第8話 決着、テンコルの亡霊

 夜が深くなっていく。

 小望月の夜だった。


 煤を流したように黒い空。

 銀砂をちりばめたような星の海。


「ゼクス様?」


 彼女が不思議そうに俺の名前を呼んでいる。

 疑いの芽を悟られるのは避けたい。

 適当に切り返して、会話をそらさなければ。


「何でもない。少し、夜風にあたってきます」


 この場に居続けるのはまずい。

 彼女の洞察力は本物だ。

 長くはごまかせない。


「それでしたら、はい」

「……? これは?」

「私のストールです。夜は冷えますので」


 彼女は自身のストールを、俺の首にかけた。


「血がついてますけど」

「うぅ……エルダートレントに刺されたときです」


 血はとっくに酸化して、黒ずんでいた。

 だけど、トレントに刺されたとき、彼女の血は確かに赤色をしていた。


「お気に入りなので、絶対に返してくださいね」

「……大丈夫ですよ」


 宿屋を後にする。

 月は白く笑っている。



「わかんなく、なっちまった」


 彼女の言葉を信じるならば、父さんは彼女を助けて代わりに死んだことになる。

 父さんに、間接的な死因を押し付けた相手。

 俺の、仇、なのか?


「どうしたいんだ、俺は」


 風が強く吹いた。

 ストールがはためいている。


「ん? なんだこれ、人魂?」


 視界の端に弱いプラズマをとらえ、目を霊視に切り替える。弱いプラズマに重なる様に、人型の霊体が浮揚している。


(戦争で亡くなった人の魂か)


 もう6年も経つっていうのに、いまだに地縛霊のように囚われ続けているのか。俺が死ぬときは、未練がない状態で安らかに眠りたいな。


(まあ、幽霊なんて悪霊でなければ何でも……あ?)


 ぼんやりと霊魂を眺めていると、その色が徐々に変化していった。穏やかな青から、粘着質で毒々しい紫色に移り行く。


「悪霊化? そんな、どうして」


 悪霊化は霊魂が負の感情を増幅させたときにおこる現象だ。通常、実体を持たない霊体は現世に干渉する手段がないが悪霊は周囲に実害をまき散らす。

 だけど、6年も地縛霊をしていた存在がどうしてこのタイミングで悪霊に……。


 ――今日、この町には、彼女がいる。


「殿下……っ」


 走って戻ろうとした足が、影に縫い取られる。

 月夜に伸びる影が俺の猜疑心の芽に水をやる。


 ――手前の父親の死因を作った女だぞ。

 ――助ける理由がどこにある。


 大樹スヴァルトから救い出した時とは状況が違う。

 あの時は見捨てることに義はなかった。

 だけど今は、見捨てるだけの正当な理由がある。


 ――そもそもあれは殺しても死なないだろ?

 ――手前が助けに向かってなんになる。


 月に雲がかかる。

 俺から伸びる影の境界があいまいになっていく。

 当たりが闇夜に飲まれていく。


「うるせえよ」


 嘲笑う影を踏みにじる。

 一歩前に踏み出す。


「俺を、必要って言ってくれたんだよ。駆け付ける理由なんて、それで十分じゃねえか。なあ?」


 迷いは晴れた。

 後は、行動で示すだけだ。



「殿下!」

「ゼクス様? どうなされたのです? 血相変えられて」

「この町を出ます。理由は移動しながら話します」


 殿下に手を伸ばす。

 彼女は最初、俺の瞳をのぞき込んでいた。

 それから、小首をかしげて笑みを浮かべる。


「はい。承知いたしましたわ」


 俺の手を取る殿下。

 引き寄せ、宿を後にする。


 扉を開けると、周囲の気温が5度下がった気がした。

 空間が嫌な音を立てている気がする。

 殿下もこの空気を感じ取ったのか、わずかに顔をゆがめた。


「ゼクス様、これは」

「悪霊です。おそらく、戦争で亡くなった方の」

「……それは6年前の者ですか?」


 方便を使うのは簡単だ。

 ただ一言、そこまでは分かりませんと言えばいい。


 殿下の目を見た。

 まっすぐな瞳で、俺の様子をうかがっている。


「十中八九」

「……そう、ですか」


 なんとなく、ごまかすのは不誠実だと感じた。

 霊視を使って、悪霊がいないほうを目指して走る。


「ゼクス様は、悪霊をどうにかできますか?」


 考える。


(悪霊を見るには霊視が必要だ。霊視をしていると、生殺与奪の魔眼が使えない)


 仮に二つの目を併用できたとして、既に死んでる相手を再び殺すなんて可能なのか?


「……俺の手には、負えないですね」

「そうですか。わかりました」

「……殿下?」


 俺が無理だと口にすると、殿下は俺の手をすっと手放し、雪が解けるように曖昧な笑みを浮かべる。


「私が、原因なんでしょう? でしたら、彼らの思いを受け止めませんと。彼らを、いつまでも未練の鎖に繋ぎ留めておくなんてできませんもの」

「待っ」

「大丈夫です。私は、死にませんから」


 そう口にして、殿下は来た道を引き返す。

 ……んだよ、それ。

 ふざけんじゃねえぞ。


(右目と左目で、別の世界をとらえろ)


 頭が妙に冴えていた。

 澄んだ水のように、どこまでもクリアな思考回路。


 研ぎ澄まされた神経が知覚する世界。

 精神が肉体という殻を破り、外界へ染み渡る感覚。


(……来た)


 時間の流れが粘性を帯びる。

 水飴の海で泳ぐように、体の動きが思考に遅れてついてくる。


(右目は霊視、左目は生殺与奪の魔眼)


 二つの世界が折り重なる。

 不可視の悪霊から伸びる闇色の糸が目に映る。


 未練なのか、呪縛なのか。

 どちらかは定かではない。

 それが霊体をこの世につなぎとめている錨ということだけは、直感でわかった。


(この糸を、断ち切る!)


 ホルダーから投げナイフを取り出し、糸を引き裂く。


「っ、ゼクス様、息苦しさが少し緩和された気がしますが、何かなされましたか」

「悪霊を、一体弔っただけです。もう少し待っていてください。今、楽にしてあげます」


 どす黒い光を、片っ端から引き裂いていく。

 現世との繋ぎを断ち切られた霊体が、形を保てずに崩れていく。


「……手に、負えなかったのではないのですか?」

「あの時点では、確かに負えませんでしたよ」

「でしたらなぜ」


 少しして、俺はすべての霊を葬り終えた。

 そのころには、月に掛かった叢雲は、どこかに消えてしまっていた。


「王女のピンチに、眠っていた力が覚醒した、とかじゃダメですかね?」


 少し照れくさくて、頬を指でかいた。

 殿下が喉を鳴らすのが見えた。

 だけどその緊張は長続きしなかったようで、少しずつ、彼女の頬は緩んでいく。


「ふふっ、そうですか。なんだか、おとぎ話の騎士さまみたいですねっ」

「そう、ですね」


 腰が抜けてしまっている彼女に手を差し伸べる。

 やはり彼女は俺の手を取ってくれた。

 引き上げて、面と向かって、言葉にした。


「改めて、よろしく頼むよ。エルファバ」

「……いま、私の名前」


 わかってる。

 あまり心を開きすぎると、碌な目に会わないってことくらい。

 だけど、理屈じゃねえんだ。


 感情が、そうしたいって、思ったんだ。


「はい。よろしくお願いいたしますわ」


 月が、町を煌々と照らしている。

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