第三章

賢者クヴァルシス

3-1 捜索案

 薄闇の中、フィオリトゥーラは目を覚ました。

 東側にある窓、そのカーテンの隙間から細く淡い光が差しこんでいる。その光は直接ベッドには当たらず、周囲は薄暗い。彼女は身体を起こすと、しばらく動かずその光を見つめた。 

 昨日までと違う朝の光景に一瞬戸惑うが、自分が「六号室」にいること、そして昨日起きた出来事がすぐに思いだされると、彼女はゆっくりと長い吐息をもらす。 

 聖地に到着してから迎える三度目の朝だった。

 扉を破壊された七号室は、スラクストンの手配で数日中には復旧するとのことで、それまでの間はと、フィオリトゥーラは空き部屋である隣の六号室をあてがわれた。そして、昨晩のうちにわずかな荷物だけを持って移動したのだ。

 眠れぬ夜になるだろうと覚悟をしながら目蓋を閉じ、考えるべきではないと思いながらも、過去やこれからのことをぼんやりと脳裏に浮かべたまま、それでも気づけばまどろみ、そして朝を迎えていた。

 そっと胸に手を当ててみる。全身の皮膚がかすかに痺れるような感覚を覚えた。変わらぬ不安が、まだ身体中を蝕んでいる。

 それでも昨日の自分と比べれば、今は随分と落ちついていた。

 絶望に全てを失いかけ、自暴自棄になろうとしていたあの衝動は、もう消えている。「捜すしかない」という強迫から逃れ、今は「見つけるのだ」と自分に言い聞かせることができた。

 フィオリトゥーラはベッドから降りると、あえてゆったりとした動作で支度を始めた。

 まずは髪を整える。櫛でとかした後、両脇の髪をとって背後でひとつに束ねると、左右の手で残った髪を器用に編みこんでいく。完成したひとつ編みの髪を背中へ垂らすと、続いて着替えを始めた。

 今日は部屋着ではなく、最初から外出用のチュニックを選択した。

 支度を終えて食堂へ向かうと、ディルとガルディアの二人が待っていた。

「おはようございます」

 二人はすでに席についている。彼女が現れる前から話しこんでいたらしく、彼女の姿を見つけると二人揃ってその顔を上げた。

「よう」

「おはよう」

 挨拶を交わすとフィオリトゥーラも食卓につく。

 少しするとリディアが姿を現し、彼女は元気よく皆に挨拶すると、運んできた朝食を並べていく。

「リディアさん、おはようございます。昨日は取り乱してしまい、失礼しました。あれから、少しは落ちつくことできましたか?」

「そんな。私は大丈夫です。フィオリトゥーラさんこそ大丈夫ですか?」

 心配そうに見つめるリディアに、フィオリトゥーラは精一杯の笑みを返した。

「ええ。本日から失われた物の捜索を開始します。必ず見つけますので、ご心配なく」

 気品溢れるその笑みにつられ、リディアの顔にも明るい笑顔が戻る。

「私にできることがあったらなんでも言ってくださいね。外での食事が必要だったら、持ち運べる物などすぐに用意しますから」

「ありがとう。その時はぜひお願いしますね」

「はい!」

 リディアは元気に返事をすると、残った朝食の準備を終え、ぺこりとお辞儀をしてから食堂を出ていった。

「とりあえず、余計なことは考えないでまずは食べようぜ。こういう時の飯は大事だからな」

 ディルは言うなり、パンを掴んで口に運ぶ。それを見たフィオリトゥーラとガルディアの二人も、こくりとうなずくと、続けて食事を始めた。


「それにしても、本当に大丈夫そうだな」

 応接室に移動するなりソファに腰かけたディルは、フィオリトゥーラを眺めて言った。

「はい。お二人のおかげです。本当に感謝しています」

 フィオリトゥーラは笑顔で答え、その頭を下げる。

 そんな彼女を見てうんうんとうなずきながら、ガルディアもディルの向かいに座った。顔を上げた後、フィオリトゥーラもその隣に、少し間を空けて座る。

 三人とも、その服装はすでに外出用のものだった。

「とりあえず、さっきもディルと少し話したんだけど、聞きこみには僕が行ってくるから。どのみち、次の試合の申請で第八教会まで行くつもりだったし、それから商業地区周辺を調べてくるよ」

