3-5 賢者の城
路地を抜け、四人は順に開けたその場所へと出ていく。
フィオリトゥーラは、影の中の薄暗さから一転したその眩しさに、思わず目を細めた。頭上から降りそそぐ真昼の陽光が、地面に反射して周囲に拡散している。
そこは、まばらに草が生えているものの、その地面のほとんどがむき出しの白い砂地で、風化しつつあるこの土地は、まるで砂漠の一部を切りとったかのような姿を見せていた。
見れば、広場の奥には二階建ての石造りの屋敷があった。
それはこの旧街区にひしめく他の建物と比較すると、群を抜いて大きくその造りも凝っていたが、四人の背後に並ぶ建物同様にひどく朽ち果て、かつては立派な建築物だったのだろうと想像こそできるものの、ここもまた、今はただの廃墟に過ぎなかった。
そんな朽ちた屋敷は、北部とを隔てる城壁を背にしている。その距離は近く、おそらくほとんど壁と隣接するようにして建てられたのだろう。
「それにしてもあなた、速い剣ね。驚いたわ」
屋敷に向かいながら、クローディアが顔だけを振り向かせ、背後のフィオリトゥーラへと話しかける。元々の鋭い顔立ちは当然変わっていないが、今は随分と穏やかな表情を見せていた。
「恐縮です。ただ、申し訳ないのですが、私自身よくわからないのです。これまで自分を評する術を持っていませんでしたので……」
「あれだけ鮮やかに振れるのに、自覚していないの? ますます驚くばかりね」
クローディアは目を見開いて驚いてみせた後、その顔に笑みを浮かべる。こうして見ると、闘いを終える前の彼女とはまるで別人のようだった。
ディルは、フィオリトゥーラの背中越しにそんなクローディアを眺める。
「そういやあ、そっちの名前を聞いてなかったな」
背後から、ヴァレルの声が降ってきた。
「ああ。俺はディルエンド。ディルでいい。あいつはフィオリトゥーラだ。ま、俺らはあんたと違って、そこらに星の数ほど転がってる名もないただの剣闘士だよ」
ディルは答える。そう言いながらも実際に卑下しているわけではなく、その口調は明るかった。
「そこらに転がってる? アレがか?」
ヴァレルは、前を行くフィオリトゥーラの背中を指差す。「アレ」とは、つまり先の闘いぶりのことだろう。
「俺も驚いてる。あいつ、聖地に来てまだ三日目だしな。正直、まだ底が見えねえよ」
「へーえ、怖いな。そのうち、Aランクがそこら中に溢れ返っちまうんじゃないか?」
ヴァレルは、そう言って笑う。
いや、Aランクは百人が上限だろ、とディルは口にしかけるが、先までの会話を思い返すと、今更その程度を指摘する気にもなれなかった。
クローディアを先頭に、四人はそのまま屋敷の中へと入っていく。
中は広々としていた。
本来ならば二階部分に相当する箇所も崩壊してしまったのか、ほとんど吹き抜けのような状態になっている。辺り一面には、大小の瓦礫が散乱していた。
「こっちだ」
クローディアが行き先を指差し、再び歩きだす。
この広い空間の北端に奥とを隔てる壁があり、そこに小さな入口があった。本来ならば扉でもついていたのだろうが、今はそれも無く、向こう側から暗闇が姿を覗かせている。
慣れた様子で、瓦礫の少ない場所を選びながらクローディアが進む。
入口から中に入ると、その先は下りの階段になっていた。
陽の光が遮られた屋敷の中に入ってから、幾分目が慣れたとはいえ、ここからは一層暗く、目を凝らしてようやく壁や階段の位置が判別できる程度だった。
思いのほか勾配がきつく、前を行くクローディアは躊躇なく進むが、フィオリトゥーラは足を踏み外さないよう、おそるおそる一歩ずつ階段を下りた。
最後に大柄なヴァレルが、頭をくぐらせるようにして入口を抜けた頃、クローディアが階下に到着する。
その先には扉があった。
階段の入口とは違い、幅が広く、その背も高い。うっすらとしか見えないながらも、その扉は、この朽ちかけた廃墟の中にあって似合わない堅牢な雰囲気を漂わせていた。
扉の前の空間は狭く、フィオリトゥーラがクローディアの背後に立つと、それでもう他に人が入る余裕はなくなった。
振り向くと、フィオリトゥーラの目線の高さにディルの靴が見えた。そのまま上を見上げると、この暗さではっきりとはわからないが、階段の途中で立ち止まっているディルの頭が、丁度一階の床の高さぐらいにあるようだった。
「先に言っておく。今から見るものについて、私に訊くなよ。使い方を教わっているだけで、私も何も知らないからな」
