第7話 追憶のエルファバ

「ゼクス様も、不思議にお思いになられたのではないですか? いったいどのタイミングで、私はこの町を訪れたのか、と」


 それは、まあ。

 テンコルはもともと人族が暮らしていた町だ。


 6年前の戦争中に起きた魔力災害がきっかけで町の6割が壊滅。残った住人は主に王都アストレアへと流れて、今ではすっかりゴーストタウン。


「人が暮らしていた時代に、正体を隠してやってきたんだろ」

「お見通しというわけですか」

「ただの予測だ。どうして魔族領を抜け出したのかだとか、どうやってこの町まで捕まらずに来られたのかとか、肝心な部分はさっぱりわからねえ」

「協力者がいたのですよ。それも、人族の」

「は?」


 人族の協力者?

 そいつが魔族領から彼女を連れ出した?


「魔族領に忍び込んだ人間がいたのか?」

「そうなります」


 世の中には、ぶっ飛んだ人がいるもんだな。

 いや、魔族領に足を運んでいるのは俺も同じか。


「私は第三王女という立場でしたので、切り捨てて争いの火種を生み出すのにちょうどよく、まさしく殺される直前だったのです。……実の父の指針によって」

「実の父って」

「はい。魔族の陛下としては素晴らしいお方でした。ですが、一人の父としては……」

「……殿下も、裏切られてきたんですか」


 少し、冷えますね。

 彼女はそういうと、燭台に魔法で明かりをつけた。

 揺らめく火が部屋を照らす。


「……最初は、毒殺を謀られました。食事に致死量の毒を盛られて、口から泡を吹いて、全身を内側から引き裂くような痛みにあい……それでも私は死にませんでした」


 理由はもう分りますよね。

 そう問いかけてきた彼女に、不死だからかと答えると、彼女は満足そうにうなずいた。


「それから、馬による事故死の演出。魔族の夜会に向かう馬車の馬に、道中で蹄が割れるように細工が施されていたのです。我を失った馬は谷底へと向かい、私も間違いなく圧死したはずでした」


 まあ、それでも死にきれなかったわけですがと彼女は言う。


「そうして、父も気づいたのです。私が魔族の中でも貴重で希少な不死魔族ということに」

「貴重で希少? だったら、どうして封印なんて手段を選んだんだ」

「考えてもみてください。父は二度私の暗殺に失敗しています。その娘を手懐けられる可能性と、復讐で命を狙われる危険性、どちらを選びますか?」

「魔王は、実の娘の才能に臆したわけか」


 もしもの未来を想起する。


 もし魔王が彼女を捨て札にしなかったとして、彼女の不死性に気づいて丁寧に育てたとして、彼女が次代の魔王になっていたとして。

 はたして勇者は、魔王に打ち勝てただろうか。


(……人族にとっては、降って湧いた幸運、か)


 誰かの不幸は誰かの幸せってことか。

 この世界のありようは、胸糞が悪い。


「不死魔族を殺す手段はいくつかあります」

「そうなのか?」

「有名どころだと、マグマに突き落とす、魂を抜き取る、低位の魔物と融合させて生命力の格を落とす、神への供物としてささげるなどがあります」


 こいつ。

 自分の弱点をこうもべらべらと。

 俺に殺されるとは思っていないのか?


「……俺に伝えてよかったのか?」

「これは私の誠意です。ゼクス様に対する信頼です」

「会って一日も経ってない相手に、気を抜きすぎじゃねえのか?」

「最大効率の切り札だと思いますよ?」


 何を言って……いや、いい。

 言霊を見たら意味が分かった。


(『だってゼクス様は、人の信頼を裏切れないでしょう?』、か……)


 痛いところをついてくるなぁ。


 まあ、最初から打算があっての言葉とわかった方が俺としても気が楽だ。相手の腹を一方的に知っている状況はアドバンテージだからな。いくらか心に余裕も生まれる。


「陛下が取ったのは、マグマに突き落とす方法でした。人族領と魔族領を隔てる霊峰、ラナキアラ山脈、その活火山、レイヴァ山へと私を運び、殺そうとしたのです。唯一の計算外は、首謀者に仕立て上げようとしていた人族の男でした」