「ありがとうございます。それでは、そこに私も同行させていただけませんか?」

 フィオリトゥーラが珍しく忙しない口調で言った。

 そんなフィオリトゥーラを尻目に、ガルディアはディルへと軽く目配せする。

「まあ待てよ、フィオ。こいつは俺よりこういうのは遥かに得意だからな。人脈もあるし、動きも早い。正直、俺らが一緒にいても邪魔になるだけだ」

「あは。それほどでもないけどね」

 ガルディアは照れたように笑う。

「実際、〝逃がし屋〟の情報をある程度掴むまでは早いと思うよ。それにともなってソロンの足取りも掴めるかも。ただ、反対にソロンの今の居場所なんかは難しいかもしれない。だけど、逃がし屋に辿り着けて、それが〝当たり〟だったら、その辺も同時に進展するんじゃないかと思ってるんだ。だから、一番区での捜索を手分けする意味は、あまりないかなって」

「そういうわけだ。だから、俺たちはもっと別の側から攻める」

「別の側、ですか?」

「ああ。ガルディアには足を使って情報を集めてもらうが、俺らはもっと博打的なやり方を考える」

「何か、よい考えをお持ちなのですか?」

 真っすぐに見つめてくるフィオリトゥーラを見て、ディルは苦笑する。

「そいつは今から考えようぜ。駄目で元々、当たれば一気に解決なんてのがあれば最高だけどな」

「そういうこと。それじゃ、そのアイディアは二人に任せるとして、僕はそろそろ出るね。まあ、確実に何かしら前進させるから期待しててよ」

 ガルディアは傍らに置いていた小剣を手にすると、颯爽と立ち上がる。

「最速で動かなきゃならない場合を想定して、四の刻までにはここに戻って来いよ」

 最速。つまりそれは昨日二人が話していた、盗まれた剣が最短でこの都市から出ていってしまう場合の話だ。

「そうだね。じゃあ、四の刻にまたここで集合しよう」

 そう言ってガルディアが部屋を出ようとすると、フィオリトゥーラは慌てて立ち上がる。

「あの、お待ちください」

「どうしたの? フィオさん」

 足を止めたガルディアに歩み寄ると、フィオリトゥーラは自らの腰から革袋を外し、そしてそれを差しだした。

「途中、必要なこともあるかと思いますので、その時はこちらから遠慮なくお使いください」

 ガルディアは、言われるままに彼女から革袋を受けとる。革袋は両手の中にすっぽりと収まる程度の大きさだが、ずっしりとした重さがあった。

「重たっ。これ、もしかして昨日言ってた、フィオさんが半分持ち歩いてたってお金?」

 紐を解き袋の口を少しだけ開くと、ガルディアはおそるおそるその中身を覗く。袋の中は、鈍くそれでいて眩い黄金色の輝きで満たされていた。

 驚くことに、中に入っているその全てが金貨だった。袋の大きさからすると、軽く五十枚以上は入っているだろう。

「うわ……」

 ガルディアはディルへ視線をやると、首を左右に何度か振ってみせた。中を見ずともその反応で理解したのか、ディルが呆れたように笑っている。

「ごめん。これを持ち歩く勇気は、僕にはちょっとないかな」

 ガルディアは袋から金貨を十枚だけ取りだすと、革袋の口を縛りフィオリトゥーラへとそれを戻した。

「これだけ借りておくね。情報を集めるための資金としては、これでも十分すぎるけど」

「わかりました」

 革袋を受けとった彼女は、あらためて真剣な眼差しをガルディアへと向ける。

「ただ、もしもあの剣を取り戻すにあたって金銭の交渉となるようでしたら、この中にある分と部屋に残してある分、少なくともそれだけは、今すぐにでも支払うことができる額であると、相手の方にお伝えください」

