第十二章 ②


「というわけだ。手前らが安易に銀行領の名前を使ったせいで、瀟洒会同盟と赤獅子騎士団まで巻き込んだ大事になったんだよ。俺は驚きのあまりに頭をかち割ってブランデーを直接流し込みたい気分だ」

 ゼルはボトルに直接口をつけ、豪快にブランデーをあおった。その様子に、バグルがガリガリと胡椒を磨り潰しながら不満を訴える。

「お前を仕留めることが出来れば、その後のことなど知るか。それと、お前はまだそんな温いブランデーを飲んでいるのか? 戦場に合う酒は冷えたビールと相場が決まっている。私は、物事の真実を大いに語ろう」

「どこの相場だよ? 銀行領の為替か? 帝国と王国の通貨レートか?」

「赤獅子騎士団ふくめ、十五の試験的機械化構築経済都市を護る全騎士団の戦闘糧食に付属する酒は三位がウォッカ、二位がエール、そして一位がビールだ。私は冷たい現実を冷ややかに告げよう」

「嘘、だろ。……ブランデーは万年一位って俺の脳内じゃ」

「ブランデーを飲むと《墓標の黒金》が口説きにきて面倒だと女性陣から、そんな奴の仲間になりたくないと男性陣から。お前は墓穴を掘ったのだよ。私はさらに残酷な現実を突きつけよう」

 そんな馬鹿な。

 ゼルは苦々しく拳を握った。

「俺は、俺はただ、ブランデーの素晴らしさを世の中に広めようとしただけなのに。なんで、こんなことに……」

 悔しそうなゼルの横顔に、バグルがくしゃみを飛ばした。

 バグルは《剣髄の巨兵》の前面装甲の一部を解き、操縦席を露出している。ただし、物陰になっているせいで顔は見えなかった。

「お前はどうして組織を抜けた? クローゼルが死んだことで、お前のなにが変わった? 私は、長年の疑問を吐露しよう」

「別に、ただの気分転換だよ」

「違うな。私は真っ向から否定する」

 バグルがジャガイモを齧る音は静かだった。

「お前はどうしようもなく組織人にはなれなかった。青臭い正義を振りかざし、なおも挫折した。愚かな。《九音の鐘》に在籍したままならば、よっぽど抑止力になっただろうに。私は純粋に不満を覚えた」

「そっちこそ、冗談はよせよ。組織をどうこうとぬかすから、遠くのモノが見えなくなるんだ。正義を謳う連中の手の届かないところに、本当の悪がある」

 ゼルは決まったルーティンでジャガイモを半分に割り、バター魚醤をたっぷりとつけて齧る。これ以上の正義などない。

「そっちは警察にでも任せておけ。レインとかいう女装変態がいただろう。ああいう連中との住み分けをするからこそ、護れるものがある。私は己が理論を固く再確認する」

「お前、それ本人の前で言うなよ。『僕と同じ景色を見せてあげよう』って目玉を栄螺の壺焼きみてえに穿られるからな」

 ゼルがジャガイモを七個、バグルが三個食べた。

 風が、生温かった。

「頃合いか」

 言ったのは、ゼルだった。椅子代わりだった瓦礫から腰を上げ、飲み切ったボトルを地面に置く。

 右手が掴むのは新しい酒瓶ではなく、機操剣の柄だ。

 バグルが《剣髄の巨兵》の装甲を元の形態に戻した。巨大な歯車が回る音が内側から蒸気と一緒に溢れ出る。

「私に勝っても、フレンジュが危険に晒されるか。なにか打つ手はあるのか? 私は、わずかな心残りに自分でも驚いている」

「助けるさ。どんなことをしても、な」

 ゼルは柄を逆手に握り直した。切っ先を地面に当てた下段の構えだ。猟犬のごとく丸めた上半身から力が抜け、腰を深く落とす。

 バグルは両腕二組の多銃身式連発銃の銃口を全て、標的へと向けた。戦力の差は圧倒的だった。最初から無謀は決定事項だ。それでもきっと、今の二人は対等だったし、見ている景色の高さは一緒だった。だから、ここがやっとゼルとバグルの時間が埋まった瞬間だった。

「来いよ《幽玄の泥狐》。俺を倒したいのなら、軍艦でも用意するんだな」

「ほざけ《墓標の黒金》。私は、闘争の歓喜に打ちひしがれている」

 最初の一撃はバグルだった。

 いや〝一撃〟と評して正しいものか。

 弾丸の滝がゼルへと襲いかかった。あまりにも密集しているせいで、もはや鉄槌にひとしい。

 ゼルは構えを解かぬままトリガーへと指を走らせた。

 地面が盛り上がり、大きな盾が生まれた。ゼルと弾丸の間に割って入り、主を護らんと陣取る。

 バグルは勝利の笑みを浮かべただろう。ゼルの機操剣は万全ではない。あの程度の盾など、板切れと同じだと。

 弾丸の群れが盾に激突する。そして、

「なっ」

 驚いたのは、バグルの方だった。

 ゼルに弾丸は一発も当たらなかった。ばかりか、盾は体積を増した。何重にも連なり、堅牢な城壁のごとく君臨する。四台の多銃身式連発銃が織り成す硬質な豪雨を完璧に受けきったのだ。

