帝都浅草 おきつねカフェーの嫁稼業

深水えいな

序章

第1話 まほろばの神社

「わあ、綺麗!」


 凌雲閣りょううんかくに浅草オペラ、花やしき。

 ここ浅草は、帝都の中でも随一の華やかさを見せる街。


 そんな街の賑わいに、当時六歳の私は目を輝かせた。


 道全体を覆いつくし、身動きが取れないほどの人混み。

 空を彩るのは、商店や興行の色鮮やかな幡旗のぼりばた


 見るもの全てが綺麗で輝いていて、まるで色の洪水みたい。


 私が口をポカンと開けながら辺りを見回していると、ふと気づく。


「あれっ、お父様は?」


 一緒に歩いていたはずのお父様がいない。


「お父様、お父様、どこ?」


 慌ててあちこちを走り回った。

 けど、どこにもお父様の姿はない。

 どうしよう。迷子になっちゃったんだ。


「お父様、お父様ーっ!」


 人混みをかきわけ、見知らぬ街を行く。

 

 角を曲がって 路地をぬけ、それらしき後ろ姿を追いかける。だけれどもそれは、赤の他人で――。


 そうこうしているうちに、私はいつの間にやら、暗い裏路地へと迷い込んでしまった。


「ここどこ? お父様は?」


 当時、私はお母様を亡くしたばかり。


 まさか、お母様だけでなくお父様まで居なくなってしまったの?


「お父様、お父様ーっ!」


 私が泣きながら歩いていると、見たこともない小さな神社が見えてきた。


 街中とは思えないほど鮮やかな木々の緑。

 赤い鳥居が幾重にも並び、小さなキツネの像。

 その奥には木でできた古めかしい建物があった。


 ここ、どこだろう。


 キョロキョロと辺りを見回していると、後ろから若い男の人の声がした。


「おや、お嬢さん。こんなところでどうしたんだい」


 振り向くと、そこに居たのは真っ白で長い髪をした、若い男の人だった。


 透き通るように白い肌。切れ長の目に、通った鼻筋、整った輪郭。


 子供の私でも分かるくらい、凄く整った顔の男の人だった。

 麗しいっていう言葉がぴったり。


 わわっ、こんなに綺麗な男の人初めて見た!


 だけど何で若いのに髪の毛が真っ白なんだろう。


 私が不思議に思っていると、白い髪の男の人は、私の側にしゃがんで尋ねた。


「お父さんかお母さんは? 迷子かな?」


 私はこくんとうなずいた。


「お父様と一緒に浅草に来たんだけど、はぐれちゃったの」


「そうかそうか。珍しくお客さんが来たと思ったら、やっぱり迷子だったか」


 男の人は優しく私の頭を撫でた。


「着いてきて。お父さんの所へ連れて行ってあげよう」


 私は男の人と手をつないで歩き出した。



「お兄さんはあの神社の神主さんなの?」


「うん、まあ、そうだね」


「神社を留守にして大丈夫なの?」


「大丈夫。あそこは人が滅多に来ないから」



 表通りから少し外れているとはいえ、浅草にあるのに人が来ないなんてことあるんだろうか。


 疑問に思っていると、神主さんは目を三日月のように細めて笑った。


「ここは何でも願いを叶える神社なんだよ。けど、ここに来られるのは選ばれた人だけ」


「そうなんですか」


 変な神社。


 と、隣に立つている神主さんから、ぐぅとお腹が鳴る音が聞こえてきた。


「お兄さん、お腹が空いてるの?」


「ああ、ごめんごめん。実は今朝から何も食べていなくて」


 恥ずかしそうに笑う神主さん。


「あ、そうだ」


 私は、お昼ご飯にと持ってきた稲荷寿司を取り出した。


「これ、分けてあげる」


「えっ、いいの?」


 神主さんは嬉しそうに稲荷寿司を頬張ると、目を輝かせた。


「うん、凄く美味しいよ。君のお母さんが作ってくれたの?」


「ううん、私が作ったの」


 私が答えると、神主さんは、ビックリしたように目を見開いた。


「へえ、小さいのに凄いね」


「亡くなったお母さんに、習ったの」


 私は少しうつむいた。


 稲荷寿司はお母様の得意料理。

 私がお母様から受け継いだ、唯一の母の味がこの稲荷寿司なんだ。


 私が母のことを思い出していると、神主さんは私の頭をポンポンと撫でて笑った。


「そう。君はきっと良いお嫁さんになれるよ。君のお母さんみたいにね」


「そ、そうかな」


 頬がかあっと熱くなる。


 なんだか嬉しいな。そんなふうに言ってもらえるなんて。


 すると、通りの向こうに人混みが見えてきた。


「ほら、ここから元の場所に戻れるよ」


「本当だ。ありがとうございました!」


 私はペコリと頭を下げ、人混みの方へと駆けて行った。


 しばらくして、私はようやくお父様の姿を見つけた。


「お父様!」


「千代、いったいどこに行ってたんだ!」


「あのね、神社に行ってたの。神主さんが助けてくれたんだよ」


「神社って……ああ、三社様かい?」


 私は首を横に振った。


「違うよ、もっと小さくて人のいない神社だよ。鳥居がたくさんあって――」


 私が必死で説明すると、お父様は不思議そうな顔をする。


「そんな神社あったかな」


「あるよ、ほら、この通りを抜けて――」


 私はお父様を、さっき行った神社に案内しようとした。


 だけど、いくら探してもさっき見た神社は見つからない。


「おかしいなぁ」


 首をひねる私を見て、お父様が笑う。


「夢でも見たんじゃないか?」


「ち、違うもん。本当にあったんだもん!」


 ううん、夢じゃない。

 私は確かにこの目で神社を見たのに。


「それより、舟和の芋ようかんでも買って帰ろう。美味しくて、最近流行ってるらしいんだ」


「……うん」


 私はお父様に手を引かれ、その場を後にした。


 それから、私は何回かあの神社に行こうと浅草を訪ねてみた。


 だけど私はついに一度もあの時の神社にたどり着くことはなかった。


 やっぱり、あの神社は幻だったのかな。それとも――。





 


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