第39話 滅びか敗退か -王弟殿下視点-

 辿り着くまでは、本当に呆気なかった。

 侵略国を名乗る割には、雑な動きばかりの兵士たちを相手にしては。我が国の軍人たちがかすり傷一つ負う事すらあり得ないほどの、圧倒的な力の差を見せつけて。

 私は謁見の間にまで一気に駆け抜けてしまっていた。


「さて……覚悟はできているな?」


 そこにいたのは、侵略国の名にふさわしくない小太りの王と。対照的に必要以上に細い王妃だった。

 ただどちらも険しい顔で、どこか緊張したように見返してくるその瞳は。

 私のこの冷たい色に、恐怖を覚えているのだろう。


「あぁ。兵を動かそうとしても無駄だ」


 死角から襲おうとしているのは、風の動きで気付いていた。おそらくはそういう手はずになっているのだろう。

 だから。


「強い向かい風の中では、息も出来ず苦しいと聞くが。どうだ?」


 白いマントの中で隠している左手で、難なく魔法を発動してみせる。

 右手で玉座に座る二人に剣を向けているからと、油断していたのだろう。残念だが、私は剣と魔法を同時に扱える。

 襲い掛かろうとしていた者に目を向ける必要もないが、おそらく相手は何が起こっているのかも分からぬままもがき苦しんでいる事だろう。

 何せ息も出来ぬほどの風量が、自分の顔にだけ襲い掛かっているのだから。


「動けば容赦はせぬ。命が惜しくば、誰一人動かぬことだな」


 この部屋の中に潜んでいる者達全員にそう告げれば、あちらこちらから息を呑む音が聞こえてきて。

 恐怖に震える者、悔しそうに歯を食いしばる者。

 見えなくとも全て感じ取れてしまうのは、この部屋だけではなく城内に徐々に風の魔法を広げているからだ。

 これで拾えた音は、全て私の元に集められる。


 だから、こそ。


「殿下!!妃殿下はご無事でした!!」


 カリーナを保護したのだと、そう伝えに来る我が軍の足音ですら、私には聞こえてきていた。

 そして同時に、その方向へと伸ばした風が拾った「殿下…」と柔らかく私を呼ぶ、愛おしい声も。


「そうか。良くやった」

「後の処理はいかがいたしましょう?」

「捕らえた者達は、縛ったまま外の森にでも放り出しておけ」

「承知いたしました」


 我が軍の勝利を疑いもしない会話に、王と王妃の表情は悔しそうに歪んでいるが。

 まさか、自分たちに死が訪れないとでも思っているのだろうか?

 確かにこの場を侵略国の血で濡らすことは憚られるので、今ここで命を奪おうとは思ってはいない。


 だが、まぁ。

 どちらにせよ、そう簡単に死なせてはやらぬが。


「さて、どうする?あぁ…その前に、いい加減解放してやらねば本当に命を落としてしまうな」


 忘れそうになっていた、もがき苦しんでいた兵の魔法を解いてやれば。途端音がするほど必死に息を吸い込んで。


「ぁ…ぁ……う、ぁ……あああぁぁッ…!!」


 どこかへ逃げて行ってしまった。


「ふむ……なるほど、そうなるのか。まさしく命からがら逃げだす、という事だな」


 賢いと言えば賢い。何せもっと重要人物が目の前にいる状態での、敵前逃亡だ。しかも相手は一人。自分が追われる可能性は低いのだから、逃げだすのが一番だろう。

 それを理解していたとは到底思えぬが。


「兵を動かそうとしても無駄だ、と。言ったはずだが?」


 密かに指示を出そうとしていたアグレシオンの王に、今度は風ではなく水で。その顔を覆って、息も出来ぬ状態へと追い込む。


「ギャアッ!!」

「煩い。お前も同じように苦しみたいのか?」


 腰を抜かしたらしい王妃が、私の言葉を聞いてその骨の浮き上がって見える手を口元に当てて、必死に首を横に振る。

 目に溜まっている涙は、女性の涙であることに変わりはないはずなのだが。

 欠片ほども、同情心一つ湧かないのは何故なのか。


「さて、お前たちに選ばせてやろう。滅びか敗退か……どちらがいい?」


 滅びは、国ごと。アグレシオンの名を、この世から消し去るだけだ。このままどこまでも追いかけて、一人残らずその命を奪うのみ。

 敗退は、ある意味で撤退を許すという事。だが、そう簡単に行くわけがない。何せ、あちらこちらで恨みを買いすぎている。国へと帰るその道中に、どこから襲われるかも分からぬ危険が付きまとう。

 どちらを選んでも、無様な姿を晒す事には変わりない。

 屈辱と苦痛に耐える時間が、長いか短いかの差だけだ。


「ヒッ…!!」


 ようやく実感が湧いてきたのか、恐怖と絶望に慄く表情でこちらを見てくるが。

 助けてやる義理など一つもないので、無表情に見つめ返してやる。


「選べ。その権利だけは、後幾ばくも無い王の座についている者に与えてやろう」


 より死への実感が湧いているだろう王の顔を覆っていた水を、全て消し去ってやって。そう、告げれば。


「こっ……このっ、化け物がッ!!!!」


 必死に息を吸い込んだかと思えば他の者達に目もくれず、自らの妃さえ置き去りにして、一人どこかへ走り去ってしまった。


「まっ…!!置いて行くつもりですか…!?」

「ふむ、敗退を選ぶか。では仕方がない。そこら辺にいる兵士たち、死にたくなければ今すぐに全員撤退させろ。一人でも残せば、滅びを選んだと判断するぞ」


 正直ここから追いかけるのは、あまり現実的ではない。カリーナもいるのだから、一刻も早くドゥリチェーラの宮殿に帰るべきだ。

 だが、元ヴェレッツァに侵略してきた国の人間を残すのも得策ではない。

 だからこその、言葉だったのだが。


「ヒッ…!!て、撤退…!!撤退だ…!!」

「王妃もだ!!早く!!」


 殊の外、有効だったらしい。

 おそらく彼らの中で、私のこの瞳が完全に恐怖の対象となっている事にも起因しているのだろうが。


 私ですら、この力の差だ。

 英雄と時を同じくした者達は、一体どんな表情かおで、どんな気持ちで、彼を見ていたのだろうか。

 そんなことを、ほんの少しだけ考えた。


 だが、まぁ。


「殿下……」


 静かになった謁見の間に、この場所に最もふさわしい存在が現れたのであれば。

 そのような些細な事など、記憶の彼方に吹き飛んでしまう。


「カリーナ……無事でよかった……」


 怪我一つなさそうな様子に、ようやく私も心からの安堵を覚え。

 久方ぶりにも思えるそのぬくもりを、腕の中へと閉じ込めたのだった。














――ちょっとしたあとがき――




 これにてシリアス終了です。

 駆け抜け感は否めないですが、実際に殿下は一日でここまでやってのける人なので。

 ついてこれる軍人さんたちが凄すぎるだけです(汗)


 アグレシオン側には、微ざまぁ程度で終わってしまいましたが……。

 まぁ、彼らのその後はまた追々。

 どちらにせよ負けた国に、権利なんてありませんから。ねぇ?


 ちなみに殿下が一人だったのは、この人が暴れるのに自分たちが邪魔になると軍人さんたちが理解していたからです。

 そのくらい力量に差があるという、何とも恐ろしい現実。普段書類仕事ばっかりしているくせに強すぎる殿下。

 あまり出てこない殿下の規格外の力が、ようやくちょこっとだけ発揮された気がします。


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