「俺が使う機操剣は、MアポートンM一八五〇の面倒な歯車比率を補うためにSカノッソス零式を八つ搭載している。だが、全て起こすには時間がかかる」

 今四つまで起動している。本来なら、この程度の機導式でバルグの攻撃を防ぐのは不可能だ。

 バグルが銃口を盾の中央へと集める。一点突破を狙い、火力を加速させた。

 ゼルが動く。

 盾がさらに一回り巨大化した。

 半球を描き、銃弾の嵐を受ける。

 やはり、壊れなかった。

 たんなる偶然ではないのは明白だった。

「機械の計算に奇跡が入る余地はない。だから、自分の腕で補わせてもらう。俺がなにをしたのか、手前なら分かるよな、バグルよ」

 飄々とした様子で立つゼルを前にして《剣髄の巨兵》は掃射を止めた。あろうことか、絶対的に有利だというのに数歩後退する。バグルの前に、仕切り直さなければいけないだけの脅威が立っていたからだ。

「忘れるわけがない。クイックドロウ。トリガーを一瞬のうちに数度引くことで機導式をほぼ同時に複数発動させる。そしてお前は、増幅、変幻、並列の高等機導式を融合させた。私は、過去の光景に背筋を震わせた」

 機導式を建物に置き換えよう。Sカノッソス零式が起きていない状態では、大きな建物を作れない。ならば家のパーツを連続で構成し、組み立てればいい。言葉にすれば簡単だが、容易ではない。そもそもあれは、たんにトリガーを速く引けば済むような領域ではない。ただでさえ複雑な機導式を〝未完成〟のまま撃ち出すのだ。それも、時間経過ごとに変化する演算までも考慮しなければいけない。

 ゼルの柄を握る右手とは反対、左手は機操剣から展開された大型のタイプライターに伸びている。大陸統一言語と数字、記号、合計百八個のキーが不可能を可能にしていた。

 トリガーを引く合間と合間にキーを打ち、演算の乱れを修正する。機導式の結合部を綺麗にして、繋ぎやすくするためだ。とてもではないが、容易なことではない。そもそも、一度発動した機導式の乱れを見るなど、専用の機械でも使わない限り無理だ。

 だが、ゼルならそれを突破する。

「難しい話じゃねえよ。理屈じゃない。感覚で機導式を〝視る〟んだ。俺は美女が一ミリでも髪を切れば瞬時に理解する」

 機操剣は進化した。性能が飛躍的に上がった。しかし、使うのは人間だ。機導使いの技量が過去と同じで済むなんて道理はない。

 バグルも愚かではなかった。多銃身式連発銃の形状を解き、巨大な大砲へと変える。軍用の大型戦車にも負けぬ砲身が四本、ゼルを狙う。

「正気とは想えんな。もしも、クイックドロウが万能ならば騎士団でも採用していただろう。しかし、その技を使うのは、この都市ではお前だけだ。何故だか分かるか? 指先のテクニック以上に脳にかかる負担が大きすぎる。戦場では常に精神を削られるのだ。わずかなミスも許されぬ極限を、いったいいつまで続けられる? 私は、懐かしさと呆れを同時に覚えた」

 バグルの言う通りだった。クイックドロウは精密な作業を要する。静かな自室ではなく、いつ死ぬか分からぬ戦場で。

 ゼルの頬には冷たい汗が滲んでいた。あくまで、クイックドロウはSカノッソス零式が起きるまでの時間稼ぎにすぎない。

「だから、ジャガイモをたらふく食って腹を満たしたんだろうが。生憎と、今の俺は負ける気がしない。美女が、フレンジュとの未来がかかってんだからな」

「ほう、浮気か? 私は嘲りをたっぷりと込めよう」

「大人の男と女だ。未来をどう生きるかは、簡単には決められねえよ。けれど、一緒に考える時間はあるはずだ」

 ゼルは両足に力を込めた。

 呼吸は浅く鋭く、リズムを整える。

「なあ、バグル。手前こそ考え直せよ。俺を倒すのなんざ、いつでも出来るだろうが。男と男の勝負に、他のケチなんて付けたくないんだよ」

 ゼルの願いに、バグルは笑う。

 泣いているように聞こえたのは、どうしてだろう。

「《九音の鐘》に在籍していたころと比べ、お前は弱くなる一方だ。しかし、人々の心には真の意味で《墓標の黒金》だったお前の姿が残る。いつか伝説になるだろう。その前に、私は戦いたかった。私にとって、今こそが重要なのだ。私は微塵の後悔なく答えよう」

「だったら、その仮装をやめて剣を握れよ」

「力の差があるのだ。このくらいのハンデは許せ。私は、自分の弱さに向き合うと同時に多少は目を背ける」

「良い性格しているじゃねえか馬鹿野郎」

 ゼルが、さらに腰を落とした。

「馬鹿はお互い様だ。たった一人の女を護るために命を捨てるとは、御伽噺の勇者にでもなったつもりか? 私は皮肉しか思い浮かばない」

 バグルが砲口をピタリと定める。

「だったら、勝利の後にはご褒美の口付けが待っているって道理だな。よし、俄然やる気が出てきた」

 終わった後にどうするかなど、今はまだ考えない。ともかく、勝たなければ未来は一生掴めないのだ。

 彼我の距離は二十メートル弱。相対するのは《九音の鐘》の元・最強のゼル・クランベルと、現・隊長であるバグル・コレンスターレ。お互い、一歩も退けぬ覚悟があった。

「行くぞ」

 ゼルが機操剣を振るう。

 火竜小唄の刀身が、半分に欠けた月明りを細長く反射させた。誰もが満足する答えなんてどこにもない。だから、勝利を掴めるのも限られた者だけだ。

 今日、誰かが朝日を拝む。

 今日、誰かが暗黒に沈む。

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