第4話 怪異祓いの店主

「あの、つかぬ事をお聞きしますが」


 私は恐る恐る手を挙げた。


「沖さんって、以前、神社の神主さんやられていませんでした?」


 私の問いに、沖さんの動きがピタリと止まる。


「はて、以前どこかで君と会ったかな」


 沖さんは顔に笑顔を張りつけたまま聞いてくる。


 あ、そっか。あの時、私はまだ子供だったから沖さんは覚えていないんだ。


「は、はい、覚えていないかと思いますが、十年くらい前に……」


 私は十年前に浅草で迷子になったことと、不思議な神社を見たこと。神主さんに助けられたこと。そして、その時の神社を探して今日ここまで来たことを沖さんに話して聞かせた。


「なるほど、そうだったのか。君があの時の子供だったとは、奇遇だね」


 沖さんは、腕を組んで感慨深そうにうんうんとうなずく。


 ああ、やっぱり、あの時の神主さんが沖さんだったんだ。


 私はホッと胸を撫で下ろすと、沖さんの顔を見つめた。


 髪は切って黒く染めたのだろうか。着物も髪型も洋装になってるけど、顔はよく見るとあの時のまま。


 そして何より、飄々ひょうひょうとした口調だけど、どこか懐かしく温かみのある声。


 胸の中が、じいんと懐かしさでいっぱいになる。


 あの時、二十代前半くらいだったとすると、今は三十代かな。


 だけど肌つやが良いせいか沖さんはどう見ても二十代にしか見えない。むしろそこら辺の二十代の女性より綺麗なぐらい。


 凄いなあ。やっぱり元が良いと、あんまり老けないものなのかしら。


「あの、ところで、あの時の神社はどこへ行ったんですか?」


 ついでにたけど、私は気になっていたことを尋ねてみることにした。


「ああ、この店の裏手に移したんだ。神社の手前にこのカフェーを建てたから、見つからなかったんだね」


「そうですか、それで」


 なるほど、それでいくら探しても神社が見つからなかったんだ。


 でもそれって、バチあたりじゃないのかな。神主さんがする事だからいいのかな。


 と、ここで私は気づいた。


 沖さんが、私が探していたあの神社の神主さんで、今はカフェーのマスター兼祓い屋みたいなことをやっている。


 ってことは、沖さんに、私のお祓いしてもらえば良いんじゃないの?


 そうよ、これでもう、「呪われた令嬢」だなんて呼ばれなくなるはずだわ!


「あのっ、沖さん、実は相談があるんですが」


 私は「呪われた令嬢」の話を沖さんに話して聞かせた。


 お見合いをした婚約者が立て続けに事故にあっていること、そして謎の黒い影が目撃されていること。


「――というわけで、私はお見合いを断られ続けているんです。どうか、お祓いをしてもらえないでしょうか。早く家を出て、暖かい家庭を築きたいんです」


 沖さんはうーんと顎に手を当てて考えだした。


「それならひとつ、良い考えがあるよ」


「考え?」


 私が首を傾げていると、沖さんはずいっとこちらへ顔を近づけた。


 わわわわわっ、顔が良いっ。


 琥珀のように透き通った綺麗な瞳。見つめられると、どうにかなってしまいそう……。


 動揺する私の耳元で、沖さんは低い声で囁いた。


「うちにお嫁に来ればいいんだよ」


 え……ええっ??


 沖さんの言葉に、私は飲んでいたコーヒーをブッと噴き出してしまう。


「な、な、な、な……何言ってるんですか!?」


「いやいや、君の話によると、会うのは二度目みたいだし、千代さん稲荷寿司は凄く美味しかったし」


「だからって――」


 無理無理! 確かに沖さんは素敵だけど、そんなことお父様が許すはずない。


 結婚には、家柄とか財力とか、そういうのを一番重視する人だもの。カフェーのマスターと結婚なんて許してもらえるはずがない。


「すみません、いきなり結婚なんて、私は無理です」


 私はガバリと頭を下げた。


「まあ、そうだよね。残念、残念」


 だけど沖さんは、残念がるどころか、食えない笑顔で笑うだけだった。


 びっくりした。やっぱりただの冗談なんだよね。


 沖さんみたいな大人の男の人が、本気で私と結婚したいだなんて、ありえないもの。


 私がホッとしつつも少し残念に思っていると、沖さんは食えない笑顔でクスリと笑った。


「……とまあ、それはさておき、君に取り憑いた悪いモノは祓っておかないとね」


「祓ってくれるんですか!?」


「うん。普段はお金を取るんだけど、今日は特別サービス。そこに立って」


 沖さんに指示され、私はテーブル席をどかし、広くなったお店の通路に立った。


 沖さんは、カウンターの下から何やらお札を取り出す。


「火がつくけど、熱くないから大丈夫だからね」


「は、はあ」


 火? どういうこと? お灸でもするのかしら。


 そう思っていると、沖さんは私の右肩の辺りにお札を貼り付けた。


「――狐火」


 沖さんが唱えた瞬間、お札がボッと炎を上げる。


「うひゃああっ、熱ちちちち!」


 反射的に声が出る。


「千代さん、落ち着いて。それは千代ちゃんには効かないから」


「そ、そんなこと言ったって!」


 だって、燃えてるんだよ!?


 と、取り乱した私だったけど……。


 あれ? 本当だ。全然熱くない。沖さんの言った通りだ。


 私がお札に触れようとしたその瞬間、沖さんから声がかかる。


「――動かないで」


「えっ」


 沖さんはニュッと手を伸ばしたかと思うと、私の肩のあたりにいた《何か》を掴んだ。


「ギイッギイッギイッ」


 不気味な声を上げる《それ》は、真っ黒い髪の毛の塊みたいな生き物だった。


「な、何これ!」


「これが君を呪っていた《何か》の正体だよ。人の怨念や恨み、そういう負の感情から産み出された人ならざるモノだね」


 そう言うと、沖さんは私の肩にいた黒いモノをギュッと握りつぶした。


「――ミギャッ」


 黒いものは、不気味な声を上げると、黒いすすみたいになって、パラパラと床に散らばった。


「これでよしっと」


 沖さんはパンパンと手袋についた黒い粉を払う。


「こ、これで、除霊できたんですか?」


「うん、そうだね。今のところは」


 手袋を脱ぎながら、あっさりと沖さんは答えた。


「ってことは、これでもうお見合いしても、婚約者には何も起こらないってこと?」


「うん、だと思うよ」


 水道で手を洗い、沖さんが答える。

 ウソ。まさかこんなに簡単に除霊が済むなんて……。


「でも気をつけて」


 と、沖さんは声のトーンを落とす。


「《あいつ》は強いあやかしじゃないけど、どこにでも潜んでる。一度は退治したけど、また出てくる可能性があるんだ。だから、困ったらまたここにおいで」


 あの黒いのが、また出るかもしれない?

 私はゴクリと唾を飲み込んだ。


「はい、分かりました」


 それにしても、どこであのあやかしに憑かれたのかしら。

 誰かに恨みを買った覚えはないし、祠や神社に無礼を働いた記憶もない。

 まあ、退治できたのならいいのかな。


「あ、それと」


 沖さんは、うっすらと唇に笑みを浮かべると、ポンと私の頭に手を置いた。


「――うちにお嫁に来ないかって話、あれ、本気だからね?」

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