1-7 祝勝の晩餐
「驚きましたね。メイスと打ち合った上、さらに鎧ごと相手を斬ったと聞きましたが、わずかな損傷もなく、ほとんど手を入れる必要がありませんでした」
カルダ=エルギムの両手剣を差しだしながら、スラクストンが言った。その表情からは伝わりづらいが、口にしたとおり彼は本当に感心しているようだった。
「流石は、噂に聞く〝カルダ=エルギム〟といったところか。私も実物を見るなどもちろん初めてのことですが」
「ありがとう。助かりました」
剣を渡されたフィオリトゥーラは、それを抱えるようにして持った。今は木製の鞘に納められている。
「管理人とはいえ、スラクストンには簡単なメンテナンスなら任せて大丈夫だ。仕事は丁寧だし、何より自分の手に負えないとわかったら、すぐ突っ返してくる」
ディルは、いつもどおり深々とソファにその身を沈めていた。ガルディアの姿はない。屋敷に戻った後、リディアの買い出しの手伝いに出たようだった。
「褒められているのか、なんとも微妙な言いまわしですな」
スラクストンがその眉間に皺を寄せた。初老の彼は笑顔を見せることが少なく、普段の表情からも、常に厳格な雰囲気が漂っている。
「いや、そこがいいんだ。余計なことされる心配をしなくていいからな。アルシェルも褒めてたぜ」
アルシェルとは、ディルが自身の武器で世話になっている鍛冶師の名だった。ディルがCランクに上がったばかりの頃に声をかけられて以来の付き合いで、まだ若手で知名度はないに等しいが、彼は絶対の信頼を寄せている。
「まあでも、自分の武器を預けられる〝剣工〟は早めに探した方がいいだろうな」
「すべきことは多いのですね」
フィオリトゥーラはそう言って、抱えたままの自身の剣を見つめた。
「それでは、私も一旦失礼します」
スラクストンが去った後、フィオリトゥーラも剣を置くため自室に戻ろうとするが、それをディルが呼び止めた。
「そういや、ひとつ訊きたかったんだ。昨日、剣を見せてもらった時にもうひとつケースがあったよな?」
「はい」
「アレって、予備の剣か何かなのか?」
ディルは特に思惑なく、ふと思いだした疑問を口にしただけだったのだが、訊かれたフィオリトゥーラはなぜかすぐには答えず、少しの間ディルを見つめていた。
「そう、ですね……。そのようなものです」
「もしかして、それもやっぱりカルダ=エルギムのツーハンド(両手剣)だったりするのかよ?」
フィオリトゥーラは小さくうなずく。
「凄えな、ありえねえだろ。カルダ=エルギムが二本もか……。今度、そっちも見せてくれよ」
そこに嫉妬や皮肉めいた響きはなく、ディルは素直に感心していた。
彼にとっては、並外れた性能と価値を持つ優れた剣が、そこに二本も存在しているということだけが興味の対象であり、ただその事実に感動を覚えてしまうのだ。
だが、なぜかフィオリトゥーラの表情は曇っていた。
すっかり暗くなった頃、リディアの呼びかけで三人は食堂に集まった。
「おお」
ディルが驚きの声を上げる。
「凄いでしょ?」
ガルディアは、まるで自分が調理したかのように得意げな笑顔を見せた。
テーブルの上には一際巨大な皿が用意され、その上には大きな魚がまるまる一匹盛りつけられていた。他にも魚を素材としたスープや副菜が用意されている。
ディル同様にフィオリトゥーラも驚いているようだった。昨晩この聖地には「なんでもある」と耳にしたばかりではあったが、まさか砂漠の地で魚料理とは想像もしていなかったのだ。
「あ、フィオさん驚いてるね。これ、もちろん淡水魚だけど、農業地区に小さい湖があって、そこから時々釣り上がるらしいんだよね」
「これ、かなりしただろ」
ディルが、こんがり焼けた大きな魚を覗きこむ。
「まあね。何気に今日の夕食分だけで、金貨一枚分近く使っちゃったかも」
さらっと答えたガルディアへと、ディルが振り向く。
「大丈夫かよ。明日からしばらくパンだけとかじゃないだろうな」
「大丈夫ですよ。今日の料理の材料費は、ほとんどフィオリトゥーラさんのラクダを売った分から出てるんです」
ワインを運びながら、リディアが答えた。
「じゃあ、祝勝会と言いつつ、ほとんど自腹ってことか」
「いえ。私にはもう必要のないもので、こちらに提供させていただいたものですから」
ゆったりとしたブリオー姿のフィオリトゥーラが微笑む。今日の彼女の服は、深い緑に金の刺繍が入ったものだった。昨晩同様に優雅な着こなしを見せている。
