第六章 ③
朝か昼か夜かも分からぬ場所にゼルはいた。
〈では次のニュースです〉〈可愛い白猫の親子が〉〈強盗を企てました〉〈白菜と豚肉をもっと鍋に詰めろと訴えているようです〉〈被害者はすでに二千人を超え〉〈現在、騎士団が対応とのこと〉〈この非常時代に皇帝は〉〈いや、そこまで騒ぐことねえんとちゃうか? との声明です〉
どうにも機操剣にはめ込んだ鉱石ラジオの調子が悪い。やはり、祭りの時期は電波が混線するようだ。
「うーむ。歌を聞きながら煙草を吸うと煙が格別に美味いんだけどな。ちなみに、俺が好きなのは
クイーンエスコートを口に咥え、ゼルは熱く語る。どうも、メジャーデビューしていない歌手は低く見られる。そんなことない。歌の上手い人間は上手いに決まっている。
「……ところで俺は、いつまで待っていれば正解なんだ? そろそろ家に戻らないと、素敵な昼食に遅れちまうんだが」
返事はなかった。
いや、あった。
半死半生の人間の口から漏れる呻き声を返事と数えて問題ないのならば。
「何故、ここに《墓標の黒金》がいる……?」
大きなビルの細い裏通り。そこはもう、異界に成り果てていた。石畳の地面に、十人以上のゴロツキが転がっている。病院に行くか棺桶に詰めるか。どっちの方が効率的か。
「お前達、赤百合の泉って娼館を知っているよな? そこで働く子達に嫌がらせをしただろう。手前の気持ちを示すなら、暴力じゃなくて花でも用意するんだな」
「な、なにを、俺達は少し遊んだだけで……がっ!?」
ゼルが、ゴロツキの脳天に踵を落とした。顔面が石畳を割り、耳から前が地面に埋まる。肉と石の隙間から粘っこい血が滲んだ。
「強姦するのが少しの遊びなら、背骨折られて一生ベッドから起き上がれなくなるのも遊びだよな? 安心しろ。良い医者を教えてやる。患者を治すのが大好きなニコニコドクターだ。ダイエットが得意でな。血をギリギリまで抜くダイエットとか内臓引っこ抜きダイエット、四肢斬り落としダイエットとか」
残念なのは、人間と家畜の区別がつかぬ点か。
ゼルなら、たとえ山のように黄金を積まれても関わりたくない。
「まったく、君という男は手加減を知らないようだね。ここの後始末をする僕の身にもなってくれないか?」
ゼルの言葉ではなかった。
振り返り、ゼルは肩をすくめる。
「そっちが遅いから、俺が働いてんだよ。それとも重役出勤はブルーコートの流儀なのか?」
目の前に立っていたのは、十代後半の可愛らしい少女にしか見えない商売敵だった。身長はゼルよりも頭一つ分は小さい。肌はメープルシロップを煮詰めたような褐色で、艶のある菫色の髪は頭の後ろで大きな団子を作り、先端が三つ編みになって腰まで流れているモーニングスター。
右目には眼帯がはめられ、残った左目が黄緑の落ち着きのある光を湛えている。己が信念を曲げぬ力強さも滲んでいた。
綺麗よりも可愛いと表すべきか。流行の服を着て街に出かければ、大勢の人々が注目するだろう。
ただし、それが濃い青色のコートなら話は別だ。胸元を飾る純銀製のバッジは交錯する二振りの剣、刃が描く十字架だ。そして、腰には短剣型の機操剣を吊るしている。
「警察は大変だな。レイン・グロックナー警部殿」
ゼルの言葉に、レインが露骨に顔をしかめた。買ったばかりの靴で野良犬の糞を踏んでも、まだ柔和になれる。
「君のような野良の機導使いに言われると、大いに不愉快だねゼル君。利口な君だから、ここの始末は自分でつけてくれるんだろう?」
「出来たら警察なんて呼ばねえよ。さっさと片付けてくれ。俺は、前髪を整えるのに忙しいから」
地面に刺した機操剣の刃を利用して前髪を整えるゼルの姿に、レインが肺をペチャンコにするように大きな溜め息を吐いた。
