第二章 ①
その日、街は朝から熱狂の渦にあった。
大通りを大勢の人々で埋め尽くし、賑わいがさらなる賑わいを集める。
通りには壁のごとく露店が連なる。既存の店も負けてはいられないと、大盤振る舞いの合戦状態だった。
広場には大道芸人が集まり、今日のために磨いた技を披露する。
スピーカーで拡大されたレコードから、軽快な音が街中に降り注ぐ。
人が、料理が、芸が、音が、歌が、なにもかも煮詰まっていく。楽しもうと、喜ぼうと、この幸福を分かち合おうと。
五感の全てを刺激する。
まさに、別世界だった。
「やっぱり、祭りは賑やかですね」
「ええ。俺の心も躍っています。あるいは、あなたの隣にいるからこそ、石炭を限界まで押し込んだ機関車のごとく感情が高ぶっているのかもしれません」
フレンジュの声に、右隣を歩くゼルはいち早く反応する。歩行者天国となった大通りを歩く二人は、恋人同士にも見えなくもない。
ゼルは持っている中で一番上等なスーツとコート、帽子、靴を選んだ。もっとも、色合いは昨日と変わらず黒一色である。
一方、フレンジュは涼し気な青色のロングスカートに、淡いレモン色のブラウスを合わせている。
当然、会った瞬間に褒めちぎった。
「朝のパレードが終わると、小休憩です。といっても、色々な場所で様々なイベントが始まります。ここから近いものだとトルミレコ広場でおこなわれる白薔薇音楽隊の演奏に、裏通りの装飾品の大売り出し、レストラン〝竜王〟のフルコースが楽しめるビアガーデンなどがありますよ」
コートの内ポケットに仕込んだ祭りのパンフレット(計三百ページ。価格二千ラルド)から得た知識をベラベラと並べるゼルに、フレンジュは困惑気味だった。
「でしたら私、少しお腹が減って」
「分かりました。では、鯰のすり身の串焼き。鵯の串焼き。ヤツメウナギの串焼き。山羊の脚。焼き鳥。豚のケバブ。鯉のスープ。鴨肉の団子スープ。ジャガイモのポタージュ。鶏の香草焼き。堅焼きそば。カレーサンド。微塵切り玉葱のヌードル。牛肉ミンチのホットサンド。ミートパイ。蒸かしたジャガイモ。蜂蜜パン。カスタードクリームのパン。ブルーベリーパイ。アップルパイ。マフィン。果実の飴包み。タフィ。チョコレート。果実の炭酸割り。葡萄酒の赤と白。エール、ビール。梅酒。蜂蜜酒。珍しいものでは極東の秘宝、オーデンなるものもありますが、いかがでしょうか?」
商人顔負けの饒舌な羅列に、フレンジュは『えーっと』と視線を周囲に泳がせ、前方にある人だかりを指差した。
「あそこでは、なにを売っているんでしょうか」
ゼルの双眸が、猛禽類のごとく前方を睨み付ける。フレンジュへと向けるのは、目一杯の笑みだ。
「あれは、焼きクレープですね」
「クレープって、あの薄い生地に切った果物やクリームを包んだお菓子ですよね? それを、焼く?」
「クレープよりも厚めの生地で具材を完全に覆うんです。こう、長方形に。で、表面に油を塗って焼き直すんですよ。甘い物の他に、肉とか魚とか軽食感覚で食べられるんですよ。最近、若者の間で有名なんです」
「まあ。じゃあ、それにしようかしら」
「では、今すぐ迅速烈火のごとく買って来ます!」
一秒後、
「あ、ゼルさん。待って」
「はい、なんでしょうか?」
すでに十メートル以上移動していたゼルが、一瞬でフレンジュの元まで戻った。ちょっとした手品だった。
「あの、一つお願いがあるんですけど、敬語を止めてもらえませんか?」
「え? いや、これは」
「正直、似合っていませんよ?」
心臓に、鉄杭が突き刺さる。そ、そんな。女性には丁寧な言葉遣いが好印象だと、ラジオで聞いたのに。
ゼルの表情がどんな風に見えたのか、フレンジュがクスクスと微笑んだ。
「私はなにも気にしませんから、いつものように喋ってください。その方が、私も嬉しいですから」
うなだれたゼルの背骨に、力が取り戻される。
「嬉しい?」
「ええ。そうです」
「俺が、いつも通りに喋ると?」
「はい。お願いします」
ゼルが、初恋の彼女と初のデートでもする少年のように狼狽する。心臓が早鐘を打つ。上手く喋れない。
喉がカラカラだった。
唾を飲み込み、大きく深呼吸、そして、
「じゃあ、こういう感じで良いですか? いや、良いかな?」
「はい。やっぱり、こっちの方が似合ってますよ」
とても、とても眩しい笑顔だった。
ゼルの表情がパーッと輝く。
「任せろ。すぐに買って来る。美人のためなら火の中水の中、地獄の果てまでだ!」
踵を返して駆け出したゼルの背中を見て、フレンジュは『……やっぱり、変わった人ね』と呟いたのだった。
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