クローディアが、唐突に言い放つ。すると彼女は、コートの胸元から何かを取りだし、その手を小さく掲げた。
ふうっと、長く息を吐く音が聞こえる。
次の瞬間、ぼうっと青白い光が浮かんだ。
「おおッ?」
ディルが思わず声を上げる。いつの間にか彼は、フィオリトゥーラの背後からその様子を覗きこんでいた。
クローディアが手にしていたのは、大きな青い宝石だった。小振りな卵ほどの大きさもあるそれは、ペンダントにはめこまれ、細いチェーンでクローディアの首から繋がれている。
宝石から淡く放たれる光が、クローディア自身を、そして背後のフィオリトゥーラやディルの顔をも青白く照らした。
それはロウソク程度の強さだが、一切の揺らめきもない月明りのような硬質な光だった。
ディル同様にフィオリトゥーラも驚き、それを眺める。何か光を反射しているわけでもなく、どうやら宝石自体が発光しているようだった。
「……綺麗」
初めて目にする未知の光を前に、その不思議さも忘れ、魅入られてしまいそうになる。
「あ……」
フィオリトゥーラは思わず声をもらした。視界の中、扉の方からも同様の光が浮かんだ。
見れば、扉の中央にはクローディアが手にしている宝石と同じような石がはめこまれてあった。それが、呼応するかのように同じく光りだしたのだ。
ガシャン……と、どこからか重たい金属音が鳴り響いた。
そして、唐突に視界が遮られる。
まるで今見た青白い光が、夢か何かであったかのように、余韻も痕跡も一切なく、周囲は元の暗闇へと戻っていた。
「さて」
クローディアはペンダントをコートの中に戻すと、両の手を扉に当てる。そして、そのままフッと鋭く息を吐き、体重をかけながら押すと、扉は音を立てゆっくりと開き始めた。
隙間から明かりがもれだす。それは先の宝石が放ったものとは違い、揺らめく温かな光だった。
扉が開くにつれ、光が広がっていく。
「ようこそ」
扉を開ききると、振り向いたクローディアが冗談めかして言う。
まだ薄暗いとはいえ、周囲の様子が随分とわかるようになっていた。
扉の先では、地下通路が続いていた。そして通路の先、五、六メートルほど離れた正面には壁が見え、そこに設置された燭台の松明がここまで明かりを届けている。
燭台のある場所から、通路は直角に左へと曲がっているようだった。
「まだここから少し歩くんだけどね。ついて来て」
再び歩きだすクローディアを追って、フィオリトゥーラとディルは順に扉を抜け、通路へと足を踏み入れる。最後のヴァレルも、ここではかがんだりすることなくそのまま通り抜けることができていた。
明かりに照らされてわかったが、扉は分厚い金属製で、クローディアが開けるのにいくらか力を必要としたのもうなずける。
ヴァレルはそんな頑強そうな扉に手をかけると、それを丁寧に、だが易々と片手で動かして閉じた。
蝶番の軋む音に続き、扉が閉まると、少し遅れてガシャン……と、再び重い金属の音が鳴り響く。ゆっくりと閉じられたため、音は扉自体が立てたものではないのだろう。
ディルやフィオリトゥーラの常識からは考えがたかったが、それはなんらかの鍵がひとりでにかけられた音なのではないかと想像できた。
「……どうなってんだ、アレ?」
ディルは訊いたつもりもなく、思わず呟いていた。
「さあね。知りたければここの主に訊くといい。私は、こういうのは考える気にもならない」
そう言ったクローディアの口調は厳しいものではなく、本当に興味がないといった風だった。
燭台が設置されたL字型の場所を左に曲がると、そこから通路は真っすぐに先へと伸びている。
通路の壁には等間隔に燭台が設置されていて、先の様子をうかがうことができたが、闇に溶けこむ遥か向こうにも、その終点は確認できず、通路はどこまでも延々と続いているように見えた。
四人は列になって通路を進んでいく。そこからは、特に会話もなかった。
前を歩くフィオリトゥーラの背を視界に入れたまま、ディルはふと考える。
宝石と扉が見せた不思議な現象に関しては、クローディアが言うとおり考えても仕方のないことと思え、早々に頭の中から消していた。
だが、残る疑問があった。
仕組みはわからずとも、クローディアが持っていたあの宝石が扉を開くための鍵のような役割なのは間違いないだろう。
そうなると、賢者を探す者がクローディアに勝利したとしても、もし彼女を殺してしまった場合、ここに辿り着くことはできるのだろうか?
