第9話 國仲さんと依頼人

 私が色々と沖さんについて不思議に思いつつもコーヒーを飲んでいると、不意に入口のドアが開いた。


 カランコロン。


 外の新鮮な空気が腕ににひやりと冷たい。私はハッと顔を上げた。


「いらっしゃいませ」


 沖さんが営業用の顔を作り、カウンターから出てくる。


 入ってきたのは、若い警官さんとスーツを着た中年の男の人だった。


「こんにちは、沖さん。こちらの方が、沖さんに依頼があると言っているのですが、今、忙しかったですか?」


 警官さんが丁寧に帽子を取って頭を下げる。

 沖さんはピクリと眉を上げた。


「やあ國仲くん」


 どうやらこの警官さんは國仲さんという名前みたい。背が高くて、真面目そうで、中々の好青年。


 だけどそんな好青年に、沖さんはあからさまに嫌そうな顔をした。


「國仲くん、僕は今、こちらの千代さんと逢い引きしている最中なんだけど――」


 わああああっ!


「ち、違います!」


 私は慌てて沖さんの言葉を遮った。


 もう、逢い引きだなんて何言ってるの!?


「私なら大丈夫ですので、全然、何も、全く、空気だと思って、お気づかいなく!!」


 國仲さんがびっくりしたような顔で私を見る。


「いや、しかし――」


「大丈夫ですから!」


 せっかくこんな所までお客さんがわざわざ来てくれたのに、断るなんて可哀想じゃない。


 私が必死になっていると、國仲さんは困惑したような表情を浮かべた。


「あの、失礼ですが、こちらの方は?」


「ああ、この方はね、僕の婚約者なんだ」


 嬉しそうに答えて、私の肩を抱く沖さん。


 私は肩に回った手をさり気なく払った。


 全くもう、いくら婚約者とはいえ、人前なのに何やってるのよ。


「そうですか。婚約者……って、えええっ!?」


 國仲さんは真っ青な顔になると、沖さんの耳元で囁いた。


「大丈夫なんですか? っていうか、いつの間に恋人なんて――彼女、貴方の正体は知ってるんですか!?」


「ああ、それについては大丈夫。彼女は全て知っているから」


 ケラケラと笑う沖さん。


「そうですか、それなら良いのですが、てっきり貴方に騙されているのかと」


 どうやら國仲さんも、沖さんの正体を知っているみたい。一体どういう関係なんだろう。


 私がじっと様子を伺っていると、國仲さんは私にくるりと向き直り、帽子を取ってピシリと頭を下げた。


「ああ、申し遅れました。僕はすぐそこの派出所に勤務している國仲くになかと申します」


「秋月千代と申します」


 國仲さんが深々と頭を下げるので、私もつられて頭を下げる。

 なんだか國仲さんって、すごく真面目そうな人だな。


「それでは、奥の席へどうぞ」


 沖さんは、國仲さんと依頼人の男の人を席へ案内した。


「あっ、お仕事の話をするんですよね。じゃあ私はこれで」


 邪魔をしてはいけないと席を立とうとした私の手を、沖さんはグッと掴んだ。


「大丈夫だよ、千代さん」


「でも、私がいると邪魔じゃないですか?」


「大丈夫。せっかくだから千代さんも、僕がどうやってお金を稼いでいるのか見ていくといい。なんったって、僕の妻になるわけだからね」


 やけに嬉しそうな顔で私の腰を引き寄せ、無理矢理隣に座らせる沖さん。


 私は渋々隣に座ると、腰に回った沖さんの手をばしりと叩いた。


 全くもう!


 結局、私も同席して、男の人の依頼を聞くことになった。


 いいのかしら。お仕事の話なんでしょう?


 國仲さんと依頼人のコーヒーをテーブルに置くと、沖さんは神妙な顔で尋ねた。


「それで、僕に依頼があるって、どんな依頼ですか?」


「はい。私はこういう者です」


 依頼人の男性が沖さんと私に名刺を渡してくれる。


 名刺によると、名前は菊池さん。国鉄の職員さんらしい。


「へえ、国鉄の。ということは、依頼も鉄道絡みということですか?」


 沖さんが尋ねると、菊池さんはハンカチで額を拭きながら答えた。


「ええ、そうです。“幽霊列車”の話、沖さんは聞いたことがありますか?」


 幽霊列車?


 私が疑問に思っていると、沖さんは神妙な顔でうなずく。


「ええ、話だけは」


 沖さんたちの話によると、夕暮れ時に整備士さん達が線路や汽車の整備をしていると、見たことも無い汽車が線路を走ってくるのだという。


 整備士さんたちは危ないと思い避けるのだけれど、気がつくと、走っていたはずの汽車は跡形もなく消えているのだとか。


 へえ、不思議な話。


 菊池さんの説明に、國仲さんが付け足す。


「それで、初めは警察にどうにかしてほしいと依頼してきたのですが、僕の方でこれは沖さんに頼んだほうがいい依頼だなと」


「なるほど」


 沖さんがうなずく。

 確かに、そんなこと、警察に言っても掛け合ってもらえないわよね。


「分かりました、幽霊列車の謎、僕が必ずしや解き明かしてみせましょう」


 沖さんがグッ菊池さんの手を握る。

 へえ、「必ずしや」なんて、かなり自信満々みたい。


「おおっ、ありがとうございます!」


 菊池さんも立ち上がり、沖さんの手を握り返す。


「……ところで」


 沖さんはコホンと喉を鳴らした。


「報酬はいかほど貰えますかな?」


 その言葉に、私はずっこけそうになる。

 もうっ、狐のくせに守銭奴なんだから!


 ***


 そんなわけで、私と沖さん、菊池さんと國仲さんの四人は、幽霊列車が現れるという線路沿いにやってきた。


「ここですか」


 四人で幽霊列車がやってくるのを今か今かと待ちわびる。

 だけど待てど暮らせど、やってくるのは普通の列車ばかり。


「来ませんね」

「向こうも我々のことを警戒しているのかも知れませんよ」

「そうですねぇ」


 私たちのなかでも、今日はもう来ないんじゃないかという空気が流れ始めた。


 風が昼の空気から、肌寒い夜の空気に変わり始める。遠くには、もう微かに月が出始めている。私は夜風にブルりと身体を震わせた。


 どうしよう。早く帰らないと、お父様に叱られるかも。


「あの、私、そろそろ帰――」


 私が言いかけたその時、沖さんの体がピクリと動いた。


「待って、何か聞こえる」


 沖さんの声に、私たちは耳を澄ます。

 遠くから微かに風に乗って聞こえるそれは、線路を列車が走る音。そして汽笛だった。


「また普通の列車では?」


 怪訝そうな顔をする國仲さん。

 菊池さんは青白い顔で時刻表を指さすと、首を横に振った。


「いや、今の時間、運行している汽車は無いはず」


 だけど列車の音はどんどんどんどん近づいてきて、やがて橙色の光が、そして煙を吐き出す黒い車体が見えてきた。


「ということは……」


 私たちは、線路の先を見つめた。

 あれが噂の幽霊列車なの!?

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