ディルは、あの大量の荷物の正体はこういうことかと彼女の服装を見るたびに思いつつ、同時にこれが今日ラモンに完勝した剣士かと思うと不思議な気分になった。
あえて話題にはしなかったが、ラモンはあの場で命こそ奪われはしなかったものの、その後の生死はわからず、少なくともあの深手では、もう剣闘士として闘うことは不可能と思われた。
「せっかくなので、私とスラクストンさんもあちらで少しいただいちゃいますね。それでは、どうぞ召し上がれ」
ぺこりとお辞儀をしてリディアが食堂から去った後、三人は食卓についた。
「それじゃあ、フィオさんの初戦の勝利を祝して」
ガルディアの音頭でワインの注がれた金属製の杯を軽く掲げると、それから三人は思い思いに料理に手をつける。
「それにしても、おまえ相変わらず馴れ馴れしいよな。考えてみたら、〝フィオさん〟とか勝手に呼んでるし」
白身の魚を頬張りながら、上目でディルがガルディアをちらりと見た。
「え? 駄目かな。ディルも呼べばいいじゃん。〝あんた〟とかじゃなくてさあ」
ディルは一瞬考えこむが、そのまま眉間に皺を寄せると、答えることなく再び目の前の魚料理へと向かった。
「私は構いませんので、好きなようにお呼びください」
「ありがとう、フィオさん」
ガルディアがわざとらしく満面の笑みを見せると、そんな二人をディルは上目で軽く睨みつける。
「怖いなあ。じゃあ、ディルが喜びそうな話題を提供するよ。今日決まったらしいよ」
ディルが食事の手を止める。明らかに興味を示していた。
「――ガーデンか⁉」
「そう。次の〝ガーデン〟の試合は、ムーンライトと〝
「マジか、〝ムーンライト〟かよ。まあ、初戦だけは自由に指名できるしな」
「この機を逃したら、三、四回は勝たないと三位には届かないだろうしね」
二人が唐突に始めた剣闘士の話題に、フィオリトゥーラはわからないながらも耳を傾ける。「ガーデン」という言葉が、大教会のあるこの都市の中心部、聖剣教の「神の庭」と呼ばれる区域の通称であることだけは、彼女も理解していた。
しかし、ここで彼らが口にするガーデンとは、大教会の膝元にある大闘技場のことであり、二人にかぎったことではなく、聖地でガーデンといえば、もはや大闘技場の別称として使われることの方が多い。
「ディルは、〝ヴェンツェル〟って知ってる? 僕は名前ぐらいしか知らないし、巷じゃ無謀な挑戦だって言われてるみたいだけど」
「ヴェンツェル、か。顔は見たことあるぜ。肝心の試合は観れてないんだけどな。まあ、ムーンライト相手じゃそうも言われちまうだろう。〝剣律〟の筆頭師範ってことらしいが、あそこの剣術ははっきり言って様式美の塊だからな。オーソドックス(剣盾)でロングソードを行儀よく構えたら、はい振りかぶってってな。まあ、逆に言えばあれで〝S〟まで上りつめたってのが凄いところか。〝剣律〟は誇らしげにしてんだろうけど、ようはヴェンツェル個人の能力が圧倒的に秀でてるんだろうな」
「でも、おかげで運が良ければムーンライトが見られるね。倍率凄いだろうけど」
「そうだな」
ディルは素っ気なく答えたが、彼が剣位三位のムーンライトに対してかなりの執着を抱いていることを、ガルディアは知っていた。
ただし、剣位の試合ともなると、アルスタルト全域にくわえ聖地の外からも観衆が押し寄せるため、ガーデンの大闘技場が有する招待席などを除いた一万数千の席を、少なく見てもその十倍以上の人数が争うこととなる。そして、一般の市民や剣闘士がその権利を得るためには、教会に申請して、ただ抽選の結果を待つ他はない。
「そういうのも含めて、早く〝A〟に上がりたいよね」
「まあな」
現在はBランクに名を連ねる二人だが、もうひとつランクを上げて「A」ともなれば、ガーデンの試合に無条件で招待される権利を得ることもできるのだ。
もっとも、この聖地で剣位十二人のすぐ下に名を連ねるAランク剣闘士も、その数は百人と上限が決められており、それなりの実力を兼ね備えた剣闘士でも、長期に渡ってBランクで燻っているという話は珍しくない。
ひとしきり話し終えて、ガルディアはワインを口にする。隣でフィオリトゥーラが、食事の手を止め何か考えているような様子を見せていた。
「フィオさんって、もしかして、〝ムーンライト〟を知らない?」
ガルディアの口振りから、その知名度の高さがうかがい知れた。
「そう、ですね。存じませんでした」
「あは、凄いよね。あれだけ剣が振れてムーンライトを知らない人ってこの世界にいるんだね」
