第42話 狐の嫁入り
「あ、私も行ってきます!」
私も沖さんの後について席を立つ。
「沖さん、待ってください」
黙って先を歩いていく沖さんを慌てて追いかける。
「ああ、千代さん」
沖さんが振り返る。
「ごめんね、せっかくの結納なのに、僕、耐えられなくて」
「いえ」
私は首を横に振った。
「私は嬉しいです。沖さんがあんな風に言ってくれて……とても」
「千代さん」
「私、沖さんと結婚できてよかったです」
私、沖さんと結婚できてよかった。
心から、そう思った。
こんなにも、私を思ってくれる人と出会えるなんて――。
「千代さん」
すると沖さんが少し改まった口調で言った。
「今夜、部屋の窓を空けておいてください」
部屋の窓を開けておく……。
一体どうしたんだろう、部屋の窓を開けておけだなんて。
と、そこで私ははたと考えた。
もしかしてだけど沖さん――夜這いをするつもりじゃないでしょうね!?
全身が茹で上がったように熱くなる。
だ、駄目よ、沖さん。
私たち、まだ正式に結婚したわけでは……。
で、でも、夫婦になるのだし、沖さんがそうしたいって言うなら、断るのはおかしいのかな。
そうだ、一応、窓は開けておこう。
それで、沖さんが来たら式をあげるまで待つように伝えよう。うん、これでいこう!
***
そしてその日の夜。
私が窓を開けると――。
「わあっ!」
窓の外には、見たことのないほど大きくて黄色い満月が浮かんでいた。
「満月だあ!」
私がはしゃいでいると、上の方から声が聞こえてきた。
「綺麗だね、絶好の婚礼日和だ」
えっ!?
見上げると、屋根の上に、白い髪に白い耳、大きなしっぽを持つ、あやかしの姿の沖さんが屋根の上に座っていた。
「お、沖さん!?」
声を上げると、沖さんはふわりと窓際に舞い降りた。
「さ、行こうか」
大きな満月を背に、私へ手を伸ばす沖さん。
「行くって……どこへですか?」
「狐の婚礼さ」
狐の婚礼?
きょとんとしている私の腕をグッと引くと、沖さんは私の膝の下へ腕を回し、グッと抱きかかえた。
「飛ぶよ」
「えっ……ええっ、飛ぶって」
驚いている私をよそに、沖さんが地面を蹴る。
二人の体が、夜空にふわりと浮き上がった。
「わあ……!」
街の灯りが、あんなに遠くに見える!
「さあ行こう、二人の婚礼会場へ」
「婚礼会場って、どこへいくんですか?」
「それは着いてからのお楽しみさ」
とりあえ沖さんに身を任せる。
風を切ってたどり着いたのは、カフェー・ルノォル。
「えっ、ここで?」
「いや、ここじゃない。こっちだ」
沖さんに手を引かれ、裏庭にやってくる。
そこには、かつてあった神社の名残りの、赤い小さな鳥居と狐の像があった。
「見てごらん」
沖さんが指さす方向を見ると、鳥居の中が何やら虹色に光っている。
「婚礼会場へは、ここから行くんだ」
「ここから……」
「さ、行こう。狐の国へ」
私は沖さんに促され、不思議な鳥居をくぐった。
鳥居の向こうにあったのは、向こうの世界と同じようにまん丸で大きなお月さまと、狐の像が飾られた見覚えのある神社。
あれっ、この神社、もしかして私が小さい頃に見た……。
「おお、やっと来なすったか!」
私が神社をじっと見つめていると、狐の耳の生えた身なりのいい老夫婦がやってきた。
あっ、この二人は、沖さんの偽の両親の大塚さんご夫婦!
「さ、こっちに来て、準備するわよ」
大塚夫人が私の腕を引っ張る。
「準備って、何をするんですか!?」
私が驚いていると、大塚夫人はふふふ、と笑った。
「何って、着物とお化粧よ。花嫁さんがおめかししなくてどうするの」
大塚夫人に連れられ、神社の中へと向かう。
そこには、着物を着た数人の狐が白い着物を用意して待っていた。
「わあ素敵!」
「見とれている場合じゃないわよ、急いで用意しなきゃ」
大塚夫人に腕を引かれ、狐たちにあれよあれよという間に白無垢を着せられる。
「さ、次はお化粧よ、こっちに来て」
言われた通り座ると、パタパタと白粉を塗られる。眉を描いて、唇と目の際に紅。これだけなら、ただのお化粧なんだけど――。
「わあっ、ヒゲが描かれてる!」
鏡を見ると、両頬に赤いヒゲが三本づつ描かれている。
大塚夫人はふふふと笑う。
「その方が、狐っぽいでしょ?」
「た、確かに……」
そして最後に、二本の耳のついた角隠しを頭に被り、花嫁衣裳が完成した。
頬の髭に狐耳のついた角隠し。まさに、狐の婚礼って感じ!
「さ、こっちだよ」
ドキドキしながら建物の外へ出ると、黒の紋付羽織袴を着た沖さんが待っていた。
「おいで」
優しく笑って手を差し出す沖さん。
「……はい」
ゆっくりと沖さんの手を取って歩くと、そこには小さな石の祠があった。
「ここは?」
「僕の昔の奥さんのお墓。一応、報告しようと思ってね」
「昔の奥さんの――」
そういえばこの石、向こうの神社にもあったような。
私はいつかみた、真剣に神社に手を合わせる沖さんの姿を思い出した。
そっか。あれは前の奥さんに祈りを捧げてたんだ。
「伊予、色々あったけど、僕は今度こそこの人を幸せにするよ。もう二度と悲しい思いはさせない。一人にはしない。だから――祝福してくれるかい?」
沖さんが石碑に手を合わせる。
その瞬間、私に少し似た白い服の巫女さんの映像が頭に流れ込んできた。
彼女は嬉しそうに微笑むと、私に深々と頭を下げた。
私……前の奥さんに認められたのかな?
「さ、行こうか」
沖さんが私に手を差し伸べる。
今の、沖さんは見えていたのかな?
「はい」
私は沖さんの手を取った。
やってきたのは神社のすぐ裏にある月の綺麗に見える丘。
そこにはたくさんの狐たちが私たちを待っていた。
「花嫁だ!」
「綺麗!」
「めでたい、めでたい!」
そして、ちょっとした挨拶が終わると狐たちの宴会が始まった。
焚き火を囲んでお酒を飲んだり歌を歌ったり。
私たちは、心ゆくまで狐の婚礼を楽しんだ。
その後、私たちは人間界で普通の式も挙げたんだけど、正直なところ、狐の世界の婚礼のほうが記憶に残ってる。
だって、中々ない事だもの。本当に狐に嫁入りするだなんて!
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