第十一章 ①

 戦場に火の粉が散った。

 真っ赤な炎が踊り狂う。

 バグルを取り囲むのは、赤いローブにフードを被った人型の狂乱だった。

ベニアヤメの私兵である赤狐隊だ。機操剣・トツカノツルギを地面に突き刺し、強固な鎖を多重に構築して操作、巨体の行動を束縛する。耳を立たせてみると『ケッキョクコウナッタ』『ワタシハサイショカラコウナルトワカッテイタ』『コレモウンメイトカソウイウホウコウデ』ぶつぶつなにか言っていた。

ともかく、心強かった。

「何故、きさまが邪魔する瀟洒会同盟よ。これはあきらかに盟約違反だ。私は、多大なる不満を積もらせる」

 バグルの訴えに、ベニアヤメは露骨に嫌な顔をした。鼠に髪を齧られても、まだ愉快でいられるだろう。

「冗談はよせ、なのだ。若造」

 瀟洒会同盟の頂点は、微塵も動じなかった。

「本を正せば、汝の私怨なのだ。ならば、わっちの私情でゼルに手を出すのも道理の範疇なのだ」

「ぬかせ。ならば、きさまも私の力の餌食となるか。私は、身を焦がす怒りを冷ます方法をなに一つ知らない!」

 バグルが四肢に力を込める。すると、鎖の一部が乾いた砂のごとく崩れた。《剣髄の巨兵》が機錬種を取り込んでいたのだ。

 ベニアヤメが、私兵隊に向かって叫ぶ。

「妨害用機導式、猿の七式発動なのだ! わっちとゼルは先に逃げるのだ。汝らも適当に遊んで逃げるのだ」

 ゼルは人間が液体になる光景を久しぶりに見た。赤狐隊の動きは関節という言葉を忘れ、人間の枠から外れていた。

トツカノツルギが宙を舞い、トリガーが引かれる。中途半端に壊れた鎖を自らの手で破壊、破片が地面に落ちる。土に種が蒔かれたかのように変化が起こった。ひび割れた大地の隙間から、天高く壁が伸びる。瞬く間にバグルを覆ってしまう。さらにトリガーを引く。壁が増加、強化された。

 変幻機導式と増幅機導式の連続発動。それも、互いに互いの死角をカバーし、一点の曇りもない立ち位置を維持している。

「だが、向こうは機錬種を無尽蔵に取り込む。このままだと」

「だから、逃げるのだ」

 ベニアヤメがフレンジュを軽々と担いだ。ひょいと綿のごとく。

「男は自分で走るのだ。わっちについて来るのだ」

 言うや早く、ベニアヤメが足を風に変える。フレンジュを担いでいることなど、嘘であるかのように。

「おい待てコンドーさんよ。どこに行くつもりだ!?」

「……一時的に退却し、汝の回復を待つ。のだ」

「だったらフレンジュを病院に運んでくれよ。もしかすると、骨を折っているかもしれない。肋骨が肺にでも刺さったら大事だ」

 ゼルが訴えるも、血塗られた花は笑った。

「あーっはっはははははははははっはははははははははっははははははっははははははははははははっははははっははははははっはははははっははははっはははっはははははははははははっはははははっはははははっはははっはははは!」

 上質な硝子と硝子を擦り合わせるかのような声だった。薄く鋭く冷たい。氷の刃で耳を抉られれば、こんな悪寒に襲われるか。

 ベニアヤメはフレンジュを抱えたままだ。

 何故だろう。ゼルには、安全な場所に運ぶというよりも己が餌場に運ぶように見えた。

「お前、いつまで自分が〝無関係〟のつもりでいるのだ?」

「なに言ってんだ。関係あるから、こうして機操剣を握ってんじゃねえか。いつ俺が、知らぬ存ぜぬで煙草を吸っていたんだよ」

「《九音の鐘》の隊長であるバグルを倒せれば、フレンジュが解放される? 自分はまた元の生活に戻れる? それを無関係と呼ばずなんと呼ぶのだ? ……話はもっと複雑なのだ。それこそ、壊れた機織り機のように」