「それは、相手が盗んだ張本人のソロンだったとしても?」

「ええ、構いません。強引に取り戻すよりも、その方が少しでも確実と思えるのであれば、迷わず選択してください」 

 フィオリトゥーラは即答した。

「わかった。もし交渉になったら遠慮なく伝えるよ。それじゃ行ってくる」

「あ、もうひとつ、お伝えすることがあります」

 振り向きかけたガルディアを、再びフィオリトゥーラが呼び止めた。ガルディアは不思議そうに首をかしげる。

 碧い瞳が、真っすぐにガルディアを見つめていた。その眼差しは先までと違い、かすかな憂いと、そして優しさを帯びていた。

「くれぐれも、ご自身の安全を最優先に考えて行動してください」

 そんな彼女の言葉に、ガルディアは一瞬驚き、それからすぐに嬉しそうににっこりと微笑む。

「ありがと。余計にやる気が出てきたよ。大丈夫。無理しないことにかけては得意だから任せて。それじゃ、今度こそ行ってくるね」

 ガルディアはくるりと踵を返すと、応接室をあとにする。

 口にしたとおりその背に気負った様子はなく、彼はいつもと変わらぬ軽快な足取りで玄関ホールへと姿を消した。

 その後ろ姿を見送ったまま玄関扉が閉じる音を耳にすると、フィオリトゥーラはディルへと向きなおす。

「しかしあれだな。ソロンの奴も、そんな交渉が通用するとわかってれば、もう少しマシなやり方を考えてただろうな」

 ディルが皮肉げに言った。

「緊急事態であればこそです。もっとも、私とてこのような物の考え方は好きではありませんが」

 フィオリトゥーラは眉をひそめ、その顔を少し曇らせる。 

「いや、悪い。俺も少し驚いただけだ。まあ、本当に大事な物なら手段を選んでる場合じゃないしな。とりあえず座ろうぜ」

 言われて、彼女は再びソファへと腰かけた。


「さて、と。まずは、なんでもいいから言ってみてくれ」

 ディルの言葉を受け、フィオリトゥーラは一瞬考えこむ素振りを見せたものの、思いのほか早く口を開く。

「この都市から外に通じている門を、見張ってはいかがでしょうか?」

「まあ一番わかりやすい方法だよな。ただ、ここは思ったより門の数が多いぜ。正門は東西南北の四つだけだが、産業用なんかのも含めれば、おそらくその三から四倍はあるだろうな。それぞれ担当を決めたとしても、今の人数で見張れるのは三か所だけ。分が悪すぎる賭けだな」

「近くに仕事の斡旋所などはありませんか? 人を雇えば数の問題は解消されるかと思いますが」

「斡旋所なら教会近くにある。酒場なんかでも募集はかけられるだろうしな。確かにおまえの資金力なら、短時間で人を雇って、全ての門に人を配置するのも可能かもな。だけど、そうなると次の問題はこの都市の広さ、つまりは門と門の間の距離だな」

 そう聞いてフィオリトゥーラは、アルスタルトに到着した夜、都市の中を移動した時のことを思いだす。到着した東門からこの東部十番区まででも、相当な距離があった。

「正門から隣の正門まで環状路で移動したとして、徒歩なら丸一日、馬でも半日近くははかかる。追加で連絡係を設けたとしても、よほど統制がとれないかぎり、目標発見後は、基本的に現地にいる奴が自ら対処する形になるだろうな。そうなると、急な募集でそれだけの質の人間が集められるかどうか……。それに、雇った人間を目の届かない場所で動かすとなると、そもそも別で大きな問題がある」

