第壱章 ふしぎなカフェー

第2話 呪われた令嬢

「えーっ、また婚約がだめになったの!?」


 カヨ子さんが、裁縫をする手を止めて叫ぶ。


「しっ、声が大きいわよ、カヨ子さん」


 私が人差し指を立てると、カヨ子さんはハッと口に手を当てた。


 前を見ると、白髪混じりの髪を結い上げた丸眼鏡のオールド・ミスがこちらをジロリと睨みつけている。


 いけないいけない。裁縫の廣島ひろしま先生は怒ると凄く怖いから気をつけないと。


「な、なんでもありませんわ」

「ねェ、カヨ子さん。おほほほほ」


 私とカヨ子さんは作り笑いを浮かべると、刺し子をしていた手元に視線を戻した。


 廣島先生が溜息をつき、他の生徒の指導を始めるのを見ると、カヨ子さんは、先生から見えないようにべえっと舌を出した。


 きりりとした眉に、西洋人のようにくっきりとした目鼻立ちの美人、カヨ子さんは私の自慢の親友。


 授業中だろうが休み時間だろうが、私たちはいっつもこうやってお喋りをして過ごしているんだ。


「ごめんごめん。でもこれで三回目じゃなかった?」


「五回目よ」


 私は針山にまち針をぶすりと刺した。


 私、秋月千代あきづきちよは女学校に通う十七歳。


 得意科目は国語で、苦手な科目はお裁縫。


 将来の夢は、女学校を卒業したら素敵なお嫁さんになること。


 六歳の時にお母様が亡くなってからというもの、後妻に入ったお義母かあ様とは上手くいかないし、お父様はというと、いつもお義母様の味方。


 いつも食卓にピリピリした空気が流れているような家庭で育った。


 だから、ずっと暖かい家庭を持つのに憧れていたし、結婚して早く家を出たかったの。


 なのにここ最近、五回連続でお見合いを断られてる。


「はあ、なぜなのかしら」


 胸の底からため息を吐き出す。


 自分で言うのも野暮ってものだけれど、見た目はそう悪くないと思う。


 長くて艶やかな黒髪に大きなリボン。


 色白の細面で、カヨ子さんみたいに西洋人風では無いけれど、目鼻立ちは良い感じにまとまってると思う。家柄だって華族だし。


 まあ、料理とお裁縫はできないけれど、そこは結婚してからでも何とかなる……と思う。


 だから結婚相手なんですぐに決まると思って、私は軽い気持ちで父親の選んだ相手とのお見合いを繰り返していた。


 現に最初の相手も、次の相手も感じのいい人で、お見合いも順調に進んでいた。だけど――。


「まあ、しょうがないわよね。婚約者が立て続けに謎の事故にあってちゃあ」


 カヨ子さんが同情の瞳で私を見つめる。

 私はうっと息を飲んだ。


 そう。実は、過去に私と婚約した男性は、みんな謎の事故で怪我をしたり、病気で寝こんだりしているの。


 しかも事故も病気も原因不明で、そのうちの一人は「謎の黒い影を見た」なんて言っていて――。


 みんな何かの呪いや祟りなんじゃないかって噂してて、そうしてついたあだ名は「呪われた令嬢」。


 先日の相手も、途中までは順調だったのに、「呪われた令嬢」の噂を聞いて「君とは結婚できない」と突然言ってきたの。


 しかも、卒業まであと半年というこの時期に。


「はあ。卒業したら、すぐにでも結婚して家から出られると思ってたのに」


 私は机に突っ伏して嘆いた。


「もういっそのこと、職業婦人を目ざしたら?」


 カヨ子さんはふふっと笑う。


 そりゃあ、カヨ子さんだったらそうできるんだろうけどさ。


「もう、そんなに簡単に言わないでよ」


 時は大正。ちまたでは女性解放運動や職業婦人なるものが流行っている。


 クラスメイトの中にも、華道や茶道の芸を極める人や、英語や国語の教師として職に就く人もいるって聞く。


 カヨ子さんも、卒業した後はドイツに留学をして、将来はヴァイオリニストになるつもりなんだって。いいなあ。


 だけれど私は、学業の成績もそんなに良くないし、華道や茶道に秀でている訳でもない。カヨ子さんみたいにヴァイオリンが弾けるわけでもない。


 カフェーやレストランの女給さんやデパートガール、バスガールなんかは憧れちゃうけど……。


 ううん、ダメダメ。そういった浮ついた職に就くことを、お父様に許して貰えるとは思えない。


 ああ、どうしたらいいんだろう。


 このままだと、結婚もできない、就職もできない、何もせずふらふらしているだけのお荷物になってしまう。お先真っ暗よ。


「そんなの、絶対に嫌」


 嘆く私の肩を、ポンポンとカヨ子さんは叩いた。


「大丈夫よ、今に良い人が見つかるわ」


「カヨ子さん……」


 でも「呪われた令嬢」を嫁に迎えたいだなんて、そんな奇特な方がいるのかしら。


「あ、そうだわ」


 カヨ子さんは、名案とばかりに手を叩く。


「いっその事、どこかの神社かお寺に行ってお祓いでもしてもらったらどうかしら。私、どこか良いお寺がないかお父様に聞いてみるわ」


「ありがとう、カヨ子さん。私も探してみる」


 どこかの神社かお寺かあ。


 その時、頭の中に浮かんだのは、幼い頃、浅草に行った時に迷いこんだあの小さな神社だった。


 “ ここは何でも願いを叶える神社なんだ”


 神主さんはそう言っていたけど、結局あの後、何度探してもあの神社は見つからなかったのよね。


 頭の中に、あの日会った神主さんの姿が蘇ってくる。


 愁いを帯びた不思議な瞳。

 整った顔立ちに、聞き心地の良い声。

 そして白くて長い不思議な髪。

 背後には赤い鳥居と狐の像。


 神主さんと二人で過ごした時間はほんの少しだったけど素敵だったな。


 今思うと、全部夢だったんじゃないかと思うほど暖かくて、きらめいていて――。


 もしもあの人に、もう一度会えたのなら。


「久しぶりに、探してみようかな、あの神社」


 私は一人呟いたのでした。

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