 そもそも、他組織のいざこざに瀟洒会同盟の会長自らが出向く時点でおかしいのだ。まさか、なにか俺は見落としていたのか。

 フレンジュが廃ビルの裏手に回る。立ち止まり、足元を何度か蹴った。そこに、見えないボールでもあるかのように。

 地面に長方形状の亀裂が走った。生まれたのは、ドア。勝手に開く。奥には階段が続く。それも明かりが漏れていた。

「ここに下りるのだ」

 ベニアヤメが、こちらの返事を待たずに階段を下りた。

「かつての同胞と戦い、美女を助ける。素敵な筋書きなのだ。……けれど、その後はどうなると想うのだ?」

「どうって、私怨が動いたバグルは組織から外される。あるいは、俺がここで殺すだろうよ」

 階段を下りながら会話が続く。明かりがなければ、発狂していたかもしれない。

「ならば、その後はどうなるのだ?」

「どうって」

 それで終わりではないのか。仮に《九音の鐘》がゼルに文句の一つでも飛ばすなら、こっちは銃弾を雨のごとく飛ばすだけだ。

 どこまで続いても、ゼルは自分だけの力で事を済ませるだけの自信と覚悟があった。だというのに、ベニアヤメが口元に嘲りと不満を募らせる。

「ならば、銀行領はどうなるのだ?」

「なに言ってんだ。銀行領はフレンジュが俺を騙すためについた嘘だろう。今回の場合に限っていれば、向こうは関係な」

 ゼルの口が不自然に止まった。

 いや、まさか、そんな馬鹿な。

 心を読んだかのように、ベニアヤメが笑みを濃くする。

「銀行領は確かに、金と領地を稼ぐためには手段を選ばない連中なのだ。しかし、一定の分別は弁えているのだ。なのに、別の組織から勝手に濡れ衣を着せられたらどう想うのだろうなのだ? それも、汝は警察にも我々にもこの女の嘘を告げてしまったのだ。誰かが落とし前をつけなければいけないのだ」

 ごめんなさいと花束で済む問題ではない。大きな組織だからこそ、通すべき筋がある。看板を汚された銀行領が黙っているはずがないのだ。最悪なことに、今回の一件で《九音の鐘》は必ず〝弱体化〟する。《九音の鐘》が在籍している赤獅子騎士団にとって、どれだけの痛手になるか。蜥蜴の尻尾切りとはいかない。断面から腕を突っ込まれて脊髄を引っこ抜かれる。

 今、ゼルは身体中の痛みを忘れた。代わりに、心臓が早鐘を打つ。背中に噴き出した汗が止まらない。

 この息苦しさはなんだ。

「お前は民間人のいない南の旧工場地帯を戦場にすることで被害を最小限にしたつもりなのだ。けれど、それさえも悪手中の悪手なのだ。ここまで派手に壊されれば、警察も黙ってはいられないのだ。そして、その背後にどれだけの組織が絡むか、分からんわけではないのだ?」

 いくらでも土地の管理者から所有権を奪う方法がある。『このままでは無頼者が暴れて迷惑ですので都市が管理します』と赤獅子騎士団が。『壊れた建物が危険ですので、修理費あるいは解体費を我々が肩代わりします』と銀行領が。『他の組織が狙って危険だから、わっちに任せるのだ』と瀟洒会同盟が。

 階段の終わりには、また扉があった。

 ベニアヤメが顎をクイッと動かしてゼルに開けろと急かす。

 ゼルはほぼ放心状態で扉へと手を伸ばした。

 この先に地獄があっても、納得しか出来ない。

「待て、バグルは、バグルはどうして銀行領の名をフレンジュに使わせた? あいつは姑息だが聡明な奴だ。これだけの事態に繋がると気が付けないはずがない」

「……そこまでは分からないのだ。だが、もう後戻り出来ないのだ。ゼル・クランベル。銀行領はフレンジュを許さないのだ。ならば、どうするのだ? お前が護るのだ? いつまでなのだ? そもそも、護りきれるのだ?」

 無理だ。個人の力どうこうの話ではない。

 ゼルは暴力に長けても政治的な力は皆無だ。

 扉を開ける。

「ならば、取引をするのだ」

 目が眩んだ。

「わっちが瀟洒会同盟の名に懸けて、この女を護るのだ。旧工場地帯の一件もなんとかしようなのだ。その代わり」

 真っ白だった。

 目の前が、上手く見えない。

「私の犬になるのだ、ゼル」

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