「……その人が、殿下の協力者か」

「その通りです」


 暖かな光の向こうで、彼女の目が細められる。


「彼は、どうしようもないお人好しで、死にゆく運命を背負った私を、それでも助けようとしてくれて」


 彼女はレイヴァ山から、人族領を旅した思い出を語った。どこか声は弾んでいて、言葉は滞ることなく紡がれた。


「ですが、そううまくいくはずもなかったんですよ」


 声の質がシフトする。

 柔らかな音から、硬い音へ。

 軽い音から沈んだ音に。

 紡がれる言葉の質が変異する。


「迷宮都市エリュシオンで、ついに私たちは追手に追いつかれました。そんな私を、彼は、命がけで、逃がしてくれて」


 嗚咽が混じる。

 彼女の肩が震えている。


「生きのびなきゃ、生きのびなきゃ。

 そればっかり、考えて、逃げて、走って、躓いて。

 テンコルについたときには、疲れ切っていて。

 そんな私に、テンコルの村の人たちは、優しくしてくれて。

 それで……」


 息継ぎもせずに口にした後、彼女は一つ呼吸を挟んだ。

 吐息、というより、それは――


「……裏切、られたんです」


 ――ため息に近かった。


「眠れない日々を過ごしていたからでしょうか。

 その日、私は泥に沈むように眠ってしまいました。

 目が覚めたのは、月が煌々と照りつけるころ。

 覚えているのは全身を引き裂く熱い痛み。

 不死魔族と言っても、再生にかかる時間は人体損傷率に比例します。テンコルの町から、トレントの森へ向かう道中、何度も、何度も、四肢をもがかれ続けて」

「もういい。やめろ」


 俺は、間違ったのかもしれない。

 彼女をこの町に、連れてくるべきではなかったのかもしれない。

 この町で感傷に浸る時間を与えてはいけなかったのかもしれない。

 俺の気づかいは、彼女の古傷を開くだけの愚行に過ぎなかったのかもしれない。


「協力者は、最期まで私の身を案じてくれました。ですが、その結果がスヴァルトに封印されるという醜態です。逃げてばかりではらちが明かない。眠りにつく前に私は、今度は運命を自分の手で切り開くと誓ったのです」


 ああ、くそ。

 自分で、自分が、嫌になる。


「……ここまで話しておいて信じてもらえないかもしれませんが、復讐をしようという気は、まったく湧かなかったんですよね」


 客観的に考えれば、その言葉は信じがたい。

 だけど、それは紛れもない本心だと、言霊が教えてくれている。

 その気持ちは、俺にもわかる。


「復讐って、結構カロリーいりますもんね」

「そうですね。6年の断食越しには厳しいです」


 傷心した心で怒りを抱き続けるのは難しい。

 悲しみの海に身をゆだねてしまうほうが、よっぽど心は楽になる。

 それを俺は知っている。


「でも、だったらテンコルには何をしに?」


 結局、何が目的でここに来たがったんだ?

 それだけがいまだにわからない。


「ふふっ、それはですね? あの日、最初から私は騙されていたのか、それとも眠った後に追手に唆されたのか、それを知りたかったんですよ」


 口元を手で覆い、くすくすとほほ笑む彼女。

 ふと虚空を眺める彼女。


 彼女の口が動く。

 言葉が紡がれる。

 その様子を、俺は、驚くほどスローモーの世界で知覚していた。


「『人の話には虚実が混ざる。

 真実は自分の目と耳で見極めろ』

 私の協力者の教えなんです」


 耳を疑う。


「……今、なんて?」


 丁寧に繰り返してくれる彼女。

 待って、どうして。

 どうして彼女から、その言葉が。


 どうして父さんの口癖を、彼女が知っているんだ?

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