第十章 ③
ここまで理不尽なことがあるか。
機導式の限界活動時間が近付くどころか、成長を続けている。六階位、人間としての最高点に到達しようとしていた。
「現在進行形とは、眩暈がする」
ブランデーと煙草が欲しい。どっちもバスタブ一杯に。
空が近かった。
ついでに死も迫る。
「今日がお前の最期だ。私は皮膚が粟立つ歓喜に胸を震わせよう」
どこまでもバグルが迫る。
そんなこと、今まで一度もなかった。
それでもよかったのに。
「俺は狂おしいまでに残念だよ、バグル」
帝国の機導使い上位陣を集めて問えば、百人中百人がバグルよりもゼルが強いと判断するだろう。しかし、強さではなく組織の人間として理想的なのはどちらかと問われれば評価は反転する。
結局、ゼルは致命的なまでに組織の枠から外れていた。その強さは、時には蛮勇である。作戦よりも、己が腹の内で行動した。道理が通らなければ、仲間にさえ刃を向けた。背中で語るも、肩を並べようとする者はいなかった。何度も何度も死にかけた。何度も何度も殺されかけた。
バグルは確かに前線には立たなかったが、無能が《九音の鐘》に在籍出来るわけがない。諜報能力に長け、彼が組み立てた戦術、機導式はほぼ万能的な精度を誇った。
適材適所と片付ければそこまでだ。
もしも、バグルの心を歪めた原因があるとすれば〝見かけの良さ〟か。ゼルの生き方は誰にも縛られぬ強さがあった。誰もが幼き頃に忘れたそれらを想い出すだけの心根があった。
バグルには、どのように見えたのか。ゼルは想った。もしかすると、バグルも戦場で戦いたかったのではないかと。
今宵の雨は、鉛色だった。
「お前がいる限り《墓標の黒金》の名は続く。お前がいる限り《九音の鐘》には、かつて最強の機導使いが在籍していたと伝説が残る。お前が生きている限り、私はいつまで経っても次席に甘んじなければいけない。……私の悔しさは、私の心に黒い憎悪を煮立たせる!」
ビルの屋上へと着地したゼル、を追うバグルが叫ぶ。劣等感は物質化、弾丸へと変換、射出される。
「そんなにご丁寧なコーディネートするなら、パーティーに招待するのは俺一人で十分だろうが! フレンジュを巻き込むのは、筋違いってもんだろう」
距離、三十メートル弱。たとえ、これが十倍になっても多銃身式連発銃は関係なく標的を殺す。
ならば、この静寂は誰の心残りか。
「……決めたのは、その女だ。私は甘い不幸を啜ろう」
ゼルの胸の中、フレンジュが身を震わせた。
バグルの顔が見えなくて正解だったかもしれない。
「その女に、最初から暗殺するつもりなどなかった。その女は、最初からお前に助けられることが目的だった。その女は最初から自分のせいでお前が不幸になることを知っていた。それでも、今の状況を選んだ。弱さと甘え、身勝手な理想だ。私は冷えた嘲りを隠せない」
「分かった。そんなに喋りたいのなら、俺がちょっとばかし口を増やしてやる。身体中が穴だらけになれば、手前はどんな声で鳴いてくれる?」
ゼルは地面に機操剣を突き立てた。鍔を回し、トリガーを引く。盾を召喚すると同時に足場の機錬種を奪う。向こうがバランスを崩した瞬間を狙い、とびっきりに素敵な機導式を喰らわせよう。
しかし、
「なっ……んで」
ゼルは我が目を疑った。機導式が発動しなかった。蒸気機関も高位解析機関も、火竜小唄も健在だというのに。
「そうか、地面に直接機導式を」
「お前の戦いなど知り尽くしている。お前の油断に、私は輝かしき勝機を見出す」
オデイルの機械巨兵と戦ったとき、ゼルは足場を崩すことで敵の動きを止めた。
ゼル自身が言った。『上が一割、下が九割』と。
巨大な力を行使するには、それに見合った足場が必要不可欠だ。だが、まさか、あれだけ強大な機導式を維持したまま建物自体に干渉するとは。
「なにか言い残すことはあるか? 私は勝者としての言葉を送ろう」
「……お前、口が臭いのを気にしてシナモンを齧っているって噂は本当か? だったら、歯も舌も全部引っこ抜いた方が経済的だろうぜ」
ゼルはフレンジュを抱え直すフリをして手元を隠し、トリガーを前方に押した。蒸気機関と高位解析機関の間隙でいくつかの音が鳴った。
タイプライターが飛び出す。それも、一番小さいタイプの。
バグルが両腕を地面に刺した。背中から伸びる二台の多銃身式連発銃の銃口がゼル達に向けられる。
「防いでみろ! 私はお前達の絶望を歓喜で飾る!!」
衝突は一瞬だった。
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