第七章 ④


 着替え終えると、リビングからふくよかな香りが漂って来た。ゼルは軽い足取りで歩を進める。

「レインが家に来るなんて久しぶりだな」

「ああ、そうだね。出来るものなら、もっと穏やかな理由で訪れたかったものだよ」

 レインはフレンジュの右隣に座っている。フレンジュは拘束されていなかった。もっとも、隣に凄腕の警官がいれば、ゼルだって下手に動きたくない。

「可能なら、クッキーでも用意して俺の恋人を友人に自慢したいところだ。ただ、そこまで会話の駒を進めるには、知りたいことが二つある」

 椅子に座り、ゼルはカップへと視線を落とした。ミルクと砂糖がすでに入れられている。柔和な色が、この場の空気に相応しくなかった。

 ゼルはカップを傾け、渇いた喉に潤いを通した。

「フレンジュ。君がどうして俺を殺そうとしたのか教えてくれないか? それと、君がどの組織に属しているのか話してくれ」

「……話さないと言ったら?」

 返事をレインが奪う。

「胡桃なら金槌で砕く。貝なら火であぶる。人間なら、どうすると想う?」

「レイン」

 ゼルがレインを睨む。

 レインはカップで口元を隠した。

「冗談だよ。冗談で、済まさせてくれ」

 ゼルは鼻を鳴らし、もう一度紅茶を飲んだ。

「フレンジュ。どうか、正直に話してくれないか? じゃないと、とても困る」

「なにも聞かずに私を捕まえた方が、ゼルさんに迷惑はかからないのですよ?」

「それでも、だ」

 ゼルの意志は固かった。

 フレンジュが、小さく頷いた。

「では、語りましょう。……私は、ある組織に属しています。株式仲買店というのは嘘です。銀行領も関係ありません」

「そうか。それは少しだけ安心した。銀行領を相手にするのは、面倒だからな」

 胸を撫で下ろしたゼルは、次に続いたフレンジュの言葉に瞳孔を停止させる。

「私は《九音の鐘》のメンバーの一人です。末席ですけど」

 レインも黙ってはいられなかった。隠しきれない動揺が、声を震わせる。

「この街を護る赤獅子騎士団の精鋭部隊じゃないか。確か、ゼルが元々所属していた。なんでまた、こんなことを」

「レイン」

 また、ゼルがレインの名を呼んだ。今度は、さっきよりも冷たい口調だった。だからこそ、レインの顔が強張る。

「悪いが、席を外してくれないか?」

「ゼル。今回ばかりは君の我儘を聞くわけには」

「外せ!!」

 怒気に似た叫びに、レインは目を見開く。ややあって、レインは紅茶を全て飲み干した。そうして、席を立つ。

「美味しいお茶を、ご馳走様」

 リビングから去るレインの背中に、ゼルは一度だけ声をかける。

「すまん」

「謝るつもりなら、最初から言うべきじゃないよ。……忘れるな、ゼル。僕は警察で、市民を護るのが仕事だ。そして、君はこの都市に住んでいる。この意味が分かるね?」

 どうやら、随分と心配されていたらしい。後で酒でも奢ろうと、ゼルは苦く笑う。

 二人きりになった。

「ゼルさん?」

「続けてくれ」

「いいんですか?」

 フレンジュが、信じられないと首を横に振る。それでも、ゼルは絶対に席を立とうとしはしなかった。

「これは、俺の責任だ」

 過去の亡霊、かつての後悔、あの日の悪夢。今、現実に追いついてしまった。もう逃げることなど出来ない。

 ならば、

「俺は、喜んで剣を握ろう」


 ――たとえ、この命が散ったとしても。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る