第十三章 ④
ゼルは立ち上がりもせずに茫然とフレンジュを見詰めていた。
苦痛も、後悔も、怨嗟もない。ただただ奇妙なまでに穏やかな、それこそ眠るような。フレンジュの死に顔は、満たされていた。
愛で。
叶うなら、ここで一緒に死にたい。
これからどうしよう。
動く気力も失せた自分の頭上に、影が差した。
「汝、ゼル・クランベルデ相違ナイナ?」
平坦で無機質な声に、やっと自分にも死神が来てくれたのかとゼルは己が運命を間違えた。
それを見上げる。死神にしては妙な格好だった。無駄にでかい灰色の鎧を纏い、亀の甲羅のごとく背中が円弧に膨らんでいる。それも蒸気を噴き出す筒が何本も生えていた。バグルと同じ、蒸気機関で身体の動きを補助する強化外骨格だった。左胸に装着された紋章は、新鮮な血で描かれたような赤い獅子の横顔である。
なにより、右手には銃か大砲なのか分からぬ巨大な火器を、左手には壁と見間違うほどの盾を構えている。懐かしい光景に、ゼルの双眸が理性の色を取り戻す。
「赤獅子騎士団の重機甲兵……」
一人ではない。いつの間にか、ゼルは四十人以上の騎士達に囲まれていた。夢から覚めた気分だった。
ゼルの前に立って話しかけた騎士が隊長格なのだと理解する。他の騎士と違い、兜に金色の歪んだ輪っかが嵌められていた。怪物の角のように。
「我々ハ、汝ト争ウツモリハナイ」
こいつら、なにを言ってんだ? ゼルが黙ったままでいると、隊長騎士がフレンジュを見下ろした。
「《九音ノ鐘》ハ、コレデ全滅シタ。赤獅子騎士団ニ弱者ハイラナイ。銀行領ト瀟洒会同盟トノ争イニ勝ツタメニハ、斬リ捨テルコトガ道理」
乾いた新聞の束を泥水に落としたように、ゼルの心に浸透していくのはドス黒い困惑、怒り、そして歓喜だった。
たったそれだけのためにフレンジュを殺したのか。
ところでなんで、俺の前に顔を出した?
いや、そんなことはどうでもいい。
これで、条件はそろった。
「《墓標ノ黒金》ヨ。騎士団ニハ逆ラワナイコトダ。汝ガ生カサレテイルノハ、カツテノ功績ニ対スル温情ニ過ギナイ」
俺の人生が、手前らのお情けか?
騎士団が、もう用はないと去ろうとする。
「おい、ちょっとばかし待て」
全て終わったつもりでいた騎士達が、振り返る。
ゼルが、幽鬼のごとくゆうらりと立ち上がった。
足を撃たれた人間が自分達に楯突くわけないと高を括っていた騎士達が後退る。ゼルが、機操剣を杖としてではなく正しい使い方として握ったからだ。
「俺は、残りの人生をフレンジュのために捧げると誓ったんだ。それを邪魔した手前らは、残りの人生を俺に寄越せ」
誰が理解出来るだろうか。力の差は歴然としている。騎士団の精鋭一個小隊の戦力は、並みの機導使い千人分に匹敵する。根性論が入る隙の無い機導使い同士の戦に、どうして惚れた女のために無謀な戦いを挑む男の論理が通じるだろうか。ゼルはここで、逃げて生きるだけの権利があった。家に帰って酒を飲み、煙草を吸うことを許されていた。だが、それでも、胸を焦がす炎だけは生温い覚悟を許さない。
フレンジュが、己が命を懸けて護ってくれた。
ならば、全力で〝なにか〟を返すのが、ゼルの信じた男という生き物だった。そうでなければ、嘘になってしまう。
撃たれた右足の痛みが頭蓋骨の内側で暴れていた。だからどうした? こんなのフレンジュの痛みに比べたら掠り傷だ。この胸に咲いた痛みの方が、ずっとずっと苦しい。
「正気カ? ソンナ身体デ我ラニ敵ウトデモ本気デ想ッテイルノカ!?」
「お前らこそ、俺に喧嘩売ったまま平気で帰れると想ってんのか? 生憎と、俺は今、最高に怒ってんだよ」
ゼルの右手が動く。機操剣を地面に突き刺し、トリガーを四度連続で引いた。左手がタイプライターのキーを叩いたのは、烈風の中で。
ゼルを穿つために放たれた弾丸は、地面から伸びた壁に阻まれた。ばかりか、まったく同じ威力と角度で返され、遠くに陣取っていた狙撃手の脳天を貫いてしまう。
最初から、こうしておけばよかった。
今となってはなにかも遅い。
だから、せめてこいつらだけは。
「逃げられると想うなよ」
ゼルの戦意に呼応したのか。Sカノッソス零式の五つ目が起動する。主力たる高位解析機関であるMアポートンM一八五〇の内部で重く硬い音が鳴った。蒸気タービンに似た回転音が加速、増大していく。高周波が巨獣の唸り声となって薄闇を舐めるように広がった。数百数千の歯車が足並みをそろえていく。眠っていた力が、揺り動かされる。お前達には、なに一つ渡してはやらないと火竜が牙を剥く。
「手前ら全員、この世の地獄を見せてやる」
竜が啼いた。
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