ハマメリスの灯台(KAC20213)

つとむュー

ハマメリスの灯台

「やっぱ、デートといえば灯台だろ?」

 同級生で当時大学二年生だったあなた、青田万作(あおた まんさく)は、私をデートに誘うたびにそう語っていた。

 二人で海を見て、食事を楽しむ。

 するとその後、必ず灯台に寄るのだ。

「ビビビって来るんだよな、灯台って言葉に、俺の直観が」

 なんでも、彼の名前の由来となったマンサクの花言葉は『ひらめき、直観』なのだという。

「それってただの直感でしょ? 灯台って言葉が天から降って来たような顔してるもん」

 すると彼は、チッチッチッと古い映画のように指を降る。

「違うんだな。俺のビビビはいつも知識と経験に裏付けられている」

「じゃあ、一体どんな知識なのよ。あなたの灯台論って?」

 あなたは宙を見上げる。

 二人で寄った白い灯台は、すでに光を放ち始めていた。

 陽は沈み、青を失いつつある海は黒く波音を奏でる平原と化す。灯台が放つ光の束をいくらでも飲み込んでいくふかふかの絨毯のように。

「だって灯台下暗しって言うだろ?」

 いやいや、それはただの比喩で、実際の灯台に当てはめる言葉じゃないから。

「だからこんなこともできる」

「こんなことって? えっ? んっ、んんん……」

 いきなり唇を奪われた。

 それもこれもみな懐かしい。

 私、山辺美海(やまべ みうみ)は、こんな彼のことをいつまでも忘れられないでいる。


 

 ファーストキスから一年後。

 大学三年の後期テストが終わった二月のデートも、やっぱり海辺だった。

 二人で入った居酒屋に、大将おまかせコースがあるのを見つけて思わず注文してしまう。それが二人の運命を狂わせるとは知らずに。

「何が出てくるのか楽しみね」

「ああ、俺は海産物は何でもいけるから心配ないけどな」

「そんなこと言って、一品目からギブだったりして」

「そういう美海もナマコとか食べれるのかよ」

「平気よ……たぶん……」

 ドキドキしながら料理を待つ。

 が、出てきたのはオーソドックスな料理ばかり。

 お造りから始まり、貝の蒸し焼き、焼き魚と続く。しかし、終盤の天ぷらで彼がいきなり声を上げた。

「なんだ、これは!?」

 私も一口食べてみる。

 プリっとした歯ごたえ、広がる塩味は口の中に海そのものが溢れていく感触。カキフライのような微妙な金属味がしたかと思うと、なんとも言えない甘さが全体を包み込んでいく。

「旨い、旨い! こんな旨いもの生まれて初めて食べた!」

 なんて大袈裟な。

 私も初めて食べる味だけど、それほどまで衝撃的かというとなんとも言えない。

「ちょっと教えて下さい! この天ぷらって何ですか?」

 いつの間にかあなたは、お店の人を捕まえている。

 こんなに興奮しちゃって、そばで聞いてるだけでも恥ずかしい。

「この天ぷらですか? ああ、これはホヤですよ」

「こ、これが、ホヤなのか……」

 天ぷらをまじまじと眺めるあなた。

 こんな真剣な眼差しは初めて見るような気がする。

 すると決意を込めた輝く瞳で私を向いた。

「よし、決めた。明日から俺はホヤの産地へ行く」

 ええっ、そんないきなり?

