第七章 ③
こちらの挑発をどう受け取ったのか、向こうの気配が薄くなった。跳び込むタイミングをうかがっているらしい。
ゼルも、呼吸を殺した。
向こうは、すぐに行動しない。
ゼルも、その場から動けない。
重苦しい沈黙が続く。
そのときだった。ゼルの髪から滲んだ水滴がこめかみに伝った。そのまま頬を通り、顎に届き、一滴、落ちる。
扉が勢い良く開く。銃声が三発、室内で反響した。その内の一発がゼルの脳天に突き刺さる。
新しい音。
ただし、人間が倒れる音でも血が溢れ出る音でもない。もっと硬く、もっと乾いた、
「か、鏡!?」
「その通りだ」
ゼルが言った。
相手の腕を掴みながら。
「お洒落をするには、大きな鏡が必須だからな」
銃を封じられた相手がもう片方の手に短剣を掴む。ゼルは強引に腰を回し、相手を床に叩きつけた。
相手の肺腑からごっそりと空気が吐き出される。
「動くな」
ゼルは倒れた相手の額へ、奪った拳銃を突き付ける。
「あんたの負けだよ。これ以上の抵抗は無意味だ。降伏することをおススメするね。……あまり、俺に悲しい選択肢を取らせないでくれ」
相手が、目を細める。ややあって、小さく息を吐いた。
「どうやら、そのようね。やっぱり、あなたは強いのね。ゼルさん」
「俺も、驚いたよ。――フレンジュ」
フレンジュが、銃を突き付けられたまま笑う。これまでに見たどの笑みとも違う。苦く、辛く、そして悲しそうだった。
「驚いたって言う割に、随分と冷静ね。これなら、色仕掛けの方が良かったかしら」
「正直に言えば、妙だと想う点はいくらでも見付かるからな。それで、話してくれるんだろう。じゃないと俺が」
足音が一杯。
「ゼル、無事か!?」
きっと、誰もが呼吸を忘れた。ゼルも、フレンジュも。そして、廊下の曲がり角から現れたブルーコートも。
レイン・グロックナー警部が、部下を引き連れて登場する。全員がこちらを見て目を点にしていた。
「たっ!!」
沈黙を破ったのはレインだった。肺を破かんほど大きく息を吸う。一度、ピタッと口を閉じる。そして、
「逮捕だぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
上司の命令を聞き付けた警察官達がゼル達の方へと殺到する。
ゼルは、すかさず止めようとした。
「おい、待て! フレンジュを捕まえるな。俺は傷一つないから、まだ罪ってわけじゃぐはははははっはは!?」
屈強な男達が飛びかかったのは、ゼルの方だった。
レインが双眸を憤怒で燃え上がらせる。
「ゼル・クランベル! 君を婦女子強姦容疑で逮捕する!! あと、機操剣条約違反と、家屋の違法改造および国家反逆罪とか諸々山積みの緊急強制逮捕だ! 大人しく監獄船に連行されろ!」
「おい、この馬鹿! 人の話を聞け!」
「男が全裸で女を押し倒して拳銃で脅している状況で、どんな言い訳が通用すると想っているんだ!? 警察をなめるな! いくら知り合いだからって悪を見逃すほど、僕達の正義は腐っていない!」
「その心掛けは立派だが、今回は違うんだよ!」
「まったく、いつかこうするんじゃないかと想っていたが……。監獄船じゃ生温い、斬首だ。明日の祭りのフィナーレに花火と一緒にゼルの頭を夜空に撃ち出すぞ。警察に逆らったらこうなるぞって悪党共に見せしめてやる」
興奮が加速していくレインの目が、グラグラしていた。今でこそ前線から遠ざかっているが、レインは元・暴動鎮圧課それも高機動部隊の隊長だった。近接戦闘ならば、この街でも十指に入る。
ゼルは必死にもがき、拘束から脱出しようとする。流石はレインの部下か。岩のごとくビクともしない。
「……もう、下手な芝居はよしたらどうですか?」
フレンジュが立ち上がり、エプロンについた埃を手で払った。髪に、手櫛を入れる。誰もが彼女に注目した。
レインが隻眼をフレンジュに向ける。
「フレンジュと言ったかな。芝居とは、どういうことだい? 僕達警察が、役者にでも見えたのかい?」
「ここに来るのが早すぎます。多分、外で見張っていたんじゃないんですか? だから、ゼルさんが〝やましいこと〟をしていないと知っている。私からゼルさんを遠ざけるために、この芝居を企てたのでは?」
レインがフレンジュからゼルへと視線を落とした。
「拘束を解け。どうやら、随分と聡明な子らしい」
レインの命に、部下達が渋々といった様子でゼルから離れる。
「ゼル。まずは服を着ろ。話はそれからだ」
「俺に命令するんじゃねえぞ、ブルーコート」
ゼルは立ち上がり、大きなくしゃみを飛ばす。
フレンジュが、迷いの残る笑みを浮かべた。少しだけ、これまでの笑みに戻っていた。
「温かい紅茶でも淹れましょうか?」
「ああ、頼む」
ゼルが即答すると、フレンジュが目を丸くした。
あまり、そういう顔をされると困る。
「これまでにチャンスはいくらでもあった。いまさら、毒なんて入れないだろう。それに、フレンジュが淹れる紅茶が美味いのは本当だ」
フレンジュが、今にも泣き出しそうなほどに表情を曇らせる。
彼女は、黙ったまま頷いたのだ。
レインが呆れ半分困惑半分の表情で頬を掻く。
「僕の分も淹れてくれると、大いに助かるね」
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