「僕は便利屋じゃないんだけどね。こいつら、生きているのかい? 生まれ立ての鳩にも負けそうなほど弱っているじゃないか」
「多分、大丈夫だ。峰打ちの範囲だよ」
「君の機操剣、両刃だよね? 百歩譲って峰があったとしても、斬らなければ好きなだけ殴打しても許されるってことじゃないからね?」
レインの指摘に、ゼルは煙草の煙を大きく吐き出した。
警察は苦手だ。とくに、こいつは。
「せめて、女だったなー。こんな可愛い顔してんのに、股間には俺と同じ物がぶら下がっているなんざ、詐欺だぞ詐欺。警察が堂々と詐欺っていいのかよ」
レインは男だ。
それは上に投げた物体が下に落ちるのと同じ、絶対事項だ。
レインが右手で前髪を掻き上げ、左手を腰に当てる。
「僕の可愛さが罪だというのなら、喜んで愛の奴隷になろう」
「そういうところだよ。俺が手前を苦手としているのは、そういうところだよ」
「ゼル。君も素直じゃないね。君もこっち側に来るべきだ。魂を開放しろ」
「馬鹿でかい機操剣を振り回す女装の機導使いが外歩いてみろ。鴉が服を着て引き籠るだろうぜ」
「素直じゃないね、君は」
レインが音もなく詰め寄った。
まさしく、達人の領域だった。
レインが人差し指でこちらの胸板を〝ツンツン〟する。
ゼルの顔が、暴走機関車に挽かれる三秒前と同じくらいに絶望で歪んだ。
レインの頬が、あきらかに紅潮していたからだ。
「そういうところが、嫌いじゃないけれど」
幻の槍が腹部に突き刺さる。
「今すぐ俺から離れろレイン・グロックナー警部。警察が一般市民に痴漢行為を働こうとしたって怪文書送るぞ」
「そんなの、警察じゃ朝刊夕刊と同じさ。なんでも、僕達は悪党の手先でテロリスト予備軍で弱い者虐めが大好きなサディストらしい。くすくす、愚かだね。自分の無能を棚に上げて喚くなんて駄犬以下だ。信用しないって言っている割には、自分が危険に晒されると途端に旧知の友人のごとく助けを求めて来てね、これが面白い。笑みと共に突き放すのが」
「少なくとも、被虐趣味(サディスト)なのは正しいじゃねえか」
レインが、返事よりも先に煙草を咥える。燐寸を擦って火をつけた。
「勤務中じゃねえのか?」
「だから?」
知らんぷりの類ではなく、本当に分かっていない様子だったから、ゼルはそれ以上の言及を諦めた。
「……ところでゼル。竜巣迷路地区での一件は肝を冷やしたよ。ちゃんと隠蔽処理したんだから、借りにしておいてくれ。利子はないから安心しな」
「月賦だといくらになる?」
「二年間二十四ヵ月払い。四か月が利子分だ」
「銀行領よりは良心的だな」
組織の名に、レインが紫煙を揺らしつつボヤく。
「監獄船が襲撃されていたなんて知らなかった。やはり、上の連中は当てにならない。さっさと、首を切るべきだ。物理的に、道徳的に」
腐敗と不正の別名とまで蔑まれる警察にも、一握りの良心は残っている。
ゼルは口では文句を吐くものの、心の底まで警察を嫌っているわけではなかった。この街、ラバエルそのものにも理由があるからだ。
ラバエルや他の経済都市が並ぶ新大陸〝オールフラット〟は元々、草木もろくにない荒地だった。この経済的に魅力が皆無な土地を豊かにするために、帝国は新たなる法案を可決したのだ。
つまりは、最新の機械による経済の発展を。
ラバエルは、帝国領第十三試験的機械化構築経済都市、つまり十三番目に造られた。下から数えて二番目である。
他の都市が大きく発展していく中で大きく出遅れた。
「帝国は、新しい機械や科学式、薬、ともかく経済に効果的な貢献をした都市に恩恵を与えている。出遅れたってことは、それだけ不利だってことだ。となれば、正攻法ってわけにはいかねえよな」
