第捌章 浅草の茨姫(side沖)

第38話 千代さんの眠り

 結納を二日後に控えたある日、千代さんが眠ったまま目を覚まさないと、ご両親から連絡が入った。


「それは本当ですか?」


 僕が尋ねると、千代さんのご両親も首を横に振る。


「ええ、そうなのよ。三日前からずっと」

「一体どういうことやら」


 一体どういうことだろう。

 ひょっとして、何かの怪異だろうか?


「とりあえず、千代さんの様子を見ても良いですか?」


「ええ、どうぞ」


 僕は、千代さんの部屋に案内された。


 千代さんの部屋は、木でできた机に教科書や鉛筆が転がっている他は飾り気もなく、華族令嬢とは思えないほど質素な部屋だった。


 そんな部屋の真ん中に、赤い布団をかけて眠り姫のように千代さんは眠っている。


「医者にも見せたのだが、原因は分からないと」


 首を振る父親。

 だが僕には原因はすぐに分かった。


 千代さんの体を覆う黒いもの。これは……いばら


 触ろうとすると、ちくりと指が痛んだ。


 なるほど。これは、あの黒百合の怪異に似てはいるが、全然別物だ。


 ひょっとしたらあれよりも厄介かもしれない。


「そうですか……あの、しばらく二人っきりにしてもらえますか?」


 僕が提案すると、ご両親は顔を見合わせてうなずき、部屋から出ていった。


「さてと」


 僕は、真っ黒な茨に覆われて眠る眠り姫を見つめた。


「まずは、君の夢の中を見させてもらうね」


 千代さんの手を握り、目をつぶると、僕は千代さんの夢の中へと潜入した。


 ***


 たどり着いたのは、どうやら和室のようだ。


 僕はそこの天井に、まるで幽霊みたいに漂っている。


 そこには一組の夫婦と三歳ぐらいの女の子がいた。


「千代は凄いなあ。まだ三つなのにこんなに上手に絵を描くのか」


「えへへ、ありがとう」


 若い男に撫でられて嬉しそうにする少女。その顔には僕の知っている女性の面影があった。


 そうか、この夫婦が千代さんのご両親か。

 そしてこの女の子が千代さん。


 とすると、これは千代さんの記憶の中なのだろうか。


 優しくて、ぽかぽかと春の日差しのように暖かい記憶。


 千代さんの家庭環境はあまり良いものでは無かったと聞いていたけれど、この頃は幸せだったのだろう。


 僕はじっと女の子を見て微笑んだ。

 すると女の子もこちらを見て微かに微笑んだような気がした。


 すると不意に、千代さんのお母さんがこちらを見て不思議そうな顔をしたような気がした。


 そうか、この人は視える人だったな。


 千代さんに似た、一見優しげだけど意志の強い目を持つ美しい女性だ。


 と、次の瞬間、僕の意識は何かに引っ張られるかのように次の場所へ移動した。


 何だ何だ。次はどこへ行くんだ!?


 次にやってきたのは、銀座の街。

 先ほどより少し大きい、四歳ほどの千代さんが、お母さんと手を繋いで歩いている。


 千代さんは、お母さんとお出かけできて嬉しそうだ。


 僕は跳ねるように歩く千代さんを見て微笑ましく思うけど、その後すぐに、お母さんが険しい顔をして足を止めた。


「お母様?」


 千代さんが不思議そうな顔でお母さんを見上げる。


 お母さんは険しい顔のまま、前方を見つめている。


 お母さんの視線の先には、女の人と親しげに腕を組んで歩く、千代さんのお父さんの姿があった。


 僕の意識は、そこで次の場面に飛ばされる。


 お父さんとお母さんが口論し、お母さんがすすり泣く夜。


 千代さんは泣き続けるお母さんの姿を、障子の隙間からじっと見ている。


 そしてお母さんは、怪しげな宗教にのめり込み始める。


「お母様……何を飾っているの?」


 お母さんの部屋が異様な雰囲気になっていることに気づいた千代さんが尋ねる。


「これ? お目目様よ」


 お母さんが飾っていたのは、見覚えのある目のマーク。


「お目目様は全てを見通せる力を持っているの。お目目様は私たちの世界から超越したところにいらっしゃるから」


「お目目……様?」


「そう。私たちも、いずれお目目様と一体化するの」


 お母さんは、力ない笑顔で笑う。


「そこには、痛みも苦しみも悲しみもない。暖かなまどろみが待っているとお目目様は言っていたわ」


 そして場面は飛ぶ。


「おはようございます、お父様」


 千代さんが朝起きると、父親が新聞を読みながら渋い顔をしている。


 新聞の見出しには「新興宗教の教団による犯行か? 汽車内で火災と殺傷事件が起き抜七人死傷」という文字が踊っている。


「お父様?」


「ああ、おはよう、千代」


 お父さんは、渋い顔のまま顔を上げる。


「千代、お母さんは? 一緒に寝なかったのか?」


「昨日は私は一人で寝ました」


「そうか。母さんだが、起きるのが妙に遅いと思ってな。起こしてきてくれないか?」


「はい、お父様」


 千代さんはなんの疑いも持たず、母親の部屋へと向かう。


 長い廊下を、これから起こることなんてこれっぽっちも知らず、踊るような足取りで歩いていく。


「お母様。お母様ーっ?」


 そしてついに、幼い千代さんは母親の部屋のふすまに手をかけた。


「やめろ、やめるんだ!」


 これから起こることを知っている僕は声を上げた。だけどその声は当たり前だけど、千代さんには届かない。


「お母様、開けますよ」


 そしてそこで千代さんが見たのは、和室の鴨居かもいに紐をくくり、首を吊った母親の遺体だった。


 *


 そこからまた、僕の意識は別の場所に飛ばされた。


 灰色の空、吹きすさぶ風。目の前には、黒い茨で覆われた丘と、赤いレンガ造りの塔があった。


「浅草十二階?」


 思わず口に出す。


 目の前にある建物は、浅草にある凌雲閣そっくりだった。


 凌雲閣と違うのは、浅草ではなく荒れ果てた原野にあるということと、鉄格子のような黒い茨に覆われていること。


「ここは……千代さんの深層心理の中なのかな」


 となると、千代さんがいるのはあの偽物の十二階の中か。


 さしずめ僕は、お姫様を助けに行く王子様ってわけか。やれやれ。


 僕はとりあえず目の前の塔に向かおうとした。だけど――。


 ――ひゅん。


 先程まで鉄格子のようだった黒い茨がムチのようにしなって僕の方へと飛んできた。


「おおっと」


 後ろへ飛んで茨を躱すと、ついさっきまで僕のいた地面には、大きくえぐり取られるような穴が開いた。


「なるほどね、お姫様を守っているというわけか」


 ――ヒュン!


 と、今度は茨のムチが頬をかすめる。


 つうっと一筋、頬に血が伝った。


「うーん、当たると結構痛いな」


 僕は頬についた血を拭う。


「これは、結構苦労しそうだな」


 僕は目の前の十二階を見つめ、ペロリと舌なめずりをした。


「上等じゃないか」


 こうなったら、意地でもあそこに辿り着いてやろうじゃないか。

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