ガルディアは純粋に驚いていた。
「おまえ、本当に何も知らないんだな」
ディルも驚きを隠せないようだった。聖地の常識からもだが、何より彼の常識から彼女はあまりにも逸脱していた。そのせいか、呼び方も「あんた」から「おまえ」に変わっていた。
「ディスカイス・ムーンライトは剣位三位の剣士で、有名になったのは二年前ぐらいからかな。今じゃ世界一有名な剣士と言っても間違いじゃないだろうね。ちょっと〝剣〟が特殊だから最初は非難の声もあったらしいけど、とにかく鮮やかに勝ち続けて、くわえてどの国にも属さず、かといって自ら道場を開くわけでもないっていうところなんかも人気に拍車をかけたらしいよ。実際、ここにも信者がいるしね」
「違えよ」
ディルが再びガルディアを睨みつける。
「また睨まれた。いいじゃん、素直になんなよ、色々とさ」
「俺の目指すものに必要な材料なんだよ、あれは。大体、〝色々と〟ってなんだよ」
「うわ、怖いなあ」
二人のこういったやりとりは、おそらくフィオリトゥーラがこの屋敷に来る前からの日常なのだろう。
二人の様子を見てフィオリトゥーラが思わず笑みをこぼすと、それを見つけたディルは、そんな彼女にも険しい視線を向けた。
何を言われるのだろうかとフィオリトゥーラは身構えるが、ディルは無言のままその視線を料理へと移す。
すると彼は、凄まじい勢いで大皿に残っていた巨大な魚の身を全て平らげ、そのまま残ったワインも瓶から直接飲み干してしまった。そんなディルを見てガルディアが笑っている。
フィオリトゥーラは、その豪快な食べっぷりを前に驚き、大きな目を丸くして固まってしまった。
「それにしても、今日もソロンは来なかったな」
食事に満足した様子のディルが、ソファに深々と腰かけている。そう言った彼の視線は、自然と二階の一号室、ソロンの部屋の方へと向いていた。
食事の後は応接室に移動して休憩するというのが、彼の中では定番の流れとなっているらしかった。
二人もそれにならい、ガルディアはディルの向かいに座り、フィオリトゥーラはその隣に少し離れて行儀よく座っている。
「流石に無理じゃない? 新たな同居人が初戦を華々しくを勝利で飾ったなんて話、今のソロンは絶対に聞きたくないでしょ」
「まあそうだな」
ディルはつまらなさそうに答えるが、その視線はまだ二階へと向けられていた。
「あの……」
フィオリトゥーラが、不意に口を開く。二人は思わず彼女を見た。
「皆さんはその、三人とも〝Bランク〟の剣闘士として闘われているのですか?」
唐突な質問に、ディルとガルディアはその顔を見合わせる。
「そういえば、言ってなかったっけ?」
「だったか?」
実際、二人はそれを口にしてはいなかったが、フィオリトゥーラはこれまでの話から推察して、それを確認するため今訊ねたのだ。
「今日、教会で次の試合の申請を行った際、報酬とともに〝
「一ポイントだったでしょ?」
「はい。その勝点なのですが、これを獲得していくと剣闘士のランクを上げていくことができる、ということなのでしょうか?」
「そうだね。教会側は各剣闘士の勝点を管理していて、必要な点数に達すれば、その時点で〝昇格〟を言い渡される。ってまあ、僕はその辺適当だけどね。こういうのはディルの方が詳しいよ」
ガルディアは言いながら、横目でディルを見た。
「つーか、そんなもんは教会で講習でも受けりゃいいだろ」
「それもそうなのですが、お二人から話をうかがった方が勉強になるかと思いまして」
ディルの言葉にそう答えると、フィオリトゥーラはにこりと微笑む。
澄んだ碧い瞳がディルを見つめていた。それは、これまでに彼女が見せてきた微笑みよりも、どこか親しみを感じさせるものだった。
ディルは思わず言葉に詰まる。顔にこそ出さないようにしているが、うろたえている様子が、ガルディアにははっきりと見てとれた。少しは慣れたつもりでいても、気を抜けば、彼女の可憐な姿はいつでも不意を打ってくる。
「よろしければ、お聞かせください」
「……あ、ああ」
そもそもディルにとって、同じ剣闘士から何か頼られる経験自体がこれまでにほとんどなかったのだ。ましてや相手が彼女では動揺もする。
ディルはいつもの癖で銀色の髪を掻きむしると、いささか納得のいかない様子を見せながらも、説明を始めた。