 ディルの話を聞いたフィオリトゥーラは、口元に手をやり難しい顔をしている。彼が言わんとする根本的な問題点に、彼女もまた気づいていた。

「信頼、の問題ですね」

「ああ。剣律にも届けられないような案件を、即席で集めた連中に任せられるのかどうかだな」

 それを言われては、彼女に返す言葉はなかった。即席で雇った者たちを絶対的に信頼することなど、できるはずもない。

 盗まれた剣を発見するとなれば、当然それ相応の情報は公開しなければならない。また、仮にそこを巧くこなし最低限の情報しか与えなかったとしても、今度は実際に剣が発見できた場合、その価値を漠然とでも理解する者がいれば、金銭を報酬として動く者ゆえに、それを奪って逃げる誘惑に駆られないという保証はない。

「いっそのこと、雇った連中に人捜しをさせたらどうだ? ソロンを捜すだけなら、大して情報も与えずに指示できるぜ。まあ奴が見つかったとしても、そこから剣の在処に辿り着けるかはわからないけどな」

 ディルの案に対して、フィオリトゥーラは目を伏せ、小さく首を振った。

「……申し訳ありません。私から言いだしたことですが、やはり人を雇うことはできません」

「リスクの方が大きい、か」

「そうですね。今私が置かれている状況がそうまで考えさせてしまうのかもしれませんが、さらに関係のない者を関与させてしまうことが怖いのです」 

「いや、普通の考え方だろ」

 ディルにも、彼女が抱く不安は十分に理解できた。

 ある程度知識を有する者であれば、カルダ=エルギムの剣の金銭的価値は明白だ。また、わざわざ金額に換算せずとも、欲する者にとっては、それ自体が計り知れない魅力と価値を持っている。

 存在を知る者が増えれば、余計な邪魔が入るリスクもそれだけ増えるだろう。

 ただ、それでも、剣律騎士団にさえ届けることを拒んだ彼女の判断は、いささか過剰な気がしないでもなかった。

 ディルはふと、そこに違和感を覚えた。

「なあ。ひとつ確認させてくれ」

「なんでしょうか?」

「言えない事情があるなら無理に訊くつもりはないが、盗まれた物は、カルダ=エルギムのツーハンド(両手剣)。このことに、嘘はないよな?」

 ディルがフィオリトゥーラへと訊ねた。彼にしては気を使った柔らかな口調だったが、彼女の瞳を覗くその視線は強い。

「はい……」

 彼女はすぐにうなずいたものの、そのまま表情を曇らせ、黙りこんでしまう。嘘をついてはいないが、話していない事実もまだある。その様子が、わかりやすくそれを物語っていた。

 何かを隠すならば、嘘をつき演技でもすればよいものを、彼女はそれをしない。思えば、形見の剣について、「予備の剣か?」とディルが訊ねた時も、はぐらかしはしたものの、明確な嘘で躱したりはしなかった。

 フィオリトゥーラは、申し訳なさそうにディルを見つめている。

 この状況で、協力者にさえ隠している事がまだある。それは、ディルにとって本来ならば気分のよいものではなかったが、決して安易に欺こうとはしない彼女の誠実さが、ディルの心を落ちつかせていた。

「ガルディアの奴もあえて訊かなかったんだろうが、おまえはあの黒いケースに入ってる剣の外見的な特徴についても、一切口にしてない。それは、それすら口にすることができないって判断で間違いないか?」

「……はい。申し訳ありません」

「それで、おまえが今最優先とすべき自分自身の行動を、自ら阻害してるってこともわかってるよな?」

「無論、承知しています。ただ、それでも……」

 フィオリトゥーラは、うつむき加減だった顔をゆっくりと上げる。

「それでも、私をこの地へと送りだしてくれた者たちとの約束を、違えるわけにはいかないのです」

 ディルは眩しいものでも見るように、わずかにその目を細めた。

「覚悟の上ってわけか」

「はい」

「わかった。ただ、どんな剣かもわからないで、俺らが見てそうとわかるものなのか? 当然、ケースだけ早々に破棄されてるなんてことは普通に考えられる。そうなったら、そこらに転がってても、俺はともかくガルディアは見逃すかもしれないぜ」

