第5話 決着、エルダートレント

 ずっと、誰かの言葉を信じてきた。


 だからこそわかったことがある。


「信じる者はすくわれる。ああ、そうだろうな。何回も、何回も、何回も。俺は足を掬われて、そのたびに馬鹿を見てきたんだ」


 信じるから裏切られる。

 心を許すから、胸に穴が開く。


 だったら最初から、信じなければよかった。

 そうすればこんなに苦しむことはなかった。

 失う痛みも知らずに済んだ。


「俺はもう、誰も、信じない」


 それが、たった一つの冴えたやり方だから。


 父が他界したこと。

 母が先だったこと。

 幼馴染に見捨てられたこと。


 俺はすべてを話した。


 笑えよ。

 馬鹿な俺を、後ろ指さして笑うがいいさ。


「笑えない嘘ですね」

「……ぇ?」

「今の言葉は建前でしょう。本心は別にありますね」

「何を言って」

「信じることを諦めた人が、人に過去を打ち明けるはずないでしょう」

「……っ」


 息をのんだ。


「あなたが恐れているのは信じることではありません。裏切られることです。心に傷を負うことです」

「うるさい! それの何が悪い!!」

「当然の防衛反応です。私は否定しません。むしろ、美しいとさえ思います」

「……は?」


 何を言っているんだ。

 だったら放っておいてくれればいい。

 俺は傷つかなくて済む。

 あんたは美しいものを美しいままで残せる。


「そのような過去がありながら、それでも希望を捨てきれずにいるのは、心から大事にしているからでしょう?」


 ……信じたいさ。

 俺を必要としてくれる人が、この世にたった一人でもいるって、信じたいさ。

 だけど、そのたびに傷つくのは俺なんだ。


「私は、あなたを裏切る100人の誰より、100回裏切られてなお、人を信じようとする、あなたを好ましく思います」

「……」


 やめろよ。

 やめてくれよ。

 そんな言葉で、俺を惑わさないでくれ。


「あえてもう一度言いましょう。ゼクス様、私にはあなたが必要です。私の盾となり、剣となり、ともに道を歩んでください」


 ……ふと、俺は思い出した。

 別に忘れていたわけではないけれど、不意に、唐突に、ある言葉が脳裏をよぎった。


 ――真実は自分の目と耳で見極めろ。


(……父さん)


 俺は、諦めきれねえよ。

 もう一回、もう一回だけだ。

 本当に俺を必要としてくれる人がいるのか、それともやっぱり、誰も俺を必要としないのか。


 これが最後の、確認だ。


「……だ」

「はい?」

「トレントの森を抜けて、町につくまでだ。そこまでは、面倒見てやる。そこから先は……その時また考える」

「お話を受けてくださるのですか?」

「暫定的に、な」


 希薄な関係性でいい。

 そうすれば、裏切られたって、痛みは軽いはずだ。


「ありがとうございます」


 過度な期待はしない。

 裏切られる覚悟で臨め。

 真実がわかる、その日まで。



「ちっ、こっちの道もふさがれてる」


 俺たちは、森を歩いていた。

 木の実を見つけてはもいだり、トレントが潜んでいる場所を迂回していたりするせいで、なかなか先に進めない。


 生殺与奪を司る魔眼を使えばトレントなんて気にせずに横断できるが、魔王の娘が隣にいる状況でむやみに手の内をさらす愚は犯したくない。


「ゼクス様、この森、やけに騒々しいですね」

「……本当ですね。風が強いわけでもないのに」


 やけに木々のざわめきがうるさい。


「もしかしたら、何か意味があるかもしれませんね」

「意味ですか? どのような」

「さぁ? 植物さんの言葉は分かりませんので」

「植物には耳が無いでしょう」

「それはどうでしょう。クラシックを流した菜園は、クラシックを掛けなかった菜園と比べて糖度の高い実がなったという研究結果があります。耳でなくても、外界の音を知覚する器官があってもおかしくありませんわ」

「……」


 欠けたピースが埋まる感覚。

 俺は最初、森を西へ直進しようとしていたが、少しずつ北にそらされている。

 ただの偶然だと思っていたが、もし、もしもだ。

 もし、声を出す器官のないトレント同士で意思を伝達する手段があるのだとしたら。


(……トレントに、誘導されている?)


 足を止めて、振り返った。

 違和感。

 通ってきた道が、微妙に変わっている。


 先ほどあったはずの場所に木がなく、先ほどなかった場所に木が生えている。

 トレントが移動した? 何のために?


