第玖章 狐の嫁入り
第41話 狐の結納
いよいよ明日は結納の日。
あの後、私は沖さんから、私が眠っている間に起きたことについて聞かされた。
私の無意識の心が引き起こした事件についても。
結局、私は「呪われた令嬢」なんかじゃなかった。
呪いを引き起こしていたのは、他ならぬ私自身だった。
私の力でみんなを傷つけていたって知って、初めはとてもショックで、結婚はやめようかとも思った。
けど、沖さんが色々と説得してくれて――。
それで結局、私は自分の幸せを受け入れようって思った。
こんな私でも幸せになる事で、それが沖さんの幸せにもなるし、それにもう、私はあんな化け物を生み出したくない。
もう二度と心の闇につかまらないように、私は幸せになろうって決めた。
今すぐ自分を変えるのは難しいかもしれないけど、少なくとも、私は今、そのための道を一歩一歩歩き出してる。
明日の結納も、その一歩だ。
「あーでも、緊張するなあ」
私はカフェー・ルノォルのテーブル席に突っ伏し、大きなため息をついた。
今日はルノォルで働く予定が入っているわけじゃない。
だけどなんだか落ち着かなくて、ここのコーヒーを飲みに来たってわけなの。
「大丈夫だよ、別にそんな大したことじゃない」
沖さんがコーヒーを入れて持ってきてくれる。
「そうですか?」
「そうだよ。結納なんて、両親が互いに顔を合わせて、結納品や結納金を渡すだけじゃないか」
「そりゃそうですけど、両親が一緒ですし、粗相があったら大変じゃないですか」
と、そこまで言って私は気づいた。
「そういえば、沖さんの両親っているんですか?」
尋ねると、沖さんはふふと可笑しそうに笑った。
「ああ、その事なんだけどね、もうすぐ来ると思うよ」
もうすぐ来る? 来るってまさか、狐が?
私が疑問に思っていると、ドアのベルが鳴った。
「こんにちはー」
「ここ、沖さんのお店ですか?」
年配の男女の声に顔を上げる。
ドアのところに立っていたのは、上等な着物を着た五十代半ばくらいの夫婦だった。
「ああ、こんにちは、お久しぶりです」
夫婦に親しげに声をかける沖さん。
「沖さん、お知り合いですか?」
私が首を傾げていると、沖さんは改まった口調で紹介してくれる。
「ああ、紹介するよ。こちらが婚約者の千代さん」
「秋月千代です。よろしくお願いします」
この人たち誰だろう、と思いつつ頭を下げる。
「あらまあ、可愛らしい」
「ほお、こちらが噂の」
朗らかな笑顔で笑う二人。
「そしてこちらが、僕の両親役の
「よ、よろしくお願いいたします」
そっかあ、両親……役って? ん?
私がキョトンとしていると、沖さんは苦笑する。
「天涯孤独よりも両親がいた方が千代さんのご両親の心象も良いかと思って用意したんだ」
ってことは……。
「この方たち、沖さんの偽のご両親ってことですか?」
「うん、そうだよ。お金を積んで雇ったんだ」
ええーっ!
「だ、大丈夫ですか? そんな事してバレませんか?」
私が恐る恐る尋ねると、沖さんの偽のお父さんが胸を張った。
「大丈夫さ。戸籍から何から全部偽造したから、興信所を雇われたって見破れやしないさ」
そういうものなの……?
まあ、うちの両親は、私には早く嫁に行ってほしいだろうから、そこまで調べないとは思うけどさ。
私は沖さんの耳元でこっそりと尋ねた。
「ちなみに、この方たち、沖さんが狐だってことは……」
「ああ、その点については大丈夫。この人たちも狐だから」
「ええっ、そうなんですか!?」
うひゃあ、全然見えない!
