第二章 ③


 涼やかな声だった。

 チンピラの背後に、小柄な人影があった。ゼル以外の人間が、蛇に睨まれた蛙のごとく身体の自由を奪われる。

 ゼルは、露骨に顔をしかめた。

「……別に、あんたみてえな大物がわざわざ顔を出すまでもなかっただろうぜ、コンドーさんよ」

 ゼルの言葉に、彼女は楽しそうに笑った。

「なあに。わっちの島で〝あこぎ〟な商売をする連中を成敗するまでの話なのだ」

 高く見積もっても十代中頃か。身長は百四十センチ台にやっと届く程度しかない。まるで人形が意思を持っているかのように肌は青白く、人間らしい赤みが欠落している。

 髪は木炭に似た黒であり、光沢を滲ませる。癖一つなく真っ直ぐで腰の半ばまで伸び、九つに束ねられていた。リボンの色は、それぞれが微妙に違う赤だ。高さも束ねる量も違う。だが、不思議と一定の統一感があった。

 ゼルには、地獄の炎が揺れながら踊っているようにしか見えなかった。

 双眸は、煮え立つ赤金そのものだった。

 血で染めたように真っ赤な衣装は、帝国の歴史上存在しない。ここからはるか極東の地にて織られた〝着物〟と呼ばれる物だった。

 ベニアヤメ・コンドーと対峙するのは、ゼルただ一人。

 ゼルは、同情気味の溜め息を吐いた。

「瀟洒会同盟の会長様も、大変だな」

「くふふふ。真面目に働くとは、善きことなのだ」

 瀟洒会同盟レーブリーコールとは、この都市の裏社会を束ねる組織の一つである。占領する権力、保有する武力は、小国なら一晩で陥落させられるほどだ。

 ベニアヤメが焼きクレープ屋の老夫婦へと、極めて穏やかな笑みを向ける。

「汝らの店からは、すでにショバ代を得ている。他のどんな者、組織、有象無象が金をせびっても渡すでないのだ」

 老夫婦が首を縦に何度も振る。

 ベニアヤメが、今度は少女の方へと言う。

「祭りだというのに遊びに出かけず、祖父母の手伝いをするとは立派な性根なのだ。きっと、お天道様が褒美を与えるのだ」

「あ、ありがとうございます!」

 礼儀正しく頭を下げた少女を見て、ベニアヤメが嬉しそうに頷く。

「……さて、と」

 踵を返したベニアヤメの嘆息を直接見たのは、チンピラとゼルだけだった。

 ゼルを抜かし、チンピラ全員が短い悲鳴を上げる。

 ベニアヤメは、大変立派に笑顔だった。

「汝ら、覚悟は出来ているのだ?」

 逃げられるわけがなかった。

 チンピラの背後に、真っ赤なローブを纏う者達が待機していた。フードを被り、顔を完全に覆っている。

 身長はゼルより高いのに、腰が老婆のごとく曲がっている。そのアンバランスな格好が、より恐怖を際立たせている。

 ベニアヤメの私兵である〝赤狐隊〟である。腰に吊るすのは細身の機操剣、通称・トツカノツルギだ。静かな炎を想わせる蒼一色で、ゼルのようなメーカー違いではない。刃から柄まで全て瀟洒会同盟のオリジナルであり、性能は折り紙付きだ。

連中の集団戦闘能力は騎士団と同等、チンピラ千人が旧時代の銃火器で武装しても、ここにいる数人は無傷で敵を皆殺しにする。

 瀟洒会同盟とは力の象徴だ。なめられたままでは、面子に関わる。

「ここを、精肉工場にしてくれるなよ」

 ゼルが釘を刺すと、ベニアヤメの部下達は『ヘイキヘイキ』『ニクヨリサカナスキ』『チョットソグダケ』『ハヤクコウタイシテアソビタイ』とボソボソ喋った。あきらかに幼児の声であり、なんかもう難しく考えるのが馬鹿らしくなった。

「おっとこうしちゃいられない。美女を待たせているんだった」

 ゼルの呟きに、赤狐隊が大きく上半身を揺らす。なにか誤解したチンピラが、泡を吹いて気絶した。

「ゼルノビョウキガハジマッタ」

「コンドコソコイガムスバレルカカケヨウ」

「ソレジャアカケニナラナイヨ」

「おい、コンドー。こいつらに帝国第一級共有言語を覚えさせておけ。あと、悪口は本人がいない場所で言う程度のマナーもな」

「くくくく。悪口を言った本人を拳で殴るのが礼儀の主がマナーとは片腹痛いのだ」

 ベニアヤメが喉奥を鳴らすように笑う。

「あんまり酷いことはするなよ」

「悪党に、良心の呵責を問うてはいけないのだ」

「祭りを鉄錆臭くするなと言っているんだ」

「汝、もうちょっとわっちに色目を使っても許されるのだ?」

「……俺だって、火薬庫の中で煙草を吹かしたりはしねえよ」

 ベニアヤメが明後日の方を向いて肩をすくめてしまった。

「では、わっちらは仕事に戻るのだ。ゼルよ。また面倒事に首を突っ込んでいるようだが、ほどほどにしないと戻って来られなくなるのだ」

「ご忠告痛み入る」

 関わるだけで、時間の無駄だ。

 チンピラを連行するベニアヤメ達の背中を眺め、ゼルは苦い唾を飲み込む。この祭りには多くの組織、機関、組合が干渉している。その全てが真っ当だとはお世辞にも言えない。むしろ、瀟洒会同盟レーブリーコールのような連中の方が多いくらいだ。

「この分だと銀行領聖域もなんかしてんだろうな。ったく、俺とフレンジュの時間を邪魔するようなら徹底的に教育しよう」

 今は一秒でも早くフレンジュへ焼きクレープを届けなければ。

 ゼルの両足が風の領域に喧嘩を売る。

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