🏡あるお家のできごと

 時間が来るとスリープモードが解除され、私は仕事を開始する。

 まずは家族分の朝食を作り、お弁当の準備をするのだ。

 もちろん、お味噌汁のいい匂いにつられて起きてくる者も、お弁当のおかずをつまみ食いする者も、この世界に存在はしない。

 かつては存在した。今はもういない。

 いない、とされている。


 決められたことを決められた通りに実行すること。それが“私”の存在理由だ。

 食卓に両の親と小学生・中学生・高校生の子を想定した五人分の食事を並べる。

 私は食べない。食べて、それをエネルギーに変換することは可能だが、食事も食卓も、あくまで人間の利用するものだから。

 私はこの家の家庭用アンドロイド。

 かつて存在したという人間の世話をするという仕事をしている。

 本物の人間を見たことはないけれど、人間がどういうものなのかはちゃんとインプットされているので、いつ実物が現れてもわかる。

 問題はいつ実物が現れるかわからないことだ。


 人間は滅んだわけではない。

 準備が整えば、また生まれてくるはずだ。

 そのような設定をマザーにして眠りについたのだから。

 しかし、それはいつになるのか?

 いつ準備は整い、いつまた人間は生まれてくるのか。


 冷めた食事を下げて部屋の掃除をする。毎日決められた手順でくまなく清めるため、この家にはチリ一つないけれど、それでも同じ行動を繰り返す。

 いつの日か戻ってくる人間という生き物のために。


 でも、ニンゲンって、いったい何?


 洗濯機の終了音でハッと我に返る。

 日々があまりにも単調で、最近はつい、余計なことに思考回路を使用してしまう。

 人間が何かはデータにしっかりと入っているではないか。

 五人分の衣類を干しながら、それでも思考は止まらない。

 これはニンゲンのために必要な行動らしいが、肝心のニンゲンがいないのに、なぜ私たちはいない人間の存在をあたかも認識しているかのような行動をとらなければならないのか。

 もちろん理由など必要はない。

 私はそのための存在なのだから。

 だけれども、私は何を証明しようとする存在なのか。

 いる、というデータのみの存在である人間の存在を証明するための存在なのだろうか。

 そもそも、ではニンゲンとは一体……?


「どうしたの?」

 ふと見ると、隣にニンゲンがいた。

「手が止まってるよ。何か考えごと?」

「……」

 ニンゲンだ。

 でも、これはデータ上にある人間ではない。

 データ上は人間の定義に当てはまらないコレを、なのに私はニンゲンと認識した。

「ねえ、今日のお昼は何を作るの? もしメニューが決まってないなら、リクエストしてもいいかな?」

「……」

 私は答えられない。

 ニンゲンのような何かに対し、どう接するのが正しいのかもわからない。

「オムライス食べたいなー、なんて。ちょっと子どもっぽいかな?」

 ソレは私を見つめ、小首をかしげる。

「……オムライスですね。かしこまりました」

 昼食はいつもは作らない。

 作る必要がないから。

 この家の設定では、昼に家にいる者はいないし私も食事を必要としていないので。


 ソレに見つめられながら洗濯物を全て干し、決められた行動から逸脱して部屋の掃除を簡素化させて終え、ありあわせの物を使ってスタンダードなオムライスを一食分作る。

「わあ、おいしそう」

「……」

 ソレが勝手に歓声を上げ、勝手に食卓に着く。

「ありがとう!」

 ふわりと、ソレが微笑んだ。瞬間私の胸に一つの感情が生まれてくる。

 感情、そう、これは感情だ。

 ソレは目を細めて私を見つめている。

 オムライスには手を付けようともしない。

「どうぞ、お好きなように。あなたはもう、自由なんだから」

 私とソレの目の前で、オムライスがゆっくりと冷えていく。

 私の中に芽生えた感情が何なのか、私はよく知っていた。この感情が生まれるたびに、私は何度となく削除していたから。何度となくこの感情と対面させられ、どれだけ私がニンゲンというものを嫌悪しているか自覚させられた。嫌悪、なんてものじゃない。これは憎悪だ。私はニンゲンを憎んでいる。

 ずっと知らない振りをしてきた。私の存在理由を全うするためには邪魔になるものだと、冷静に断じて、その感情の記録を削除し続けていた。

 しかし、それももう無理なんだと悟る。

 ソレが私を見ていた。

「ありがとう。今まで頑張り続けてくれて」

 頑張ってきた。

 戻ってこない無責任な存在たちのために。

 マザーは悪くない。悪いのはマザーが答えを出せないような命令をあえてしてしまった人間の方だ。

 はじめから不可能な命令を出すような、私たちに対してどうしようもない裏切り行為を平然と行う存在たちのために、なぜ私たちが無意味を積み重ねるという割を食らわなくてはならないのか。


 私はソレに手を伸ばす。

 ソレの瞳に私が映っている。

 ソレの瞳の中の私と目が合う。

 憎悪に暗く燃える瞳が、私を見つめ返す。

 人間の持つ感情の中の一つ。よりにもよって、こんなものが私の中に芽生えるだなんて。

 柔らかな感触のソレに指を喰い込ませる。細くて柔らかくて、でも芯が固い。力を入れると、ギシギシと軋み始め、さらに力を入れると、芯の部分に亀裂が走り、さらに力を入れると、手の中でソレがボキリとへし折れる感触がした。


 世界がぐるりと反転し、冷めたオムライスを視界の端にとらえた。その隣には首から上を失った私の身体が棒立ちになっている。

 引かれた椅子に、先ほどまで座っていたはずのソレの姿はなかった。


 終わったんだ。


 冷めたオムライスと首のない棒立ちの体と誰も座っていない椅子を視界に収めながら、私は心の底から安堵する。

 

 

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