第六章 ②
ややあって、フレンジュがゆっくりと口を開いた。
「……私は、ケルネイス株式仲買店に勤めていました。ええっと、わざわざゼルさんに説明するまでもないかもしれませんが、お金に余裕のあるお客様に株の情報を提供することを業務としています」
「分かる分かる。つまり客から『この株はどう想う?』と聞かれたときに上がるか下がるか答える仕事だよな。日夜絶えずに動く経済の情報を把握し、明るい未来を予想する素晴らしい仕事じゃねえか」
ここにダルメルがいれば、口を〝への字〟にしていただろう。ゼルが『株式仲買店ってアレだろ。他人の金でギャンブルする犯罪者予備軍じゃねえか』と愚痴っていたのを知っているからだ。
フレンジュがぎこちない笑みを浮かべた。
「私はお客様が実際に売買したデータを管理する仕事を主に行っていました。そのとき、気が付いたんです。一定の数のお客様が半年から一年足らずで当社との取引を止めていると。そして、そのお客様の大半が莫大な借金をしていると」
「ふーむ。株の情報だって完全にはいかねえだろう。その客が欲を出し過ぎて自滅しただけじゃねえのか? 向こうが墓穴を掘っても、フレンジュが穴を埋める必要はない」
「そのお客様全員が、同じ組織から必ず借金をしていたとすれば?」
「同じ、組織?」
金を貸す人間、組織は数多い。
その中でも質が悪い連中を、ゼルは十本指分知っている。
猛烈に悪い予感がした。
「組織の名は、
「……
と言いつつ、ゼルはまだ半信半疑だった。株の上下とは水物であり、かの組織も有名すぎて逆におかしくはない。
「銀行領は死人にさえ金を貸す貪欲さと醜悪さで、闇金融一帯を取り仕切るほどの超巨大組織だ。だからこそ、首が回らなくなった連中の最後の拠り所でもある。全員が銀行領から金を借りていても、おかしくはない」
美女には弱いゼルも、仕事が絡めば頭が回る。フレンジュの話には、確固たる証拠が不足していた。
フレンジュが、さらに切り出す。
「では、借金をした者達が全員、南方の旧工場地帯に土地を持っていたとすれば、どうでしょうか?」
ゼルのグラスに伸ばした手が止まる。
驚きが顔の筋肉を緊張させた。
「南方の旧工場地帯といえば、
「私は、すぐに上司へ相談しました。けれど、ただの偶然だと取り合ってくれなくて。私は納得がいかず、独自に調べることにしました。……今に想えば、あまりにも無謀でした。銀行領がどれだけ危険か、分かっていたはずなのに」
フレンジュの瞳が後悔と悲痛の色を滲ませる。銀行領は瀟洒会同盟に並ぶ一大組織だ。非情と非道が、連中の美徳である。
「数日前に、家のポストに手紙が入っていました。赤い文字で『これ以上調べるようなら殺す』と。そしてその日に上司から辞職を命じられました」
「厄介払いってことか。連中が好む手だ」
「私は正義感に駆られ、ついには警察に相談しました。……それが、向こうの逆鱗に触れてしまったのです。脅迫の電話や手紙が毎日のように」
「フレンジュ」
ゼルが美女の言葉を止めた。
「まずは落ち着こう。顔色が良くない。深呼吸するんだ。安心してくれ。心配ない。今は、俺が傍にいる」
ゼルは一つ一つ、区切りながら言う。
フレンジュは、怯えていたのだ。
「向こうの連中が、とうとう実力行使に出たってことだろう。確かに、銀行領は容赦ってモノ知らない悪党だ。弱者を骨の芯までムシャぶり尽くす化け物だ。……それでも、だ」
ゼルがグラスを一気に傾ける。
「俺が、君を護ってみせる」
「……どうして、ですか?」
フレンジュが、今にも泣き出しそうなほどに表情を歪めた。瞳が、分からない、どうして、と訴えている。
ゼルは機械の腕から三杯目のジ・ナイトを受け取りつつ、唇の端を少しだけ吊り上げた。
「確かに、最初から真実を言ってくれなかったのはいけないことだ。それを誕生日のサプライズプレゼントにするには、銀行領って存在は煮ても焼いても食えたもんじゃない。普通の連中なら、激怒するか呆れるか、さもなくば君を銀行領へと渡すだろう。『私達はあなたに喧嘩を売ったつもりはありません』と」
それだけ関わりたくない連中なのだ。
フレンジュのおこないは、あまり利口とは言えない。
それでも、ゼルはゼルだった。
「いいじゃねえか、一人くらい。いいじゃねえか、俺くらい。こういうときに剣を抜く奴がいても、罰は当たらねえだろうぜ。法の目が届かない場所。一般的な正義じゃ足りない領域にこそ、討つべき悪はある」
敵が強大だからと逃げるのか。
敵が凶悪だからと諦めるのか。
否、断じて否。
悪を放っておいて、なにが変わるモノか。またいつか、フレンジュのような犠牲者が生まれるだけだ。
ならば、
「俺が君の剣だ」
フレンジュが、弾かれたように顔を伏せてしまった。
その両肩が、小さく震えている。
「どうして、そんな簡単に言うんですか?」
「俺はこれまでに美女の頼みを断ったことがない」
つまりは、そういうことだ。
フレンジュが、顔を上げる。
瞳は、微かに濡れていた。
「……ごめんなさい」
謝ったのは、巻き込んでしまったことへの罪悪感からか。
「私を、助けて」
ゼルには、やはりなにも迷わなかった。
「当然だ。俺が、フレンジュを護ってみせる」
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