「勝点、俗にいう〝ランキングポイント〟ってやつだが、これは一回の勝利で一ポイント獲得できる。〝D〟から〝C〟への昇格には十ポイント。で、ランクが上がったらポイントはゼロに戻って、その次の〝B〟までは、また十ポイントだ。で、俺らが目指してる〝A〟は、そこからさらに二十ポイントを獲得した後に、百人いるAランク剣闘士のうちの誰かを倒さないとならない。まあ、ようは勝ち続ければいいんだ。仕組みとして難しいことは何もねえよ。負けたからってポイントが減ることもないしな」
フィオリトゥーラは、ディルの説明ひとつひとつにうなずきを返した。
「参考までにお訊きしたいのですが、皆さんはどのぐらいの期間で、今のランクまで昇格されたのですか?」
「俺は確か半年、いや違うな。八か月ぐらいか」
「僕もそんなもんかな。ソロンは僕たちの中じゃ一番古株だけど、どうなんだろうね」
「まあ、どいつも大して変らねえだろ。〝D〟の頃は、勝点云々よりもまず生活する金を稼がなきゃならないから、どうしても試合のペースは早くなる。で、〝C〟になると一回の報酬も上がるから、段々勝つための準備に使う時間が増えてくる。試合は最短で一週間に一回申請できるが、遅らせたければ色々条件はあるものの一か月ぐらいは引き伸ばせるからな」
ディルは話しながら、フィオリトゥーラの質問の意図を考えていた。
「まあ、おまえみたいな上位申請の連中だと、また話は違ってくるんだろうけどな」
ディルの話を聞きながら、彼女は何事か考えこんでいるようだった。
おそらく、漠然とでも昇格に要する時間を計算しているのだろう。到着翌日に合わせた初戦の登録申請といい、彼女の思惑は明白だった。
「正直、ある程度闘える奴なら最初のうちは簡単だろうな。それこそ、探せば三か月かからずに〝B〟まで昇格してる奴だっているだろう。ただ、そういうのも運営する教会の方針だ。さっさと上に上げておいて、それに見合わないレベルの剣闘士は、早々に負けて消えちまえってことだな」
ディルとしては、あえて釘を刺したつもりだった。
「勝ち続けてさえいれば、結局行き着く先は変わらないからね。無理して教会の思惑に乗らなくても、自分なりの方法とペースを見つけて堅実に行くのも手ってことだね」
ディルの言わんとするところを理解したらしく、ガルディアが続けた。
ディルは、フィオリトゥーラの様子をさりげなくうかがう。少し露骨すぎる気もしたが、むしろそれでこちらの意図も彼女に伝わることだろう。
「あの、質問をさせていただきます」
「ん?」
フィオリトゥーラが、真剣な眼差しでディルを見つめてきた。
「三か月かからずに〝B〟まで昇格される方がいらっしゃるとのことですが、先の話のとおりならば、最も早くても五か月はかかると思うのですが」
ディルは思わず顔色を変える。
一旦は軽く目を見開いて驚きの表情を見せたものの、それから唇を噛み、続いてその目をゆっくりと細めた。
「まわりくどい訊き方をするんだな」
「方法があるのですね」
余計なお世話かもしれなかったが、先の話はディルなりの思いやりでもあった。
……無謀なだけで、馬鹿じゃねえんだな、この女。
ディルはその顔から表情を消して、冷めた視線でフィオリトゥーラを見つめる。おそらく彼女は、こちらの意図を理解した上で質問しているだろう。
かすかな苛立ちと同時に、自分が彼女を侮っていたのだという事実にも気がつき、それがまた苛立ちを加速させた。
「ああ。単純な話だ。勝率、戦績に応じて昇格前でも上のランクの剣闘士との対戦を申請できる。それに勝てば、三ポイント獲得ってわけだ」
「そういうことなのですね。これで今日のことも合点がいきました」
フィオリトゥーラはどこか含みのある言い方をしたが、ディルはもうそれに付き合う気はなかった。
「悪かったな、隠すような真似をして」
ディルは投げやりにそう言うと、ソファから立ち上がる。
「いえ、そんなことは」
「ガルディア。おまえも明日は早いだろ」
言うなりディルは歩きだすと、振り向きもせず、そのまま応接室をあとにした。
残された二人は、揃って彼がいなくなった部屋の入口を見つめていた。
「うーん。ディルにしてはこういうの珍しいんだけどね」
「申し訳ありません」
「いやいや。フィオさんは謝るようなことをしてないと思うよ。ただ、ディルはあれでソロンのこととかも結構気にしてるみたいだからさ。先を急ぐにしても、ほどほどにね」
そう言うと、ガルディアも立ち上がり部屋をあとにした。
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