第漆章 千里眼と秘密教団
第31話 ある晴れた朝の出来事
お母様は、細面で線が細く、黒髪の綺麗な美人。そして、私と同じく「視える人」だった。
「柳の下に、黒いあやかしがいるでしょう? あれには絶対に近づいちゃだめよ」
夢見るような瞳でそんなことを言う母に、私はうなずいた。
「はい、お母様」
あやかしや妖怪変化について堂々と語るお母様を、私は特に疑問に思わなかった。
だって《それ》は、私にも見えていて、いて当たり前の存在だったんだから。
だけどお父様はそんなお母様を見ると、決まって眉をひそめた。
「また、アレはおかしなことを言って。いいかい、千代はお母様みたいなことを外で言っては駄目だからね。おかしな人と思われてしまうよ」
「……はい」
元々、お父様とお母様はお見合い結婚。情などなかったのだろう。
やがてお父様は外に女を作り、家には寄り付かなくなった。
お母様は「御法川」という男に誘われ、次第に怪しげな宗教にのめり込むようになった。
「心眼教」というその宗教は、明治の初めごろにできた新しい宗教。
私も母に連れられ、その集まりに何回か顔を出したけと、そこではお母様の能力は「神の目」としてたいそう敬われていた。
お母様は見た目も美しかったし、教祖の愛人になったのだという人もいた。
私はそんなこと信じなかったけれど、その団体は、どこか薄気味悪く、居心地の悪いものに感じていた。
父もその団体を嫌っていたし、私もお母様に「あの団体は良くない感じがする」と何度も伝えた。
だけどお母様は、私とお父様が反対すればするほど、心眼教にのめり込んで行った。
そんなある日、事件が起こる。
「日本にこれから大きな災害が起こる」「日本中が火の海になる恐ろしい出来事が起こる」といったお母様の予言を信じ、自暴自棄になった信徒が、人を切り付ける事件を起こしたのだ。
「分かったでしょ、お母様、もうあの人たちの所へ行くのはやめて」
そう懇願した私に、お母様は初めてうなずいた。
「……分かったわ。今までごめんね」
これでお母様は、私たちの元へ帰ってくる。喜んだわたしだったけれど――。
教団には捜査の手が入り、責任を感じたお母様は、首を吊って自ら命を絶った。
それはとても晴れた日で、私がまだ六歳の朝の出来事だった。
***
「息子を取り戻して欲しいんです」
ある晴れた日。カフェー・ルノオルにやってきたお客さんは、店に入るなりそんなことを言ってきた。
「とりあえず、こちらにおかけ下さい」
お客さんを奥のテーブル席に通し、沖さんと一緒に話を聞くことにする。
お客さんは、
彼女は浅草にある大手呉服店のおかみさんで、とある宗教団体に囚われた一人息子を連れ戻してほしいのだという。
「警察に行っても、誘拐されたわけでもあるまいし、息子が自分で入信したんだから、連れ戻すことはできないと」
涙ながらに話す伊丹さんに、少し突き放すような口調で沖さんは言う。
「まあ、そうだよね、普通は」
「でも、そこにいる姫巫女様とかいう女は、なんでも妖しい妖術を使うと言うし、警官の國仲さんが言うにはここなら何とかしてくれるかもって……!」
沖さんは面倒くさそうな顔をする。
「まーた國仲のやつ適当なこと言って」
「お代は出します! これくらいでいかがですか?」
伊丹さんがソロバンでパチパチパチと金額を弾くと、沖さんの目が一瞬にしてキラリと輝いた。
「分かりました! お引き受けしましょう!」
もう、またこれかいっ!
「ありがとうございます。助かります! あの子は跡取りなんで、居ないと困るんです」
「それで、息子さんが囚われた教団というのに心当たりはあるんですか?」
「ええ、ありますとも」
そう言うと、伊丹さんは『無料千里眼診断実施しており〼』と書かれたチラシを取りだした。
「これです。この『新しい眼』というのが教団名です」
私はチラシの下の方に描かれた目のマークをじっと見つめた。
間違いない。このマーク、青い目の人形事件で囚われた時にお屋敷の壁に貼ってあったものと同じだ。
ということは、この前の事件と今回の事件と関係があるということなのだろうか。
「それじゃあ、お願いしますね!」
晴れやかな顔で去っていく伊丹さんの後ろ姿を見送ると、私は沖さんの顔を見上げた。
「良いんですか? そんな簡単に」
「ああ、問題ないさ」
あっけらかんとした顔で言う沖さん。だけど私は、不安でいっぱいだった。
「……本当ですか?」
私が思い出したのは、母が生前のめり込んでいたあの教団。
当時の教団名は「心眼教」と言ったが、最近になり名前を変えて新たな信徒を増やしていると聞いた。
私はチラシの眼のマークをそっと撫でた。
あの頃とは名前もシンボルマークも変わっているけれど、間違いない。
「新しい眼」は母を死に追いやったあの教団だ。
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