第十三章 ③

「まあ、こんな場所までバスは来ないからな。ぐっ、折れた肋骨が、赤熱した鉄パイプにでも変わった気分だ」

「はいはい、無理に喋らないの。あと五分も歩けば、表の通りに出られるわ」

 ゼルもフレンジュもボロボロだった。それでも、二人の足取りは軽かった。これからの明るい未来を信じる気持ちが、そうさせた。

「けれど、ゼルさん。これからどうするの?」

「とりあえず、ベニアヤメの手は借りない」

 そもそも、あいつが元凶の一角だ。助けを求めれば、どれだけの見返りを求められるか考えただけで恐ろしくなる。

「銀行領だって、騎士団だって、俺の強さは知っているはずだ。こっちが争わない姿勢を見せれば、向こうだって下手に動かないだろうよ」

「あら、随分と頼もしい台詞ね。それでこそ、ゼルさんらしいけど」

「まあな。ところでフレンジュ。いつまでゼル〝さん〟なんだ。そろそろ、名前だけで呼んでくれてもいいだろう。〝あなた〟でも〝旦那様〟でも〝ダーリン〟でも可だ」

「それは、努力するわ。まだ、ちょっとだけ恥ずかしいの」

「もう知らない仲ってわけじゃないんだし、ちょっとくらいいいだろう」

「親しいからこそ、簡単には踏み込めない距離があるのよ。大丈夫よ。明後日辺り、自然と呼んでいるわ」

「俺には、永久に似た長さに感じる。だったら、せめてもう一度」

 視界の端でなにかが光った。

 ゼルの右足を、灼熱が抉った。膝が折れ、倒れてしまう。遅れて弾けた激痛が、喉を潰さんばかりの叫びとなった。

「ゼルさん!」

「逃げろ!」

 狙撃だった。今のは、太陽光に狙撃銃のスコープが反射した光だった。なんて迂闊。いつもなら、防げたはずなのに。

「剣を」

 機操剣はどこだ。地面に転がっている。拾わないと。手を伸ばせば届く。駄目だ。右足の痛みで体勢が崩れたままだ。頼む。もう少しだけ動いてくれ。護ると決めた。こんなところで死ぬわけにはいかない。だから、お願いだから、動いて――、


 ――一発の銃声が、赤い花を散らした。


「あっ」

 それは誰の声だったか。機操剣を掴めなかったゼルの声か。それとも、倒れたフレンジュの声だったか。

 フレンジュの胸を、弾丸が貫いた。

「なん、で……」

 愕然とするゼル。

 フレンジュが、薄っすらと目を開けた。

「無事、かしら?」

 まだ、生きている。ゼルは地面を這いながらフレンジュへと手を伸ばす。胸に手を当て、なんとか血を止めようとする。なのに、血は止まってくれない。指の隙間から、虚しくこぼれ落ちるばかりだった。

「止まれよ! 止まれよ馬鹿野郎! ふざけんな! ここまで来てそんなのありかよ!」

 どうしてこうなった。なんで、おかしい、おかしいだろう。こんな馬鹿なことがあるか。どうして、フレンジュが。どうして、こんなの嘘だ。間違っている。なにもかも、間違っているじゃないか。血が流れる。とめどなく。ただただ流れる。赤い温かさが急速に冷えていく。

 フレンジュが虚空に手を伸ばした。

 そっと、ゼルの頬に触れる。

 氷のように冷たくなっていた。

「無事?」

 フレンジュは自分の身よりも、ゼルを案じた。

 ゼルは首が千切る勢いで頭を縦に振った。フレンジュが、満足そうに頷く。

「喋るな。奥歯を強く噛め。このくらい、大したことない。大丈夫だ。血は止まる。止めてみせる」

 ゼルは信じていない神に願った。

 フレンジュを助けてくれと。

 神よ。お前は俺からクローゼルを奪った。それだけで足らなかったというのか。悪人だろうと善人だろうとも、これから幸せになろうとした女の運命を弄ぶなど絶対に間違っている。

 フレンジュの顔色は悪くなるばかりだった。

 なのに、彼女は言ったのだ。

「私も、まだ聞いていないの」

 視界が歪む。フレンジュとクローゼルの姿が重なった。あのときと同じだった。生きたいと願うのではなく、伝えたいと願う。似ているようでまったく違う。それは諦めたからこそ、静かな声なのだ。

「フレンジュ、喋るな。大丈夫、必ず助かる。だから、喋るな! こんな血、俺がすぐに止めてみせる!」

 ゼルが叫ぶも、フレンジュは唇を震わせながら言葉を紡ぐ。

「あなたも、まだ言っていないから」

 心臓を銀のナイフで抉られても、ここまで痛みを感じるだろうか。ゼルの弱さが、卑怯な心が、フレンジュに迷いを残した。

 戦場で多くの敵を殺してきた。味方の最期を見てきた。だからこそ、人間がどんな風に死ぬのかゼルはよく知っている。

 もう助からない。

 なら、せめて、

「お願い、聞かせて」

 フレンジュの想いに、応えないといけない。

 それが、男としての最後の矜持か。

「……ああ、そうだな」

 今、ちゃんと笑えているだろうか。

 ゼルは喉に未練を引っかけながら息を吸った。

 こればっかりは、嘘ではない。

「フレンジュ。君を愛している」

「私もよ、ゼル。あなたを愛している」

 もう言葉はいらなかった。

 ゼルは、そっとフレンジュに口付けした。伝わる温もり、柔らかさに、残りの想い全てを注ぐように。

 だから、もう〝お終い〟だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る