第四章 ①


 上質な筋肉に覆われたゼルの体重は機操剣の重さと合わさると百キロを超える。それだけの重量が車に激突されたかのように五メートル以上も跳ね飛ばされた。

 フレンジュの悲鳴が、頭の後ろを通過した。

「……痛いじゃねえか、馬鹿野郎」

 何事もなかったかのようにゼルが立ち上がる。

 フレンジュが別の意味で悲鳴を上げた。

「ぜ、ぜぜ、ゼルさん。今、今、うた、撃たれ」

「ええ。俺の心は当の昔にあなたの魅力に蜂の巣です」

「そうじゃなくて、そうじゃなくて!」

 ゼルは困惑するフレンジュに微笑み一つ残し、鞘から機操剣を引き抜いた。火竜小唄の刃鉄が、夕焼けに染まりつつある茜色をぬらりと映し、辺りに血の湿り気が漂う。

 狙撃されたのだと、ゼルは判断した。撃たれた二秒後に耳へ届いた大気の破裂音は、機操剣による発砲に間違いなかったからだ。あきらかに、火薬の類ではなかった。

 機導式は、その性質上機錬種の限界を突破出来ない。ゆえに、炎や水、電気などの自然現象を再現するのは困難だ。銃火器を展開する場合も、火薬ではなく《機錬種》から造られたスプリングを利用する。従来の科学技術では、小さな鉛玉で小鳥や野兎を撃ち殺すのが限界だったが、機操剣は違う。

 ゼルの双眸は、割れた窓硝子を睨み付けていた。鉄パイプを振り下ろしても割れないはずの強化硝子が、まるでクラッカーだ。

「機導式の練り込みが深い。きっと、青紫に焼けた香ばしいスプリングを使っているだろうな。それも、一つじゃない」

 料理の天才が皿に残ったソースを一滴舐めただけで作られた料理の全容を理解するように、ゼルもまた敵がどんなスプリングを使ったのは見当を纏めていた。

 おそらく直径は二十ミリ以上、通常時の全長は五十六から七ミリ。その数、九つ。弾丸に与えられる力は軍用火薬の領域へと到達するはずだ。

「優秀な機導式は、パンチカードによって記憶され、共有される。前に受けたことがあるな、これ。中級の中でも難しい部類だ。並みの高位解析機関じゃ、演算するのは無理だろう。この分だと、連中は四から五階位か。フレンジュ。どうやら俺達は、騎士団の一個中隊に匹敵する戦力に追われているらしいぜ」

 フレンジュの返事を待っている暇はなかった。ゼルは機操剣の鍔を回して保存済みの機導式を選択する。柄を逆手に持ち直し、床に突き立てた。

 両腕は柄を包み、片膝を折る。その姿はまるで、献身的に神へ祈りを捧げる聖職者のようだった。

 されど、ゼルは機導使いだ。

 神へ中指を突き立てることを信条に数えている。

 トリガーが引かれ、高位解析機関が演算した機導式が刃に乗せられて床に挿入される。白タイルを構築する機錬種が分解、再形成を開始した。

 床と壁の一部が変形、窓硝子を覆い尽くす。光が通らなくなり、段々と周囲が薄暗さを増していく。

「こっちだ」

 ゼルは機操剣を引き抜き、フレンジュの手を掴む。目指すのは階段だった。ともかく、ここから急いで降りなければ。

「ど、どこに行くんですか?」

「愛の巣と行きたいところだが、まずはうるさい蠅を払い落とそう。……連中、俺達がどこにいるのか知らねえのか? 知っているなら馬鹿、知らないなら大馬鹿だろうぜ」

 階段は、ごく普通の階段だった。

 この地区としては、の話だが。

 ゼル達の視界を階段が満たす。地上まで続く階段、さらに上へ続く階段。斜め、湾曲、巨人用なのかと想えるほど大きなモノから、妖精用としか想えない小さなモノ。建物、通路、ともかく様々な物体が立体的に滅茶苦茶だった。

竜巣迷路地区。街の北東一帯に広がる名前通りの場所だ。地図さえ無意味になる混沌空間は、隠れるのに適している。あるいは闇討ちするのにもこれほど適した場所もない。

「私、ここのことなにも知らないんですけど、ゼルさんは知っているんですか?」

「ああ、平気だ。こういう場所は慣れている。こういう場所こそ、肌身に空気が染み付いている。あんまり、褒められたことじゃねえけどな。フレンジュ。こっちの細道に行くぞ。足元に気を付けて。それとも、俺が姫様のように抱えるか?」

「両手が塞がっては自慢の剣も振れないでしょう。私、こう見えても体力はあるんです。だから、あなたはあなたらしく戦ってください」

 ゼルの双眸が、血の渇きに揺れた。

「素敵な注文だ。なら、俺だってカッコいいところを見せよう。ちょっとばかし魅力的すぎるかもしれないけどな」

 ゼルはさらに機操剣の鍔を回した。そして、トリガーを引くのではなく押す。高位解析機関と蒸気機関の隙間から、タイプライターが出現した。

 ただし、展望台で使った物よりも一回り小さかった。文字も、大陸統一言語ではない。矢印や三角、丸、四角などの記号から形成されていた。

「なにをしているんですか? まさか、今日の日記でも書くつもりじゃありませよね!?」

 どうやら、フレンジュが動揺すると口が悪くなるタイプらしい。そういうところも大いに魅力的だと、ゼルはキーを軽快に叩く。

「この中型には、ある程度組まれた機導式を保存している。手持ちの機導式だと足りない気がしてね。ちょっとばかし、小細工を用意する。……そう、用意出来ちまうんだ」

 機操剣の空気弁を調整、大型蒸気機関・ギュリオールの遠雷が十二本の気筒を豪快かつ繊細に上下させ、動力を増幅させていく。

 高位解析機関・MアポートンM一八五〇を取り囲むSカノッソス零式の群れが段々と眠りから目覚めていく。

 今、八つの内で駆動しているのは三つだけだ。今、四つに増える。半数に達すると、MアポートンM一八五〇の内部で歯車と歯車が噛み合う音が複数重なった。

 ゼルには扉の鍵が開いた音に聞こえた。主力たる高位解析機関は名前の通り、一八五〇年に開発された骨董品だ。その出力や演算能力は過去の産物になるはずだった。とある鬼才の機操剣職人が、ある仕組みを発見しなければ。

「こいつは規則正しい気分屋でね。周りが持ち上げてくれないと最高の力を発揮してくれないんだ」

 Sカノッソス零式を用い、MアポートンM一八五〇を揺り動かす。より専門的な言葉を使えば『極端に比率を上げたせいで演算能力に支障が出た歯車群を外部から補助』する、とでも言うべきか。

「たとえるなら、翼が風を掴むまで背中を押してやるってものかな。つまり、一度加速すれば空を飛ぶってわけだ」

「ゼルさん、空を飛べるんですか!?」

 フレンジュがかなり混乱していた。ゼルはタイプライターをしまい、トリガーを引き直す。

「ああ。美女を助けるためなら、空だって飛んでやるさ」

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