第8話 沖さんの謎

「さて、これからどうしようか」


 買い物を終えると、帰りの車で沖さんが尋ねてくる。


「特に行きたいところはないですけど」


「じゃあ、家に帰る?」


 沖さんの言葉に、胸がキュッとなる。

 頭の中に両親の顔が思い浮かぶ。嫌だな。家にはまだ帰りたくない。


 でも、他に行くところって――。


 あっ。


「あの、強いて言うなら、沖さんの入れたコーヒーがまた飲みたいです」


 私が勇気を出して言うと、沖さんは一瞬キョトンとした後で、嬉しそうに笑った。


「了解。うちのカフェーに行こう」


 私たちは、二人で車に揺られ、カフェー・ルノオルへと向かった。


 沖さんの店へと向かう道中、私は気になっていたことを尋ねてみた。


「そういえば沖さんって、何でそんなにお金持ちなんですか?」


 カフェーだって、そんなに儲かっているようには見えないのに、あんなにたくさん買ってくれて、大丈夫なのかな?


 私が不安に思っていると、沖さんは苦笑しながら教えてくれる。


「ああ。確かにカフェーの収入は大したことないけど、僕に怪異絡みの相談をしに来る人のなかには、政治家だとか実業家といった大物も多いんだよね」


「そうなんですか?」


「うん。ほら、そういう人たちって呪いの標的にされたりしやすいから」


 そっか、それでお金を持っているんだ。

 一体、いくらぼったくっているのやら。


「それに、美青年のお祓いの姿を見たいってだけで呼び出してくる変わった趣味の人も結構いてさ、この車も、とある大企業の経営者にお祓いを頼まれて、そのお礼にもらったものなんだよ」


 沖さんが教えてくれる。


「へぇ、そうだったんですね」


 美青年のお祓い姿を眺めるのが趣味だなんて、一体どんな人なんだろう。


 お金持ちのマダム? それとも男好きなおじさま?


 お礼に自家用車を買ってくれるだなんて、ただ者じゃなさそうだよね。


 私が色々と妄想を膨らませていると、沖さんがクスリと笑う。


「もしかして、昔話みたいに、木の葉をお金に変えていると思ってた?」


「いっ、いえ、まさか!」


 ブンブンと頭を横に振ると、沖さんがプッと噴き出す。


「ふふ、千代さんは本当に素直な人だね。気持ちがすぐに顔に出て面白い」


 私はぷいっと横を向いた。


「馬鹿にしないでください」


「してないよ、ただ、面白いなあって思っただけ」


 そう言うと、沖さんはぼんやりと遠くを見つめた。


「ほら、僕って人間じゃないから、人間の気持ちって、あんまりよく分からないんだよね。だから千代さんみたいにすぐ表情に出る方が楽」


 それって褒められてるのかなぁ。

 私はポリポリと頭をかいた。


「あ、そうそう、奢ってもらったからって、別に気負う必要はないよ。僕が好きでやってる事だからね。好きな人に物を買い与えるのは楽しいんだ」


 「好きな人」ねえ。


 簡単に言うなあ。まだ会ったばかりなのに。


 一体この人は、私のどこを見て好きになったのだろう。


 もしかしてだけど……女学生が好きとか?


 美青年のお祓い姿が好きな人がいるように、ひょっとしたら沖さんも女学生の袴やブーツが好きな人なのかもしれない。


 だから、ろくに知りもしない女学生に求婚できるのかも。うーん、ありえる。


 そんなことを考えていると、新品のフォードはカフェー・ルノオルの前に止まった。


「さ、ついたよ。今コーヒーを入れるから、好きな席で待ってて」


 沖さんに言われ、この前座ったのと同じ、カウンター席に座る。


 私は丸善で買った『少女の友』を読みながら、コーヒーが出来上がるのを待つことにした。


「にゃぁお」


 『少女の友』を三分の一ほど読んだところで、足元に黒猫がすり寄ってくる。


「福助、おいで」


 私は福助を抱き上げてしばらく毛皮の感触を楽しむことにした。


 窓辺で日向ぼっこをしていまからかな、福助の毛は暖かくて、お日様みたいないい匂いがする。


 うーん、フワフワのモコモコで可愛い!


 ゴポゴポという心地よい音と、コーヒーの香り。微かに流れるジャズ。落ち着いたトーンでまとめられた西洋風のインテリア。


 現実を忘れさせるような、だけれどどこか懐かしい気もする、落ち着く空間。


「はい、できたよ。今日のコーヒーはブラジル。ナッツやチョコレートみたいな甘い香りて、酸味と苦味のバランスの良い一杯だよ」


 沖さんがコーヒーを出してくれる。


「わあ、美味しい」


 相変わらず、優しくて、暖かくて、心に染み入る味。


 私、このお店が好きだ。


 だけど、沖さんが好きかどうかは分からない。


 まあ、好きとか嫌いとか関係なしに、もう婚約はしちゃったんだけど……。


 心の中がもやもやとする。


 何だか、沖さんと結婚するだなんて、まだ全然実感が湧かない。


 まあ、卒業までまだ時間はあるし、本当に結婚するとは限らないんだけどね。


 もし沖さんが女学生好きだとしたら、卒業までの間に、私以上に好みの女学生に出会って婚約を無かったことにされてしまう可能性だってあるし。


 カヨ子さんの言葉が頭の中に蘇ってくる。


 “分かったわ、千代さん。あなた、本当は理想が高いんでしょう”


 こんなに良くしてくれる沖さんとの結婚に戸惑っちゃうのは、私が高望みしてるからなのかしら。


 でも、沖さんが人間だったら悩むことは無いんだろうけど、相手はお稲荷様。何があるか分からないじゃない。


 戸籍はあるのかとか、沖さんは歳はとらないだろうから、私だけお婆ちゃんになっちゃうけどいいのかとか、子供は作れるんだろうかとか……。


「はあ」


 私は普通の相手と普通に結婚して、普通の幸せが欲しいだけなのに。


「あの、沖さん」


 私は何の気なしに口に出した。


「何?」


「そういえば沖さんって、子供とか作れるんですか?」


 私の言葉に、沖さんは飲んでいたコーヒーをブッと吹き出す。


「な、何だい、まだ婚約したばかりなのにもう子作りの話かい? まあ、千代さんがその気なら、僕は別に婚前交渉でも……」


「ち、違いますっ!」


 顔がかあっと熱くなる。

 何勘違いしてるのよ、この狐は!


 ……まあでも、そう言うってことはやっぱり子供は作れるってこと? 人間と狐なのに?


 ひょっとしたら神様だからその辺は関係ないのかな。


 うーん、分からない。沖さんって、謎だらけだわ!

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