「勝手な話で申し訳ないのですが、それは大丈夫だと考えています。不思議なことを言うと思われるかもしれませんが、あのケースが無くとも、その物を見れば見過ごすことはないでしょう。少なくとも、ディルやガルディアさんのような方が目にすれば、間違いなく」

 彼女が口にしたとおり、それは何かの謎かけのような不思議な言いまわしだった。素直に納得するのは到底難しい。だが、あらためてディルを見る彼女の視線には力が込められていた。

「納得はできねえが信じてやるよ」

「ありがとうございます、ディル」

 フィオリトゥーラは安堵して微笑む。思わずつられてしまいそうになる柔らかな笑みだった。

 ディルはひとつ咳払いをして向きなおす。

「それじゃあ話を戻すか。人が雇えないなら、逆の発想はどうだ? 俺たちが捜すんじゃなく、向こうから出てくるような仕掛けをする」

「どういうことでしょうか?」

「剣を求めていると公募すればいい。〝カルダ=エルギム〟と名指しじゃ流石にタイミング的にも怪しすぎて駄目だろうが、貴族や剣闘士が単純に優れた剣を求めているなんて話は、この都市じゃ年中そこら辺に転がってる。そこに混ざって破格の値を提示してやれば、食いつく可能性はあるはずだ。募集主に関しては、誰か代役を立てちまえばいい」

 ディルが言い終えるなり、フィオリトゥーラを再びその顔を曇らせた。

「あの……。その案は理に適っていると思うのですが、それも今回の件では成立しないものと思われます」

 なんでだよ――? ディルは言いかけた言葉をのみこむ。

 またしてもフィオリトゥーラの視線が語っていた。話すことができない事情の中にその理由があるのだと――。

 ディルは思わず、反射的に思考を巡らせてしまう。

 金銭的価値が問えない? それとも、手に入れた者が絶対に手放そうとしない理由がある? あるいは、決して表に出せないような代物……。そんな物があるのか?

