第十三章 ①


 あれだけ濃かった闇夜が逃げるように薄まっていた。瑠璃色が辺りを満たす。もうすぐ、夜明けだった。

「見事だ。しかし、最後のあれはなんだ? 私は、一抹の後悔を覚える」

 バグルの声が近い。《剣髄の巨兵》は崩れ、装甲が剥がれていた。操縦席が露出し、壊れたレバー類と一人の男の姿がよく見えた。

 十歳以上も年上で、入隊当時はいつも拳骨を飛ばされていた。ゼルが前線に立つようになってからは、交流なんてほとんどなくて。遠目から、短い金髪と薄い蒼眼を眺めるだけで。

 ゼルは機操剣を杖にしてやっと立っていた。視線を落とし、目頭が熱くなる。バグルの腹部に赤黒い穴が開いていた。杭打機による一撃は装甲を貫き、操縦者へと届いた。だから、誰が殺したのか明白だった。

「周りをちゃんと見ろ。ここはどこだ? 旧工場地帯だぞ。だったら〝こっち〟の方が多いのも、不思議じゃねえよ」

 ちょうど十字路の中央に倒れていたバグルが、わずかに目を動かした。そして、血に濡れた口元を苦く、悔しそうに歪めた。

 経済都市は、街の全てが機錬種で造られているわけじゃない。ゆえに、機導式では干渉出来ない場所が存在するのだ。そこを見極めるのが、機導使いの腕の見せ所でもある。

 十字路の中央付近は機錬種ではなく、ただの石と固めた砂利だった。夜明けが近くとも、まだ薄暗い。戦闘の速度で判別するのは困難だ。

 バグルが負けたのは、性能の差でも偶然でもない。もっと単純な、機導使いとしての腕の差だった。

「そうか。私は、そんなものに負けたのか。敗北を、ただただ受け入れよう」

 ゼルは喉奥に苦い物を感じ、吐き気を覚えた。本当は、なにが勝敗を決めたかなど分かっているからだ。

「バグル。俺は」

「ゼル」

 名前を呼ばれた。

 ゼルが驚いていると、バグルが苦痛に歪んだ顔に笑みを浮かべた。

「なにも言うな。これは、私の敗北だ。私が戦い、私が考え、そのうえで負けたのだ。文句などあるものか。私は、なにも迷わない」

 これが、本当に正々堂々とした戦いならば、機錬種が使われていない場所に誘い込むなんて罠を仕掛けなかった。

 ゼルは、男としての闘争よりも女のための未来を選んだ。

「女にとっては、男同士の戦いなど笑止千万だろう。気にするな、ゼル。私だって、立場が同じならいくらでも罠を仕掛けるさ。私は、満足のいく答えを得た」

「バグル。お前は俺を信じたんじゃないのか? 俺がこんな罠など使わないと。だから、お前は」

「ゼル」

 バグルは、呆れ顔で鼻を鳴らした。

「お前は考えすぎた。そうやって敵のことまであれこれ考えるから足が重くなるんだ。もうちょっとは気楽に生きろ。私は、やれやれと頭を痛める」

 顔は蒼白に染まり、それでもバグルはかつての後輩をたしなめた。もう敵ではなかった。ありし日の時間だった。

「……バグル。最後に教えてくれ」

 心残りの中でも、一つだけはっきりさせておきたいことがあった。

「お前が俺を襲った、本当の目的はなんだ? 俺にはお前が、私情だけで戦ったとは想えない。なにか他の理由があったんじゃないのか?」

 バグルが小さく息をのんだ。目を閉じ、言葉を擦れさせながらも言う。

「もう《九音の鐘》は崩壊した。私は、一つの希望を抱こう」

 予想外の現実に、ゼルは危うく倒れかけた。

「なっ。そんな、まさか。……俺の」

「俺のせいと言うのなら筋違いだ。もともと《九音の鐘》の必要性は問題視されていた。瀟洒会同盟と銀行領が台頭し、さらに肩身は狭くなった。赤獅子騎士団の選択は間違っていない。だが、どうしても認められなかった。私はこの怨嗟をたとえられる言葉が見付からない」

 ゼルは、組織と関わりを断ったつもりだった。

 だが、とてもではないが無視出来なかった。

「赤獅子騎士団は《九音の鐘》に在籍する者達を次々と抹殺した。残っているのは、私とフレンジュしかいない。私は無力だった。部下を満足に護れなかった。私は、己が無力さに胸が引き裂かれる想いだ」

「そん、な。なんで、お前達が殺されないといけないんだよ。国から命令されて戦ったんだぞ。国のために尽くしたのに、なんでこんな目に合わないといけないんだよ」

「仕事の過程で重要な機密に何度も触れている。情報が露呈するのを防ぐためだろう。ゼル。私は、どうせ死ぬのならお前と戦いたかった。組織の都合なんて汚いモノじゃなくて、ただの男と男として戦いたかった。私にとっての後悔とは、ただそこにあったのだ」

「なら、どうしてフレンジュにあんなことをさせた!? お前が俺に、最初から全てを告げていればもっと別の方法が。俺が、関係ないからって見捨てるような男に見えたかよ? 俺は、そこまで薄情じゃねえぞ馬鹿野郎」

「知っている。私は、それを信じたかっただけなのだと告げよう」

 今のバグルでは、ゼルに全てを伝えられなかった。

 もしも、バグルが最初からフレンジュのことをゼルに任せていれば赤獅子騎士団は絶対に許さなかった。どんな手を使おうとも《九音の鐘》を抹殺するために動いていただろう。だからこその、賭けだった。

 結果的に、フレンジュは生き残った。バグルが、ゼルなら女を討たないと信じたからだ。きっとどんな連中からも護ってくれると頼ったからだ。

 想えば、バグルの攻撃はところどころ緩慢だった。まるで、フレンジュを抱えているゼルに本気の一撃を当てないようにしているかのように。

「ビルから落とされたときは死ぬかと想ったけどな」

「この装備では加減が難しかった。その程度、許せ。私は自分の失態を棚に上げる」

 バグルは、己が身を犠牲にしてまで部下を救った。その果てに、最期を選んだ。組織の薄汚れた目的ではなく、男同士の勝負で。

「この馬鹿野郎……」

「お互い様だ。私は、お前を小馬鹿にする。……ぐっ」

 バグルが血を吐いた。呼吸が荒くなり、段々と顔から精気が抜け落ちる。ゼルには、彼を助けられる方法がなかった。

「これでいい。《九音の鐘》は滅び、私も歴史の闇に埋没しよう。最後に、お前と戦えてよかった。私は、ただただ満足だ」

 そうして、バグルは目を閉じた。

 一度だけ、細長く息を吐いた。

 全身から、力が抜け落ちていく。

「バグル!」

 ゼルの叫びに、ただ一度だけ返事があった。

「生き、ろ。――戦友」

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