第二章 ④


 焼きクレープを買って早一時間、ゼルはベニアヤメ達と会ったことなど前世の話だとばかりに忘れていた。

 ゼルとフレンジュは、大通りから南方に外れたウィゼル地区、背が高い建物が密集する装飾街へと訪れていた。

 名の通り、装飾関連の店が多く並ぶ人気エリアの一つだ。とくに、祭りとなれば広場の類は全て露店で埋め尽くされる。

 ゼルが選んだ場所も、例外ではなかった。

「ここは、名を売りたい新人や引退した熟練の職人が集まる広場なんだ。指輪に耳飾り、大抵の物はそろっている。今日という時間の記念に、なにかプレゼントしたい。具体的には婚約指輪を」

「いえ、結構です」

「それは暗に『指輪一つ分でも私の素肌を見て』って意味で間違いな」

「全然違います」

 半日も経たないうちに、フレンジュはすっかり回避行動を取得した。惜しむらくは、ゼルにまるでダメージが通らぬ点か。

「強い意志を持つ女性は魅力的だ」

 フレンジュが回避しきれず曖昧な笑みを浮かべる。

「けど、ここに来たいってことはなにか欲しかったんじゃないのか? こういうときは遠慮するなよ。大丈夫、仕事でそれなりに稼いでいるから」

「ええっと、本当にただ見たかっただけなんです。ほら、こんな景色は経済都市以外で見ることは叶わないですから」

 広場に集まった光景は、この都市に住まう者なら特に珍しくもない『なにをいまさら』の範囲だ。

 しかし、経済都市以外の他国にとっては大きく目を見開くほどの、驚愕の範囲だった。

 枯れ木のごとく細い老人が、椅子と一体化した機械式の作業台に座る。両腕を包むのは、旧時代の鎧に似た強化外骨格だ。指先の一つ一つに様々な工具が装着されている。

 椅子の背もたれから伸びる煙突から白い蒸気が噴き出した。ヘルメットを被った老人の動きを機械が補助し、常人では不可能な速度かつ緻密な作業で次々と指輪を削り出していく。純銀の指輪には『永久の愛を』という言葉と、薔薇の紋様が刻まれていた。

 また別の場所では、軽快にタイプライターを打つ若者がいた。タイプライターは工作機械と接続され、組み込まれた命令通りに機械の手が動き、装飾品を作る。どれもが、他国では三倍以上の値段で売れるだろう。

 生身の手で作っている者などほとんどいなかった。強化外骨格あるいは自動式工作機械で装飾品が誕生していく。

 どこもかしこも、蒸気を昇らせていた。

「機械科学が発達しているからな。……もしかして、フレンジュってこの街に来てから日が浅いのか?」

「いえ、そういうわけじゃないんですけど、これまであまりこういう場所には来なかったんです。だから、丁度良い機会かなと想って」

「見識を深めるのは素晴らしいことだ。そういうわけで指輪を」

「それは結構です」

 軽々と流され、ゼルは両腕を組んで頷いた。この程度で挫ける男ではない。

「おお、ゼルじゃねえか。こんなところで会うなんざ奇遇だな」

 自分を呼ぶ声が、露店の一つから飛んで来た。ゼルは怪訝な顔で首を曲げ、数秒と経たずに破顔する。

「オヤッさんじゃねえか。なんだよ、おい。店が赤字だからって鞍替えか? それとも、夜逃げの資金でも集めてんのかよ」

 ダルメルが、肩を揺らして笑う。

「がはははははは! 久しぶりに故郷を満喫してんのさ。お前こそ、嬢ちゃんにやらしいことしてんじゃねえだろうな? 頬を腫らしていないところを見ると、まだらしいな。まあ、お前の自尊心なんぞ羽虫の屁みたいなもんだからな」

 ゼルとダルメルが顔を見合わせる。

 どちらともなく、唇の端を吊り上げた。

「酒を一杯といきてえが、今はフレンジュのことに手一杯の胸一杯でね。オヤッさんは一人寂しく安酒でも飲んでくれ」

「馬鹿言え。今日は孫夫婦の家に招待されてんだ。可愛い曾孫のために物騒な機操剣じゃなくて、装飾品作りの真っ最中よ。祭りの間だと、材料も安く仕入れやすいからな。学校の友達に自慢出来るような物を作るって約束よ」

「……鬼才と謳われた元、機操剣製作者のオヤッさんなら、友達どころか貴族にだって自慢出来るだろうぜ。娘の結婚式に作った指輪が国宝にされかけたって本当かい?」

「あんときは家内にこっぴどく叱られたぜ。『私達の娘はいつから左手の薬指が百本になったのかしら!?』って」

 残った指輪は帝国の最高位国立美術館の最深部に飾られている。『華を飾るには届かぬ九十九の円環』という題名と共に。

「噂よりも事実の方が桁違いにすげーな。そういうことなら、俺とフレンジュの指輪も頼むよ」

「……ゼルよ。俺は大抵の物は作れるが、嫌な相手と強制的に結ばれるような呪いの道具は作れねえ」

「愛は呪いに似ていると言った詩人は誰だったか。俺とフレンジュの仲を阻む障害は多い」

 会話が空中分解していた。

 フレンジュが、ゼルのコートの裾を引っ張る。

 美女の顔には、やや疲れの色が見えた。

「ちょっと、人混みに酔ったみたい。座れる場所で休憩しませんか?」

「それはつまり、ホテ――」

 ――後頭部に重い風。

 ゼルは振り返らず、手だけを伸ばしてキャッチする。

「おい、オヤッさん。危ねえだろうが」

「今のお前さんよりも危ないモノなんてこの世にないじゃろうて。悪ふざけはそこまでにして、とっとと嬢ちゃんを休ませろ。祭りに行って気分を崩したんじゃ、護衛の面目が立たんじゃろう」

「むう。そうらしいな。ところで、これは? 巨人用の万年筆かい?」

「そいつはやる。暇潰しに作った玩具じゃよ」

 こいつを玩具と呼ぶか。まあ、タダなら貰っておこう。

ゼルはフレンジュへと向き直り、粛々と頭を垂れる。

「今すぐ案内する。大丈夫。疲れの全てを吹き飛ばすような、素敵な場所だと俺は君に約束するよ」

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