第36話 お目目様
しばらくして、複数の足音がしてきた。
「誰か来るぞ」
私たちはいつでも縄を解けるよう緩く縛ると、目をつぶり寝たフリをした。
「いたいた。こいつらが今回の贄だな」
「さっさと運ぼうぜ」
しばらくして、私たち三人は座敷牢から連れ出された。
薄目を開けてみると、外はいつの間にか真っ暗になっていて、目の前にはかがり火が赤々と燃えている。
いよいよ年またぎの儀とやらが始まるらしい。
「それでは、姫巫女様の登場です!」
野本さんの声と共に、姫巫女様が現れる。
姫巫女は、しゃんしゃんと鈴たくさんついた棒を振り、祝詞を唱えた。
「――贄をここに! お目目様!」
姫巫女様の声に呼応するように、信者たちも声を揃えて叫んだ。
「お目目様ーっ!!」
ぎぃ鈍い音がして蔵の戸が開く。
途端、 むせ返るような、あの嫌な気配が勢いよく流れ込んできた。
恐る恐る目を開けるとそこに居たのは――。
闇に蠢く巨大なひとつの眼。
そしてそこから無数の触手が生えた、今までに見た事も無いような化け物だった。
「なっ……」
こいつがお目目様!?
私が絶句していると、加藤さんが腕の縄を解き、金切り声で叫ぶ。
「な、何だこの化け物は!」
その声に、周りにいた信者たちが狼狽える。
「な、なんだお前、起きていたのか!」
私と沖さんも慌てて寝たふりをやめて縄を解く。
「あーあ、バレちゃったか」
「き、貴様らまで!」
完全に目を覚ましている私たち三人を見て、野本さんが顔色を変える。
「そいつらを逃がすな! 贄が居なくなったら大変だ!」
「は、はいっ!」
私たちを捕まえようとする信徒たち。
「――ちょっと我慢しててね」
沖さんはひょいと私の体を抱きかかえたかと思うと、こう囁いた。
「飛ぶよ」
飛ぶ? 飛ぶって――。
そう思うまもなく、沖さんは私の体を抱えてジャンプしたかと思うと、屋根の上に音もなく着地した。
「うひゃあああ! 空、飛んで……!」
「大丈夫だよ」
満月を背に、沖さんの目が妖しい金色に光る。
すごいっ、さすが狐の神様!
「な、何者だ貴様ら! まさか
一瞬にして屋根に飛び移った私と沖さんに慌てる信者たち。
沖さんは蛇のように目を細めた。
「いやいやまさかあ」
沖さんの声が低くなる。
「妖怪変化はそれのほうでしょ」
沖さんが指さした蔵の方からは、紫色の触手が、蜘蛛の足のように蠢いている。
「貴様、お目目様に向かって何を!」
「だってさあ、そいつがどんな力を授けるかは分からないけど、今どき生贄を要求するだなんて、ろくなもんじゃないでしょ」
「うるさい、貴様に何が分かる!」
野本さんが叫ぶ。
そこへ、信者たちが駆け寄ってきた。
「野本さん、まずいですよ」
「贄が居なくなったので、お目目様がお怒りです」
「……何っ!?」
見ると、お目目様は紫の触手をうねうねと動かし、蔵の中から這い出てくる。
しかも触手が触れた土蔵はまるで泥のように崩れ落ちていくではないか。
「うーん、どうやらあの触手に触れたらまずいみたいだね」
沖さんがのんきに腕組みする。
「ど、どうするんです? あんな化け物!」
「どうするって、とりあえず倒すかどこかに封印するしかないねぇ」
ぺろりと舌なめずりする沖さん。
だけど、あんな化け物を倒すだなんてどうするの!?
沖さんはいつものようにお札を取り出した。
「狐火!」
沖さんが投げつけたお札は、触手のうちの一本に命中した。紫色の触手が燃え上がる。
「やった!」
「――いや、あれを見て」
沖さんが指さす方向を見ると、黒焦げになったはずの触手がまた再生しているところだった。
「そう、再生してる!」
「うーん、やっぱりあんなんじゃ駄目か」
沖さんが笑いながら頭をかく。
笑ってる場合!?
「姫巫女様はどこだ?」
「姫巫女さま!」
「そうだ! 姫巫女様の弓さえあれば!」
「誰か、破魔の弓を持ってこい!」
信者たちが騒ぎだす。
「破魔の矢?」
私が首を傾げると野本さんが教えてくれる。
「いざとなった時に、お目目様の動きを止めることができるという矢ですよ。巫女にしか扱えないとされていますが……」
野本さんは横に立っている姫巫女様をチラリと見た。
姫巫女様は、いつもの神聖な雰囲気はどこへやら、青くなって下を向いている。
あれ? まさか、この人……。
すると、信者のうちの一人が長い弓を持って走ってきた。
「姫巫女様、弓を持ってきました!」
「早く何とかしてください! このままでは……」
だけど姫巫女様は、下を向いたまま弓矢を受け取ろうとしない。
「姫巫女様!」
「どうなさったんですか、早く!」
すると見かねた野本さんが口を開いた。
「無駄だよ、この人には巫女の力なんて無いんだから」
野本さんの言葉に、辺りは一瞬静まり返る。
「えっ」
「どういうことだ」
「じゃあ、あの千里眼は?」
沖さんが、ふうと息を吐く。
「本当に千里眼を持っているのは、野本さん、あなたですよね?」
沖さんの声に、野本さんはうなずく。
「そうです。皆さんの相談内容は、事前に私が千里眼で読んで伝えていました。この女は、亡くなった御法川が美しいという理由だけで養子に迎えたただの女。中年男の私よりも若くて美しい女性の方が信徒を集められると思ったのでね」
信者たちから悲鳴にも似た声が上がる。
「そんな、嘘だ!」
「じゃあ、あんたが矢を打てば良いじゃないか」
「そうだそうだ!」
野本さんが首を横に振る。
「駄目なんだ。それは巫女でなくては扱えない。一度好奇心から矢をつがえてみようとしたけれど、駄目だった。女でないと駄目なんだ」
「そんな……」
その間にも、お目目様は周囲の壁を壊し、こちらへ迫ってくる。
私は意を決し、手を挙げた。
「あの、それ、私が打ってみます!」
私のお母さんは、教団の元姫巫女だった。
その血を受け継ぐ私なら、もしかして!
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