第5話 沖さんの正体
もうっ、沖さんったら、何であんなこと言うかなー。
帰り道。ブツブツと呟きながら浅草の町を歩く。何だか頭がぼうっとして、体が火照ったように熱い。
今思うと、凄く良い条件だったかもしれない。
沖さんは少し年上だけど美丈夫だし、良い人そう。
でも――ううん、やっぱり初対面の相手だし、何より両親の同意を得られるとは思えない。
カフェーの店主じゃ、お父様としては、政略結婚の相手として美味みがないものね。
結婚して家を出たいけど、できれば両親とは
はあ。
私は世の女性たちのように普通に結婚して、普通の幸せを手に入れたいのに、どうしてこんなに難しいんだろう。
そんなことを考えながら、ブラブラと浅草の街を歩く。
女学校は浅草の街にあるけれど、行き帰りにほとんど寄り道した事は無かったし、こうしてゆっくりお店を見たりするのは初めて。
お団子におせんべい、雷おこしなんかもおいしそう。何かお土産に買っていこうかな。
「そこのお嬢さん、団子はどうだい?」
私がじっと露天を見ていると、お団子屋さんから声をかけられる。
見ると、美味しそうなみたらし団子がホカホカと湯気をあげている。
わあっ、美味しそうなお団子!
「そうですね、一本もらおうかしら」
そう言いながら財布を出そうとしたのだけれど、どこを探しても財布が見当たらない。
「あれっ?」
どこかに落としたのかな。それとも――。
もしかして、沖さんのお店に置いてきたのかも。
「す、すみません、ちょっと持ち合わせがなくて――ごめんなさいっ!」
もうっ、私ったらドジなんだから!
私は急いで沖さんのお店に戻ると、カフェー・ルノオルのドアを開けた。
カランコロン。
「沖さんっ、すみません、私、お財布……」
だけど、お店の中はしんと暗くて誰もいない。もうお店を閉めちゃったのかな?
おかしいな、看板には「営業中」って書いてあったのに。
「沖さーん、入りますよ?」
とりあえず、いるかいないか分からない沖さんに声をかけて店内な入る。
財布を見つけたらすぐに帰ろう、そう思っていたのに、ソファーの下や通路の脇、お店の中を探すけど、財布は見つからない。
お店で落としたんじゃなかったのかな。
それとも、沖さんが見つけて預かっていてくれてる?
とりあえず沖さんにお話を聞きたいけど、どこにもいない。どこに行ったんだろう。
と、そこで私は思い出した。
そういえば、神社を裏庭の方に移したって言ってたよね。もしかしてそっちの方にいるのかも。
「沖さーん」
私は恐る恐る店の裏手へと回った。
「沖さー……」
ザザリ。
秋の風が浅草の空を吹き抜ける。
私は顔を上げ、息を飲んだ。
カフェーの裏手には、沖さんが言っていた通り小さな神社があった。
赤い鳥居。小さな狐の像。
そしてそこにいたのは、長い白髪に、ピンと立った獣の耳、長い金の尻尾を持つ美しい青年だった。
頭に思い浮かぶのは、幼い頃に見た沖さんの姿。長くて白い不思議な髪。
沖さん……?
秋晴れの空の下、揺れる金の尻尾を見ながら、私は呆然と立ち尽くした。
あれ、沖さん……だよね?
沖さんに狐の耳と尻尾がある……。
沖さんって、人間じゃなかったの!?
私が狼狽していると、急に背後から声がかかる。
「ダメだよ、勝手に入っちゃ」
「ひゃっ!?」
振り返ると、そこには白くて長い髪に、狐の耳が生えた沖さんがいた。
えっ、今、向こうにいたよね? 一瞬で移動した?
背筋がゾッと寒くなる。
沖さんはそんな私に構うことなく、クスクスと笑いながら穏やかな口調で話し続ける。
「バレちゃったね、結構上手く隠してたつもりなんだけど」
私の肩をがっちりと掴み、耳元で囁く沖さん。
沖さんの琥珀の瞳が、蛇のようにすうっと細くなる。
「あ、あの、沖さんは……」
恐る恐る聞いてみると、沖さんは上機嫌に教えてくれる。
「うん、見ての通り、私の正体は
沖さんが、狐? 神社の神様!?
目の前で狐の姿を見ても、まだ全然信じられない。
沖さんはクスクスと可笑しそうに笑う。
「ええ、そんなわけで――」
沖さんはトン、と私の後ろの壁に手を付くと、唇の前に人差し指を持ってきた。
吸い込まれそうな金色の目。恐ろしいほどに整った顔。ドクンと心臓が鳴る。
「正体がバレちゃったからには、君をなんとしてでもお嫁にもらわないとね?」
優しいけれど、有無を言わせぬ口調に、思わずたじろぐ。
えっ。
どうしてそうなるの!?
***
「ああ、千代、君に縁談が来ているよ」
数日後、私は父親と母親に呼び出された。
やった、ついに次の縁談が来たわ!
これで沖さんの求婚を断る口実ができるってものよ。
沖さんには悪いけど、やっぱり普通の人間と結婚したいもんね。
「呪われた令嬢」では無くなったとたん、「狐に魅入られた令嬢」になってしまうだなんて勘弁だもの。
いそいそと居間に向かい、正座をする。
「それで、御相手はどんな方でしょう?」
尋ねると、お父様は上機嫌に答える。
「ああ、資産家で、感じの良い方だよ。カフェーの経営もしていらっしゃる」
「そ、そうですか」
カフェーの経営……。まさかね。
私は恐る恐る尋ねた。
「その方のお名前は?」
父親は、満面の笑みで答えた。
「
その言葉に、私はその場でずっこけそうになる。
お、沖さん!?
ま、まさか、うちに直接縁談を申しこんでくるなんて!
私があっけに取られていると、お母様はニコニコと笑みを浮かべる。
「なかなかの美丈夫で、感じの良い青年て、あなたのような娘には勿体無いぐらいのお方よ」
そ、そりゃあ美丈夫だけど、狐なのよ?
「えっと」
私が口を挟もうとすると、お父様は有無も言わせぬ口調で断言した。
「うむ、父さんも、中々に骨のある人物と見た」
「――で、でも」
私が口を開こうとすると、お父様はぴしゃりとたしなめた。
「千代、確かに沖くんは華族では無いけれど資産家だし、『呪われた令嬢』なんて評判が広まってしまった今、お前を貰ってくれる相手なんてそうそういないぞ」
そ、そんなあ。
お父様もお母様も一体どうしちゃったの?
あんなに結婚相手にこだわってたのに、こんなにあっさり沖さんと結婚しなさいだなんて。
資産家だなんて、絶対に嘘でしょ。もうちょっとちゃんと調べてよ。
まさか、沖さんにまやかしや妖術でたぶらかされちゃったの?
「とにかくそういうわけだから、行き遅れになる前に、この際、沖くんに決めてしまいなさい」
冷たく言い放つお父様。
私は黙って頭を垂れるしかなかった。
「……はい」
そんなわけで、私はどうやら沖さんのところに嫁ぐことになってしまったみたい。
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