 加速していく思考が止まらなくなる前に、ディルは自らの頬をぴしゃりと叩いた。それから手を頭にやり、髪をぐしゃぐしゃと掻きむしる。

 違う。今俺が考えるべきは、そんなことじゃねえだろ。

 フィオリトゥーラが、ディルを心配そうな面持ちで見つめていた。彼女のことだ。おそらく何かしら察して、不安に感じているのだろう。

「まったく、縛りが多い難問だよな」

 ディルはそんな風に呟きながらも、その顔には笑みを浮かべていた。そして、再び謝罪の言葉でも口にしようとするフィオリトゥーラを、片手で制する。

「そんな顔すんなよ。大丈夫だ。俺もそのぐらいは覚悟して関わってんだ」

 彼女の表情が控えめな笑顔へと変わる。不安げな眼差しを残しながらも、そこには喜びと感謝の念がうかがえた。

 不意に、教会が鳴らす朝一番の鐘が鳴り響き、その音がこの部屋までも届いた。

 二人は思わず顔を見合わせる。それから、外の様子をうかがようにそれぞれ視線を窓へと移していた。

 いつもと変わらぬ鐘の音が、今は何かの警鐘のように思えた。

 こうしている間にも、剣はこの都市のどこかで誰かの手を渡って、そしてどこか遠くへ消えてしまうのだろう……。

 二人は向きなおし、互いに相手が何か言いかけるのを待つが、どちらからも次の言葉は出てこなかった。

 わずかな沈黙の後、ディルは長い吐息をもらすと、そのままソファに深くもたれかかる。

「まあ、そんな簡単に良策は浮かばねえよな」

 諦めともとれるような彼の呟きに、フィオリトゥーラは視線だけをうつむかせ、その唇を噛んだ。

「元々大した案なんて浮かぶと思っちゃいなかったんだ。だけどな、いくら博打的と言っても、もう少しマシな案はないか考えることぐらいはしときたくってな」

 意味ありげなディルの言葉に、フィオリトゥーラは思わず視線を上げる。 

「まあ、他に策がなければこれって程度だが、実はひとつだけ考えがある――」

「何か案をお持ちなのですか?」

「案なんて上等なもんじゃないけどな」 

 ディルはそう言うと、ソファに預けていた身体を起こした。

「俺は、半年ぐらい前から北部地域である探し物をしてる。まあ、そいつは今も見つかってないんだが、ただ、そこで代わりに、〝賢者〟って奴の存在を知った」

 唐突に出た言葉だったが、それは彼女にとって聞き覚えのある言葉でもあった。

「賢者――? もしや、酒場でクリスタさんとお話しされていた〝賢者探し〟でしょうか?」

 確かにディルは、「千の剣」でクリスタと話した際にそのことを口にしていた。フィオリトゥーラはそれを聞いて覚えていたのだ。

「ああ、それだ。まあ、普通に聞いたら馬鹿げた話なんだがな」

「お聞かせください」

 フィオリトゥーラは、真剣な眼差しをディルへと向けた。

「さっきも話したが、仕事の斡旋なんかを担ってる施設が、教会広場には大体隣接してる。俺は情報を集める時はそういうところにも立ち寄るんだが、北部第五教会広場の斡旋所で、それを見つけた。そこは商業区に近い土地柄だけに、相当な数の仕事の依頼書や人材募集の紙なんかが壁一面にびっしりと貼られてるんだが、その中の一枚にあったんだ。『我を探せ』ってな」

 ディルはその時のことを思いだし、思わず口元に笑みを浮かべた。

「我を、探せ? それは、依頼主自身が自分を探す方を募集されていたということですか?」   

「ふざけた話だろ? しかも報酬が金や物じゃない。『達成した者が望む知識、情報を与える』と来た。でもって、依頼主の名は『賢者クヴァルシス』。笑っちまうよな。どこのイカれたクソ爺か知らねえが、自分で〝賢者〟とか名乗っちまってる」

 そこまで聞くと流石に気勢をそがれたのか、フィオリトゥーラはきょとんとしている。不思議というか、確かに馬鹿馬鹿しい類の話と思えてしまう。

「まあ、どうせ何かの悪戯だろうとは思ったんだが、なんとなく俺はその依頼書を持っていっちまった。もしその報酬が真実なら、俺の探し物についても教えてもらえるわけだしな。ただ、そこからが奇妙だった――」

 自嘲気味に笑うディルだったが、最後の一言とともにその表情に真剣さが戻った。

「まず、斡旋所を出てすぐに男が話しかけてきた。賢者を探しているのか? ってな。俺は様子を見るためにとりあえずシラを切ったんだが、そいつは構わず『その依頼に期限はない。気長に探してみてくれ』とか言って、すぐに人混みの中に消えていった」

「その方、ディルの様子をずっと観察されていたのですね」

「だろうな。つーか、依頼書を見張ってたんだろう。だから俺も当然警戒はしたが、本当にそれだけ告げて去っていきやがった。今思えば、そいつを捕まえてれば話は早かったんだが、流石に不意をつかれたしな。まあ、そんなことがあったから気になって、それ以来俺は自分の探し物ついでにその賢者様についても情報を集めることにしたんだ。で、そうすると、意外にも賢者についての情報が出てくる。それもなんていうか、丁度いいぐらいにな」

「丁度よい、ですか?」

 情報収集に「丁度いい」という言葉が似合わず、フィオリトゥーラは思わず聞き返した。

「ああ。変な話だけど丁度いいんだ。簡単に情報が得られるわけでもないが、きっちり時間と足を使えば、相応に何かしら情報が出てくるって具合にな。さらにこれはあくまで俺の勘だが、出てくる情報には本物感が漂ってた。眉唾ものの話じゃなく、例えば、自分の知り合いの身に実際に起きた出来事を語ってるみたいな近さというか」

