第五章 ③
「ゼルさん。生きていますか?」
フレンジュから見下ろされ、ゼルは目をしばたかせる。のっそりと、上半身を起こした。
「俺が生きているか、死んでいるか。実は確信がない。何故なら、フレンジュが天使のように美しいからだ。そういうわけでキスの一つでもすれば、ここが地上だと、いや、天に昇る気持ちがそのまま花火のごとく打ち上げられる可能性もなきにしもあらず」
「それだけ元気なら大丈夫ですね。さあ、立ち上がってください。ここは危険ですから」
ばね仕掛けの玩具のごとく、ゼルは起き上がった。腹部に鈍い痛みが走り、咳き込む。すると、コートに付着していたなにかが地面に落ちた。
ゼルが陶器の欠片のようなそれを拾うと、フレンジュが怪訝そうに眉をひそめた。
「なんですか、それ?」
「防御殻だ。これが、俺を狙撃から護ってくれたらしい」
「らしいって、自分で機導式を演算したんじゃないんですか?」
「確かに、これは機導式で俺の機操剣が演算した。けど、俺が組み立てたモノじゃない。コイツが代わりにしてくれたんだ」
ゼルが己の機操剣を指差す。高位解析機関の近くに、大きな万年筆のようなパーツが装着されていた。
「こいつが、俺を護ってくれた。女神の祝福と例えたいところだが、そう口にするには、あまりにも油臭い」
数時間前、ダルメルがゼルに渡したのは、演算済みの機導式が封入された特殊機構だった。機操剣に連結するだけで機導式を開封する剣呑極まりない装置である。
「助かったぜ、オヤッさん。今度会えたら、一杯奢らせてくれ」
ここにはいない年の離れた友に感謝を捧げ、ゼルは機操剣を持ち変える。すると、大きな万年筆が根元からポッキリと折れてしまった。
「んな。……なるほど、これだけ高威力の機導式を演算するんだ。歯車の摩耗は甚大、使い捨てか」
次に会ったら、もう一本貰っておこうと頭の隅に留めておく。
「ゼルさん。あの、もう、安全なんですか?」
フレンジュの瞳が不安で揺れる。ゼルは、胸を拳で叩いて背筋を伸ばした。無論、笑顔を忘れずに。
「安心してくれ。全部、追っ払ったよ。地平線の向こうどころじゃなく、地獄に。いくらなんでも、死者は手が出せないからな。……けど」
ゼルは周囲を見回し、後ろ髪をガリガリと掻いた。
「気配が消えている。そりゃあ、逃げるよな」
このまま二度と現れないでくれると助かる。
オデイル達は使い捨ての道具にすぎなかった。何故だ? こちらの実力を測るためか? ならば最初から狙撃〝だけ〟をすれば済む話ではないのか。
それに、オデイルの言葉が脳裏にこびりついて離れない。
「シナモン、か」
「ゼルさん?」
「すまんすまん。こっちの話だ。それより、怪我はないか?」
「ええ。ゼルさんが護ってくれましたから」
フレンジュの淡い微笑みが、ゼルの脳天に突き刺さる。
「助けてくれて、ありがとうございます。って、どうしたんですか!?」
「すまない。ちょっと君の笑顔が眩しすぎて思考の処理が追い付かず、足先から力が抜けただけだよ。くそ、俺は本当に生きているのか。足元がフワフワしやがる。フレンジュ。すまないが、手を貸してくれないか」
「ゼルさん。もしかして頭を打ったんじゃないんですか? 病院に行って、太い注射でも打ってもらった方がいいんじゃないんですか? 大人の男なんですから一人で立ってください」
「任せろ。立てる大地がなかろうとも俺は立ち上がる」
ゼルが瞬時に二本足を想い出した。関節を持たぬ人形を起こしたような、気色悪い立ち上がり方だった。
「フレンジュ。どうやら君は狙われているらしい。それも、厄介な連中に。なにか、心当たりはあるか?」
ゼルが言うと、フレンジュが言いにくそうに視線を泳がせた。
「フレンジュ?」
「ゼルさん、あの……」
「いや、なにも言うな」
ゼルに待ったをかけられ、フレンジュが目をしばたかせた。
「どうやら、こんな場所で二言三言交わして済む領域を超えているようだ。だったら、もうちょっとゆったりとした場所を選びたい」
辺りはすっかり薄暗くなっていた。このままだと、一時間も経たずに夜が訪れる。
「まずは、飯にしよう」
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