「まあ、その人たちは人間社会に完全に溶け込んでるからね。言ってみれば僕の大先輩。色々お世話になっているからね」
狐の夫人がホホホと笑う。
「まあ、大先輩だなんて、神の御使いが何をおっしゃいます」
「そうですよ。沖さんは私らただの妖狐と違って神格持ちじゃないですか」
よく分からないけど、どうやら沖さんは狐の世界では結構凄いほうみたい。
「ま、とにかく、結納の日は、この方たちが僕の両親の代わりをするからよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
私は大塚さん夫婦にぺこりと頭を下げた。
「ええ、ここは俺たちにドーンと全部任せておきな」
「そんな事言って、あんた昔、酒の席で尻尾を出して正体がバレそうになった事あったじゃないか。くれぐれも、酒だけは用心するんだよ」
「大丈夫さ。酒さえ飲まなければ問題ない!」
狐の夫婦のやり取りに一抹の不安を覚える。
大丈夫……だよね?
とにかく、明日の結納、頑張らなくちゃ。
***
そしていよいよ結納の日。
結納が行われるのは、近所にある高級料亭。
慣れない場所に、慣れない振袖。おまけに隣に両親がいるとなると、余計に緊張してしまう。
ガチガチになりながら、通された席に移動すると、程なくして沖さんたちも現れた。
「お待たせしました」
いつもよりちょっと良いスーツを着た沖さんはいつもと変わらないにこやかな笑顔。
この人って、緊張とかしないのかな?
やっぱり、千年以上生きてるから踏んだ場数が違うのかな。
「いえいえ、我々もいまさっき着いたばかりで。ささ、こちらへどうぞ」
お父様が、にこやかに沖さんのご両親に対応する。……偽物だけどね。
それにしても――。
チラリと沖さんの偽の両親を見る。
この間見た時は、親しみやすいご両親って感じだったけど、今日は髪をきちんとまとめ、上等な着物を身にまとった姿で、かなりお金のある上流階級の老夫婦に見える。
やっぱり狐だけあって化けるのが上手いのかな。
やがて両家の挨拶や結納品の取り交わしが終わり、食事会が始まった。
「いやあ、さすがは華族ですなあ。このような格式あるお店を知っているとは。うちではとても真似できない」
沖さんの偽お父様が誉めそやすと、うちのお父様は鼻高々といった様子で笑った。
「いやあ、結納だから見栄を張っているだけですよ。華族とは言っても、うちは貧乏華族でね」
「またまたあ」
「そちらこそ、今日のお召し物も素晴らしいですし、相当な資産家とお聞きましたよ」
「いえいえ、とんでもない。うちはお金はあるけれど、実家はしがない武家の出でして……」
二人の話を聞き、なるほど、そういう設定にしたのね、なんてことをぼんやりと思っていると、急にお父様が私の話を振ってきた。
「それにしても、常春くんもよくもまあ、うちのこんな娘をもらう気になりましたなあ」
お父様の物言いに、沖さんはピクリと反応したものの、すぐに顔に笑顔を貼り付けた。
「……いえいえ、こちらこそ、僕には勿体ないくらいの素敵なお嬢さんで」
「ねえ、こんなに可愛らしくて気立てのよい娘を見つけてきて、私、びっくりしておりますのよ」
「ええ、若くて美人だし、素晴らしいお嬢さんだ」
沖さんの偽の両親も慌てて取りなす。
だけど、お父様は止まらない。
「うちの娘は、気も利かないし、裁縫や料理が上手い訳でもないし、血が繋がらないにも関わらずここまで育ててくれた母親に感謝の一つもなくて反抗的で、一体誰に似たのか……」
と、お父様がそこまで話した所で、急に沖さんが立ち上がった。
――ガタン。
「そんなことありません!」
私と沖さんの両親は、ハッと言葉を止め、沖さんを見つめる。
「千代さんはとてもいい人ですよ。少なくとも、僕にとってはね」
沖さんは、みんなに見つめられ、我に返るといつもの笑顔に戻った。
「すみません、ちょっと御手洗に行ってきますね」
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