「そうすると、〝賢者探し〟は順調に進められていたのですね」

「ああ、順調だった。ただそれは、誰かにコントロールされてるような順調さだったけどな」

 フィオリトゥーラは少し考え込む。

「意図的に情報を与えられ誘導されている感じがした、ということですか?」

「いや、そういうのとも少し違う。さっきも言ったが、出てくる情報自体に白々しさはないんだ。ただ、なんだろうな。こういうのは、そんな労働の対価みたいに苦労に見合った分確実に得られるなんてことは、俺の経験上では考えがたい。まあ、たまたま順調だったんじゃないかと言われれば、それも否定はできないが、なんていうかな。普通じゃありえない話だが、例えば、誰かが情報の拡散の仕方自体をコントロールしてる、とかな。ある程度隠されたまま、それでも辿り着くことが不可能ではないように。……って悪い、話が脱線してるな」

 ディルはそう言うと、自身の話の荒唐無稽さのことも含めて苦笑してみせた。

 それはフィオリトゥーラにとっても興味深い話ではあったが、確かに、ディルが話そうとすることの本題からは逸れている気がした。

「ディルは、その賢者を名乗る方の居場所の見当をつけられているのですか?」

「大体はな。ただ、正確には俺が探しあてたわけじゃない。俺もその賢者様を探しにわざわざ北部まで出張ってたわけじゃないしな。途中からは方針を変えて、『賢者を探す』んじゃなく、『賢者を探してる奴を探す』にやり方を変えた。その方が片手間でも探せるからな」

 フィオリトゥーラは軽くうなずく。ディルらしい効率の良い考え方だなと思った。 

「で、そこからはまた少し時間もかかったが、結果として、賢者の居場所をほぼ突き止めたっていう奴のところまで行き着いた。ただそいつは、そこからは自分の手には負えないって諦めててな。まあだからこそ、簡単に情報を明け渡したんだろうな。で、その先は、〝千の剣〟で俺の話を聞いてたなら覚えてるだろ?」

「確か、中断されたとのことでしたね」

「そうだ。ちょっと厄介なことがあってな。つまりは俺もそいつと同じ状態になっちまったってわけだ。だけど、ここまでの過程で、その賢者様がそれなりに何かあるっていう手応えも感じてはいる」

 そこまで話し終えると、ディルはわずかだが身を乗りだし、フィオリトゥーラの瞳を覗きこむ。

 その釣りあがった目が、「どうする?」と問いかけていた。

 つまり彼は、その賢者探しの報酬、「達成した者が望む知識、情報を与える」を使って失われた剣の行方を捜そうと言うのだ。この話をする前に「博打的」と口にしていたが、本当にそのとおりだった。

 この案を実行して当てが外れた場合、時間だけを浪費して、剣の捜索については何ひとつ進展しないだろう。そもそも賢者の存在が確かなものだったとしても、そんななんの縁もない者が、たった一日前にここで起きた事件のことを知り得ているものだろうか?

 分の悪すぎる賭け。

 普通に考えれば、博打以前にありえない話だ。そう。普通に考えれば――。

 ディルはそれ以上語らず、ただフィオリトゥーラの返事を待っている。彼の瞳の奥底がひっそりと輝いているように見えた。彼はまた、特有の勘で何かが起こりそうなこの先を見ているのだろうか。

 フィオリトゥーラは、ディルの瞳を見つめ返す。

 決断に時間はかからなかった。

「貴重なお話、ありがとうございました。ディル、貴方の案に賭けてみます」

 そんな彼女の返答を聞き、ディルはその口元にかすかな笑みを浮かべる。

「よし。なら、話はここまででいいだろう。あとのことは移動しながら話す。出るぞ」

 言うなり、ディルは即座に立ち上がった。

 フィオリトゥーラもそれに続き、立てかけておいた自身の両手剣を引き寄せると、それを背負い、早々に動きだしたディルの背中を追った。

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