第37話 破魔の矢

「なるほどね、分かったよ」


 沖さんに抱きかかえられ、スタリと音もなく屋根の上から降りる。


「それでは、お願いします」


 野本さんから破魔の矢を渡される。白木でできた、思っていたよりも華奢な弓だ。


 こんな小さな弓で、本当にあの化け物を倒せるのだろうか。


「打ち方はこうです。頼みますよ」


 私は野本さんに言われた通り、弓を構えた。


 緊張で弓が震える。だけど、やるしかない。


 私はすぅと息を吸い込んだ。


「それでは、いきます」


 私は気合いを入れると、ぎりりと後ろに矢を引いた。


 ドクンドクン。


 心臓の音がうるさい。


 集中しないと。


 と、次の瞬間、目玉の化け物がこちらを向いた。


「今だ」


 沖さんの声。


 私は反射的に手を放した。


「破魔の矢!」


 かけ声とともに、想像よりも上方へ矢は飛んでいく。


 まずい、失敗した――そう思った瞬間、矢はくるりと方向を変えた。


 向かった先は、化け物の目玉のど真ん中。


 私は声の限り叫んだ。


「行けええええええええっ!!」


 矢が目玉に突き刺さり、炎が吹き出る。


「止まった!」

「お目目様の動きが止まったぞ!」


 沖さんが微笑む。


「千代さん、さすがだ」


「――いえ。でも、まだあいつ、生きてます」


 私がもがき苦しむ化け物を指さすと、沖さんはニヤリと笑った。


「それは大丈夫。ここからは、僕が片をつけよう」


 チリン。


「にゃあお」


 すると、足元にちょうど良く福助がやってきた。


「福助!」


 沖さんの足元にすり寄ってきた福助の背中には何やら紫の包みが背負われている。


「ありがとう。頼んでいたものを持ってきたみたいだね」


 沖さんは福助から包みを受け取ると、パラリと布が落ち、赤銅色の刀が現れた。


 あっ。この刀、レコーディングスタジオの時の――。


 沖さんは刀に手をかざす。


「――緋刀ひとう焔狐えんこ


 言葉と共に、刀は灼熱の炎を纏う。


 赤く赤く、燃え盛る焔。


 それと同時に、沖さんの姿が変わる。


 真白く長い髪に、銀色の耳とふさふさの尻尾。金色の目が、獣のように怪しく光る。


 妖狐の姿になった沖さんは、月夜に舞うかのように刀を振り下ろした。


「せやっ」


 目玉の化け物が真っ二つになり、炎に包まれる。


「ぎゃあああああああ!!」


 世にもおぞましい声を上げる化け物。


 最後の足掻きをするかのように、触手が二度三度蠢く。


 腐肉の焼けるような臭いが鼻をつんざく。


 それと同時に、バァンと門を破る音がして、十人ほどの警官たちが屋敷の中になだれこんで来た。


「警察だ!」

「動くな!」


 入ってきた警察たちは、お目目様を見て驚愕の表情を浮かべる。


「な、何だこいつは」

「化け物だ!」

「撃て、撃てーっ!」


 警官たちも、次々と銃を目玉の怪物に撃ちこむ。


 やがて、怪物は黒いすすとなり、きらきらと天へと登っていった。


「ああ……!」

「お目目様が!」


 信者たちが次々に叫ぶ。


「……終わった」


 野本さんは天を仰ぎ、ぺたりとその場に座りこんだのだった。


 ***


 その後、教団の土地からは多数の人骨が見つかった。


 どうやら、教団が夏至の祭りの時に生贄として捧げていた人たちのものらしい。


 教団は解体され、伊丹さんも無事にお母さんのところに戻ってきた……と思いきや。


「どうやら伊丹さんの息子さん、今度は別の宗教にのめりこんでいるらしいですよ」


 ライスカレーを食べながら、國仲さんが教えてくれる。


「やれやれ、人間というのは愚かだねぇ」


 沖さんが首を横に振る。


 私は何だかちょっぴり悲しい気持ちになって。


 人間の心は弱くもろい。


 だから、そう簡単には変われないのかもしれない。


 きっと、私も――。


「そうですか」


 私は手元のコーヒーに視線を落とした。


 黒いコーヒーに、白いミルクがグルグルと渦を巻いて溶けていく。


「あ、そう言えば」


 國仲さんが話題を変える。


「お二人、もうすぐ結納をすませるんでしたっけ? おめでとうございます」


 沖さんはにこやかに私の肩を組む。


「ありがとう。ようやく千代さんと結婚できるよ」


「……ですね」


 私は大きなため息をついた。


「どうしたんですか、千代さん」


 私は慌てて笑顔を作った。


「あ、いえ、ただ単にちょっぴり不安で。本当に私がきちんとしたお嫁さんになれるのか、自信がなくて」


「マリッジ・ブルーってやつかな」


 沖さんはそうつぶやくと、私の背中をバンバン叩いた。


「でも大丈夫、困ったことや心配な事があったらなんでも僕に言ってね。僕たち、夫婦なんだからさ!」


「……ありがとうございます」


 私は苦笑して、そして視線を落とした。


 沖さんは優しい。


 だけど、すごく優しい沖さんと結婚できるのに、こんなにも不安になってしまうのはなぜだろう。


「……って、あれ?」


 今、一瞬……窓の外に黒い何か、犬か狼みたいなものが見えたような?


 でも目を擦り、何度窓の外を見てもそこには何もいない。


 ……気のせいかな。


 でも何だか、心がザワザワする。


 今まで、私の婚約者には次々と不幸が起こってきた。


 だから沖さんの身にも何か悪いことが起きるんじゃないかって、不安でたまらない。


 私に取り憑いていた悪いものは、もう沖さんが退治したんだから、もう何も起こらないはずなのに。


 私は窓の外、北風に揺れる木々をじっと見つめた。


 気のせいだよね。


 大丈夫……だよね?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る