「産地ってどこよ?」

「知らないよ、今初めて食べたんだから。でもビビビって来たんだ」

「またいつものビビビ?」

「そうだよ、悪いか? また直感って言うんじゃねえだろうな」

「言うよ。わかってんじゃない」

「違うよ、これはひらめきだ。この体験は本物だからな。知識はきっと後からついてくる。俺はこのホヤに人生を掛けることに決めた!」

 言い出したら私の言うことなんて聞かないあなた。

 ついには大学の春休みを利用して、早速産地に行くことにしちゃったんだ。



 ホヤというと貝のようなイメージがあるが、脊椎動物に近い原索動物という種類らしい。

 幼生は海の中を泳ぎ、親になると岩にがっちりとくっつく。そして小さな角のような突起が沢山付いた赤い風船のような形になるのだ。

 そんなことを楽しそうに語りながら、あなたは三陸海岸へ旅立って行った。

 なんでも日本のホヤの養殖の大半は、三陸海岸産で行われているという。

 その養殖業者の一つで、大学の講義が始まるまでの一か月間、アルバイトする約束を取り付けてしまった。ひらめきとはいえ、その行動力には脱帽する。


 三月になると、彼から綺麗な写真がメールで送られてきた。

 美しい海を背景に、黄色いマンサクの花が咲き乱れる岬の風景。

 ――青と黄色の共演が素晴らしい。

 それはまるで私、美海と彼、マンサクが一緒に微笑んでいるようだったと、彼はメールで語る。

 なに、中学生のラブレターみたいなこと言ってんのよ。

 そんな彼とのメールのやりとりの中で、私も誘われたんだ。ホヤの旬は六月から八月だから、夏休みになったら一緒に来ようと。ホヤの刺身や蒸し焼きは、天ぷらの比じゃないほど美味しいからって。

 でも彼からのメールはそれっきり。

 写真が送られてきた翌日、三陸海岸は大津波に襲わた。



 あれから十年が経とうとしている。

 私はずっと、彼は今までの記憶をすっかり無くし、現地のいい人と一緒になって幸せに暮らしていると思っている。

 そう思わないと平常心を保てなかった。

 どこかで元気に生きている。それだけが私の心の支えだった。


 あれだけ頻繁に行っていた海にも、私は行かなくなった。

 十年の月日の中で、平常時はあなたのことを忘れていられるようになった。

 だけど三月が近づくと、無性にあの時の写真が気になり始めて、そしたらその場所にも行きたくなって、いつの間にか私は女川駅に降り立っていた。


 かさ上げされた土地に建つ新しい駅舎、そして新しい町並み。

 私は漁港に行って、写真の場所について地元の方々に訊いてみた。

 が、誰も知らないという。


 あなたが働いていたのはこの場所のはずなのに。

 最後にメールをくれたのは、十年前のこんな三月の陽気だったのに。

 私はこの地に宿をとり、次の日も聞き込みを続けた。

 が、やっぱり手がかりは無し。

 途方にくれた私は、一人海辺にたたずむ。

 さざ波の音、カモメの鳴き声。

 こんなにゆっくりと潮風の匂いを嗅ぐのは、あなたと一緒にいた時以来だ。

 とその時、私の頭の中で何かがビビビとひらめいた。


 ――灯台だ。


 これは直観と言うのだろうか。

 そうだ直観だ――あなたならきっとそう言うだろう。今のひらめきは確かな知識や経験に基づいているんだって。

 そんな経験、もういらないと思っていたのに。

 必死にあなたのこと、忘れようとしていたのに。

 私は実感する。あなたとの日々がこんなにも深く、私の中に根付いていることを。

 忘れたフリをしていても、あなたに会いたい気持ちをずっと隠していただけなんだって。


 私は漁港に戻り、近くに灯台がないか訊いてみた。

 すると、岬の先端に白い灯台があることを教わった。車で行けるところまで行って、そこからしばらく歩かなくてはいけないことも。


 灯台へ続く山道を歩きながら私は考える。

 やっぱり引き返した方がいいんじゃないかって、何度も何度も。

 たとえ写真の場所が見つかったって、あなたに会えるわけじゃない。ただ悲しくなるだけだ。

 それでも私の足が止まらなかったのは、あの景色が見たかったから。

 あなたが私に伝えたかった言葉を、確かな記憶として受け取りたかった。


 前方に白い灯台が見えたかと思うと、いきなり広い場所に出た。

 そこはマンサクの花が咲く、黄色に染まる広場だった。

 春の訪れを告げる花、マンサク。

 黄色く細長い花弁が花火のようにぱっと広がるその形から、『ひらめき、直観』という花言葉がつけられている。

 青い海をバックに潮風に揺れる黄色の花々。ここは正に、あなたから送られてきた写真の場所だった。


「私、来たよ。この場所に、万作に会いに……」


 この名前で呼ばれるのって、あなたは嫌がってたっけ。

 だからずっと『あなた』って呼んでいた。

 これからは学名で呼んであげる。ハマメリスって。

 だってこの花たちは、あなたじゃないから。

 あなたは別の場所で、ちゃんと元気に暮らしているはずなんだから。

 止まらない涙を拭いながら、また来年もハマメリスたちに会いに来ようと私は誓うのだった。



 了

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ハマメリスの灯台(KAC20213) つとむュー @tsutomyu

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