第十二章 ③
距離を開けたのが間違いだった。ゼルはさっきまでの自分の戦闘を想い出し、根本的な失敗を確信する。
向こうの方が火力も規模も範囲も上だ。なのに、距離まで開けたら不利になるのは明白だ。
無論、フレンジュを護っていたというハンデもあった。今は、違う。
ゼルが地面を蹴った。後ろに跳ぶでも横に避けるでもなく、前に、大きく進む。火竜小唄の切っ先が地面を削り、機錬種の飛沫が上がった。そして、トリガーを引く。三度連続で。
眼前に迫った亜音速の砲弾を、地面から伸びた盾が阻む。さらにトリガーを引く。今度は二連続で。強化スプリング六個の助力を得た槍が一本、お返しとばかりにバグルの胴体へと直撃する。巨体が、一瞬だけた動きを止める。本当に一瞬だったから、ゼルは目の錯覚だと勘違いした。
「今の、ビルだったら七階分の床と天井を突き抜ける威力だぞ。もうちょっとは痛い仕草をしてくれよ」
「ぐわわわわわ! なんで凄い威力なんだ!? ……これでいいか? 私は自分の演技に酔い痴れよう」
奇妙だった。
「三ラルド劇場の安役者には勝ってるな」
ゼルの指がひっきりなしに動く。アンカー付きのワイヤーが打ち出され廃ビルの壁に突き刺さる。トリガーを引く。三度連続で。
壁に丸い亀裂が走った。ワイヤーに引っ張られ、強制的に引っこ抜かれる。無骨な隕石は機導式を受けて変化、円柱型の鉄槌と化す。先程の槍百本分の質量が重力によってさらに加速する。狙いはバグルの頭上、これに耐えられるものなら耐えてみろ。
ただし、バグルは防ぐことすらしなかった。両脚の棘付きホイールが回って身を反転、軽やかに避ける。目標を失った鉄槌が虚しく地面に深々とめり込んだ。
「手前、頭の上に目玉でもついてんのかよ」
「この程度の単純な攻撃など、目を閉じても楽に避けられる。私は、お前の浅慮を的確に判断する」
不可解だった。
「なら、こいつはどうだ?」
ゼルがトリガーを二度引く。膝から下だけを白銀の鎧が覆う。それも靴底にはホイールが備わっていた。高速で回転し、地面に噛みつく。なおも逃げない。バグルの周囲を反時計回りに移動、攪乱する。
「蝿が顔の周りを飛んでいる気分だ。私は、落胆を隠せない」
バグルが両肩から伸びる砲身を再び多銃身式連発銃へと変える。《剣髄の巨兵》が、その場でコマのごとく回転、弾丸を撒き散らす。
動いたままでは盾を展開出来ず、いつかは弾丸に捕まる。
空中に人の形に似た影が飛ぶ。
バグルが多銃身式連発銃の角度を変えた。人影を狙い、弾丸の雨を放つ。空中で盛大に火花が散った。
人間を撃ったにしては、あまりにも重く鈍い音だった。
きっと、バグルは驚愕で目を見開いた。
「こっちだよ、間抜け野郎」
ゼルの声は地面を滑っていた。大きく身を屈め、下に逃げた、いや肉薄した。ホイールが高速で回転し、疾走。《剣髄の巨兵》との距離は一足一振、剣の間合いだ。
トリガーを引く。
立て続けに四度。
「おおおおおっ!!」
気合一閃、火竜小唄の白刃が地から天へと跳ね上がる。刀身が急速に体積を増大させた。周囲の機錬種を取り込み、新しき刃が生まれる。長く、太く、大きく、鋭く、竜の尾のごとく。
片刃、緩やかな円弧、峰にはいくつもの穴が開いていた。それこそが、一撃に込めた機導式の本懐、その真価だ。
魔刃が天を睨んだ。ゼルはさらに踏み込み、真っ直ぐに機操剣を振り下ろす。刹那、峰に搭載された十二の噴出口から膨大な量の圧縮空気が射出された。刃を押し、加速させる。切っ先が弾丸の領域を追い越した。巨人の刃がバグルの脳天に迫る。
軍用火薬が爆発したかのような轟音が闇夜を叩いた。ゼルは、全身に走った衝撃に顔をしかめる。骨の芯まで響いた。激痛が金槌となって何度も殴られた気分だった。頭がとくに痛い。鼓膜へと襲った音は、もはや物理的な硬さを持っていた。視界がグラグラと歪む。鎧が砕けた足元が無駄に熱かった。そして、
「……ったく、かなわねえな」
ゼルの目の前に、大きな壁があった。バグルが展開した盾だ。《剣髄の巨兵》よりも大きな防護壁に火竜小唄の巨刃が埋め込まれている。二メートル程度切り裂いて、停止していた。
バグルが、敵を称賛した。
「あと一メートルも進めば、一太刀入れられただろう。これだけ装備を用意して、お前との距離がたったそれだけとは。私は、ただただ純粋に驚いたよ。そして、悔しいとも感じる」
巨大な刃が砕け、砂礫の滝となって地面に流れる。ゼルは飲み込まれる前に距離を取った。
右手の人差し指が痛い、熱い、重い。機操剣のトリガーは暴発防止のために固く設計されている。そもそも、一瞬で連続引きするように想定されていない。
指先の皮がめくれていた。昔は、もっと長い時間を戦っても平気だったのに。確実に弱くなっている。
このブランクを、埋められるか。
「られるか、じゃねえか、埋めないといけない」
ゼルの左手が動く。キーを叩く。その速度、常人なら五本の指が霞になったように見えるだろう。瞬時に機導式の乱れを修正する。
引き金はすでに引かれていた。
五度立て続けに。
火竜小唄の刀身に、再び機錬種が収束する。今度は、機操剣全体を覆う三日月の刃へと変わった。尋常ではなく肉厚で、それはもはや船に使われる錨に似ている。
盾であり刃、その性能は。
「楽しいな、バグル。ポーカーで家を買えるだけ稼いだとしても、ここまで楽しいことなんてねえだろうよ」
ゼルは笑っていた。こんなに楽しくて良いのかと心の底から歓喜が込み上げた。身体も精神も限界だというのに、心だけは折れていない。
負けたくなかった。
バグルの返事は、明るかった。
「そうだな。私は、一切の迷いなく答えよう」
お互いに苦労した。ここまで来るのに、どれだけ大変だったか。背中を支えるモノ、腕に力を込めるモノ、色やカタチは違えども同じ場所に立っている。
「俺は、負けないぜ?」
「私もだ。この戦意に応えよう」
互いの手の内を出し尽くし、そして、今、仕切り直された。空気が張り詰めていく。段々と場が整っていく。
もうすぐ終わりだった。
ゼルは地面の感触を確かめた。大きく息を吸い、全身から緊張を抜いていく。脱力の果てに爆発があると、これまでの経験が告げていた。
心臓の鼓動はあくまで一定。なにも難しいことはない。出来ないわけがない。ここで勝たずして、どうして未来が掴めるだろうか。
「俺が、手前の墓標だ」
火竜が、吠えた。
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