 それにうなずくと、身体が傾いだ。すっと伸びてきたたくましい腕が、ジゼルを支える。


「飲んで、私が具合が悪くなったのを見れば、誰も飲まなくなるもの。私なら、女王様のお酒って知らなかったって言えば、どうにかなるし。割っちゃえば誰も飲めない」


「そりゃそうだが、無茶が過ぎる」


「瓶のお酒は少し減っていた。あなたさっき、具合が悪くなった人がいたって言っていたよね? あのお酒を飲んだ人かもしれない、だったらすぐさま吐かせるか、水を大量に飲ませて」


「もう王宮医には伝えた」


「そう、ありがとう」


「おい、死ぬなよ」


「死なない。お酒を飲む前に、油を大量に飲んでおいたから……でもごめん、気持ち悪いし、意識飛びそう……悪いけど、私の家に、連れて行ってくれない?」


 ふざけるな、とローガンが眉をしかめた。


「お願い、連れて行って」


「嫌だね」


 意地悪な言葉とは反対の、ローガンの心底心配した顔を見て、ジゼルはなんだか笑ってしまった。宰相の護衛だという屈強でたくましい男が、自分のようなひょろひょろのことを心配して、美しい顔をゆがめている姿は、現実味がなくて滑稽だった。


「やっぱり、ローガンは意地悪だね」


 あとは任せるね。そう呟くと、ジゼルの意識が飛んだ。

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