第35話 年またぎの儀

「大丈夫? お手洗いの場所、分かる?」


 私の後をついて外に出てきた沖さん。私は首を横に振った。


「いえ……ただここは、何だか空気が澱んでて、外に出たかったので」


 私が答えると、沖さんはうなずいた。


「そう。僕も感じる。ここには何か良くないものがいるね」


 と、沖さんは軽い口調で言ったあとで、急に真面目な顔になった。


「……それも、かなり力の強いのがね」


 えっ。


「そ、それって、あやかしや怪異がいるってことですか?」


「うん。場合によっては――」


 ザワリ。と乾いた風で木々が揺れる。

 沖さんの声が低く響いた。


「神かもね」


 神……?


 何とも言えない、心の中にザラリとしたものが絡みつく。


「千代ちゃん、ここだね」


 と、突然沖さんが足を止める。

 そこは、黒塗りの壁に御札をベタベタと貼った土蔵だった。


 ビリビリと電気が走るような凄まじい寒気を感じる。


「お、沖さん……ここには何がいるんですか?」


 沖さんは真剣な顔でじっと蔵を見つめる。


「分からない。だけど、すごく力が強いね。おそらく神格持ちだろう」


「神格――」


 それって神様ってこと?

 大丈夫なの? そんなの相手にして!


「お前たち、ここで何をしている!」


 私たちが土蔵を見つめていると、信者の男性が血相を変えてこちらへ走ってきた。


「すみません、お手洗いに行こうとしたのですが、迷ってしまって」


 しれっと答える沖さんの腕を、男は強引に引っ張った。


「ここは関係者以外立ち入り禁止だ」


「すみません、知らなくて……あの、ここには一体、何があるんですか?」


「ひょっとして、御神体ってやつかな」


 沖さんの言葉に、男はサッと顔色を変える。どうやら当たりみたい。


「……貴様らには関係ないことだ。早く部屋に戻れ」


「は、はい」


 私たちはそそくさと部屋に戻った。


「あっ、おかえりー」


 明るく出迎える加藤さん。

 その手元には、おにぎりとお味噌汁、お漬物があった。


「あれっ、加藤さん、それどうしたんですか?」


「野本さんが持ってきてくれたんだよ。お昼のご飯にって。ちょうど腹が減ってたから助かる! あんたらの分もあるぜ」


 そっか。もうお昼時なんだ。


 私は目の前に置かれたおにぎりを見て、ゴクリと唾を飲み込んだ。


「それじゃあ、私たちも食べましょうか」


「そうだね」


 私はおにぎりを一口かじり、お味噌汁を飲んだ。


 はあ、良いお出汁が出てる。ホッとするなあ。


 だけど隣に座っていた沖さんは、味噌汁の匂いをクンクンと嗅ぐと、私の手を掴んだ。


「……千代さん、この味噌汁。飲んでは駄目だ」


「ええっ、もう飲んじゃいましたけど!?」


 そう返事をした瞬間、頭がぐらりと揺れる。


 何これ。頭の中に白いモヤがかかっているみたい。周りの景色が、ぐわんぐわんと揺れて気持ち悪い。


 これってまさか……毒!?


 必死に目を覚まそうでしたけど、まぶたが重くて、目を開けていられない。


「千代さん……千代さんっ!」


 沖さんの声が遠くなっていく。

 そうして私の意識は真っ暗な闇に閉ざされた。



 遠い意識の中、男たちの声が聞こえた。


「こいつらか? 今年の“にえ”は」

「ああ。“お目目様”もこれで満足してくださるだろう」

「でも、たった三人で大丈夫なのか?」

「姫巫女さまによると、こいつらはとんでもなく気が強いらしいぜ」

「へえ、見かけによらねぇな」


 まどろみのような、ぼんやりとした意識の中で考える。


 贄……。


 それって、私たちが生贄になるってこと!?


 お目目様って何?


 そんなことを考えていると、私の体がどこか畳の床の上に転がされた。


「それではまた、儀式の時に」


 聞きなれた声。野本さんだ。


 ニヤニヤと笑う野本さんの姿を見て、背筋がゾッと凍る。


 野本さん、優しかったけど、今思えば最初から私たちを生贄にするつもりだったんだ。


 野本さんは私たちに一礼して、その場を去っていった。


 私は恐る恐る目を開け、辺りを見回した。


 中は暗くてかなり湿気が高い。


 人一人やっと入れるほどの狭い出入口には、鉄格子がはまっている。


 なんだろう、ここ。座敷牢みたい。


 それに手が縄のようなものできつく縛られていて、身動きがとれない。


 横を見ると、加藤さんも縄で両手を縛られて倒れている。


 ……ってあれっ、沖さんは?


 私が振り返ると、同じく縄で腕を縛られた沖さんがニコリと笑った。


「良かった。無事だったんだね」


「はい。沖さんも、平気ですか?」


「僕はあの味噌汁、ほとんど飲んでないからね。何か変な匂いがしてさ」


「そうだったんですね。私、全然分からなかったです。沖さん、すごい」


「人間にはよく分からないだろうけど、僕らは鼻が利くからね」


 そう言うと、沖さんはポンという音とともに狐の姿に戻った。


 沖さんを縛っていた縄が、パサリと床に落ちる。


「さて、千代さんの縄も解かないとね」


「ありがとうございます」


 沖さんが私の縄を解き、加藤さんのそばにしゃがみこむ。


「加藤さん、あのお味噌汁を全部飲んでいましたけど大丈夫でしょうか」


 沖さんは加藤さんの鼻と口に手を当てた。


「とりあえず息はしてるね。眠っているだけみたいだ」


 そう言うと、沖さんは加藤さんの頬を思いっきり平手打ちした。


「お、沖さん!?」


「起きないね。もう一度」


 沖さんが加藤さんの顔をもう数往復平手打ちすると、加藤さんはやっとこさ目を覚ました。


「……ん」


「ああ、目が覚めました?」


 沖さんは、まるで平手打ちなんてしていないかのような優しい声で語りかける。


「う、うーん、ここは……」


「どうやら座敷牢みたいですよ」


 私が鉄格子を指さすと、加藤さんは目玉を落とさんばかりに目をひん剥いた。


「座敷牢!?」


 加藤さんは真っ赤な顔で縛られた両手を見た。


「あんにゃろー! 何だこりゃ!」


「なんか、生贄にするとか言ってましたけど」


「生贄ぇ!? そんな事までしてんのかよ、ここの奴ら!」


「動かないでください、今、縄を解きますから」


 沖さんが加藤さんの縄を解く。


「ありがとよ。これで安心して取材ができるってもんだ」


 笑う加藤さん。


「えっと、加藤さんは逃げないんですか?」


 私が尋ねると、加藤さんは声を荒らげた。


「当たり前だ。ここで逃げるなんて、記者としての名が廃る!」


 ええっ、逃げたほうがいいと思うけどなあ。


「とりあえず、いざとなったらすぐに逃げられるように縄を緩めておいて、儀式をこの目で見てやろうと思う。あんたらは?」


「僕らはどうする? 千代さん」


 沖さんが私の顔を見る。


 私は――。


 私は少し考えてから答えた。


「……そうですね。とりあえず、私たちも、まだ伊丹さんに会っていませんし、伊丹さんを探さないと」


「本当にいいの?」


「ええ、一度引き受けたことですから」


 それに、この教団は私の母に関係のある教団だ。


 このままにはしてはいけない。


 私や母のような、不幸な人を増やさないためにも、何とかしてこの教団の罪を暴かないと!


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