「……殿下、走ります」

「へ? ゼ、ゼクス様?」


 くそ、ぬかった。

 トレントの集団知能を甘く見た。


「先ほどから続いていた木々のざわめきは、トレント同士が俺たちの居場所を共有するのに使っていた可能性があります」

「トレントにそんな知能が⁉ 何の目的で?」

「それは――ッ!」

「きゃっ」


 俺は足を止めた。

 つんのめった殿下が俺にぶつかる。


「くそ、やってくれたな」

「ゼクス様?」


 周囲を見渡す。

 あっちもこっちも、にっちもさっちも。


「……俺たちは、囲まれました」

「囲まれる? トレントにですか?」

「はい」

「そんなまさか。トレントにそんな統率力はありません!」

「……エルダートレントがいる可能性がありますね」


 エルダートレント。

 樹齢500年を越えたトレントが進化したものと言われている。俺はお目にかかったことはないが、討伐ランクはSに近いAと言われている。


 ここまで強力な魔物になると、知能も比例して高くなる。そいつが裏でトレントに指示を出しているならば、この現状も納得できる。


(……さて、どうしたものか)


 殿下がトレントを倒せるのなら話は早いのだけど、最初トレントに気づかなかった点と、エアスラストの威力から期待はできない。


(この包囲網を突破するには、生殺与奪の魔眼が必要だな。手の内をさらすのは仕方がないか。問題は、包囲網を抜けた後、出口まで鑑定眼が持つか)


 鑑定眼を使っていると、1秒がやけに長く感じる。

 それだけ知覚が加速しているわけだけど、脳にかかる負担はそれ相応になるし、集中力が持続するかの問題も出てくる。

 クリスタルアルラウネを相手にしたときも、時間がたつにつれて回避が甘くなった。

 だけど鑑定眼を使わなければトレントの擬態を見抜けない。

 森の出口までの距離はそこそこある。


「……やるしかねえか。殿下、行きます」

「へ? なにを」


 鑑定眼から、生殺与奪を握る魔眼に切り替える。

 世界が白黒に飲まれ、淡い光の筋が伸びる。

 ホルダーからナイフを取り出した。

 西側のトレントへ続くそれらを切り裂く。


「走って!!」

「っ! はい!」


 倒したトレントに向かって走る。

 目は鑑定眼に戻した。

 鑑定眼のほうが索敵に向いているからだ。


「前方右に15度距離8メートルにトレント。左にそれます」

「はい!」

「前方10メートルにトレント、迂回します」

「はい!」

「左22度にトレント」

「っ、はい!」


 くそ。

 数が多すぎる。

 マジで森の外まで鑑定眼をフル稼働させ続けないといけないぞ。


「ゼクス様! 目から、血が!」

「……汗です」

「そんなはずないでしょう!」

「大丈夫です。森の外まで送る。その約束は、守りますから」


 ちっ、やけに視界がにじむと思ったら、そういうことかよ。思えば、クリスタルアルラウネから始まって、今日は目を酷使し過ぎている。

 とっとと森を抜けて、目を休ませないと……。


「ゼクス様、危ない!!」

「……え?」


 ぐっと、腕を引かれる感覚。


 後方にいた殿下が、俺の腕を引いたのだ。


 反作用で、殿下が俺の前に出る。


 その、頭上から迫る黒い影。


「ッ⁉ 殿下⁉」


 次の瞬間、轟音が土煙を巻き上げた。

 枝だ。

 槍のようにまっすぐ伸びた枝が、斜め上から地面に向かって突き刺さっていた。


 殿下の心臓を貫いて。

 鮮血を巻き上げて。


「……る」


 枝の出所を見やる。

 ひと際大きな樹木が、せせら笑うように立っている。

 鑑定眼なんて使わずともわかる。

 お前がエルダートレントだ。


「殺してやる」


 魔眼に切り替える。

 やけに光がよく見える。

 これなら、見逃さない。


「死ね」


 ナイフを投げた。

 青い光が交差する一点に向けて。

 サクりとナイフが敵に突き刺さる。

 瞬間、エルダートレントから青い光が霧散した。


 殺した。

 感慨もなく、達成感もない。

 ただ殺したという事実だけが残った。


「……殿下」


 嘘を、ついた。

 森の外まで、送り届けるって約束したのに。

 守れなかった。


「こほっ、こほっ。んんっ。あーあ。せっかくの衣装が台無しです」

「へ?」


 エアスラストと唱えて枝を裂き、枝から身を抜くアルビノの少女。


「いや、なんで生きて……」

「あら? 申しあげましたよね?」


 泡立つように、心臓に空いた穴が復元されていく。

 なんだ、これ。夢でも見てるのか?


「私、不死魔族ですので」


 ……いや、不死にも限度があるだろ。

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