第十一章 ②


 特級機導式、到達点が一つ《自分だけの工房》。それは、空間一つを丸ごと造り変える驚異的な力だ。

 ゼルの眼前には、真っ白な病室が広がっていた。ベッドの上にフレンジュが寝かされ、弱々しいが規則正しい寝息を立てている。腕には点滴の針が刺され、チューブから薄黄色の薬液を流し込まれていた。

 口元には呼吸補助の装置が装着されている。地下だというのに、室内は新鮮な空気で満たされていた。

「流石に薬までは機錬種とはいかないが、このベッドはフカフカなのだ。ここまでの機導式を練れるのも、わっちだけなのだ」

 人のカタチをした鬼姫が、自画自賛していた。確かに、これだけの機導式など滅多にお目にはかかれない。

 ただ、感動するだけの余裕が今のゼルにはなかった。

 ゼルは椅子に座り、黙ってフレンジュを見詰めている。それが面白くないのか、ベニアヤメがこちらの顔を覗き込んだ。

「契約は成立なのだ」

「……ちょっとばかし、待ってもらおうか」

 ベニアヤメが怪訝そうに眉をひそめる。本当になにを言っているのか分からない。そんな顔だった。

「フレンジュを助けたのだ」

「けど、まだ銀行領から護っているわけじゃない。今日の借りは別のカタチで返すさ。……少なくとも、話の落としどころを決めるのは、俺の役目だ」

「お前になにが出来るのだ? バグルを倒しても、負けても、なにも変わらないのだ」

「いいや、方法ならあるさ」

 ベニアヤメが、一度だけ顔を背ける。露骨に、でかい溜め息を吐き出した。そうして、クルッと踵を返して部屋を出てしまう。

「もう少しは、頭が切れると想っていたのだ。……残念なのだ」

 ゼルは黙ってフレンジュを見詰めた。

 なんで、こうなってしまったんだろう。

「フレンジュ。ごめんな」

 護れなかった。

 救えなかった。

「どうして」

 戦うと決めた。勝つと決めた。それで終わりでいいじゃないか。卑怯だ。あんまりだ。たった一人の女も救えない。

 それどころか、悪党達の手伝いをしてしまった。

 ゼルが腹を掻っ捌いても状況はなにも変わらない。誰に勝っても、誰に負けても、そんなことは些細なことだと運命の歯車が容赦なく噛み砕いて回る。

 フレンジュと一緒に国外へ逃げる? 無理だ。今から帝国の帝都に行って皇帝様に助けてもらうか? 無理だ。

 頭が上手く動いてくれない。

 怒りが、悔しさが頭の中に溜まっていく。視界が揺れる。このまま倒れれば死ねるのか。俺は一体、これからどうすれば、

「畜生……」

 固く握った拳はなにも掴めない。

「畜生!」

 なにも変わらないと分かっていても、叫ばずにはいられなかった。

 最初から間違っていたのか。クローゼルを救えなかった男が夢を見るのを、神は許さなかったのか。最愛の女性を失っても、まだ底の底に地獄がある。これでは、今日までなんのために戦ってきたのか。

 ああ、疲れた。

 無性に煙草が吸いたかった。もういい、沢山だ。一本くらい好きに吸わせてくれ。ゼルの手がコートの内側へと潜る。どうせ死ぬのなら、これくらいの我儘を許してくれよ。

震える指が煙草を一本引き抜いた。口に咥え、燐寸を擦る。

肺一杯に紫煙を吸い込もうとして、

「私の前では禁煙って言ったわよね?」

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