第一章 ④

 フレンジュを自宅まで送り、ゼルは意気揚々と己が住居に戻った。ラバエルの北西に位置する住宅街にある、十二階建てマンション〝ベイグリッド〟の四階角部屋四〇六号室が、ゼルの城だ。

 今日は素敵な日だ。あんな美人からの仕事、それも傍にいるのが義務である護衛とは。今度教会が視界に入ったら寄付でもしようと頭の隅に留めておく。

 いくつかの防犯装置と鍵を開け、中へと入る。誰も待ってなどいないから、当然真っ暗だった。

 手探りで壁際のスイッチを探し、押す。

 何度か点滅し、天井に吊るされた白熱灯がぼんやりと光を発する。段々と光は濃くなり、廊下に昼間の明るさをもたらした。

 ゼルはそれなりに片付いた廊下を奥へと進み、扉の前で足を止める。ここにも鍵がかけられていた。それも三つも。コートの内ポケットから鍵束を取り出し、慣れた手付きで開けていく。

 扉を開け、明かりを交換するように廊下側のスイッチを切り部屋側を入れる。白熱灯が、半日ぶりに主の帰還を出迎えた。

 奇妙な部屋だった。少なくとも、寝室やリビングの類ではない。壁も床も天井のコンクリートが剥き出しだった。中央には大きな作業台があり、壁際のボードには様々な工具が並んでいる。小さな工場と呼ぶのが、しっくりとくるだろう。

 ゼルは鞘から機操剣を抜き、作業台へと乗せた。コートを脱ぎ、壁に引っかける。身体が軽い。体重が半分になった気分だった。実際、それだけ機操剣は重い。

「明日でもよかったんだが。美女との約束に遅れるわけにはいかん。今日の内にメンテナンスを終えておくのが、出来る男ってやつだ」

 フレンジュの横顔を想い出しつつ、ゼルは鼻の下を伸ばした。数秒後、表情が真剣味に染まっていく。

 機操剣を使って《機錬種》に干渉し、機導式を行使する者達を機導使いと呼ぶ。道具の整備は、必然だ。

 まずは刀身を、根元の固定鋲を外して機操剣本体から外す。まさに、竜の牙がごとき長大な刃だった。

 名匠が打ち鍛えた刃の名は〝火竜小唄〟。

 今度は高位解析機関を外す。専門の知識を持たぬ者には、複数のオルゴールを混ぜ合わせたかのように見えるだろう。

 主力たるMアポートンM一八五〇は、破壊力重視のグロッゲル社が四十年以上前に開発した工芸品だ。補助する高位解析機関は、制御性能に秀でたリュミール社の最新式であるSカノッソス零式である。それも、八つも。

 通常の機操剣なら、補助は一つか二つ。戦闘用でも四つが常識だ。ゼルのカスタマイズがどれだけ異常か、これだけでもありありと看破出来る。

 八つもあると、外すのだけでも面倒だ。立体迷路のごとく噛み合う部品を、順番通りに解除していく。

 次は、蒸気機関を外す。一番の老舗、グレオンベル蒸気科学連合に依頼、完全オーダーメードしたギュリオールの遠雷だ。

 機操剣の動力源である蒸気機関は、大きければ大きいほど出力が増す。その分、重さも増して機動力が落ちる。

 ギュリオールの遠雷は大型の十二気筒。機操剣では最大サイズだ。もはや、軍用のバギーに積まれていてもおかしくない異様なフォルムと重厚感である。

 三種類のタイプライター、外部連結用のパイプ、着火用ホイール、鍔、機導式の保存機関、パーツごとに分解していく。

 機操剣は複雑な構造からなる。ゆえに、メンテナンスを怠れば即、破滅に繋がる。

 刀身が歪んでいれば、機導式を正しく伝達出来ない。高位解析機関の歯車に油を差さなければ錆びつき、動かなくなる。火室に燃えカスが溜まれば、燃焼不良を起こして動力が上がらない。

 戦闘において、怠慢が命を捨てる結果に繋がってしまうのだ。

 だからこそ、どんなときでもメンテナンスを忘れてはならない。

 ゼルは軽快に、鼻歌交じりに作業を続ける。十年と繰り返した行為だ。今では、目を閉じても難なくおこなえる。

「……良い女だったな」

 まぶたに焼き付くのはフレンジュの姿。

「なんで美しい人だ。そして恐らくきっと多分もしかして、俺の運命の人かもしれない。まいったな。こんなことなら新しいスーツを用意するべきだった。それと帽子も」

 そりゃもう、考えることはピンク色だった。護衛されど祭りの空気が二人の背中を押す。いつしか距離は縮み、なんかもう、こう、良いに感じなって、そのまま二人は愛し合う方向で、うん、なにも問題ない。ごく普通、当然の流れだ。

「三日目の花火、綺麗な夜景を背にして耳元で愛を囁く。いや、花火の音で聞こえないか。なら、そのままそっと抱き締める。俺の包容力ってものが試される。こうなったら、今からでも練習を」

 不埒なことを考えた罰か、機操剣の嫉妬か。強力なスプリングで固定されていた部品が外れ、勢いよく射出される。

 そのまま、ゼルの股間に直撃した。

「――ッ!!??」

 人間、真なる激痛に襲われたとき、言葉は出ない。思考は純白に染まり、反転、暗黒、稲妻が豪雨のごとく脳天に降り注ぐ。

 酸素を奪われたかのように喘ぎ、苦しみ、そのまま椅子から転げ落ちる。陸に打ち上げられた魚だって、もう少しは元気だろう。

 薄れていく視界、ゼルはなんとか唇を動かす。

「く、くたばれ神……」

 もしも、ここに神様がいれば『うるせえ知るか』と罵っていたに違いない。

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