路地を先へ進み、廃墟の屋敷に入るまではいい。地下の扉も見つけられるだろう。だが、そこからはあの宝石を手に入れていなければどうにもならない。
いや、仮にクローディアの死体からペンダントを発見し持ちだしたとしても、それが扉を開くための鍵なのだと認識できるだろうか。そもそも、クローディアがそうしたように、あの宝石を光らせることはできるのか。
彼女は「使い方を教わっているだけ」と言っていた。宝石をただかざすだけでは、扉は開かないのだとしたら……。
つまり、これは賢者の意図なのだ。
クローディアと闘い勝利したとしても、彼女を殺してしまった者は賢者を見つけることができない。
さらに想像できた。
ディルが一時でも考えたように、複数の人間が数の力で彼女を負かそうとしたり、あるいはクローディア自身に負けを認めさせられないような、何かしら姑息な手段を用いて勝利を得て、その上で案内を拒んだ彼女を拷問などで口を割らせようとした場合、おそらく……。
ディルは、背後へとわずかに視線を向ける。
そんな時には、ヴァレルが現れ、賢者の意図にそぐわぬ者たちを容赦なく破壊するのだろう。
理不尽だな……。ディルはそう思った。
クローディアのレイピアは、それこそなんの説明もなく相手を殺す気で容赦なく襲いかかってくる。だが、相対する者が賢者に辿り着くためには、そんな彼女を殺さずに勝利しなければならないのだ。
守る側とはいえ、圧倒的に有利な条件での闘い。
――いや、それも違う。
そう。クローディアは戦闘を開始する際、何ひとつ説明していないのだ。つまり彼女は、自身も殺されるリスクを負って対等の立場で闘っている。
ほんと、理不尽だな。
ディルは再度そう思いながら、同時に賢者を名乗る者の歪さをも感じた気がした。
先頭を行くクローディアの背中を見つめる。
彼女と賢者の関係はわからない。だが、彼女は賢者の命を受けて、あるいは何かしら賢者のために、この役を引き受けて闘っているのだろう。
あの雨の日に対峙した時から感じていた。
自分ではない誰かのために闘っている者特有の何か……。それを物語る視線、いや、雰囲気だろうか? どこから発せられているのかはわからずとも、ディルはそれが苦手だった。
闘いたくない理由は、彼女が女だったからということもある。闘技場の対戦相手ならともかく、大した理由もなく女と闘うのは気が進まなかった。しかし、それと同じぐらいに、そんな雰囲気を持つ者との闘いが嫌だったのだ。
ディルは、その視線をクローディアからフィオリトゥーラの後ろ姿へと移す。
厄介な連中だよな……。ディルは内心で苦々しく呟いた。
もうどれぐらい歩いただろうか? この地下通路は、想像していたよりも遥かに長い距離を行くようだった。
フィオリトゥーラは歩きながら、ふと周囲を見渡す。
燭台の明かりが繋ぐ薄暗い通路。石壁に挟まれたその光景は、歩きだしてからここまでなんの変化も見せない。先導するクローディアがいなければ、このまま先に進んでよいものか迷ってしまうところだろう。
「心配するな、じきに到着する」
背後の不安な様子に気づいたのか、クローディアが言った。
「いえ、大丈夫です」
その時だった。視界の先の風景に、わずかな変化が見られた。
「おっ」
ディルも気がついて声を上げる。
通路に並ぶ燭台は、左右の壁に交互に配置されているのだが、今見える通路の先では、灯火がひとつ正面にあるように見えるのだ。この先で通路が再び曲がっているか、あるいは通路と異なる空間に繋がっているのか。
フィオリトゥーラとディルは、ともに早く先へと進みたい衝動に駆られるが、クローディアは変わらぬ速度で歩き続ける。
やがて到着したその場所は、通路の幅の倍ほどの広さを持つ空間だった。
入った瞬間、ここは行き止まりなのかと錯覚したが、よく見れば右側の壁にその先の階段へと続く入口が開いていた。
階段は左回りに上っていく螺旋状の階段で、ここはその中腹に位置するらしく、上下どちらにも続いている。
クローディアは立ち止まることなく、そのまま階段を上り始め、三人もそれに続いた。
窓もないこの環境では方向感覚が失われそうになるが、ディルは燭台の位置などを気にかけながら、自分がぐるぐると二周分回って、建物ならば三階程度に相当する高さまで上ったのだと把握する。
階段を上り終えると、目の前に開けた空間が現れた。
