第3話 カフェー・ルノオル
そんなわけで、私は次の休みに、おぼろげな記憶を頼りに、昔迷いこんだ神社を探してみることにした。
休日の浅草は、小さな頃と変わらぬ賑わい。
色とりどりの
だけど今日、ここにやってきたのは買い物をするためでも、興行を見るためでもない。
「よしっ、探すわよ!」
私はかけ声とともに、浅草の地図を勢いよく広げた。
ここには浅草の近くにある全ての神社が記されている。
この地図を頼りに歩けば、昔行ったあの神社にもたどり着けるだろう。
「よしっ、まず初めはこの神社ね」
とりあえず、近くにある神社に入ってみる。
「わあ、綺麗で静かな神社」
だけれど、記憶の神社とは全然違う。鳥居は赤くないし、狐の像もない。
「はずれだわ。次はどうかしら」
だけど、もうひとつの神社も記憶にあるあの神社とは全然違う。
「だめ、見つからない」
その後も、私はいくつかの神社に行ってみたんだけど、何も収穫はなく――。
数時間後、私はヘトヘトにくたびれてその場に座りこんだ。
知らなかった。浅草って、思っていたより広いみたい。
それに、地図を頼りに歩いては見たけれど、やっぱりあの神社は見当たらない。
あるのは、あの神社よりも大きかったり、小さかったり、鳥居の形や建物の形の違う神社ばかり。
あの神社、相当古かったし、ひょっとして取り壊されちゃったのかな。
はあ、もう帰ろうかな。
私が諦めて帰ろうとしたその時、目の端に何か黒いものが映った。
「ん?」
にゃあお。
よく見てみると、それは黒い猫だった。
足の先からお腹、ヒゲまで真っ黒な毛に、金色の瞳がまん丸で可愛らしい。
「野良猫かな? おいでおいで」
舌を鳴らしてみたけれど、猫は、チラリと私の顔を見ると、ついて来いとばかりにどこかへ歩いていく。
あれっ、この猫、私をどこかに連れて行こうとしてる?
もしかして、あの神社へと案内してくれるんだったりして。
私は胸を踊らせながら猫の後を追った。
猫が導く運命の人――なんて、今流行りの少女小説にありそうじゃない?
「にゃあご」
猫の後を追って少しの間歩くと、ふと猫が足を止め座りこんだ。
「ここ?」
私は猫の喉を撫でると顔を上げた。
そこにあったのは、神社――ではなく「カフェー・ルノオル」と書かれた、赤いレンガ造りのハイカラなカフェーだった。
「カフェーかぁ」
そうよね、猫が神社に案内してくれるだなんて、そんなに都合のいいことがあるわけないわよね。
少しガッカリしながらも、私はしげしげと目の前のカフェーを見つめた。
窓には、コーヒー、紅茶、ソーダ水といった飲み物の他に、ライスカレー、オムレツ、ビフテキなんていうハイカラでいかにも美味しそうな料理名が貼られている。
今、帝都では、コーヒーの飲めるカフェーが大流行り。
紳士の社交場として、有名な文学者や芸術家、雑誌の記者なんかもこぞってカフェーに繰り出しているの。
私としては、コーヒーを飲んだりカフェーに行ったりするのって、大人の遊びって感じで、ちょっぴり敷居が高いと思ってたんだけれど――。
ゴクリと喉が鳴る。
そういえば、歩き疲れたせいで喉がカラカラ。
そんなに高くもなさそうだし、勇気を出して入ってみようかな。
私は恐る恐る、カフェー・ルノオルのドアを押した。
「営業中」のお洒落なプレートがかかったドアを押し開けると、カランコロンとベルの音が鳴る。
「いらっしゃいませ」
出迎えてくれたのは、白いシャツに黒のエプロンを身につけた背が高い若い男性。
他に従業員らしき人はいないから、この人がこの店のマスターだろうか。
切れ長の目で色白で、凄く綺麗な顔をしている。
「おや、
マスターは、私の足元にいた黒い猫に目を止める。
どうやら黒い猫は「福助」と言うらしい。
「なるほど、珍しくお客さんが来たと思ったら、福助に案内して貰ったんだね」
マスターはクスクスと笑う。
「猫が案内?」
私が首を傾げていると、マスターはしれっとした顔で答えた。
「ああ、この店、少し分かりにくい場所にあって、普通ではたどり着けないんだよね。だからこうして時折、福助が案内してくれるんだ。カフェーを必要としている人をね」
「カフェーを必要と?」
私の問いには答えず、マスターは私をカウンター席に案内してくれた。
「ええっと、ブレンドコーヒーを一つお願いします」
「はい、少々お待ちください」
とりあえず、メニューの一番上に書かれていたブレンドコーヒーを頼むと、私はソワソワしながら店内を見回した。
薄暗い店内には、低くジャズのレコードがかかっていて、窓のステンドグラスからはきらきらとお日様の光が差し込んでいる。
なんだか落ち着くなあ、ここ。こういう所で読書をしたら素敵な気分になれそう。
しばらくして、注文したブレンドコーヒーが運ばれてきた。
「美味しい」
思わず声を漏らす。
あっさりとしていて、コーヒー初心者の私にも飲みやすい。
でも香りやコクはしっかりとあって、疲れた体に染み渡るような美味しさだ。
「これはグアテマラをベースにしたブレンドコーヒーコーヒーだよ。穏やかな甘みがあって、苦味と酸味のバランスがちょうど良いでしょう?」
マスターが教えてくれる。
「そうなんですね。美味しいです」
私、こんなに美味しいコーヒーを飲んだの初めてかも。
それにしても――。
私はマスターの顔をチラリと見た。
このマスター、どこかで見覚えがある気がするんだよね。どこで会ったかは全く思い出せないけど。
おかしいなあ。こんな美男子、一度見たら忘れるはずはないけれど……。
私がじっとマスターの顔を見て考え込んでいると、マスターはにっこり笑って私を見つめ返してきた。
「僕の顔に何か?」
わわっ、綺麗な瞳!
「あ、いえ、なんでもありません」
慌てて下を向く。
全く、心臓に悪いなあ。
マスターの切れ長の目、よくよく見ると琥珀みたいな薄い綺麗な色をしてる。
それが何とも蠱惑的で、全てを見透かされているようで、落ち着かないんだよね。
普段、女学校に通っていて男の人に対する免疫がないせいかしら、こういう美男子に見つめられると、無駄にドギマギしてしまう。
私が下を向いて考えていると、マスターはゆっくりと口を開いた。
「それで、お嬢さんはどうしてここに来たの?」
「へっ?」
「福助が案内してくれたってことは、君は何か困り事があるはずなんだ」
「困り事って――」
私は視線を泳がせた。困り事ならある。
だけれど、初対面の人に「呪いの令嬢」のことを話しても信じてもらえるだろうか。
私が戸惑っていると、マスターはふっと頬を緩めて笑った。
「ああ、申し遅れたね。僕の名前は
「か……怪異?」
私が首を傾げると、沖さんが教えてくれる。
「まあ、平たく言うと、
妖怪変化や呪い……。
ゴクリとつばを飲み込み、沖さんの顔を見つめる。
「そう、ここは何でも困り事を解決するカフェーなんだ。選ばれた人しか来られないけどね」
あっ。
沖さんのその言葉を聞いた瞬間、頭の中に、あの日会った神社の神主さんの顔がフラッシュバックしてきた。
この人。
髪も黒くなってるし、洋装だから分からなかったけど、間違いない。
あの時出会った神社の神主さんだ!
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