だからこそ、ラバエルは変わる必用があった。
都市を護るための軍隊、
ゼルがゴロツキを一方的に痛めつけた場所は、俗に言うスラム街だった。違法薬物や売春が挨拶と化している昼間でも真っ暗闇の世界だ。
なのに、一つ離れた区画では、文字通りお祭り騒ぎだった。
今日は祭りの二日目だ。近くにスラム街があったとしても、住民には関係ない。仮に、スラムの孤児が屋台の食べ物を盗もうとすれば、屋台の店主が鉄の棍棒を振り下ろす。きっと、誰も止めてくれない。
「監獄船をパン屋にしてくれるなよ」
「当然だよ。あそこに使い捨ての商品なんてない。僕が上に掛け合おう。君の名前を二百四十八回くらい使うだろうけど、構わないよね?」
「……具体的にどんな風に使うんだ?」
「扉を蹴破って上司に接近する間に『ゼルが来るぞ!』と三十回。上司が口応えするようなら『ゼルが怒ってるぞ!』と七十八回。上司が家に帰ったのを見計らって玄関の扉を開けた途端に『ゼルはこの家の住所を知ってるぞ』と五十六回。次の日に『ゼルがさっきまで警察署の玄関にいました』って七十九回。残る五回は予備に取っておくよ」
「……貯金するのはいいことだ。利息は取らねえよ」
「冗談だよ冗談。僕の流儀でやらせてもらう。上司の胃に穴が開くのはこれで何度目になるだろうかな」
無能と阿呆の代名詞とされる警察を、合法的な暴力組織に変えているのはコイツじゃなかろうか。
ゼルは、いまさらながらにレインへ相談したことを後悔した。
レインが美味そうに煙草を吸う。
二本の細長い紫煙が互いに絡み合い、融け合い、境界を失って大気に溶ける。
「お前、なんで警察になったんだよ」
「混沌に筋を通すため」
「警察の鑑だな。瀟洒会同盟にでも転職しろよ」
「ベニアヤメとは馬が合わない。具体的に言うと、美的感覚の相違だよ。ベニアヤメは拷問の始まりを重視するけど、僕は終わりを尊重するからね」
ゼルは黙り込んだ。頭のおかしい連中の考えていることは、きっと深く理解しようとしたら負けなのだろう。
「ところでゼル。君、女を囲っているらしいけど浮気かい?」
「お前、ちょっとばかし会話の距離感ってモノを勉強しろ。あるいは、初等部から言語の勉強をやり直せ」
「で、浮気かい?」
「誰が誰の浮気なんだ?」
「君が僕に対して」
「お前、俺のことが嫌いなんじゃねえのか?」
「それは仕事上の領分。個人間の見解は違うさ」
「俺、怖くて夜道歩けないかも」
「じゃあ、警察に相談しようか。この街の警察官は住民に優しいよ」
「フレンジュが警察に相談したらしいんだが、知ってるか?」
「さあ?」
優しさの欠片もなかった。
ゼルが睨むと、レインが両手でこちらを押すような仕草を作る。
「部署が違うと、情報はなかなか入って来ないんだよ。銀行領に喧嘩を売るなんて、気骨の太い娘じゃないか。時代が違えば英雄になっていたかもね」
嘘を言っているように聞こえなかった。レインだって、銀行領の横暴には辟易しているはずだ。
ここで大きな問題となるのは、警察官の誰もがレインと同じ心情ではないということだ。
「君が言った通り、銀行領が南方の旧工場地帯を狙っているとしたら厄介だね。まあ、僕としたら『とうとう』とか『やっと』みたいな反応だけど。あの場所は、都市の管理から外れている。だからこそ、土地の管理者を確実に潰せば手に入るだろう。なにより軍事工場に変えるには、ここまで適した場所はない。連中は、戦争でも始めるつもりなのか?」
「そんなの、俺が知りてえよ。少なくとも、この一件にベニアヤメは関与していない。もしも、手を出しているのなら重要証拠であるフレンジュの首根っこを掴んでいただろうからな」