クローディアを先頭に、その場所へと足を踏み入れる。もう列になって進む必要はなかった。
そこは教会の中のような広々とした部屋だった。
天井からは巨大な燭台が吊り下げられ、大きな松明がこの空間を煌々と照らしている。
見れば、左手には巨大な両開きの扉があり、それはすでに開け放たれてあった。
この場所は外に通じていないが、これは門なのだとフィオリトゥーラは理解する。
クローディアに続いて、自らの背丈の倍はあろうかというその門をくぐると、その先には想像もしなかった
立ち止まるフィオリトゥーラの背後で、ディルも思わず息をのんだ。
両脇に並ぶ大きな柱が奥へと連なり、その左右の柱と柱とがそれぞれアーチで繋がれている。見事な彫刻が施された交差式のヴォールトが連続して、巨大なアーケードを形成していた。
「マジかよ……」
ディルは、今自身が目にしているものが信じられなかった。教会とも違う圧倒的なその光景を前に、夢でも見ているのかと疑ってしまう。
見上げれば、豪華なシャンデリアが美しい光を淡く放射していた。
「驚いたか? 俺も最初に見た時は、流石に度肝を抜かれた」
ヴァレルが嬉しそうに言う。
「おいッ、行くぞ」
クローディアの声が反響する。気がつけば、彼女はすでにアーケードの途中まで進んでいた。
フィオリトゥーラは、慌ててあとを追う。なぜか不思議な安堵感を得ていた。
見慣れた様式とも違う。既視感があるわけでもない。こんな初めて足を踏み入れたよくわからない場所だというのに、自分でもその感覚が理解できなかった。
クローディアを追ってアーケードの奥まで辿り着くと、その先にはさらに両開きの扉があった。先の門とは違い、この扉は閉ざされていた。
「こっちだ」
クローディアは扉へは向かわず、そこから横に逸れると、柱と柱の間へと入っていく。
その先の壁にはまた入口があり、その向こうには、再び上へと続く螺旋階段があった。
クローディアの背後を歩きながら、フィオリトゥーラは、朧ろげだった自身の感覚の正体にようやく気がつく。
そうか。ここは城なのだ、と。
この空間は、城を模して造られている。一部分を見ただけでの想像に過ぎないが、それでもそう確信できた。理屈ではなく自身の感覚が強く訴えかけてくる。
「あの旧街区からこのような場所に繋がっているなんて……、驚きました」
連れられるまま来たため、フィオリトゥーラには自身が今どのような場所にいるのか想像がついていない。
この巨大な空間が、一体街のどこに存在しているのだろうと思うと、不思議でならなかった。
「まあそうね。でも、これも慣れてしまえばどうということもないけれど」
階段を上りながら、クローディアが答える。
螺旋階段は、先のとは違い随分と上まで続いているようだった。もう二階や三階程度の高さなどとうに越えてしまっているだろう。ぐるぐると回りながら上っていくものの、いつまで経っても途切れる気配がない。
途中、この螺旋階段から出るための扉をいくつか見かけるが、それらは目的の場所ではないらしく、クローディアは目もくれずに通りすぎ、さらに上へ上へと進んでいく。
「フィオ。おまえ、今自分がどこにいるかわかるか?」
「いえ。まるで想像が及びません」
ディルの問いに、フィオリトゥーラは素直に答えた。クローディアが階段の先を行きながら、そんな二人へとちらりと視線をやる。
「俺は大体見当がついてる。まあ、想像のとおりなら、ちょっと信じがたい話だけどな」
ディルはそう口にしながら、背後のヴァレルの様子をうかがった。特に反応するでもなく、黙々と階段を上っている。
まあ、口封じされたりってこともなさそうか……。
思わずそんな心配がよぎってしまうほど、この先で待つ「賢者」の存在が読めなくなっていた。正直、今の時点ですでに、ディルの想像の域を遥かに越えてしまっていた。
元よりどんな人物なのかなど推察する余地もなかったが、近づくにつれてそのスケールはどんどん肥大化していく。「賢者」と名乗っているが、もはやただ知識や知恵を有するだけというような類の人物とは到底思えなかった。
「まあ、この先のお楽しみってとこか……」
ディルは、誰にともなく小さく呟いていた。
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