「そっちの方が妙な話じゃないかい? この街で銀行領をもっとも嫌っているのは瀟洒会同盟だ。向こうが力をつけるのは、絶対に避けたいはずだろう。それとも、君がなんとかしてくれると楽観視しているわけじゃないだろうね」
「俺はフレンジュの身を護る。だが、銀行領を組織丸ごと壊滅させたいわけじゃない。銀行領があるからこそ、拮抗しているんだよ。瀟洒会同盟も赤獅子騎士団も、その他も、必ずしも貧者にパンを施すわけじゃねえからな」
話は厄介を極める。個人で解決するには不可能な問題がダース単位で並んでいるのだ。いくらレインが機導使いとして優れていても、限界がある。海の水を飲み干せないし、台風を吹き飛ばせない。
つまりは、そういうことだ。
「ともかく、僕は警察として働こう。やれやれ、祭りの日だっていうのに血生臭い話だね。まあ、祭りの最中に悪巧みを企てる連中がいるのは、ほとんど常識さ。中には、密輸を計画する馬鹿もいて困ったよ」
「正気かよ。試験都市は街の物流に厳しい。ネジ一本だって、新しい技術が使われている可能性があるからな。コートの裏や靴の中どころか、尻の穴にまで指を突っ込まれて調べられるらしいぜ?」
「誰しも、新しい性癖との出会いは衝撃的だろう。頼むから、大人しく祭りを楽しむことを推奨するよ」
レインがコートから取り出した筒状の携帯灰皿に煙草を押し込み、背筋を伸ばす。
「じゃあ、僕はそろそろ行こうかな。ゼル、無茶はするなよ。君だって無敵じゃないんだ。《墓標の黒金》が墓の下で眠るなんて、笑い話にもならない」
「生憎と、棺桶の注文は当分先だ」
二本目の煙草を口に咥えかけ、
「ゼル・クランベル」
レインがこちらの目を真っ直ぐに見た。残った左目に映った自分は、どんな風に見えているのだろうか。
「僕は、本気で言っているんだよ?」
嘘偽りがないと分かるからこそ、ゼルは一瞬煙草の味を忘れた。
ゼルは無敵じゃない。無敵なら、わざわざレインに相談したりなどしない。いくら努力しても、届かぬ領域は存在するのだ。
機操剣でさえ、いや、機操剣だからこそ奇跡が付け入る隙などない。歯車と蒸気が織り成す計算式に、人間の感情など通じない。大声で叫んだところで一足す一は二だ。誰かを護りたいからと十にはなってくれない。
「もしも、本気で銀行領と戦うなら覚悟するべきだ。連中は虎視眈々とこの街の覇権を狙っている」
レインの目が言っていた。
本当に、戦うのか? と。
「そりゃあ、戦うだろうさ」
嘘ではない。
偽りではない。
無鉄砲ではない。
この剣に懸けて、誓える。違う約束など交わした覚えはない。フレンジュに言ったのだ。護ると。
ならば、それを嘘には出来ない。
ただ、それでも、覚悟への迷いが言葉となってこぼれた。
「フレンジュには、人並みの幸せを掴んで欲しい。具体的に言うと、俺と素敵な家庭を築くような」
レインが、少しだけ苦く笑みを歪めた。
「君はなにかを築くよりも、破壊する方が得意だろう?」
「お前、どっちの味方なんだ?」
「少なくとも、君の味方でありたいと願うよ」
曖昧なのは、レインの立場上、完全にゼルの味方にはなれないからだ。この街で気兼ねない友人を作るなど、一種の奇蹟だ。
「じゃあね、ゼル。また今度」
そうして、レインが去ってしまった。
こいつら病院に運ばなくていいのか? や、懸賞金はちゃんと警察が払ってくれるんだよな? と、言いたいことは沢山あった。
ゼルは、ひとまず煙草を深く吸い直す。
今度は、ちゃんと煙の味がした。
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